ハッピーレクイエム

煙 亜月

文字の大きさ
上 下
4 / 96
I 演繹と仮説

004 郷里

しおりを挟む
四 郷里

 あの朝の、ふたりで語った死へ向かう会話。
 平松高志――かれをほんの少し前まで最低な男だと厭えば、愛を語り合い、そればかりか半年後の冬に心中をしようとまでにわたしの心情を様変わりさせたのは、一体何だったのだろう、そう今でも不思議に思う(おそらくは奇蹟なのだろう、と仮定してはいるが)。
 わたしがかれに心中を頼み込み、オーケストラの冬季定期演奏会の夜、ふたりでホテルの一室で死のうと交し合った約束は、いまなおだれにも話していない。これはかれが遺したわたしへの聖痕なのだ。あの時ほかの言葉でわたしを食い止めることは容易であっただろう。しかし心中という決断をしたかれの、生き残ったわたしが受け継いだ愛であり、また同時に十字架でもあった。人ひとり分の重さの愛を背負ったのだ。そうして今も生きている。

 わたしの十代はもうすぐ終わろうとしていた。しかしすでに、この人生が生きるに値するか、わたしはもう見限っていた。死にたい、生きるのがもう嫌だと高志に漏らし、そして一緒に死んでほしいと懇願したのは演奏会の直前だった。
 かねてより情緒不安定だった。生理が遅れていたからかもしれないが、もとより生理なんて周期通りに来たためしがない。泣いたかと思えば笑い、笑っていたかと思えばまた泣く。楽器の練習をしているときだけだ、まともなわたしでいられるのは。うつ状態によくある日内変動で、夕方から夜にかけて気分が持ち直すこと、一日が終わることに安堵すること、意識の失われる睡眠が死に近しい事象であるのが理由だ。だから五限の終わりから夜九時までしかわたしを見ていないオーケストラのメンバーは、ほぼ誰もわたしの変調に気づかなかった。

 あの冬季定期演奏会の日の夜、しかし高志はひとりで逝ってしまった。吐瀉物による窒息死。事故死だということをわたしはうまく呑み込めなかった。
 なるべく早い方がよいとの葬儀屋の判断で、かれはその死からすぐに実家へ高速道路で運ばれた。天候はよく、わたしもすぐに鉄道でかれの故郷の地を踏んだ。かれの両親と会うのは初めてだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ワンコインの誘惑

天空
現代文学
 人生一度の失敗で全てが台無しになる。  最底辺の生活まで落ちた人はもう立ち上がれないのか。  全財産を競馬にオールインした男。  賭けたのは誰にも見向きもされない最弱の馬だった。  競馬から始まる人と人の繋がり。人生最大の転換期は案外身近なところに落ちている。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

【完結】カワイイ子猫のつくり方

龍野ゆうき
青春
子猫を助けようとして樹から落下。それだけでも災難なのに、あれ?気が付いたら私…猫になってる!?そんな自分(猫)に手を差し伸べてくれたのは天敵のアイツだった。 無愛想毒舌眼鏡男と獣化主人公の間に生まれる恋?ちょっぴりファンタジーなラブコメ。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

短編集:失情と采配、再情熱。(2024年度文芸部部誌より)

氷上ましゅ。
現代文学
2024年度文芸部部誌に寄稿した作品たち。 そのまま引っ張ってきてるので改変とかないです。作業が去年に比べ非常に雑で申し訳ない

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...