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I 演繹と仮説
009 天寿
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九 天寿
「神さまは人に役目をお与えになるんだけど、人はその役目を果たさないと、天国に連れてってもらえないの」。
高校の礼拝堂でおしゃべりをしていた仲の良い子の言葉だ。わたしの記憶に刻まれた言葉で、今も思い返す。
キリスト教ではその者――つまり求道者が、主イエス・キリストの死と復活を信じ、かつイエスが身代わりによって現した原罪の贖いを信じること――すなわち信仰告白を経、教会に依頼したのち、洗礼式に浴することができる。そこで初めて、信心による永遠の存在を約束される。つまるところ死後の、天国への道が約束されるのだ。
まだ洗礼を受けていない、求道中の者や異教の徒へは天国への道は確約されないが、神は常にキリストへ立ち返ることを望み、また準備しているという。また洗礼での約束は存命中の信徒どうしの兄弟姉妹の、精霊によるつながり、同じ被造物であるつながりも含まれる。
ざっと説明すれば短いが、受洗はキリスト者としてのスタートに過ぎず、その後の人生で自らのうちにキリストの心が存在するかを人々は試される。しかしながらも、求道の者へキリスト者への道を開く洗礼という「約束」が旧約、新約聖書の「約」の字にあたり、受洗が非常に大きな意味を持つのもこの教えの特徴でもある。
ところが、この子の――責任を全うした時点で天に召されるという言葉には引っ掛かりがあった。この世での役目、責任の履行はどこで、だれが、どのように判断するのか。戦争や飢餓、事故死や殺人での死亡にまでも適用されるのか。当時のわたしは理解に苦しんだ。教えを学び、信じ、広め、また人や世の役に立てばよい、というシンプルなものではないようにみえる。人がなにがしかの役目や責務を帯び、人生をかけ達成し、死という永遠のものにつながる。本当にそうなのだろうか。そうなるとたちまちにして齟齬が生じる。
人間の価値は天より下されるべきだ。善行や勤勉さ、親切心という、善悪の判断基準が地上のみに留保されたものである以上、人間は人間の範疇を超えて、自らの価値を決めることができない。人間に理解できない価値を、人間は価値とは呼べない。だから、神の思う価値と、人間の思うそれとは乖離して当然なのだ。
その言葉の続きを思い出した。
「だからね、若くして召されたらそのことはいいことなのよ。だって神さまに早くに認められて、天国に行くんだもの。長生きの人も、天の役目を達成するまでずっと、地上に光を灯してくれた立派な人なのよ」。
結果論だ。
いずれにせよ、死期について人間の範疇で語れることはなにもない、とわたしはその時感じたと記憶している。人間が結果論を語るだけに終始し、神の声や意図を解することができないのであれば。
天の意思で、あらかじめ決まっている人の価値や責務は人間には知ることができない。殺されても、大災害に遭っても、その死の意義を人間が人間の物差しや天秤などで計ることはできないのだ。
聖書において人間の寿命には幅があり、九〇〇年以上生きる者もいたが、神はのちに人の寿命を一二〇歳と定めた記述もある。天寿を全うするなど、それこそ定義者にしか判断できないはずだ。よって、天寿はまさに死亡したとき、その者が天国へ行くにあたり、生まれたときに課せられた使命を遂げたときだと考えられる。いつ、どのような死を迎えようが、それは最良の死に時である、と。遺された者への慰みのようにも聞こえるが、それが人間の限界なのだ。人は常に、最大限に喜ぶべき死によってその命を終える。
「だから、高志は幸せなんだよね。だって、その、死ぬべきときにうまく死ねて。だから、えっと、わたしが殺さなくても、死んでたのかもしれないもんね。ね、高志?」
ウィスキーの最後の一滴を飲み干し、舌打ちをしてわたしはコンビニへ行く支度をした。ほとんどパジャマのままで、丈の長いコート、ニット帽をかぶっただけの姿でふらふらしながらドアを開ける。雪に顔を打たれるままに出てゆく。――鍵?
高志が帰ってきたらどうするのよ。
「神さまは人に役目をお与えになるんだけど、人はその役目を果たさないと、天国に連れてってもらえないの」。
高校の礼拝堂でおしゃべりをしていた仲の良い子の言葉だ。わたしの記憶に刻まれた言葉で、今も思い返す。
キリスト教ではその者――つまり求道者が、主イエス・キリストの死と復活を信じ、かつイエスが身代わりによって現した原罪の贖いを信じること――すなわち信仰告白を経、教会に依頼したのち、洗礼式に浴することができる。そこで初めて、信心による永遠の存在を約束される。つまるところ死後の、天国への道が約束されるのだ。
まだ洗礼を受けていない、求道中の者や異教の徒へは天国への道は確約されないが、神は常にキリストへ立ち返ることを望み、また準備しているという。また洗礼での約束は存命中の信徒どうしの兄弟姉妹の、精霊によるつながり、同じ被造物であるつながりも含まれる。
ざっと説明すれば短いが、受洗はキリスト者としてのスタートに過ぎず、その後の人生で自らのうちにキリストの心が存在するかを人々は試される。しかしながらも、求道の者へキリスト者への道を開く洗礼という「約束」が旧約、新約聖書の「約」の字にあたり、受洗が非常に大きな意味を持つのもこの教えの特徴でもある。
ところが、この子の――責任を全うした時点で天に召されるという言葉には引っ掛かりがあった。この世での役目、責任の履行はどこで、だれが、どのように判断するのか。戦争や飢餓、事故死や殺人での死亡にまでも適用されるのか。当時のわたしは理解に苦しんだ。教えを学び、信じ、広め、また人や世の役に立てばよい、というシンプルなものではないようにみえる。人がなにがしかの役目や責務を帯び、人生をかけ達成し、死という永遠のものにつながる。本当にそうなのだろうか。そうなるとたちまちにして齟齬が生じる。
人間の価値は天より下されるべきだ。善行や勤勉さ、親切心という、善悪の判断基準が地上のみに留保されたものである以上、人間は人間の範疇を超えて、自らの価値を決めることができない。人間に理解できない価値を、人間は価値とは呼べない。だから、神の思う価値と、人間の思うそれとは乖離して当然なのだ。
その言葉の続きを思い出した。
「だからね、若くして召されたらそのことはいいことなのよ。だって神さまに早くに認められて、天国に行くんだもの。長生きの人も、天の役目を達成するまでずっと、地上に光を灯してくれた立派な人なのよ」。
結果論だ。
いずれにせよ、死期について人間の範疇で語れることはなにもない、とわたしはその時感じたと記憶している。人間が結果論を語るだけに終始し、神の声や意図を解することができないのであれば。
天の意思で、あらかじめ決まっている人の価値や責務は人間には知ることができない。殺されても、大災害に遭っても、その死の意義を人間が人間の物差しや天秤などで計ることはできないのだ。
聖書において人間の寿命には幅があり、九〇〇年以上生きる者もいたが、神はのちに人の寿命を一二〇歳と定めた記述もある。天寿を全うするなど、それこそ定義者にしか判断できないはずだ。よって、天寿はまさに死亡したとき、その者が天国へ行くにあたり、生まれたときに課せられた使命を遂げたときだと考えられる。いつ、どのような死を迎えようが、それは最良の死に時である、と。遺された者への慰みのようにも聞こえるが、それが人間の限界なのだ。人は常に、最大限に喜ぶべき死によってその命を終える。
「だから、高志は幸せなんだよね。だって、その、死ぬべきときにうまく死ねて。だから、えっと、わたしが殺さなくても、死んでたのかもしれないもんね。ね、高志?」
ウィスキーの最後の一滴を飲み干し、舌打ちをしてわたしはコンビニへ行く支度をした。ほとんどパジャマのままで、丈の長いコート、ニット帽をかぶっただけの姿でふらふらしながらドアを開ける。雪に顔を打たれるままに出てゆく。――鍵?
高志が帰ってきたらどうするのよ。
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