出雲の駄菓子屋日誌

にぎた

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後編

9 顛末

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 黒い渦の向こう側は、真っ黒な世界で何も見えなかった。

 美琴を連れたからくり人形も見えない。ただひたすらに前(本当に前進しているのか分からないけれど)に進むだけ。

 しばらくして、この暗黒の世界にようやく光の筋が見えてきた。開けかけの扉。そこから光が少しだけ漏れているのだ。
 突如現れたその扉には「プライベート」という文字。冷たい鉄と重厚感のある装飾。柏木は一つ息を吐いて、その扉の中へ入っていった。
 暑い絨毯の廊下が続く。柏木の嫌な予感は当たった。ここは柏木が目覚めたホテル。からくり人形と対峙したあのホテルの廊下であった。

 振り返るってみると、そこには入ってきた扉はない。不気味な蛍光灯の光が漏れて、エレベーターが口を開けていたのだ。

 カラカラカラ……。

 廊下の反対側で音がした。「決着をつける時か」と柏木は自分を奮い立たせ、廊下を駆け抜ける。

「あの時は逃げたもんな」

 今の彼に恐怖心は無い。むしろ、まるで怨霊のような強い信念の旗を掲げて廊下を突き進む。

 あの憎き人形を……。
 愛する美琴を……。

 廊下を進んでいくと、「非常口」と書かれた窓のある突き当りに、人形の影が見えてきた。追いついたのだ。否、人形が待ち構えていたのであった。

 美琴は変わらず意識はない。椅子に座ったまま、柏木の方を向いて眠っている。

「待っていたぜ」

 それは例の甲高い声ではなかった。少し舌足らずな低い男の声だ。

「決着をつけてやる」
「決着? 負けたくせに……」
「まだ負けとらん!」

 からくり人形――低い声の男が笑う。

「何がおかしい!」
「負けたことにさえ気が付かない愚か者が……」

 からくり人形の異彩は、見えない空気の中を漂い、確実に柏木の精神を混乱させていく。

「お前はあの時、死んだんだよ」

 壁に挟まれ、意味のない叫び声を上げながらな――。

 柏木の心臓に、とどめの銛もりが深く撃ち込まれる。もう死んでいた。最初にこのホテルで、この廊下でからくり人形と出会った時に。

「後ろを見ろよ。まさかそれにも気が付いていないだと?」

 柏木が振り向くと、数メートル後ろに血の水たまりがそこにはあった。それだけではない。両側の障子にも同じく血しぶきが見える。

 まるで人ひとりがそこで押しつぶされたように……。

 力を振り絞って障子を破り、この世界を抜け出したはず。だが、「現実」はそうではなかった。彼はこの廊下から抜け出したのではなく、自らの体から抜け出した精神――霊体であったのだ。

 血だまりと「現実」に表情を奪われた柏木は、目の前で眠っている美琴に目を向けた。幼い我が子。あどけない血色の頬に、母親譲りのまん丸な瞳。日焼けした腕と足には、中学生にしては細すぎる。

「俺が待っていたのは……」

 からくり人形の言葉を合図に、美琴の後ろにある「非常口」と書かれた窓が開いた。突風。上空の空気が一気に廊下へ流れ込んでくる。柏木は後ろに倒れないようにして踏ん張るのが精いっぱいであった。

「子供の最期をしっかりと見てもらえるようにと思ったからさ!」

 からくり人形が美琴の座る椅子の脚の一つを、その小さな腕で掴むと、徐々に美琴が椅子ごと後ろに傾いていく。

 後ろは窓。このままでは美琴は窓から落ちてしまうのではないか!

「やめろ!」

 柏木が阻止するために風に抗って進む。しかし、今度は両端の障子を破って黒い人型の影たちが飛び出してきては、彼に飛び掛かっていった。

「そこでじっとしてな! ちゃんと看取れて嬉しいだろ? 俺って優しいだろ?」

 大勢の影たちに馬乗りにされ、柏木はそれらの隙間からしか、美琴が見えなくなっていた。

「もうすぐお前のところに娘を送ってやるさ」



 
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