黄金竜のいるセカイ

にぎた

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第十章 黄金竜の正体

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 どうして?

 もう少しだったのに。ちゃんと丁寧に扱っていたのに。
 突然零れていったカリンダの心。見つめる手のひらには、もう何も残っていない。
 白く輝いていた彼女の心は、幻の光となってしまったのだ。

 心が崩壊すると、カリンダはもう目を覚まさない――。

 目の前で眠るカリンダが、急に恐ろしく見えてきた。
 どうすれば良いんだ!?

 いくらカリンダに呼び掛けても、いくらカリンダの手を強く握っても、彼女は反応してくれなかった。
 彼女は「器」となったのだ。心が抜けた空の入れ物だ。

――あーあ。だから逃げれば良かったのに。

「うるさい!」

――カリンダとか、ウインとか、全部忘れて試練に集中してれば、心は落ちなかったのに。

「俺はちゃんと集中してた! このセカイのために!」

――カリンダはどうして泣いていたの? 何の嘘? そもそも、黄金竜に会って、本当は何をしようとしていたの?

 心の声が、ヒカルの心を乱す。聞きたくもないのに。聞かないようにしていたのに。

――お前は誰だ? 俺は誰だ?

「うるさい! うるさいうるさい!」

 彼の声に反応したのか、さっきまでゆらゆらと優雅に泳いでいただけの泡魚ほうぎょが、いっせいにヒカルたちの方を向く。

「な、なんだよ?」

 虹色にキラキラと光る魚たちが、心を落とし乱れたヒカルの元へと集まってくる。

 そして突然、試練は二人に牙を剥いた。

 泡魚の一匹が、物凄い勢いで突撃してきたではないか。
 ヒカルの頬に、赤い血の筋ができる。
 二匹目の突撃では手の甲を裂く。拍子にカリンダの手を離してしまった。
 プカプカと上昇していく彼女の体を、再びキャッチする。

「あぶねぇ……」

 カリンダは相変わらず眠ったままの人形だ。水中に浮かぶ器。しかし、彼女の心は溢れていった。

 どうすれば?

 泡魚たちは、そんなヒカルたちをぐるりと囲む。三匹目、四匹目の突撃をなんとかかわしたのだけれど、四匹目がカリンダの足を傷つけてしまった。
 赤い煙のようになった血が、太ももから流れる。

 五匹目の泡魚を、ヒカルは手で払いのけた。だが、手には感触がなく、魚は名前の通り泡となって弾けた。そして、無数の泡たちのそれぞれが、新たな泡魚となる。

 ヒカルは、カリンダの手をひいて逃げることしか出来なかった。
 飛んで来る魚たちを避け、払いのける。払いのけられた魚は泡となり、そして新たな魚が増える。

「これは?」

 逃げながら、ヒカルは水底のあちこちに散らばった光の欠片たちを見つけた。
 きっとカリンダの心たちだ。

「全部回収すれば……」

 一縷の希望。ヒカルは心の破片たちを拾い集めはじめる。

 泡魚たちは、ヒカルとカリンダを容赦なく襲った。
 まるで試練を妨害するように。まるでヒカルには不相応だと言わんばかりに。
 魚たちの沈黙の突撃が、ヒカルには「お前なんかに何ができる?」と聞こえた。

 それでも、ヒカルは泡魚の群れを縫って心をかき集めた。手足に傷が増える。それと同じように、泡魚たちもどんどん増えていった。

 そして、手のひらに三つ、四つの破片が集まった頃、ヒカルとカリンダはついに泡魚の壁に囲まれてしまった。

「ちくしょう……」

 息がしづらく、視界が霞む。手足も痺れて上手く動かせない。それは水の中だからではない。血を流しすぎたのだ。

 水底にはまだまだ破片が散らばっている。手のひらにある何倍もの数の光が。

 泡魚たちは、今や何百もの数となって二人を囲んでいた。

――俺を使えよ。

 その時、腰に着けていた黄金の懐中時計が光りはじめた。
 時間を止めさえすれば、魚たちも突破できる。

 朦朧とした意識の中で、ヒカルは懐中時計に手を伸ばした。
 そして、カチ――と、心地の良い音が水中に響いた。

 カチ――。

 ヒカルは無我夢中で黄金の懐中時計の赤い装飾を押した。

 これで時間は止まる。止まった魚たちの間をするりと抜けて、今のうちに散らばった破片を集めよう。

 そうして一本歩みだしたのだけれど、なんだか様子がおかしい。揺れるカリンダの銀髪。漂う泡魚ほうぎょたち。

「え……?」

 右肩に激痛が走った。見ると、槍の如く飛んできた魚が肩に刺さっているではないか。
 ヒカルが払うと、肩の魚は泡となって消えたけれど、傷は残ったまま、血が吹き出した。

「な……なんで」

 懐中時計は確かに押した。しかし、時間は止まってくれない。

――だから……た……ろ? お前……む……て。

 今度は太ももに魚が刺さる。足の力が抜けて、ヒカルはガクンと膝をついた。

「どう……して?」

――おま……はだ……だ?

 心の声さえ霞む意識の中で、泡魚たちがいっせいに飛んで来るのが見えた。
 腹、足、肩、腕――そしてカリンダを襲う。

 魚たちは緩めなかった。手負いの今が攻め時だと言わんばかりに、次から次へと飛んで来る。その度にヒカルには傷が増えた。

――お前は……れだ?

「……でも」

 身体に力が入らない。視界も霞む。

「カリンダだけは……」

 反撃の力はもうないけれど、せめてカリンダだけは、と彼女に覆い被さる。
 背中に何度も衝撃を受けたけれど、もはや痛みは感じなかった。

 目を閉じたままのカリンダの顔を見る。静かに眠ったままのか弱い少女――。

「結局俺は……何も守ることが……出来なかった」

 リオン、バル、パピーたち。突然このセカイにやってきて、時を止める懐中時計を持っていて、初めは何がなんだか分からないだけだった。

 それでも、ウインやカリンダたちと一緒に過ごして、このセカイのことを少しだけ知った。

 復讐を決意した「マフラー」さん。棲みかを奪われたボルボルたち。

 苦しみと憎しみの争いに支配されたセカイ。その渦中にいるのは、黄金竜ではないのか。

 ヒカルは気づいていないけれど、意識のないはずのカリンダの目から一筋の涙が零れていた。

――お前は誰だ?

 背中にまたもや重い衝撃が走る。でも、今度はちゃんと「痛み」を感じられた。

「俺は……」

 全身にぎゅっと力を入れ、立ち上がる。

「俺は大槻ヒカルだー!」

 魚たちが止まる。揺れていたカリンダの銀髪が止まる。

 時間が止まった。
 彼の声に呼応するかのように、懐中時計が赤く光りはじめた。

――そうだ! お前は大槻ヒカルだ! 黄金竜を止めるのならば、こんなところで寝ていてどうする!

 確固たる決意。試練の泉は揺れる心を見通すのだ。
 だが、ヒカルの心は整った。このセカイから争いを無くす。そのために黄金竜を止めるのだ!
 ヒカルは一歩踏み出した。しかし、そのまま倒れてしまう。
 血を流しすぎたのだ。もはやヒカルの身体には感覚はなかった。

――カチ。

 水中で音が聞こえた。それを合図に、ヒカルは瞼を閉じる。最後に見えたのは、散らばった心の破片がカリンダを包み、目を開けた彼女が慌てて自分に手を伸ばす光景だった。
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