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第四章 迷い山の地下神殿
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洞窟の中は真っ黒だった。
暗くて、狭くて、段差の無い下り坂が続いた。ウインが魔法で着けてくれた小さな光が無ければ、きっと何も見えなかったのだろう。
時折、そよそよと冷たく乾いた風がくる。その度に、通路の隅に拵えたクモの巣がふわふわと揺れた。果たして、それは出口からの物なのか。それとも、奥底で眠る竜の寝息なのか。
入り口同様、壁や天井、床はすべて凹凸の無い白い石で舗装されていた。
一行の中で、おそらくヒカルだけが知っている。これはコンクリートだろう、と。
通路は一直線に延びていた。下へ下へと一行はどんどん降っていく。降りて行くほど、逃げることの出来ない重たい荷物が肩に乗せられる気分になった。
やがて、窮屈な通路が突然終わり、大きな空間が目の前に広がった。
どれくらい広いのだろうか。相変わらずの暗闇で判断は難しい。ウインが魔法で飛ばした光の玉は、何かにぶつかることなく、スー、と暗闇に飲み込まれていった。
天井も見えない。反対の壁も見えない。暗いからではなく、広いからだ。目は効かなくても耳は効く。一行が歩く足音の響き方が、この部屋の広さを教えてくれた。
すると、先頭を歩くウインの足が止まった。
「柱……?」
ウインが照らす光によって浮かび上がった物、それは大きな柱であった。
例の如く、幾何学的な模様がびっしりと詰まった石柱だ。樹齢何千年と言われる大木よりも太く、お伽噺に出てくるような巨人よりも背が高い。
真っ直ぐに、見えない天井まで伸びている。
柱には、それこそ大木に巻き付いた蔦のように、太い縄模様が螺旋状に登っていた。
「ウイン」
ブリーゲルが彼の肩を優しく叩いた。
「あいつを出してくれ」
言われたウインはポカンと口を開けた。
「……いいんですか?」
「仕方がない。全体を見たいんだ」
「面倒ですよ?」
「もう慣れた……」
兄であるブリーゲルの哀愁深い呟きに、ウインも「はぁ」とため息をつく。
仕方がない、か。
ヒカルは二人のやり取りを目では見ていたものの、どんな会話をしているのかは分からなかった。
意識は全てリュックの中に。
果たしてどうなっているのだろうか、と喉が、頭が、心がムズ痒くなる。
朝からずっと考えていたのだけれど、もう我慢出来やしない。
中を見てみよう。見て確認するだけ。
痒いところがあると、血が出るまで掻きむしってしまうヒカルは、とうとうリュックを背中からおろした。
どうなっているのか見るだけ。リュックに穴は無いのか。ぶつかって壊れてはないのか。さらにバラバラになってないのか。
その時――辺りが真っ暗になった。
ウインが光の玉を消したのだ。
ヒカルも手を止める。さすがに真っ暗闇では確認のしようがない。
しん、と静まりかえった大広間に、ウインが着けている装飾品のジャラリという音だけが微かに聞こえる。
「第九の楔に留まりし者よ――」
起きろ。
瞬間――ウインの左手が光った。一寸先しか照らさない先ほどまでの光とは比べ物にならない。
よく見ると、左手の薬指にある指輪が光っているのだ。真っ白で、どこかにオレンジ色を含む光。
まるで炎だ。
ヒカルは顔を覆った。眩しくて、到底直視など出来やしない。
やがて、光は収まりつつあった。ヒカルは、覆った腕の隙間からちらりと覗いてみる。
ドクン!
心臓の鼓動のような衝撃がヒカルを襲った。幻覚かもしれないけれど、確かに何かの生命力を感じたのだ。
何かが居る。オレンジ色の光の中で動く影をヒカルは見つけたのだ。
「俺様を起こしやがって! どこのどいつだ!? 詫び入れさせてやる!」
荒々しい雄叫び。
ウインの指輪から現れたそれは、炎をまとった小熊であった。
◯
ヒカルはこの世界に来て何度も不思議な経験をした。
空を駈ける巨大な黄金竜を筆頭に、それが落とす鱗や、お化けの大蛇。ウインの謎の力や、ヒカル自身が所持している「時間を止める」黄金の懐中時計。
頭はすでにこの世界に慣れていた。燃える小熊の一匹くらいでは動じることはない。
どうして小熊が(しかも燃えている)突如現れたのか。
そんな疑問なんて、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り投げられるくらい、ヒカルはこのすでにこの世界に適応してしまっていた。
小熊くらいなら可愛いものだ、と。
「静かにしろ。パッチ」
ウインがその小熊に向かって投げ掛ける。なんだか苛ついているようにも思われた。
「これはこれは、ウイン様じゃありませんか。あなたともあろうお方が、どうしてこんな窮屈で湿っぽい地下なんかに?」
パッチ、と呼ばれた燃える小熊が、くるりとウインの方へと振り替える。
ニヤリと不敵に笑みを浮かべるその表情を見て、ヒカルは冷静に思った。思ってしまった。
――熊が言葉を話してるやがる。なんて不思議なんでしょうか。
そこから、小熊パッチとウインによる言い争いが暫く続いた。
「朝飯を用意しろよ。寝起きには何か食わねえとやる気がでねえんだ。仕事をして欲しいなら、早く魚と肉とコーヒーでも持ってきな!」
「そんなものはないよ。土でも食いな。そこら辺にたくさんあるからさ」
「おーおー怖い怖い。さすが天下の魔界の看守殿だ。飯がなけりゃ仕事はできねえ。……まあ、誠意でも見せてくれりゃ話は別だがよ」
「静かに話したらどうだい? まぁ無理か……。弱い奴ほどよく喋るって言うしね」
「なんだと!? 俺様が弱いってのか!?」
一色即発。
よく喚く小熊と、それを見下ろすウイン。互いに睨み合いながら、一歩も譲ろうとしない様子だ。
イライラしているウインも初めて見た。普段の穏やかな口調は小熊には使わないらしい。
小熊パッチも、心なしか纏っている炎が大きくなっている気がする。
だけど待ってくれ。
どれほど燃えていようが、どれほど悪態を突こうが、ヒカルの心は冷静だった。
――だって、相手は熊じゃん。
「そうだよ。弱いから威勢を張るしかないんだ」
――だって小熊だもん。
「俺様が本気出したら、村の一つや二つ返事、国だって崩壊させられるんだ。なのに弱いってのか!?」
――無理でしょ。小熊だもの。
ウインが「はぁ」とため息をついた。
「パッチがどれだけ抵抗しても構わないけれど、お前の宿は俺の手の中だ。言ってる意味が分かるよね?」
ウインが左手の薬指を立てた。身体中に着けた装飾の一つである指輪が、キラリと光って、パッチが顔をしかめる様子が見えた。
見えた? さっきまで真っ暗な闇の中だったのに。
そうだ。ヒカルたちはずっとウインの光の玉を頼りに進んできた。申し訳ないけれど、あまり明るいとは言えないものだった。
でも今は――パッチが現れてから――ウインはもちろん、ブリーゲルもカリンダも兵士たちも、皆のことが昼時のように見えているではないか。
「いい加減にしろ」
痺れを切らしたブリーゲルが二人(一人と一匹)の間に割り込んだ。
隊長の黄色い鎧もよく見える。光沢のあるそれは、彼の心のようにメラメラと燃える炎が浮かびあがっているようだ。
いや、反射しているのだ。メラメラと燃える炎を纏ったパッチこそが、この暗闇を照らす太陽であることにヒカルは気がついた。
そしてこの広間が、ヒカルの想像を越えるほど広大であることも分かったのだ。
暗くて、狭くて、段差の無い下り坂が続いた。ウインが魔法で着けてくれた小さな光が無ければ、きっと何も見えなかったのだろう。
時折、そよそよと冷たく乾いた風がくる。その度に、通路の隅に拵えたクモの巣がふわふわと揺れた。果たして、それは出口からの物なのか。それとも、奥底で眠る竜の寝息なのか。
入り口同様、壁や天井、床はすべて凹凸の無い白い石で舗装されていた。
一行の中で、おそらくヒカルだけが知っている。これはコンクリートだろう、と。
通路は一直線に延びていた。下へ下へと一行はどんどん降っていく。降りて行くほど、逃げることの出来ない重たい荷物が肩に乗せられる気分になった。
やがて、窮屈な通路が突然終わり、大きな空間が目の前に広がった。
どれくらい広いのだろうか。相変わらずの暗闇で判断は難しい。ウインが魔法で飛ばした光の玉は、何かにぶつかることなく、スー、と暗闇に飲み込まれていった。
天井も見えない。反対の壁も見えない。暗いからではなく、広いからだ。目は効かなくても耳は効く。一行が歩く足音の響き方が、この部屋の広さを教えてくれた。
すると、先頭を歩くウインの足が止まった。
「柱……?」
ウインが照らす光によって浮かび上がった物、それは大きな柱であった。
例の如く、幾何学的な模様がびっしりと詰まった石柱だ。樹齢何千年と言われる大木よりも太く、お伽噺に出てくるような巨人よりも背が高い。
真っ直ぐに、見えない天井まで伸びている。
柱には、それこそ大木に巻き付いた蔦のように、太い縄模様が螺旋状に登っていた。
「ウイン」
ブリーゲルが彼の肩を優しく叩いた。
「あいつを出してくれ」
言われたウインはポカンと口を開けた。
「……いいんですか?」
「仕方がない。全体を見たいんだ」
「面倒ですよ?」
「もう慣れた……」
兄であるブリーゲルの哀愁深い呟きに、ウインも「はぁ」とため息をつく。
仕方がない、か。
ヒカルは二人のやり取りを目では見ていたものの、どんな会話をしているのかは分からなかった。
意識は全てリュックの中に。
果たしてどうなっているのだろうか、と喉が、頭が、心がムズ痒くなる。
朝からずっと考えていたのだけれど、もう我慢出来やしない。
中を見てみよう。見て確認するだけ。
痒いところがあると、血が出るまで掻きむしってしまうヒカルは、とうとうリュックを背中からおろした。
どうなっているのか見るだけ。リュックに穴は無いのか。ぶつかって壊れてはないのか。さらにバラバラになってないのか。
その時――辺りが真っ暗になった。
ウインが光の玉を消したのだ。
ヒカルも手を止める。さすがに真っ暗闇では確認のしようがない。
しん、と静まりかえった大広間に、ウインが着けている装飾品のジャラリという音だけが微かに聞こえる。
「第九の楔に留まりし者よ――」
起きろ。
瞬間――ウインの左手が光った。一寸先しか照らさない先ほどまでの光とは比べ物にならない。
よく見ると、左手の薬指にある指輪が光っているのだ。真っ白で、どこかにオレンジ色を含む光。
まるで炎だ。
ヒカルは顔を覆った。眩しくて、到底直視など出来やしない。
やがて、光は収まりつつあった。ヒカルは、覆った腕の隙間からちらりと覗いてみる。
ドクン!
心臓の鼓動のような衝撃がヒカルを襲った。幻覚かもしれないけれど、確かに何かの生命力を感じたのだ。
何かが居る。オレンジ色の光の中で動く影をヒカルは見つけたのだ。
「俺様を起こしやがって! どこのどいつだ!? 詫び入れさせてやる!」
荒々しい雄叫び。
ウインの指輪から現れたそれは、炎をまとった小熊であった。
◯
ヒカルはこの世界に来て何度も不思議な経験をした。
空を駈ける巨大な黄金竜を筆頭に、それが落とす鱗や、お化けの大蛇。ウインの謎の力や、ヒカル自身が所持している「時間を止める」黄金の懐中時計。
頭はすでにこの世界に慣れていた。燃える小熊の一匹くらいでは動じることはない。
どうして小熊が(しかも燃えている)突如現れたのか。
そんな疑問なんて、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り投げられるくらい、ヒカルはこのすでにこの世界に適応してしまっていた。
小熊くらいなら可愛いものだ、と。
「静かにしろ。パッチ」
ウインがその小熊に向かって投げ掛ける。なんだか苛ついているようにも思われた。
「これはこれは、ウイン様じゃありませんか。あなたともあろうお方が、どうしてこんな窮屈で湿っぽい地下なんかに?」
パッチ、と呼ばれた燃える小熊が、くるりとウインの方へと振り替える。
ニヤリと不敵に笑みを浮かべるその表情を見て、ヒカルは冷静に思った。思ってしまった。
――熊が言葉を話してるやがる。なんて不思議なんでしょうか。
そこから、小熊パッチとウインによる言い争いが暫く続いた。
「朝飯を用意しろよ。寝起きには何か食わねえとやる気がでねえんだ。仕事をして欲しいなら、早く魚と肉とコーヒーでも持ってきな!」
「そんなものはないよ。土でも食いな。そこら辺にたくさんあるからさ」
「おーおー怖い怖い。さすが天下の魔界の看守殿だ。飯がなけりゃ仕事はできねえ。……まあ、誠意でも見せてくれりゃ話は別だがよ」
「静かに話したらどうだい? まぁ無理か……。弱い奴ほどよく喋るって言うしね」
「なんだと!? 俺様が弱いってのか!?」
一色即発。
よく喚く小熊と、それを見下ろすウイン。互いに睨み合いながら、一歩も譲ろうとしない様子だ。
イライラしているウインも初めて見た。普段の穏やかな口調は小熊には使わないらしい。
小熊パッチも、心なしか纏っている炎が大きくなっている気がする。
だけど待ってくれ。
どれほど燃えていようが、どれほど悪態を突こうが、ヒカルの心は冷静だった。
――だって、相手は熊じゃん。
「そうだよ。弱いから威勢を張るしかないんだ」
――だって小熊だもん。
「俺様が本気出したら、村の一つや二つ返事、国だって崩壊させられるんだ。なのに弱いってのか!?」
――無理でしょ。小熊だもの。
ウインが「はぁ」とため息をついた。
「パッチがどれだけ抵抗しても構わないけれど、お前の宿は俺の手の中だ。言ってる意味が分かるよね?」
ウインが左手の薬指を立てた。身体中に着けた装飾の一つである指輪が、キラリと光って、パッチが顔をしかめる様子が見えた。
見えた? さっきまで真っ暗な闇の中だったのに。
そうだ。ヒカルたちはずっとウインの光の玉を頼りに進んできた。申し訳ないけれど、あまり明るいとは言えないものだった。
でも今は――パッチが現れてから――ウインはもちろん、ブリーゲルもカリンダも兵士たちも、皆のことが昼時のように見えているではないか。
「いい加減にしろ」
痺れを切らしたブリーゲルが二人(一人と一匹)の間に割り込んだ。
隊長の黄色い鎧もよく見える。光沢のあるそれは、彼の心のようにメラメラと燃える炎が浮かびあがっているようだ。
いや、反射しているのだ。メラメラと燃える炎を纏ったパッチこそが、この暗闇を照らす太陽であることにヒカルは気がついた。
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