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第二章

原田陽一という男

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 目の前で巨大なウサギに一本背負いされている鮫島を見て、親分はその足を止めた。
 だがあきらめたわけではない、その瞳はこんな時でさえまだ鋭い光を放っていた。

「お前らどこの者だ」

 気の弱いものが聞いたらそれだけですくみあがってしまいそうな、ドスを効かせた低く冷たい声。
 ウサギの着ぐるみを頭からすっぽり着ているため、扉の前に立つ人物の表情はわからない。

「何が目的だ」

 はじめほかの組の者かと思ったが、攻撃してくるが決して致命傷を与えるわけではない彼らのやりかたに、その線はないと親分はふんでいた。
 だがまさか、警察がこんな手の込んだことをするとも思えない。

 だいたいなぜぬいぐるみなのか。
 まるで子供のお遊戯に付き合っているような錯覚さえ覚える。

 同時に説得や金で心変わりするような輩とも考えられなかった。なにかそこに深い執念のようなものを感じたからかもしれない。

 それでも理由も相手も分からず、ただやられるわけにはいかない。
 これでも一国一城の組の主だ。
 親分が短刀の鞘を捨てる。微かな光がその刃をキラリと光らせた。

 一瞬目の前のウサギの着ぐるみが、たじろいだような気配を見せる。
 見えない敵に向かうより、確実なのはこの着ぐるみを狙うことだ。そう判断した親分の鋭い眼差しが、ウサギの着ぐるみに注がれた。

「親分さん、いや原田陽一さん」

 いまにも飛び掛らんばかりの姿勢をとったとき、突然背後から声がかかった。
 気配でわかる。エリザベーラだ。

 フルネームで呼ばれていささか親分は眉間に皺をよせた。だが顔は着ぐるみからそむけられることはなく、耳だけをそちらに傾ける。

「まだお気持ちは変わりませんか?」
「変わらぬ」

 親分こと原田はさっきとまったく変わらない口調で即答した。

「頑固な人だ。貴方の妹さんはこんなに悲しんでいるというのに」

 ギリッと原田が唇を強く噛みしめる。ずっと冷静だった原田に怒りの色がゆらめく。

「さっきから、妹がなんだと。俺には妹何ていねぇ」

 殺気を飛ばしながら叫ぶ。

「おかわいそうに、妹さんそんなこと聞いたら泣いてしまいますよ」

 エリザベーラは困った人だと言わんばかりに肩をすくめた。

「貴方は妹を失った恨みを、罪のない人に押し付けているだけです」

 ここまで否定しても動揺しないところ見ると、どうやら着ぐるみの仲間は、自分の過去をどういうわけか知っているらしい。原田は目の前の着ぐるみを、目を細めるように見つめた。

(自分の過去を知っていて、仲間はただ眠らせるだけ。親分である原田ではなく、俺個人の関係者の仕業なのか)

 原田はそれを見極めるようと、全身の神経を尖らせた。

(だが、相手の要求がわからない。妹の話をだして、動揺させてるつもりだろういが、その後どうしようというのだ)

 静かな泉のようだった原田の心に、さざ波がたつ。苛立ちはするが、相手の出方がわからない限り、話を聞くほかどうしようもないような気がした。

「どういうつもりで俺に近づいたか知らないが、話だけは聞いてやろう」

 そう言いながら、原田は短刀を振りかざし目の前の巨大ウサギに突っ込んだ。

「あまい!」

 原田の予想通り、その瞬間風を裂くような微かな音が聞こえた。
 そして次の瞬間、とても老人の動きとは思えないほどすばやい動きで正確にそれを短刀で叩き落した。
 とてもじゃないが普通でも目で追うことのできないほど小さな針を、確実にこの薄暗い夕闇の中で払い落とすとは、いくつもの修羅場を潜り抜けてきた男の勘なのか、それいじょうのなにか不可思議な力を隠し持っていたのか、どちらにしろ原田以外の人間には、それは予想外の出来事だったらしく、凍り付いたように小さな息をのむ声が聞こえた。

「山崎さん!」

 針が飛んできた方角から悲鳴に近い女の声が上がった。

「図体がでかいうえ、着ぐるみを着たまま戦おうなんて、ただの自殺行為でしかない」

 一声叫ぶとともに針を落としたその速度のまま、ウサギ着ぐるみめがけて短刀を振り下ろす。
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