ハッピーレクイエム

煙 亜月

文字の大きさ
上 下
5 / 96
I 演繹と仮説

005 消失

しおりを挟む
五 消失

 暖房のよく効いた新幹線から下り、やや栄えた土地からひたすら在来線に揺られ、雪の降る音さえ聞こえるような閑地の駅に立つ。ひとり、大学の教員が同時に降りるのに気づく。かなりやつれており、見違えるほどだったがたしかに自分の大学の教員だった。「あ――統計学の」とわたしがいうと、非常に緩慢に(言語障害があるとみえる)「ああ、君は。寒いところですね。雪で杖が滑って仕方ない」と右手の杖を見ていった。
 スーツケースを抱えホームにいるわたし(と統計学の教員)に、初老の女が頭を下げた。「ああ、ショウ、さん? このたびは――」とわたしより先に口を開き、すぐに言葉に詰まる。「おかあさん」と、ひとことしかいえず、わたしもまたうつむいた。
 わたしと教員はかれの母親に案内され、父親の運転する車に乗って雪の中を通り、一軒の民家に着く。玄関から仏間に通されると、喪服姿の親族たちがなにもいわずに頭を下げる。わたしはこの場にふさわしい言葉が出ないまま、膝をついて頭を下げる(コートはそれより先にかれの母親に預けていた。わたしの持っていた礼服ではしかし、ひと気やストーブで温もった仏間であってもまだ寒い)。人を割って入り、布団に寝かされたかれと僧侶に頭を下げる。
「高志」
 ようやくそのひとことを発したまま、わたしはその場に座ることしかできなかった。

 高志が亡くなってからというもの、感情も感傷も消失していた。空腹もなにも感じない。涙も笑顔も忘れた。なんにせよ、わたしは五感を駆使してまで生きる価値のある存在ではなくなったのだ。
 葬儀はひっそりとしたものだった。
 大学は顧問の監督責任とか、オーケストラの体質とか、そういう問題があって、かつそれら諸問題を水面下にとどめるべく、より小さなできごととなるよう扱った。また団員や友人含め、大学は葬儀葬祭に人を出さないよう必死で工作もした。

 学生の無茶飲みでの死者、しかもそれが未成年のケースなど、メディアはいともたやすく食い散らかす。テレビが形ばかりの哀悼の意を述べ、それも無邪気な街の人の声にかき消され、クリスマスや正月が近づけばだれもが忘れる。
 キャンパスに出入りできるあらゆる門や通用口の付近では、学生にマイクやカメラを突きつけようと待ち構えるミニバンも数台、あった。大学は警備員も目立たぬ程度に増員し、しかし普段通りの風景を作ろうと腐心した。その学生のことをできるだけセンセーショナルに、かつ一般化して伝えれば面白くなる——このような思惑を持つメディアから、学生、そして高志やその家族を守るために、大学は致し方なく隠蔽したのだ。
 そうだ、このことはあの学生のプライベートにおいて起こったことなのだ。オーケストラや、大学が関与すればするほど、事を荒立てる結果となる。大学側としても苦肉の策だった。
 ゆえにすでに永い眠りのなかにあったかれには、一切の関係もない問題を大学側が処理してくれたため、わたしは恋人の故郷でその母親とゆっくり話せた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

Gsus4

煙 亜月
キャラ文芸
音楽、辞めたいなあ。まあ、辞められたらとっくに辞めてるけどね。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

処理中です...