出雲の駄菓子屋日誌

にぎた

文字の大きさ
上 下
28 / 40
後編

4 足跡

しおりを挟む
 盆踊りの片付けのため、愛子を家に送ると、大作はすぐに会場へ戻らなければならなかった。

「愛子さん。今日はどうもありがとう」
「いえ……私も嬉しくて」 

 波の音が良く聞こえる。二人は早く過ぎ去ってしまう時間を永遠のものにしたいと思い始めているのであった。
 心臓の音が聞こえてしまうのではないか。大作は、もう一度愛子の小さくて白い手を握りたいと思ったが、見えない力に引っ張られ「では」と言って愛子に背を向けた。

 暖かい感触。愛子の手が、去っていく大作の手を掴んだのだ。

 虚を突かれた大作が振り返ると、申し訳なさそうな愛子の顔が近くにあった。
 時は永遠に。そんな願いなど叶う訳がないと分っていながらも、愛子は思わず手を伸ばしてしまったのだ。

「ご、ごめんなさい……」

 愛子がゆっくりと手を放す。彼女の顔は夜の暗闇のなかでもはっきりと分かるくらい、赤く染まっていた。

「い、いえ」

 赤いのは大作も同じであった。

「で、では!」

 声が裏返った。大作は恥と嬉しさがまじりあった感情を抱え、夜の砂浜を歩いていく。心は軽く、どこかへ飛んでいけそうなくらいであった。

 

 会場に戻ると、提灯ちょうちんの火も消え、すでに櫓やぐらの解体作業も終わっていたため、ほとんど人が残っていなかった。

 祭りの後。先ほどまで賑やかだったはずなのに、もう閑散とした寂しさが漂ってしまっている。大作は、目を閉じると、遠くから賑やかな音頭が聞こえてくるような気がした。
 町内会長と話をしている坂田を見つけた大作は、二人のもとへ向かおうとしたとき、後ろから誰かに肩を叩かれた。

 そこに居たのは昌子であった。

「えらく別嬪なお方ですね」 

 突然の言葉に、大作は何のことだかわからずにいたが、昌子が見るからに不機嫌であることはすぐに察した。
 昌子は今日も真っ赤な口紅を塗っていて、つばの大きな西洋風の洒落た帽子を被っている。

「はあ……」

 大作の反応などお構いなしに、昌子はポケットから煙草を取り出すと、火をつけてすぐに坂田たちのいる方向へ歩いて行ってしまった。まるで大作なんか見えていないように。



 その後、噂の一部はどうやら本当だったらしく、大作は次回の収穫祭にて指揮を執るようになった。商店街、漁師、企画、準備、運用、資金。すべての間にはいって折り合いをつけなくてはならず、骨の折れる毎日が続くが、坂田をはじめ、地元のみんなの助けもあり、順調に業務をこなしていった。

 だが、どうしても資金の面で調整がつかなくなってしまったのだ。

 大作は、坂田に紹介された銀行から金を借りるために遠出をしていた帰り、思いのほか早く用事が済んだため、大作は愛子の家に寄っていこうと、車の運転手に浜へ行ってくれと伝えた。

 最近は風も冷たくなってきた。

 砂浜に着くと、珍しく愛子が家の外に出ていた。すぐ後ろには女中がいたけれど、どうしたものかと大作は彼女のもとに駆け寄っていく。

「今日はどうしたんだい?」

 突然の大作の訪問に、彼女は伏し目になって笑った。

「つい嬉しくって」

 愛子の足には、先日大作がプレゼントした白いブーツがあった。

「家の中では履けませんので」
「だって君の家は西洋風じゃないか」
「それでも、お天道様にも見てもらいたくって」

 愛らしい彼女の考えに、大作はつい笑ってしまった。

「少し散歩をしないかい?」
「あら。よろしいの?」
「もちろんだよ」
「でもお仕事帰りでしょう? お荷物も大変」
「これくらい大丈夫さ」

 大作は女中に散歩を伝えると、愛子の手を握って少しだけ浜辺を歩くことにした。

 大作が手を差し出すと、愛子はその手をしっかりと握りしめる。ゆっくりと浜辺を歩く二人。

「目は大丈夫かい?」
「ええ。とっても良いの。よく見えるわけじゃないけれど、なんとか維持できてるみたい」
「それは良かった。愛子には、熱海の町をずっと一緒に見ていきたいからね」

 大作さんのおかげです、と愛子は答えた。

 二人分の足跡が砂の上に残り、どんどん長くなっていく。会話はいつしかなくなり、ただ沈黙に微笑むだけの時間となったとき、大作がふと立ち止まった。
 愛子が大作の肩に寄りかかる。大作も愛子の手を握る手に力を少しだけ込めた。

 どれくらい波の音を聞いていたのだろうか。どれくらい虫たちの声を聞いていたのだろうか。

「愛子さん」
「はい」
「僕と一緒になってくれませんか?」
「……はい」

 熱海の町で出会った二人は、愛という底なしの穴に落ちていく。
 海を眺める二人に、それ以上の会話はなかった。なくても通じる言葉がある。なくても通じる愛情がある。
 歩いてきた足跡は薄くなるけれど、これから続く未来への歩むべき足跡がはっきりと見えてくる。

「この間のように、一緒に収穫祭へ行かないか?」
「ぜひに」

 二人は初めて一つになったのだ。



 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

パラサイト/ブランク

羊原ユウ
ホラー
舞台は200X年の日本。寄生生物(パラサイト)という未知の存在が日常に潜む宵ヶ沼市。地元の中学校に通う少年、坂咲青はある日同じクラスメイトの黒河朱莉に夜の旧校舎に呼び出されるのだが、そこで彼を待っていたのはパラサイトに変貌した朱莉の姿だった…。

ラヴィ

山根利広
ホラー
男子高校生が不審死を遂げた。 現場から同じクラスの女子生徒のものと思しきペンが見つかる。 そして、解剖中の男子の遺体が突如消失してしまう。 捜査官の遠井マリナは、この事件の現場検証を行う中、奇妙な点に気づく。 「七年前にわたしが体験した出来事と酷似している——」 マリナは、まるで過去をなぞらえたような一連の展開に違和感を覚える。 そして、七年前同じように死んだクラスメイトの存在を思い出す。 だがそれは、連環する狂気の一端にすぎなかった……。

紺青の鬼

砂詠 飛来
ホラー
専門学校の卒業制作として執筆したものです。 千葉県のとある地域に言い伝えられている民話・伝承を砂詠イズムで書きました。 全3編、連作になっています。 江戸時代から現代までを大まかに書いていて、ちょっとややこしいのですがみなさん頑張ってついて来てください。 幾年も前の作品をほぼそのまま載せるので「なにこれ稚拙な文め」となると思いますが、砂詠もそう思ったのでその感覚は正しいです。 この作品を執筆していたとある秋の夜、原因不明の高熱にうなされ胃液を吐きまくるという現象に苛まれました。しぬかと思いましたが、いまではもう笑い話です。よかったいのちがあって。 其のいち・青鬼の井戸、生き肝の眼薬  ──慕い合う気持ちは、歪み、いつしか井戸のなかへ消える。  その村には一軒の豪農と古い井戸があった。目の見えない老婆を救うためには、子どもの生き肝を喰わねばならぬという。怪しげな僧と女の童の思惑とは‥‥。 其のに・青鬼の面、鬼堂の大杉  ──許されぬ欲望に身を任せた者は、孤独に苛まれ後悔さえ無駄になる。  その年頃の娘と青年は、決して結ばれてはならない。しかし、互いの懸想に気がついたときには、すでにすべてが遅かった。娘に宿った新たな命によって狂わされた運命に‥‥。 其のさん・青鬼の眼、耳切りの坂  ──抗うことのできぬ輪廻は、ただ空回りしただけにすぎなかった。  その眼科医のもとをふいに訪れた患者が、思わぬ過去を携えてきた。自身の出生の秘密が解き明かされる。残酷さを刻み続けてきただけの時が、いまここでつながろうとは‥‥。

熾ーおこりー

ようさん
ホラー
【第8回ホラー・ミステリー小説大賞参加予定作品(リライト)】  幕末一の剣客集団、新撰組。  疾風怒濤の時代、徳川幕府への忠誠を頑なに貫き時に鉄の掟の下同志の粛清も辞さない戦闘派治安組織として、倒幕派から庶民にまで恐れられた。  組織の転機となった初代局長・芹澤鴨暗殺事件を、原田左之助の視点で描く。  志と名誉のためなら死をも厭わず、やがて新政府軍との絶望的な戦争に飲み込まれていった彼らを蝕む闇とはーー ※史実をヒントにしたフィクション(心理ホラー)です 【登場人物】(ネタバレを含みます) 原田左之助(二三歳) 伊代松山藩出身で槍の名手。新撰組隊士(試衛館派) 芹澤鴨(三七歳) 新撰組筆頭局長。文武両道の北辰一刀流師範。刀を抜くまでもない戦闘の際には鉄製の軍扇を武器とする。水戸派のリーダー。 沖田総司(二一歳) 江戸出身。新撰組隊士の中では最年少だが剣の腕前は五本の指に入る(試衛館派) 山南敬助(二七歳) 仙台藩出身。土方と共に新撰組副長を務める。温厚な調整役(試衛館派) 土方歳三(二八歳)武州出身。新撰組副長。冷静沈着で自分にも他人にも厳しい。試衛館の弟子筆頭で一本気な男だが、策士の一面も(試衛館派) 近藤勇(二九歳) 新撰組局長。土方とは同郷。江戸に上り天然理心流の名門道場・試衛館を継ぐ。 井上源三郎(三四歳) 新撰組では一番年長の隊士。近藤とは先代の兄弟弟子にあたり、唯一の相談役でもある。 新見錦 芹沢の腹心。頭脳派で水戸派のブレインでもある 平山五郎 芹澤の腹心。直情的な男(水戸派) 平間(水戸派) 野口(水戸派) (画像・速水御舟「炎舞」部分)

大江戸あやかし絵巻 ~一寸先は黄泉の国~

坂本 光陽
ミステリー
サブとトクという二人の少年には、人並み外れた特技があった。めっぽう絵がうまいのである。 のんびり屋のサブは、見た者にあっと言わせる絵を描きたい。聡明なトクは、美しさを極めた絵を描きたい。 二人は子供ながらに、それぞれの夢を抱いていた。そんな彼らをあたたかく見守る浪人が一人。 彼の名は桐生希之介(まれのすけ)。あやかしと縁の深い男だった。

浮帽子

坂水
ホラー
保育園で起きた独女と幼女の幽霊奇談。 子どもが苦手な保育園の事務の「私」は、子どもの幽霊「ゆう」の存在に気付く。 四季を通して、徐々に距離を縮める二人。けれどそれぞれに抱える秘密があって―― 中篇。ラストはホラーかハッピーか。どうぞ、確かめてやってください。全12回

小夜中に眠る物語 ~眠れない夜に不思議な話でもいかがですか?~

神原オホカミ【書籍発売中】
ホラー
体験談なのか、フィクションなのかはご想像にお任せします。 不思議なお話をまとめます。 寝る前のほんのちょっとの時間、不思議なお話をどうぞ。 すみませんが不定期更新ですm(__)m ◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。 ◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。 ◆内容が無理な人はそっと閉じてネガティヴコメントは控えてください、お願いしますm(_ _)m ◆アルファポリスさん/エブリスタさん/カクヨムさん/なろうさんで掲載します。 〇執筆投稿:2025年

ミノタウロスの森とアリアドネの嘘

鬼霧宗作
ミステリー
過去の記録、過去の記憶、過去の事実。  新聞社で働く彼女の元に、ある時8ミリのビデオテープが届いた。再生してみると、それは地元で有名なミノタウロスの森と呼ばれる場所で撮影されたものらしく――それは次第に、スプラッター映画顔負けの惨殺映像へと変貌を遂げる。  現在と過去をつなぐのは8ミリのビデオテープのみ。  過去の謎を、現代でなぞりながらたどり着く答えとは――。  ――アリアドネは嘘をつく。 (過去に別サイトにて掲載していた【拝啓、15年前より】という作品を、時代背景や登場人物などを一新してフルリメイクしました)

処理中です...