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VII 原罪
064 憤怒
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六四 憤怒
練習を終え(その練習が新しく生んだ数々の課題を頭の中で整理しながら)手早く掃除する。時節柄、夜間は体を動かさなければ寒い。
ゼミのことも頭の隅で葛藤があった。高橋先生の講義にはいつも熱がある。きっとゼミにも力を傾注するはずだ。少なくともテーマの「放り投げ」はないだろう。
「朝野さん」
声のする方を振り向く。
「朝野さん、いつも掃除ありがとうね。うちらが先に帰るから、大変でしょう」
ひと気もまばらで、この人物が居残っていたことに驚きを覚える。
「木村先輩」フルート三年次生『お嬢様方』のなかでも、とりわけ気性が荒い(らしい)者だった。「いえ、いいですよ。家も近いので」とわたしはいった。かの女はにこやかな表情のまま「それはよかった。適任なのね」と頬笑んで見せ、手入れの行き届いた長い髪をもてあそぶ。「朝野さんさ、学指揮にだいぶ気に入られてるみたいだけど、あまり深く入れ込むのは避けた方がいいわよ」毛先を眺めたり、耳にかかる髪を指で後ろへ流したりし、「差別するつもりじゃないけど、あのひと、両刀遣いの気があるから」と結ぶ。
じゃあね、とロングスカートをひらりとなびかせ、木村はもう二人のフルートの子らと一緒に大講堂を後にした。
わたしはその後姿を目で追い、言葉の真意を酌む努力をする。木村たちにとってなんのメリットもない言葉だとしか受け取れない。むろん注意喚起ではなく、吉川の評判を落とすこと以外に目的なないだろう。ひとついえるとしたら、かの女の害意の発散先が、たまたまわたしになったということだけだ。
かん、と硬質な音がしてモップの柄が床を叩く(気づかぬうちにモップを放り投げていた)。
「だったらなんだっていうんだ。ヨッシーのことなにも知らないくせに。うわべだけきれいなあんたらに、なにが分かるんだ」と、小さな声量で毒づく。モップを握り直す。荒々しく掃除を続ける。
なんであれ吉川は吉川だ。『お嬢様方』の範疇に収まるはずがないのだ。
「聖子」
声に振り向く。「高志」
わたしは熱を測るように手を額に当てながら「高志、ごめん、面倒くさくて。でもわたし、もうあのひとたちと同じ酸素吸いたくない。自分でもどうしたらいいのか、知らないのよ」高志はゆっくりと近づいてくる。「知らないのよ」涙声になりながら、努力して訴える。かれは静かに肩を抱き(モップをそろりと机に立てかけ、倒れて音が出ないようにする)、「今日はもう帰ってもいいんじゃないのか。掃除に何人もいらないだろ。片づけが済んだらおれも行くから」と諭した。
なにもしたくないし、見たくないし聞きたくもない。これ以上この場にとどまりたくない。
ふつふつと心が煮えたぎり、後頭部にちりちりとした焦げるような感覚を覚えつつ、バックパックに荷物をまとめて大講堂から出る。
練習を終え(その練習が新しく生んだ数々の課題を頭の中で整理しながら)手早く掃除する。時節柄、夜間は体を動かさなければ寒い。
ゼミのことも頭の隅で葛藤があった。高橋先生の講義にはいつも熱がある。きっとゼミにも力を傾注するはずだ。少なくともテーマの「放り投げ」はないだろう。
「朝野さん」
声のする方を振り向く。
「朝野さん、いつも掃除ありがとうね。うちらが先に帰るから、大変でしょう」
ひと気もまばらで、この人物が居残っていたことに驚きを覚える。
「木村先輩」フルート三年次生『お嬢様方』のなかでも、とりわけ気性が荒い(らしい)者だった。「いえ、いいですよ。家も近いので」とわたしはいった。かの女はにこやかな表情のまま「それはよかった。適任なのね」と頬笑んで見せ、手入れの行き届いた長い髪をもてあそぶ。「朝野さんさ、学指揮にだいぶ気に入られてるみたいだけど、あまり深く入れ込むのは避けた方がいいわよ」毛先を眺めたり、耳にかかる髪を指で後ろへ流したりし、「差別するつもりじゃないけど、あのひと、両刀遣いの気があるから」と結ぶ。
じゃあね、とロングスカートをひらりとなびかせ、木村はもう二人のフルートの子らと一緒に大講堂を後にした。
わたしはその後姿を目で追い、言葉の真意を酌む努力をする。木村たちにとってなんのメリットもない言葉だとしか受け取れない。むろん注意喚起ではなく、吉川の評判を落とすこと以外に目的なないだろう。ひとついえるとしたら、かの女の害意の発散先が、たまたまわたしになったということだけだ。
かん、と硬質な音がしてモップの柄が床を叩く(気づかぬうちにモップを放り投げていた)。
「だったらなんだっていうんだ。ヨッシーのことなにも知らないくせに。うわべだけきれいなあんたらに、なにが分かるんだ」と、小さな声量で毒づく。モップを握り直す。荒々しく掃除を続ける。
なんであれ吉川は吉川だ。『お嬢様方』の範疇に収まるはずがないのだ。
「聖子」
声に振り向く。「高志」
わたしは熱を測るように手を額に当てながら「高志、ごめん、面倒くさくて。でもわたし、もうあのひとたちと同じ酸素吸いたくない。自分でもどうしたらいいのか、知らないのよ」高志はゆっくりと近づいてくる。「知らないのよ」涙声になりながら、努力して訴える。かれは静かに肩を抱き(モップをそろりと机に立てかけ、倒れて音が出ないようにする)、「今日はもう帰ってもいいんじゃないのか。掃除に何人もいらないだろ。片づけが済んだらおれも行くから」と諭した。
なにもしたくないし、見たくないし聞きたくもない。これ以上この場にとどまりたくない。
ふつふつと心が煮えたぎり、後頭部にちりちりとした焦げるような感覚を覚えつつ、バックパックに荷物をまとめて大講堂から出る。
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