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学祭
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全校が浮き足立った雰囲気に包まれている。学祭当日がやってきたのだ。朝陽は茉莉と一緒に体育館のステージ裏に。他にも出場者達がいる。ミスコンの流れを確認するためだ。この後、衣装に着替えて本番を行う。
実行委員の説明を聞いて、昨日のリハーサルでも歩いたランウェイをもう一度歩く。事故はその時起こってしまった。ランウェイからステージへ戻る階段を登る際、茉莉が足を踏み外し転倒してしまったのだ。
「茉莉、大丈夫か?」
「うん……ッ」
差し出された朝陽の手を握って立ち上がろうとしたが、茉莉はまたその場に座り込んでしまう。実行委員が来て、朝陽と彼に手伝ってもらいようやく茉莉は立ち上がることができた。
脇に用意されたパイプ椅子に座らせて足首を見ると片方が赤く腫れ上がっていた。
「捻挫ね」
実行委員が呼んできた保健医が処置をしながら言った。
「できる限り早めに病院へ行くこと。 それと安静第一」
「……はい」
茉莉に肩を貸しながら手芸部の部室へ行く。後藤と洋介が茉莉の様子に驚いて駆け寄ってきた。
「茉莉、どうしたんだよ」
「ちょっと転んじゃった」
「捻挫したんだ、ちょっとじゃないだろ」
「捻挫!? うそ、大丈夫?」
後藤が心配そうに茉莉の顔と足首を見比べる。
「座ってる分にはまあ。 でも歩くのは……ごめん、ミスコンちょっと無理かな」
申し訳なさそうに言う茉莉に後藤が答える。
「そんな、しょうがないよ! クラスに行って誰か出られる人探してくる」
「俺も行く」
後藤と洋介が手芸部の部室を出ていく。残された朝陽と茉莉はしんとした部室内で来場者が入場するというアナウンスを聞いていた。
「ごめんね、朝陽」
「謝ることじゃないだろ」
怪我をしてしまったのはたまたまだ。ステージとランウェイを繋ぐ可動式の階段は少し幅が狭く、足を踏み外してしまうのも仕方ない。
「……私、ちょっとほっとしちゃった」
「何が?」
「ミスコン、出なくていいんだって」
「まあな。 あんなの進んで出たがるヤツなんていないだろう」
「違うの」
眉根を寄せて困ったように茉莉は笑った。
「ウェディングドレス、着たくなくて」
俯いて指をいじりながら茉莉は続ける。
「なんだそれって感じなんだけどさ、やっぱりちょっと嫌だなって。 こういうのって大事にしたいっていうか……取っておきたいじゃん」
以前、三人で写真を撮った日から表情が少し曇っていたがなるほど、と納得した。朝陽には分からないが茉莉にとっては大事なことなんだろう。
「……だからほっとした。 後藤さんには悪いけど」
「そっか」
「代わりの子、早く決まればいいんだけど」
「どうだろうな」
洋介と後藤が出ていってしばらく経つがなかなか戻ってこない。そうだろう、本番はクラスの出し物、朝陽のクラスは模擬店なのだがローテーションを組んで接客をしているし、指定された時間以外は各々学祭を回っている。代わりが簡単に見つかるとは思えない。
ドアが開いて洋介と後藤が戻ってくる。二人の、特に後藤の表情は沈んでいた。
「どうだった?」
二人の表情を見れば分かるが聞かずにはいられなかった。
「だめ。 そりゃ急に出ろって言っても困るよね」
「後藤が出るのは?」
「私? いやその、サイズがね……?」
茉莉と比べると後藤は多少ふくよかな体をしていた。茉莉に合わせたドレスが入るかと言われると難しいだろう。
室内に気まずい沈黙が降りた時、コンコンとドアがノックされた。
「山崎朝陽君、いますか?」
男性の声だ。クラスの人間では無いが聞いたことがある声だった。まさか、と思ってドアを開くとパーカー姿の瑞月が立っていた。
「クラスの子に聞いたらここだって聞いたんだ。 ミスコン出るんだって?」
少し拗ねたような口ぶりだった。結局、恥ずかしいから言わずにいた。
「……黙ってて悪かった。 今ちょっと取り込んでるからまた後で」
朝陽がドアを閉めようとすると後藤がちょっと待って、と声を上げた。
「入ってもらっていいですか」
そう言われて瑞月が部室へ入ってくる。一人座っている茉莉の足首を見て何かを察したのだろう、朝陽を返り見て視線で説明を求めてくる。
「茉莉もミスコンに出る予定だったけど怪我して、代理が見つかってない」
「そうなんだ。 大丈夫?」
「座ってるだけなら大丈夫です」
「そっか……で、俺はなんで呼ばれたのかな?」
目をパチクリと瞬かせて後藤に訊ねる。
「ミスコンに出てもらえませんか」
午前10時、ステージ裏。ミスコンが始まり、一年生から順番に出演者が登壇していく。二年生が登壇しきり、三年生の番がやってきた。朝陽のクラスが呼ばれる。ステージ上に流れる音楽がJPOPから結婚行進曲へ変わる。
「新郎新婦の入場です」
司会のセリフに合わせて朝陽はステージに上がる。反対側からウェディングドレス姿の花嫁も現れて会場が沸く。
一歩一歩ゆっくり歩み寄り、腕を組む。ヴェールの下でウィンクする瑞月を見て、朝陽は少し前のやりとりを思い返した。
何を言い出すんだと怪訝そうな目を後藤に向ける。
「ええ?」
瑞月も困惑している。当たり前だ、瑞月は男性で部外者だ。だが後藤は必死に頭を下げる。
「急にこんなこと言われても困ると思うんですけど、本当にもうどうしたらいいか分からなくて……お願いします」
頭を下げる後藤に瑞月はうーん、と唸っている。
「俺男だし、衣装入るかな? それに部外者だし……」
「調整します。 それに顔が出なきゃバレません、多分。 厚手のヴェールもあるので隠します」
瑞月は腕を組んで何か考える素振りをしている。
「瑞月、無理なら断っても……」
「分かった。 出るよ」
一瞬、瑞月の返答の意味が分からなかった。流石に断るだろうと思っていたから想定外で頭に入ってこなかったのだ。
「……ありがとうございます! じ、じゃあもうそろそろ衣装に着替えないと」
深く頭を下げて衣装の準備に取り掛かる後藤を尻目に瑞月を問いただす。
「お前何考えてんだよ」
「彼女困ってるし、バレなきゃいいかなって」
楽しそうだしと笑う瑞月に朝陽は大きな溜め息をついた。
そして花嫁姿になった瑞月は、茉莉からステージ上での流れの説明を受けた後藤が付きそう形でミスコンに出演することになった。衣装の直しもほとんど必要なかったと後藤が喜んでいた。
腕を組み二人でランウェイを歩く。リハーサルよりずっと長いように感じた。そしてまたステージへ戻るのだが、その前に階段で立ち止まる。
「誓いのキスを」
司会がそう促す。もともと茉莉ともキスをする振りをやることになっていた。盛り上がるからとクラスのみんなからの提案だった。断りたがったが数の暴力には抗えず、茉莉としているようにしか見えない角度の研究もした。
「ねえ、本当にしちゃおっか?」
朝陽にだけ聞こえるように瑞月が言う。朝陽を揶揄う口調で、瑞月の中ではジョークでしかないのだろう。
「そうだな……」
「え? んっ……!」
朝陽は瑞月が被るヴェールの中に顔を潜り込ませて、唇を合わせる。しているようにしか見えない角度なら、本当にしてもバレないだろう。
瞬間、ドッと客席が盛り上がった。ヒュー、とあちこちから声が上がる。
驚いて固まっている瑞月を小突いて、予定通り二人で観客に一礼してステージ上に戻る。
全てのクラスが出来って司会によるインタビューに移る。
スパンコールでできた大きな蝶ネクタイをつけた司会役の生徒が朝陽の前にやってくる。受け答えは全て朝陽がやることになっていた。
「いやあ、熱烈なキスでしたね。 本当にしたんですか」
「ご想像にお任せします」
「新婦さんの方のお顔は見せてもらえないんでしょうか」
「恥ずかしがり屋なので。 それに」
朝陽はステージの熱に浮かされて、用意されていたセリフに本音を乗せて司会に返した。
「俺以外に可愛い顔を見せたくないんで」
朝陽の返答に客席からキャー、と黄色い声が上がる。
「甘い! ここまで愛されて幸せですねえ」
司会の言葉に瑞月がこくん、とうなづき、ぎゅう、と朝陽の腕に強く抱きつく。
「いやすごい、熱々です。 俺も恋人欲しいなあ。 あ、もしなってくれる人いたら実行委員本部までお願いします! ……ではまた隣のクラスに……」
司会がまた隣のペアへ移っていった。隣を見ると厚手のヴェールからうっすらと見える瑞月が赤くなっていた。
「良かった、すごい良かったよ!」
着替えに手芸部の部室へ戻ると後藤が涙目で朝陽と瑞月に抱きついてきた。部室へ戻る最中、ミスコンを見ていた生徒や一般の客から写真を撮っていいか聞かれて大変だった。もちろん全て断った。
部室内で記念撮影をして衣装から着替える。ドレスからパーカーに戻った瑞月にこれからどうするのか聞かれる。朝陽と茉莉はミスコンに出るから模擬店のスタッフは免除されていたから自由だった。茉莉は足の怪我のため、親に連れられて早退してしまっていた。
「適当に回る予定。 一緒に来るか?」
「いいの?」
「うん」
横で聞いていた洋介がデートか?と茶々を入れてくる。
「まあな」
そう返すとしょっぱい顔をする。そんな顔をするなら最初から聞かなければいいものを。
「洋介君も一緒に回る?」
「俺これからクラスに戻らなきゃいけないんで……」
「後で遊びに行くね」
「ありがとうございます!」
じゃあ、と洋介が一足先に手芸部の部室を後にする。
「後藤、俺達もそろそろ行くよ」
衣装を片付けている後藤の背中に呼びかける。後藤は一旦手を止めて振り返った。
「うん、ありがとう。 もしグランプリ獲れたらなんか奢らせて」
「いいよそういうの」
「そう言わずに。 平野さんも本当にありがとうございました」
「どういたしまして。 なかなかできない体験させてもらったよ」
瑞月が笑って返し、二人で手芸部の部室を出る。
二人で学祭を回ると、ミスコンを見ていた人から声をかけられる。幸い、瑞月が花嫁だと気づく人はいなかった。
校内を一通り回って、人気のないひっそりとした裏庭で休憩する。
「盛り上がるんだね、学祭って」
「瑞月んとこは違ったのか?」
「うん、もうちょっと静かだったかな」
ぐっと伸びをして草木の匂いを含んだ6月の風を浴びる。校舎内の喧騒と葉っぱが風で擦れる音が混ざる。
そういえば瑞月が高校の頃の話など聞いたことがない。大学のことも知らない。朝陽の目の前にいる時の瑞月のことしか知らないのだ。それがなんだか惜しく思えた。
「大学も学祭とかあるんだろ? 行っていい?」
「もちろん。 一緒に回ろうね」
楽しみだねと言う瑞月の頬に触れて、唇を重ねる。
「……急になに?」
「したくなった」
「もう、誰かに見られたらどうするんだよ」
「大勢の前でしたし別にいいだろ」
「朝陽……!」
恥ずかしそうに顔を赤らめて、手で顔を覆い隠した瑞月の横髪を撫でる。
(ミスコンで言い出したのはお前だろうに)
この表情は朝陽しか知らないのだ、そう思うと満足感のようなものが溢れて、頬が緩む。
学祭の終了を告げる放送が校内に響く。
「もうそんな時間か……俺、帰るね」
「気をつけて」
「うん」
ベンチから立ち上がった瑞月が朝陽の頬に手を添えてキスをしてきた。
「帰り待ってるよ、あなた」
瑞月はにっと目を細めて戻って行った。あなた、はミスコンを意識しての言葉だろうが、朝陽の鼓動を早めるには十分な一言だった。
(いつか本当に……)
そんな関係になれたらいい。
朝陽は顔の火照りが収まるのを待ってクラスに戻った。
後日、ミスコンの順位が発表された。朝陽達のクラスが無事グランプリを獲れたが、恥ずかしがり屋のあの新婦は誰だったのかとしばらくクラス内がざわついたのだった。
実行委員の説明を聞いて、昨日のリハーサルでも歩いたランウェイをもう一度歩く。事故はその時起こってしまった。ランウェイからステージへ戻る階段を登る際、茉莉が足を踏み外し転倒してしまったのだ。
「茉莉、大丈夫か?」
「うん……ッ」
差し出された朝陽の手を握って立ち上がろうとしたが、茉莉はまたその場に座り込んでしまう。実行委員が来て、朝陽と彼に手伝ってもらいようやく茉莉は立ち上がることができた。
脇に用意されたパイプ椅子に座らせて足首を見ると片方が赤く腫れ上がっていた。
「捻挫ね」
実行委員が呼んできた保健医が処置をしながら言った。
「できる限り早めに病院へ行くこと。 それと安静第一」
「……はい」
茉莉に肩を貸しながら手芸部の部室へ行く。後藤と洋介が茉莉の様子に驚いて駆け寄ってきた。
「茉莉、どうしたんだよ」
「ちょっと転んじゃった」
「捻挫したんだ、ちょっとじゃないだろ」
「捻挫!? うそ、大丈夫?」
後藤が心配そうに茉莉の顔と足首を見比べる。
「座ってる分にはまあ。 でも歩くのは……ごめん、ミスコンちょっと無理かな」
申し訳なさそうに言う茉莉に後藤が答える。
「そんな、しょうがないよ! クラスに行って誰か出られる人探してくる」
「俺も行く」
後藤と洋介が手芸部の部室を出ていく。残された朝陽と茉莉はしんとした部室内で来場者が入場するというアナウンスを聞いていた。
「ごめんね、朝陽」
「謝ることじゃないだろ」
怪我をしてしまったのはたまたまだ。ステージとランウェイを繋ぐ可動式の階段は少し幅が狭く、足を踏み外してしまうのも仕方ない。
「……私、ちょっとほっとしちゃった」
「何が?」
「ミスコン、出なくていいんだって」
「まあな。 あんなの進んで出たがるヤツなんていないだろう」
「違うの」
眉根を寄せて困ったように茉莉は笑った。
「ウェディングドレス、着たくなくて」
俯いて指をいじりながら茉莉は続ける。
「なんだそれって感じなんだけどさ、やっぱりちょっと嫌だなって。 こういうのって大事にしたいっていうか……取っておきたいじゃん」
以前、三人で写真を撮った日から表情が少し曇っていたがなるほど、と納得した。朝陽には分からないが茉莉にとっては大事なことなんだろう。
「……だからほっとした。 後藤さんには悪いけど」
「そっか」
「代わりの子、早く決まればいいんだけど」
「どうだろうな」
洋介と後藤が出ていってしばらく経つがなかなか戻ってこない。そうだろう、本番はクラスの出し物、朝陽のクラスは模擬店なのだがローテーションを組んで接客をしているし、指定された時間以外は各々学祭を回っている。代わりが簡単に見つかるとは思えない。
ドアが開いて洋介と後藤が戻ってくる。二人の、特に後藤の表情は沈んでいた。
「どうだった?」
二人の表情を見れば分かるが聞かずにはいられなかった。
「だめ。 そりゃ急に出ろって言っても困るよね」
「後藤が出るのは?」
「私? いやその、サイズがね……?」
茉莉と比べると後藤は多少ふくよかな体をしていた。茉莉に合わせたドレスが入るかと言われると難しいだろう。
室内に気まずい沈黙が降りた時、コンコンとドアがノックされた。
「山崎朝陽君、いますか?」
男性の声だ。クラスの人間では無いが聞いたことがある声だった。まさか、と思ってドアを開くとパーカー姿の瑞月が立っていた。
「クラスの子に聞いたらここだって聞いたんだ。 ミスコン出るんだって?」
少し拗ねたような口ぶりだった。結局、恥ずかしいから言わずにいた。
「……黙ってて悪かった。 今ちょっと取り込んでるからまた後で」
朝陽がドアを閉めようとすると後藤がちょっと待って、と声を上げた。
「入ってもらっていいですか」
そう言われて瑞月が部室へ入ってくる。一人座っている茉莉の足首を見て何かを察したのだろう、朝陽を返り見て視線で説明を求めてくる。
「茉莉もミスコンに出る予定だったけど怪我して、代理が見つかってない」
「そうなんだ。 大丈夫?」
「座ってるだけなら大丈夫です」
「そっか……で、俺はなんで呼ばれたのかな?」
目をパチクリと瞬かせて後藤に訊ねる。
「ミスコンに出てもらえませんか」
午前10時、ステージ裏。ミスコンが始まり、一年生から順番に出演者が登壇していく。二年生が登壇しきり、三年生の番がやってきた。朝陽のクラスが呼ばれる。ステージ上に流れる音楽がJPOPから結婚行進曲へ変わる。
「新郎新婦の入場です」
司会のセリフに合わせて朝陽はステージに上がる。反対側からウェディングドレス姿の花嫁も現れて会場が沸く。
一歩一歩ゆっくり歩み寄り、腕を組む。ヴェールの下でウィンクする瑞月を見て、朝陽は少し前のやりとりを思い返した。
何を言い出すんだと怪訝そうな目を後藤に向ける。
「ええ?」
瑞月も困惑している。当たり前だ、瑞月は男性で部外者だ。だが後藤は必死に頭を下げる。
「急にこんなこと言われても困ると思うんですけど、本当にもうどうしたらいいか分からなくて……お願いします」
頭を下げる後藤に瑞月はうーん、と唸っている。
「俺男だし、衣装入るかな? それに部外者だし……」
「調整します。 それに顔が出なきゃバレません、多分。 厚手のヴェールもあるので隠します」
瑞月は腕を組んで何か考える素振りをしている。
「瑞月、無理なら断っても……」
「分かった。 出るよ」
一瞬、瑞月の返答の意味が分からなかった。流石に断るだろうと思っていたから想定外で頭に入ってこなかったのだ。
「……ありがとうございます! じ、じゃあもうそろそろ衣装に着替えないと」
深く頭を下げて衣装の準備に取り掛かる後藤を尻目に瑞月を問いただす。
「お前何考えてんだよ」
「彼女困ってるし、バレなきゃいいかなって」
楽しそうだしと笑う瑞月に朝陽は大きな溜め息をついた。
そして花嫁姿になった瑞月は、茉莉からステージ上での流れの説明を受けた後藤が付きそう形でミスコンに出演することになった。衣装の直しもほとんど必要なかったと後藤が喜んでいた。
腕を組み二人でランウェイを歩く。リハーサルよりずっと長いように感じた。そしてまたステージへ戻るのだが、その前に階段で立ち止まる。
「誓いのキスを」
司会がそう促す。もともと茉莉ともキスをする振りをやることになっていた。盛り上がるからとクラスのみんなからの提案だった。断りたがったが数の暴力には抗えず、茉莉としているようにしか見えない角度の研究もした。
「ねえ、本当にしちゃおっか?」
朝陽にだけ聞こえるように瑞月が言う。朝陽を揶揄う口調で、瑞月の中ではジョークでしかないのだろう。
「そうだな……」
「え? んっ……!」
朝陽は瑞月が被るヴェールの中に顔を潜り込ませて、唇を合わせる。しているようにしか見えない角度なら、本当にしてもバレないだろう。
瞬間、ドッと客席が盛り上がった。ヒュー、とあちこちから声が上がる。
驚いて固まっている瑞月を小突いて、予定通り二人で観客に一礼してステージ上に戻る。
全てのクラスが出来って司会によるインタビューに移る。
スパンコールでできた大きな蝶ネクタイをつけた司会役の生徒が朝陽の前にやってくる。受け答えは全て朝陽がやることになっていた。
「いやあ、熱烈なキスでしたね。 本当にしたんですか」
「ご想像にお任せします」
「新婦さんの方のお顔は見せてもらえないんでしょうか」
「恥ずかしがり屋なので。 それに」
朝陽はステージの熱に浮かされて、用意されていたセリフに本音を乗せて司会に返した。
「俺以外に可愛い顔を見せたくないんで」
朝陽の返答に客席からキャー、と黄色い声が上がる。
「甘い! ここまで愛されて幸せですねえ」
司会の言葉に瑞月がこくん、とうなづき、ぎゅう、と朝陽の腕に強く抱きつく。
「いやすごい、熱々です。 俺も恋人欲しいなあ。 あ、もしなってくれる人いたら実行委員本部までお願いします! ……ではまた隣のクラスに……」
司会がまた隣のペアへ移っていった。隣を見ると厚手のヴェールからうっすらと見える瑞月が赤くなっていた。
「良かった、すごい良かったよ!」
着替えに手芸部の部室へ戻ると後藤が涙目で朝陽と瑞月に抱きついてきた。部室へ戻る最中、ミスコンを見ていた生徒や一般の客から写真を撮っていいか聞かれて大変だった。もちろん全て断った。
部室内で記念撮影をして衣装から着替える。ドレスからパーカーに戻った瑞月にこれからどうするのか聞かれる。朝陽と茉莉はミスコンに出るから模擬店のスタッフは免除されていたから自由だった。茉莉は足の怪我のため、親に連れられて早退してしまっていた。
「適当に回る予定。 一緒に来るか?」
「いいの?」
「うん」
横で聞いていた洋介がデートか?と茶々を入れてくる。
「まあな」
そう返すとしょっぱい顔をする。そんな顔をするなら最初から聞かなければいいものを。
「洋介君も一緒に回る?」
「俺これからクラスに戻らなきゃいけないんで……」
「後で遊びに行くね」
「ありがとうございます!」
じゃあ、と洋介が一足先に手芸部の部室を後にする。
「後藤、俺達もそろそろ行くよ」
衣装を片付けている後藤の背中に呼びかける。後藤は一旦手を止めて振り返った。
「うん、ありがとう。 もしグランプリ獲れたらなんか奢らせて」
「いいよそういうの」
「そう言わずに。 平野さんも本当にありがとうございました」
「どういたしまして。 なかなかできない体験させてもらったよ」
瑞月が笑って返し、二人で手芸部の部室を出る。
二人で学祭を回ると、ミスコンを見ていた人から声をかけられる。幸い、瑞月が花嫁だと気づく人はいなかった。
校内を一通り回って、人気のないひっそりとした裏庭で休憩する。
「盛り上がるんだね、学祭って」
「瑞月んとこは違ったのか?」
「うん、もうちょっと静かだったかな」
ぐっと伸びをして草木の匂いを含んだ6月の風を浴びる。校舎内の喧騒と葉っぱが風で擦れる音が混ざる。
そういえば瑞月が高校の頃の話など聞いたことがない。大学のことも知らない。朝陽の目の前にいる時の瑞月のことしか知らないのだ。それがなんだか惜しく思えた。
「大学も学祭とかあるんだろ? 行っていい?」
「もちろん。 一緒に回ろうね」
楽しみだねと言う瑞月の頬に触れて、唇を重ねる。
「……急になに?」
「したくなった」
「もう、誰かに見られたらどうするんだよ」
「大勢の前でしたし別にいいだろ」
「朝陽……!」
恥ずかしそうに顔を赤らめて、手で顔を覆い隠した瑞月の横髪を撫でる。
(ミスコンで言い出したのはお前だろうに)
この表情は朝陽しか知らないのだ、そう思うと満足感のようなものが溢れて、頬が緩む。
学祭の終了を告げる放送が校内に響く。
「もうそんな時間か……俺、帰るね」
「気をつけて」
「うん」
ベンチから立ち上がった瑞月が朝陽の頬に手を添えてキスをしてきた。
「帰り待ってるよ、あなた」
瑞月はにっと目を細めて戻って行った。あなた、はミスコンを意識しての言葉だろうが、朝陽の鼓動を早めるには十分な一言だった。
(いつか本当に……)
そんな関係になれたらいい。
朝陽は顔の火照りが収まるのを待ってクラスに戻った。
後日、ミスコンの順位が発表された。朝陽達のクラスが無事グランプリを獲れたが、恥ずかしがり屋のあの新婦は誰だったのかとしばらくクラス内がざわついたのだった。
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