出雲の駄菓子屋日誌

にぎた

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前編

2 出雲の駄菓子屋

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 菅野真太郎かんのしんたろうは熱海の街に生まれ、熱海の空気を吸って育ってきた。

 今年で高校一年生となる。生まれた家は代々観光業を生業とし、熱海の銀座通り商店街を、糸川に向かって入った路地裏に店を構えていた。

「出雲の駄菓子屋」はその名の通り駄菓子を扱っている小さなお店だが、それだけではなかった。
 骨董品やレトロなおもちゃといった年代物の商品も店頭に隙間なく並べられている。

 そして、その中にはいわくつきの物もあった。

 不幸を招く置時計。髪の毛が伸びる人形。お化けが映るという姿見。
 巡り巡って手放せなくなったそれらの元所有者たちが、どこからかこの「出雲の駄菓子屋」の存在を聞きつけてやってくる。駄菓子を売りつつ、いわくつきの物を受け取る。店はいつしか知る人ぞ知る納品所となっていたのだ。

 夏休みであるがために、朝から店番を任された真太郎は、そんな逸話の依代たちに囲まれながらも、カウンターであくびを一つした。

 前髪が目にかかるくらいまで伸びてしまっているのは、ただ面倒臭いという理由だけだ。切れ長で一重瞼のやる気のない彼の目は、日の当たり具合しか変化のない店外の路地裏をぼんやりと見つめている。

 観光地としては書き入れ時のはずなのに、今日も朝から暇な時間の方が多い。

 店内に所狭しと積み上げられた骨董品たちが窓を塞ぐせいで、日光は遮られている。薄暗い店内のせいで、玄関口から見える外の輝く景色が、まるでテレビでも見ているかのような気持にさせられる。

 ただでさえ暗い店内なのに、と思いつつ、真太郎は頬杖を突きながらカウンターのすぐ隣に飾ってある一枚の絵画を見た。

 それは、怖いくらい美しい顔をした少女の絵であった。

 整った大きなその瞳はどこを見るでもなく、鷹のように光っている。モチーフとなったこの少女は、報われない恋の末に駆け落ちして心中したのだと真太郎は聞いていた。

 真太郎はしばらくその少女とにらめっこをしていたけれど、勝ち目がないと悟って再び外に目をやった。

 退屈だ――。
 バイクが一台通り過ぎて行くのが見えた。熱海の人は自転車を使わない。海と山が近く、急な坂しかないこの土地では自転車は勝手が悪いからだ。

 その後も数えられるくらいの人数しか出雲の駄菓子屋には来店せず、気付くともう夕方になっていた。午後七時過ぎはオレンジと黒の世界だ。橙色の光が入ってくる代わりに、店内にはより一層濃い闇がはびこっている。

 そろそろ店を閉めようと立ち上がった時、一人の中年男性が入ってきた。
 真太郎にはすぐに分った。この人もいわくつきの物に手を焼いているのだ、と。

「いらっしゃいませ」
「あの……」
「何か御用ですか?」
「ここは駄菓子屋?」

 真太郎はただうなずいた。

 男の顔は痩せこけていて、目の下にはクマができている。しばらく寝不足が続いているのだろう。きょろきょろと落ち着きのない目は、整列した駄菓子ではなく、散らかっている骨董品の方をしきりと気にしているようであった。

 単なる駄菓子屋にはふさわしくないガラクタも同然の代物たちは、その男には脅威だったのか、それとも安堵を与えたのだろうか。

「もうすぐ店じまいですので」

 男はさっと真太郎の方に向いた。目の奥にはもがき苦しむもう一人の男が見える。真太郎は小さなため息を着いて、もう一度カウンターに座った。

「何かお困りですか?」

 これも出雲の駄菓子屋にとって立派な仕事の一つなのである。

 男がバックから取り出したのは。一つの掛け軸であった。所々にシミや破れが目立つ。じめじめした物置小屋で、長い時間ほこりを被っていたのであろう。

 掛け軸には、一人の女が描かれていた。

 しかし、先ほど真太郎がにらめっこしていたような鷹の目をした少女の絵画とはまるっきり違う。
 描かれているのは磔にされ、火あぶりにあっている女であった。顔は苦悶の表情で、髪も乱れるままのその女はいかなる罪を犯し、いったい誰の逆鱗に触れてしまったのか。

「悲惨な絵……ですね」

 真太郎は自然と顔をゆがめていた。

「……はい」

 男はそれに目を向けることさえしない。

「それで」と、真太郎は掛け軸を閉じた。
「これはどこで?」
「えっと……確か田舎の叔父が亡くなったときだったかな?」

 男はようやくこの場の空気に慣れてきたらしい。目線も落ち着いてきた。

「北陸に住んでいる叔父で、その何年か前に叔母もこの世を去ってからは、ずっと一人で暮らしていたんだけど」

 彼の叔父は孤独死だった。

「発見してくれたのは同じ町内会で懇意にしてくれていた方でね。異臭がするからって警察に電話をかけてくれたんです」

 死後六日が経っていて、和室で一人倒れていたところを発見されたのだ。そして、その和室に掛かっていたのが例の掛け軸というのである。

「警察や町内会の方たちは、叔父がまるでその掛け軸に縋りつくかのような格好で倒れていたと言うんです」

 この掛け軸には何かの魅力や魔力があるのだろうか。真太郎は男の話を黙って聞きながらそんなことを考えてみた。
 こんな不気味な掛け軸を部屋に飾るなんて、確かに普通ではない。

「それであなたが引き取ったのですか?」
「ええ」
「こんな不気味な絵を?」

 男は初めてその掛け軸に目線を移した。少しだけ禿げかけた男の頭にはじめて気が付いた。

「最初はただの好奇心だったんです」

 痛いところを突かれたようにして、男はその頭に手を当てた。

「いったいどれほどの価値があるのだろうかと、内緒で近くの質屋に持っていきました。単なる小遣い稼ぎの気持ちで」

 時計の午後七時を告げる鐘が鳴る。男はその音に少しだけ肩をビクリとさせた。

「残念ながらあまりお値打ち物ではなかったらしく、状態も悪いため、無償で引き取ると言われました。でも、別に良かったんです。こんな不気味な絵を家に置いておく方が嫌なんですから」

 こんな不気味な絵。だが、孤独死した老人の部屋に飾ってあったのだ。なおかつ、その絵に縋りつくようにして倒れていた。

「ですが……」

 男は固唾を飲んでぎゅっと目を閉じた。思い出したくもない非現実な光景が頭の中を駆け回っているのだろう。真太郎も黙って彼の次の言葉を待った。

「質屋に預けて二、三日した後、その掛け軸は戻ってきたんです」

 男が仕事から帰宅して寝室で横になった時、眠気眼の視線の先に、ちょうどその掛け軸が見えたのだ。

「私は驚いてしまって、思わず声を出してしまいました。まだリビングに居た女房が慌てて駆けつけてきたから聞いたんです」

(この掛け軸がどうしてここにあるんだ!)

「すると女房は、さっきあなたが掛けたからでしょうって言うんですよ」

 男の額に一筋の汗が流れた。

「掛けた覚えはないんですか?」
「もちろんです。女房曰く、私が仕事に帰ってきたらこの掛け軸を持っていて、飯も風呂も後回しで寝室に掛けに行ったのだと。質屋にも確認しましたが、やはり私が返してくれと取りに来たって言うんです」

 外はもう暗い。商店街の明るい光が、路地裏に少しだけ漏れてきているだけだった。

「その後はどうしたんですか?」
「何度か捨てようとしました。ですが、ゴミに出しても袋が破かれていてまた寝室に。カギのかかった箱に入れても、カギが壊されまた寝室に。全部私が戻したらしいのです」
「燃やしてしまおうと考えたことは?」
「私がすると必ず失敗するんです。マッチやライターには火が着かない。女房に頼んでも、不吉だと嫌がる」
「他のご家族のイタズラだと考えたことは?」

 男は力なく首を横に振った。

「今は私と女房の二人で暮らしているんです。一人娘も地方の大学で一人暮らしをしているものですから」
「なら、奥様の仕業だという可能性は?」

 男は、はじめてぎこちなく笑ってみせた。「そんな訳あるはずがない」と。

 真太郎は笑われたことに対して、露骨に嫌な顔をして見せた。

「でも可能性がゼロとは言い切れないじゃないですか」
「君からしたらそうかもしれないけれど、私たち夫婦はもう二十年以上も一緒にいるんだ。女房がそんなイタズラなんかしないことくらい、ちゃんと分っているよ」

 どうか引き取って欲しい。男のその言葉を合図に、真太郎はその掛け軸を手に取った。

「わかりました。それではこれはお預かり致します」

 真太郎は掛け軸を持ったまま立ち上がった。

 今はこれしかできない。ただ引き取るだけだ。依頼人の男も半信半疑の顔をしたまま、今日はこのあたりでお開きなのだと察した。
 駄菓子屋を出る前に、男はもう一つだけ我儘を言った。

「もし、私がこれを返してくれと言ってきても、取り合わないでくれ」
「わかりました」
「よろしく頼むね」
「大丈夫ですよ。奇遇にも明日は供養式がありますし……」
「供養式?」
「はい。年に一度、引き受けた物たちを供養するんですよ」

 少し前から始めたこの行事は、ちょうど出雲の駄菓子屋が「引き取り屋」として有名になり始めた頃だった。

 溢れる品をどうしようかと悩むようになり、寺からお坊さんを呼んでまとめて供養してしまおうと決まったのだ。

「それは燃やしたりするの?」
「燃やせるものなら」

 男は少しだけ安堵の表情を浮かべた。これでやっと解放されるのだ、と。その考えが頭から漏れているかのように、男の足取りは軽快だった。もうすこしでスキップなんかするんじゃないだろうかと、そんな彼の後姿をしばらく見守っていた。

 普段よりも遅い閉店作業をするため、真太郎はシャッター棒を持って店から出た。

 熱海の夜空には満点に近い星たちが見える。商店街も静かで、昼間の喧しい街とは打って変わって、ただ虫の声と波の音が微かに聞こえるだけだった。

 真太郎はそんな熱海の夜が好きだった。波が引くようにして活気が遠ざかっていく。我が物顔をして熱海の街をうろつく観光客たちがいなくなって、これが本来の熱海の街なのだと実感できるのだ。

 湿気と物憂げさも少し含んだ夜風を感じて、何も考えず、ただ店の前で町の寝息を聞く。もう少し夜が更けると飲みすぎた人達の騒ぐ声がたまに聞こえてくるのだけれど。

 今日も変わりのない一日。そんな平和に感謝するつもりは彼にはないけれど、両手を上げて伸びをしたら、心が落ち着いて良い気分になるのだ。


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