ハッピーレクイエム

煙 亜月

文字の大きさ
上 下
43 / 96
V 「ばーか」

043 楽団

しおりを挟む
四三 楽団

 きょうも練習に向かう。
 夕方になり、オーケストラの様々な楽器が様々な音を鳴らしている大講堂へ入る。うるさくない音は存在しないが、うるさい音もまた同時に存在してはならない。ひとえに練習の賜物である演奏では、すべてがあるべきところへ過不足なくおさまり、調和以外のなにものも許さない。が、そこへ至る練習自体は基本的にやかましいので、大講堂に一堂に会して練習するわけにもいかない。だから屋外へ出るなり分散して練習するなりしなければ、自分の音も聞き取りづらくなる。屋外で流した汗は、合奏で大講堂内へ入れば一気に冷め、体熱を奪いとる。しかし、屋内とはいえ合奏となると大汗をかく。体温も上がるし、エアコンの設定温度をためらいもなく下げねば団員は倒れてしまう。冷え性の多い女子団員には羽織ものの必須な室温だ。

 合奏の時間を吉川が告げ、団員がステージに並べられた椅子(大講堂内で練習していた弦楽器群の者があらかじめ用意してくれていたものだ)に掛け、それぞれペットボトルの水や麦茶を飲んでいた。
「あの、鈴谷先輩」と、話しかける(わたしから話しかけるのは初めてだった)。「ん、呼ばった? まあ俺のこと先輩とかいうてくれるんは、朝野しかおれへんけどな。せやろ、平松先生?」と、隣に座った高志の方を見る。「え、そうっすか? おれいつも鈴谷先生のこと保健体育の第一人者と思ってますよ」と高志が返す。「あのなあ平松。まあ、ええわ。で、どしたん?」とやれやれという風にかぶりをふった。
「ポカリ飲みながらだとリード、傷みません?」とわたしは合奏の時刻を少し気にしながら訊いた。
 一拍おいて、「せやな。たしかに指導者によっては塩分や糖分が楽器に悪いとはいうけどな、こうも暑いとリードの寿命より自分の寿命を優先するんよなあ。練習ならまだしも、冬の定演となると二時間以上吹かなあかんやろ? コンクール常連とか、吹奏楽の強いとこではよくスパルタみたいな指導しょうるけど、全日本やったら自由曲と課題曲、たった十二分間やで? 冬の定演はとにかく体力勝負やからな」と、鈴谷は明快に答え、二リットルボトルのスポーツドリンクをぐいぐい飲む。
 コンクール常連で、スパルタ。そんな母校をどこかプライドにしていた面もある。あの吹奏楽部は、体質も、顧問も、とにかく県内では最も過酷であった。毎月のようにオーディションがあり、上級者も含めみな恐々としていた。自信を持ってはいけない、その自信はいつか君を裏切る――顧問の言葉だ。そんな陰湿な空気は、この団にはどこにも見当たらない。

 黒い管体にシルバー、もしくはゴールドのキィメカニズムのオーボエとクラリネットは吹奏楽部の花形だ。しかしそのいずれも、音量の点で総金属製(木製のものも少なからずあるが)のフルートに若干劣る。
 オーボエ、クラリネット、フルートといった木管楽器は十九世紀にベーム(ボエム)式システムが発明され、のちに小改良を施されながら現代の楽器として成った。フルートはきわめて複雑で華美なフレーズも演奏しやすく特殊奏法にも富み、オーボエ、クラリネットよりも秀でた面もある。反してオーボエ、クラリネット、バスーンといったシングル・ダブルリードは気おされがちではあるが、フルートより稠密で艶があり、とろみのある音色でもって主旋律を奏でる場面も多い。

 管弦楽を演奏するという意味でのオーケストラの編成は、ルネサンス期に興りバロック期から近代にかけて完成を見、以降も絶えず変化し続けた。古典派のモーツァルトからロマン派のベートーヴェン、そしてラヴェルが活躍した近代にかけて編成様式が確立したといえるが、配置は決まって各セクションが固まって演奏するように組まれる。呼吸の音すら聞こえそうな距離で、横目でお互いの動きを読んで演奏するのだ。おおむね、クラリネットの平松はオーボエであるわたしの右後方にある。だからか、お互いのくせなどもよく気が付くのだ。特にサマーコンサートが近づくと、練習時間もかさみよけいに目につくようになる。
 暑がりの平松はいつも汗をしたたらせ、休憩をはさんで練習が再開するときは煙くなる。クラリネットも上手い。この団の活動ではさしたる練習量も取れるとは思えないのだが、リードケースを見ると完璧といえる手入れの具合だった。上級者揃いのフルートのお嬢さま方(と、団員にささやかれているだけで、わたし自身はそもそも陰口を叩かない)、バスーンもセカンドに瀬戸という一年次ながらも名手がおり、木管セクションもかなり仕上がっていたといえるだろう。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

瞬間、青く燃ゆ

葛城騰成
ライト文芸
 ストーカーに刺殺され、最愛の彼女である相場夏南(あいばかなん)を失った春野律(はるのりつ)は、彼女の死を境に、他人の感情が顔の周りに色となって見える病、色視症(しきししょう)を患ってしまう。  時が経ち、夏南の一周忌を二ヶ月後に控えた4月がやって来た。高校三年生に進級した春野の元に、一年生である市川麻友(いちかわまゆ)が訪ねてきた。色視症により、他人の顔が見えないことを悩んでいた春野は、市川の顔が見えることに衝撃を受ける。    どうして? どうして彼女だけ見えるんだ?  狼狽する春野に畳み掛けるように、市川がストーカーの被害に遭っていることを告げる。 春野は、夏南を守れなかったという罪の意識と、市川の顔が見える理由を知りたいという思いから、彼女と関わることを決意する。  やがて、ストーカーの顔色が黒へと至った時、全ての真実が顔を覗かせる。 第5回ライト文芸大賞 青春賞 受賞作

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

眠れない夜の雲をくぐって

ほしのことば
恋愛
♡完結まで毎日投稿♡ 女子高生のアカネと29歳社会人のウミは、とある喫茶店のバイトと常連客。 一目惚れをしてウミに思いを寄せるアカネはある日、ウミと高校生活を共にするという不思議な夢をみる。 最初はただの幸せな夢だと思っていたアカネだが、段々とそれが現実とリンクしているのではないだろうかと疑うようになる。 アカネが高校を卒業するタイミングで2人は、やっと夢で繋がっていたことを確かめ合う。夢で繋がっていた時間は、現実では初めて話す2人の距離をすぐに縮めてくれた。 現実で繋がってから2人が紡いで行く時間と思い。お互いの幸せを願い合う2人が選ぶ、切ない『ハッピーエンド』とは。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ハイブリッド・ブレイン

青木ぬかり
ミステリー
「人とアリ、命の永さは同じだよ。……たぶん」  14歳女子の死、その理由に迫る物語です。

その男、人の人生を狂わせるので注意が必要

いちごみるく
現代文学
「あいつに関わると、人生が狂わされる」 「密室で二人きりになるのが禁止になった」 「関わった人みんな好きになる…」 こんな伝説を残した男が、ある中学にいた。 見知らぬ小グレ集団、警察官、幼馴染の年上、担任教師、部活の後輩に顧問まで…… 関わる人すべてを夢中にさせ、頭の中を自分のことで支配させてしまう。 無意識に人を惹き込むその少年を、人は魔性の男と呼ぶ。 そんな彼に関わった人たちがどのように人生を壊していくのか…… 地位や年齢、性別は関係ない。 抱える悩みや劣等感を少し刺激されるだけで、人の人生は呆気なく崩れていく。 色んな人物が、ある一人の男によって人生をジワジワと壊していく様子をリアルに描いた物語。 嫉妬、自己顕示欲、愛情不足、孤立、虚言…… 現代に溢れる人間の醜い部分を自覚する者と自覚せずに目を背ける者…。 彼らの運命は、主人公・醍醐隼に翻弄される中で確実に分かれていく。 ※なお、筆者の拙作『あんなに堅物だった俺を、解してくれたお前の腕が』に出てくる人物たちがこの作品でもメインになります。ご興味があれば、そちらも是非! ※長い作品ですが、1話が300〜1500字程度です。少しずつ読んで頂くことも可能です!

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

処理中です...