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6、別れの選択

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 僕達は、市内の小さな医院から大きな病院まで、隅々と探し回った。眠っている鈴を見つける為に、毎日毎日歩く。時々、ベッドに眠る僕のことを一人で見に行った。見に行く度にポニーテールの女性は僕の側にいて、苦しそうに泣いている姿も見かけた。
 母親が彼女に話していた。青葉と別れて、違う人を探しなさい、と。彼女は母親に答えていた。そんなことは絶対にしませんよ、と。
 僕は彼女のことを知らない。でも彼女は恐らく恋人で、かけがえのない人のようだ。まさか僕が、透明人間になって別の女の子と付き合っているなんて、知る由も無い。日に日に罪悪感が募っていった。

 昨日で市内の病院全てを探し終えた。そのどこにも鈴の姿がないことから、市外の病院にいる可能性を思いつく。鈴は8年間彷徨い続けていた。その可能性は十分にあり得る。

「鈴、今日から隣町の病院を探してみよう」
「隣町まで探すの? ……うん、わかった!」

 どうせ交通費はかからないから、と電車に乗って数分で移動をする。隣町の駅を降りると、胸がもやもやと息苦しいような、気持ち悪さを感じた。
 電車酔いしやすいみたいだ。探しているうちに収まることを信じて、鈴には言わないでおく。鈴は僕の眠っている姿を見てから、元気がないようだった。何が心に突っかかっているのかは詳しく知らないが、空元気で振舞ってくる。

「鈴、どこかにいるといいね」

 隣で、こくん、と小さく頷いた。あまり乗り気じゃない。8年も過ぎて、自分が眠っているだけだった、なんて事実をもしも知ることになったら、それなりの覚悟は必要なんだろう。
 隣町の病院を計5箇所、探し回る。重篤の患者が入るような病室もしっかり調べてはみたのだが、どこの病院にも、どこの病室にも、鈴の姿はなかった。
 探すだけで1日が終わる日々。今日も、5箇所を回っているうちに日が暮れてしまった。街に戻ろうか。そう提案すると、鈴が僕の裾を引っ張った。拗ねた子どものように、小刻みにイヤイヤと首を振っている。

「空が、よく見えるところに行きたい」
「わかった。じゃあ病院の屋上に行こうか」

 町の中を一周するような形で、最初に見た大きな病院に戻る。高校とは違う雰囲気の屋上は、いつもより少しだけ高いように思えた。
 オレンジ色の光が余韻を残して消え、月が夜空に寂しく浮かぶ。まとわりついている星々は、すぐにでも消えそうな薄い白色をしていた。

「私の体、どこにもないね」
「明日は更に隣町に行こう。きっとそこにはいるよ」
「……いると、いいけどね」

 静寂の中、言葉を交わす。胸の微妙な気持ち悪さは収まることも悪化することもなく、ただずっとそこにあった。

「……ねぇ、あおっち。もし、もしもね、眠っている私が見つかって、お互いに生身の体に戻ることができるとしたら、さ……」

 緊張しているみたいに、震えた深呼吸が聞こえた。隣を向くと、鈴も同じように僕の方を向いていた。

「――戻った後も、恋人でいてくれる?」

 僕は質問に、答えられなかった。
 沈黙が重くのしかかる。鈴の真っ直ぐな目は、期待しているようで諦めているように、揺らいでいた。思わず目を逸らす。胸の気持ち悪さが、ひっそりと増した。今すぐ夜が明けてしまえばいいと、初めて感じた。
 答えられない自分が情けなくて、悔しくて。僕は今、支えてきてくれた鈴を裏切っているのだと思うと、胸が張り裂けそうに辛い。僕達はそれ以上の会話をすることはなく、朝を迎えた。

 朝日の輝きが、僕の罪悪感に追い打ちをかけるように思う。どちらからともなく立ち上がり、電車に乗ってまた隣町を目指した。どんどんと僕が住む町から離れていく。そしてそれに伴うように、気持ち悪さが吐き気に変わり、頭痛もじんわりと感じられるようになった。
 遊園地に行こうとして電車に乗った時を思い出す。同じようなことでまた心配をかけたくないのは、一種の意地だった。込み上げてくる吐き気を何度も飲み込む。頭もがんがんとした痛みに変化したが、頭を抱えるような仕草はしなかった。

 電車内での体調不良を乗り切って、次の町に到着する。一歩進むごとに、頭と鳩尾を殴られているような痛みと吐き気に、思わず顔をしかめた。なんともないように一瞬で取り繕う。おかげで鈴にバレずに済み、安堵の溜息を重く落とした。
 この町は県内で最も広い町で、その分病院の数も大きさも全然違う。近くの病院から丁寧に巡っていく。鈴と手分けして病室を探す時間が、今はとてつもなく安心した。
 1箇所、2箇所、3箇所。駅近くから見てみたが、眠る鈴の姿はない。もしかして現実では成長していたりするのかも、と今まで見た患者を思い出してみたりもしたが、その中に鈴は絶対にいなかった。

 口数の少ない鈴と一緒に、数々の病院に向かう。そして恐らく市内最後の、1番大きな病院を探し始めたときだった。悪化していく体調に意地を張ることに、限界がきていた。
 探しに行った鈴と反対側に数歩。鈴の姿が見えないことを確認して、壁に寄りかかって座り込んだ。次立ち上がったら、いよいよ吐きそうなところまできていた。
 常に視界が回っているような吐き気と、太い縄で締め付けられているような、苦しい腹痛。呼吸もなんだかままならなくなって、微かに手足の痺れを覚えた。
 もう、立てない。本能がそう言っていた。意地を張ろうにも、張るだけの力は失われていた。

「――あおっち、やっぱり無理してたんだ」

 すぐ側から、聞き慣れた声がする。答えようとして答えられず、顔を見ようとして見られない。なんとなく聞く程度の意識しか無かった。

「あおっち、立てる? 帰ろう。今すぐに」

 立てない、なんて意思表示は結局したくない。鈴の手に引かれて、消えかけた意識を取り戻し、フラつきながら立ち上がる。うっ、と胃の内容物がせり上がってきたが吐くものがないので、無駄に気持ち悪さだけが残った。

 僕のペースに合わせて、ゆっくりと鈴が手を引いてくれる。電車に乗ってからは、失礼ながら鈴に寄りかからせてもらった。
 僕の住む町に帰る。まだまだ完全回復には程遠かったが、立って真っ直ぐ歩けるくらいには回復していた。きっと、鈴が嫌がらずに肩を貸してくれたおかげだ。
 高校の屋上に向かうのかと思いきや、鈴が引っ張っていった先は眠っている僕のいる、病室だった。今日もまた、ポニーテールの彼女がいる。鈴は物憂げに彼女を見つめてから、ゆっくりと僕の顔を見た。

「もう体調は大丈夫?」
「うん、だいぶ良くなった。ありがとう」
「そっか、良かった。…………あのね、私、あおっちに言わなきゃいけないことがあるの」

 息を飲む。張り詰めた空気が、彼女にまで届いてしまいそうな緊張感。いつだって真っ直ぐな鈴の瞳は、今もまた揺らいでいた。疲れていた。寂しがっていた。信じて、拒んでいた。

「私はあおっちみたいに、眠ってはいないの。これは絶対。確かに死んだ時の記憶はもうないけれど、死んだことはハッキリ覚えてる。正真正銘、幽霊のままずっと彷徨ってる」
「でも……探せば、もしかしたら見つかるかもしれないじゃないか」
「私、この姿になって8年も経ってるんだよ? 分かってよ。私は幽霊で、貴方は人間なんだよ」

 苦しそうに、突き放すように。今にも涙の溢れそうな目を見て、分かった、なんて納得できる訳がない。でも、その通りなんだ。認めたくないけど、きっとそれが事実なんだろう。

「だからあおっち。本当の彼女のところに、戻ってあげて。お母さんだって待ってるでしょ?」

 なんともない振りを突き通す鈴の、目からはいよいよ涙が落ちていた。唇を噛んで、服の裾を握りしめて。そこまでして尚、僕に向ける表情も声も、普通であろうとしていた。
 こんなに繊細で、強がりで、すごく優しくて、同じように元気になれる明るさを持っている。8年間ずっと1人でいた鈴を、また1人にさせてしまうのか。隣にいてくれた鈴との、恋人関係を切ってまで?
 鈴と一緒に居たい。鈴と離れたくない。確かにポニーテールの彼女とは、お互いにかけがえのない存在だったんだろう。いつもいつもお見舞いに来てくれるのだって、思い入れのない相手だったら出来ることではない。
 それは分かっている。こうして僕が透明人間でいようとすればするほど、彼女も家族も苦しめるだけだと。悲しみに落としていくだけだと。分かってはいるんだ、だけど。

「僕は、戻りたくない。これから先も、鈴と一緒にいるから!」
「ふざけないでよ!!」

 初めて見る剣幕で、一喝された。

「お願いだから早く戻ってよ、なんで分かってくれないの!? そんなのただの我儘じゃん。あおっちには待っててくれる人が何人もいるんだよ!! ……だから、お願い。ちゃんと戻って、ちゃんと生きてよ」

 鈴は怒りながら、抑えきれない涙を次々と落としていった。流石の僕も良心が痛む。僕がどんなに鈴を想っていても、鈴の願いは、そうじゃないと知った。
 顔をしかめて、頬も目も赤くさせている。それでも真っ直ぐで、今は揺らぎひとつさえない瞳に、僕は折れた。口から自然と、分かった、と発言していた。

「なら、最後にひとつだけ質問していいかな。自分の体は無いって分かっていたのに、わざわざ探すのに付き合ってくれたのは……その場で言わなかったのは、何で?」
「最後にそういうこと聞いちゃうんだ。あおっちってなかなか意地悪だね?」

 へへ、と無邪気に、幼く笑う。その質問には答えずに、ベッドの僕の側に背中を押してきた。途端、手の先からグイッと引っ張られるような感覚に襲われる。眠る僕が、魂を取り戻そうとしているように思えた。
 質問の答えを聞いて、ちゃんと別れを言うまでは耐えなければ。自分の意思をしっかり持って、優しく、柔らかく微笑む鈴の顔を確認した。

「貴方と会えたとき、本当に嬉しかった。あぁ、やっと話せる相手ができた、って。それから毎日、楽しかった。いろんなことをお喋りして、いろんなところに遊びに行って、デートも、何回かしたね」

  女性らしいふんわりとしたワンピースに、明るい髪色と異様に白い肌。全てが鈴に似合っていた。

「でも貴方が実は幽霊じゃなくて。心の底から心配してくれるような家族も、彼女もいてさ。あーあ、私じゃきっと駄目だなぁって思った」

  屈託のない笑顔。嘘のない心の底からの感情と声。僕とはまるで違い、無邪気によく遊ぶ。そんな鈴が、大好きだった。

「一緒にいる。そう言ってくれてありがとねっ? 私、また死んじゃうんじゃないかってくらい、本当は嬉しかったよ」

 照れながら、でも嬉しそうに。見たことのない、ふにゃっとした笑顔で鈴が笑って頷いた、あの時。僕はただ、幸せだったよ。

「あのね、それで質問の回答なんだけど」

 あの時だけじゃない。鈴と過ごした日々。全部の思い出。楽しくて、輝かしくて、嬉しくて、幸せだったんだ。

「ごめんね。嘘付いて探させて、体調まで悪くさせちゃって」
「貴方と別れるしかないって、思ってたから。知ってたから。だから、ね」

「もうちょっとだけ、一緒にいたかっただけなの。ごめんね」

 震えた声。切なく胸が締め付けられる。そんな僕に無遠慮に、体は魂を引き込もうとしていた。
 どんな顔をしていても、鈴はいつでも僕を見てくれた。今だって、視線を一切ズラすことなく、言葉を発した。

 もう、お別れなのか。そう思うと、体は勝手に、鈴の方へ一歩踏み出していた。

「ありがとう。…………愛してる」

 初めて、鈴を抱き締める。ぎゅっと、持てるだけの力を持って、鈴の存在を確かめるように抱き締める。ゆっくりと鈴も背中に手を回し、肩を震わせてそっと力を込めた。
 僕達は恋人になったのに、こうして抱き締めるのは、最初で最後になってしまった。
 離したくない。そう思って更に強く抱き締めたところで、鈴に力無く離された。さっきよりも顔が涙で濡れていたが、僕のよく知る、明るくて可愛くて、優しい笑顔を浮かべていた。

「ばいばい、あおっち! 楽しかったよ!」
「……僕も、楽しかった。幸せだったよ」
「うん……ありがとう」

 一歩下がる。魂を取り込もうとする体は力を強め、僕はそれに抵抗することをやめた。今を逃すと、僕はもう本当に、鈴から離れられなくなってしまう。
 気付けば、いつからか目から涙が溢れていた。言葉にできない数々の想いが、その場に落ちていく。鈴は、僕が消えてしまう最後まで、大好きなその笑顔で、見守ってくれていた。
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