君と初恋をもう一度

さとのいなほ

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兆し

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「朝陽、ちょっといい?」
 ある日の放課後、幼馴染の茉莉に緊張した面持ちで帰り際に呼び止められた。
 相談があるらしい。二人は学校から近くのファーストフード店へ移動して茉莉の話を聞くことになった。今日、洋介は珍しく風邪で学校を休んでいた。
「あのね、ずっと言わなきゃって思ってたんだけど……」
 茉莉は快活な少女だ。ツヤツヤとした長い髪をポニーテールにすることでより活発さがより引き立てられている。言動も常にハキハキとしているから、今のようにモジモジとしているところなんて小学校以来、初めて見た。
「えっと、ね……」
 徐々に茉莉の顔が赤くなっていく。耳まで真っ赤になったところで意を決したように口を開いた。
「私、その……洋介のことが好きなの……」
「……そっか」
ずっと一緒にいたからなんとなく察していたが、本人の口から聞くとやはり衝撃を受ける。
「朝陽、そんなに驚かないね」
「いや、結構びっくりしてる」
「嘘。 私、そんなに分かりやすかった?」
 茉莉は顔を両手で隠して不安げな声を出す。彼女が心配しているのは洋介に自身が秘めている感情がバレていないか、ということだろう。
 前に瑞月が朝陽のことを鈍感そうと言ったが、そういったことに関しては洋介だって朝陽と同じくらい鈍い。朝陽が茉莉の気持ちに気がつけたのは本当にたまたまで、洋介自身はきっと気が付いていない。
「洋介は多分、気付いてない」
「……よかった」
 そういうと茉莉の体から目に見えて力が抜けた。
 それで、と朝陽は話の続きを促す。
「話、それだけじゃないだろ?」
「うん。 来月、学祭があるでしょ? そこで告白しようと思ってて」
「そっか。 頑張れ」
「ありがとう」
 はにかむ茉莉に朝陽まで照れてしまいそうだ。
(あれ……)
 ふと、朝陽は茉莉の表情に既視感を覚えた。だがすぐには思い出せい。多分、ドラマか何かだったのだろう。
「今から洋介のところに行くのか?」
「うん。 プリントとか届けなきゃいけないし」
「風邪、移らないように気をつけて。 洋介によろしく」
「うん、ありがと。 じゃあまた明日」
「また明日」
 茉莉は制服のスカートを翻して、ポニーテールを揺らしながら駆けていった。
一人になり、氷が溶けて薄くなったお茶を飲む。茉莉の告白が成功してあの二人がカップルになったら、自分はどうなるんだろう。二人の事だから朝陽を交えて行動してくれるだろうが、今までと同じようにはいかないだろう。
 途端にほんの少し寂しさが胸に降り積もった。二人に置いていかれるようなそんな気分がした。
(恋かあ)
 好きな人は幼稚園の頃に一目惚れした女の子だけだ。クラスの女子を可愛いと思うことはあってもそこから一歩踏み込んだ感情を抱くことは無かった。
 ぼんやりとしているとさっきまで茉莉が座っていた席に誰かが座る。
「やあ」
「……あんたか」
大学帰りの瑞月だった。珍しく眼鏡を掛けている。
「さっき茉莉ちゃんが出ていくのが見えたから朝陽もいるかなって思って。 洋介君はもう帰ったの?」
「あいつは熱出して学校休み」
「それはかわいそうに。 ねえ、二人でなに話してたの?」
「相談があるっていうから聞いてただけ。 あんたには関係無いだろ」
「ふふ、なんだか青春の香りがするねえ」
瑞月は持っていたコーヒーに口をつけ、ふう、と一息つく。
「今日の夕飯、何が食べたい?」
「別になんでも」
「なんでもいいは無し。 俺も思い浮かばなくて困ってるんだ。 スーパーに付き合ってくれる?」
 そう言って朝陽の返事を待つことなくまだ熱いであろうコーヒーを飲み干して、席を立つ。瑞月の中では二人でスーパーに行くことが決定しているようだった。
「ほら、早く行こう?」
 一向に席から離れない朝陽を振り返り手招きする。
「俺は行くって言ってないぞ」
 朝陽は渋々席を立った。

 夕方のスーパーは夕飯を求める人でごった返していた。主婦の間を器用にすり抜けて店を進む瑞月の後ろをなんとか追いかけていく。
「唐揚げ……それとも生姜焼き? 朝陽は何がいい?」
「だからなんでも」
「なんでもいいは無しって言ったよ」
「じゃあ生姜焼き」
「オッケー」
精肉コーナーでおかずに悩む瑞月とそんなやりとりをしていると正面からよく知った顔がやって来るのが見えた。先程別れた茉莉だ。彼女も朝陽達に気が付いたようで驚いたように早足で寄ってきた。
「朝陽、さっきぶり」
「洋介の家に行ったんじゃなかったのか?」
「そうなんだけど、今日おじさんもおばさんも遅くなるみたいでさ。 洋介のご飯お願いされちゃったの」
茉莉の持っているカゴを見るとネギや冷凍のうどんが入っていた。
「洋介、大丈夫そうか?」
「うん。 もう熱も下がってきてるし、明後日には学校来れるんじゃないかな?」
「そっか、良かった」
「本当に。 ていうか朝陽がスーパー来るとか珍しいじゃん」
「俺の付き添いで来てもらったんだ」
 肉と睨めっこしていた瑞月が振り返る。手には生姜焼き用の肉を持っている。
「今日は生姜焼きですか?」
「そうだよ」
「朝陽のお弁当見てて思ったんですけど、瑞月さんの料理美味しそうですよね」
「ありがとう。 でも頑張って作っても朝陽はまずくないってしか言ってくれないんだよね」
「ダメじゃん朝陽」
「別にいいだろ……」
 こちらに水が向いて辟易する。どこか波長が合うのか、この二人をこのままにしていたら延々と話していそうだ。朝陽は瑞月に買い物を済ませるように促す。
「買う物決まったなら行くぞ」
「はいはい」
「じゃあな茉莉」
「うん、また明日」
 茉莉に今日二度目の別れを告げて、瑞月とレジに向かう。途中、無くなりそうだという日用品もカゴに入れていく。
「朝陽がいて助かったよ」
 結局カゴいっぱいに買い物をして、袋が二つになってしまった。
「そっち重いよね? 大丈夫?」
「これくらい平気」
「頼もしいね」
 瑞月が持つ袋には食材など比較的軽い物が、朝陽が持つ袋には洗剤など重い物が入っている。最初瑞月が重い方を持つと言ったのだが瑞月の細い腕に持たせるのは朝陽の中で罪悪感があり、半ば奪う形で荷物を持った。
 夕焼けでオレンジ色に染まった道を二人で歩く。
 瑞月が来て1ヶ月が過ぎようとしていたが、朝陽はまだ彼という人間が分からずにいる。分かっているのは、A大の2回生であること、穏やかな性格ではあるがよく笑い、人を揶揄うこと。
「あ、猫だ。 可愛いね、朝陽」
 そして目を細めて綺麗に笑うこと。その顔を向けられると朝陽は思わず視線を逸らしてしまう。瑞月は塀の上を歩く猫を見つけて足を止める。
「野良の子かな? あっ……」
瑞月が触ろうと腕を伸ばすと猫はどこかへ行ってしまった。残念、と呟いてまた瑞月は歩き出す。その後ろを朝陽は黙って着いていく。瑞月の細く白いうなじが茜色に染まっていた。
「そういえば、英語の点数伸びたんだって? おじさんほっとしてたよ」
「おかげさまで」
「どういたしまして。 A大、英語は必須だし分からないことがあったらいつでも聞いていいからね」
「……そのことなんだけど、お礼をさせて欲しい」
「いいよ別に。 大したことしてないし」
「でもあんたのお陰で点数上がったし、今後も教えてもらうだろうし。 でも何したらいいか分らなくて」
「朝陽は真面目だねえ」
 そうだな、と瑞月は考える素振りを見せてこう言った。
「なら、あんたは無し。 瑞月ってちゃんと名前で呼んでほしいな。 あと都合がいい時はこうして買い物に付き合って」
「……それでいいのか?」
 拍子抜けした朝陽が聞き返すと瑞月は悪戯っぽく笑った。
「まだお願いしていいの?」
「えっ」
「じゃあ今度の日曜日、買い物と映画に付き合ってもらおっかな」
「分かった」
 朝陽の返事を受けて瑞月は鼻歌混じりに歩いていく。その歌はどこかで聞いたことがある。記憶を探り、子供の頃に見ていたヒーロー番組の主題歌だと思い出した。
「懐かしいな、それ」
「そうだね」
「あんた……瑞月も見てたんだな」
「まあね」
 瑞月に合わせて朝陽も一緒に鼻歌をうたう。懐かしい気分に浸って家に着くまで二人は歌っていた。

 枕元に置いていた携帯のアラームを止めて起き上がる。随分と懐かしい夢を見た。子供の頃の夏の日、朝陽の初恋の夢だ。
 あの時は家族で少し離れた公園に遊びに行った。そこで出会った同じく家族で遊びに来ていた女の子に花を摘んでプレゼントした。その子は朝陽から花を受け取ると、それこそ花が綻ぶような笑顔を朝陽に向けたのだ。その笑顔を見た瞬間、雷に打たれた様な衝撃に襲われたことをよく覚えている。
 なぜ朝陽がこのようなことをしたかというと、今思えば恥ずかしくて仕方ないのだが、ちょうどその日家を出る前に見たヒーロー番組の真似をしたのだ。
 クールなヒーローがとある少女と出会い、不器用ながら彼女にアプローチをしていく。仲間達はヒーローの恋を敵を倒しながら見守っていく。最終的にヒーローの想い人は海外へ留学し作中で二度と会うことはなかったのだが、彼女はプレゼントされた花を押し花にして持ち歩き、ヒーローもまた基地に花を飾るようになる、というのがその回のあらましだ。
 結局、朝陽もヒーローと同様あの子とはそれきりだ。子供の頃、たまたま公園で出会っただけだから当たり前なのだが。
 昨日、瑞月とそのヒーロー番組の主題歌を口ずさんだからこのような夢を見たのだろう。
 あの子は今何をしているのだろう。年は朝陽よりも上だった気がするから、大学生だろうか。もし再会することができたとしてもあの子も朝陽のことなんて覚えていないだろう。そう考えると一抹の寂しさが朝陽の胸に募る。
 ほんの少しでも朝陽のことを覚えてくれていたら、と願いながらもうぼんやりとしか思い出せないあの子の面影を脳裏に呼び起こす。
 不意に彼女の笑顔と瑞月の笑顔が重なり、驚いた朝陽は頭を振った。寝ぼけているにしてもあんまりだ。
 寝ぼけた頭をはっきりさせるため、カーテンを開けて日光を浴びる。よく晴れた青空が窓の外に広がっていた。
 あくびをしながらリビングへ降りるといつも通り瑞月が朝食を作っていた。
「おはよう朝陽」
「おはよう」
 三人分の弁当を包みながら朝陽は瑞月を眺めてみる。透き通るような白い肌にくりくりとした瞳。着ているスウェットはオーバーサイズでそれがより彼の細さを強調しているように感じた。
「……そのスウェット俺のじゃ?」
「そうなの? おじさんからこれ着ていいからって渡されたんだけど……あ、これお弁当の残りのアスパラのベーコン巻き。 あーん」
「あー」
 菜箸で出されたそれを口に放り込まれる。ベーコンのしょっぱさとアスパラのほんのりとした甘さが口に広がる。
「美味しい?」
「まあ」
「よかった」
 瑞月は笑ってまた朝食作りに戻る。そうだ、と背を向けたまま瑞月が言う。
「このスウェット、着心地いいから借りてていい?」
「いいよ」
「ありがと」
 スウェットについて父親が勝手に渡したとはいえ、替えは有るし困ることはない。むしろ瑞月の方こそ朝陽の着古した物でいいのかと思ったが、本人が気にしていないしいいのだろう。
   父親が起きてきて朝食を三人で取り、朝陽は登校した。
   よく晴れていたせいだろうか、行ってらっしゃいと玄関先で朝陽を見送る瑞月の笑顔がいつもより眩しく見えた。
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