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神様のくそったれ
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ていうかアタシの写真で美しくないのがあんの? アタシの加工テクニックを以ってしても? あったらマジ教えてほしいんだけど。ふつう選ぶよね? マイセレクションしか残さないよね? 誰もが三、四回振り返る写真しか。
まあ、少し端折るけど色々いきさつがあって、クソ元彼との画像はいわずもがな、少しでも涙袋とか上唇のツヤや反り具合、前髪の透け感が気に食わない写真は悉皆闇に葬りさらにスケジュールされたシステムのデフラグで初めから無かったものとしたいのよ。だって嫌でしょ? 赤点のテストなんて誰がファイリングすんの?
そりゃあ、まあ、あれよ、幼少の砌には馬鹿正直に七点のプリント、オカンに見せてたけどさ。ママー、ラッキーセブーン、ってね。ママー、ラッキーセブーンにメリットを感じなくなってからは自己管理よ、自己管理。成績なんてものは。情報操作? あー? あーあーあー、ごめんなにいってんのか聞こえないわ。
しかしながらも、学年のなかでは勉強はそこそこできていた方だし、夏休みの宿題も礼拝堂でさっさと終わらせた部類だし。
隠す必要がないからいうけど、うち、クリスチャンホームなんだ。両親がキリスト教徒。メシのときにアーメンとかいうやつ。ラーメンでもそうめんでもアーメン。
放課後は教会の中庭で遊んで、花火や水鉄砲はその駐車場、式を挙げるのが礼拝堂なら葬儀を執り行うのだって礼拝堂。
ようするにシューキョーにどっぷり浸かった子ども時代な。
でもな、宗教も悪くはないぞ、キミ。ま、一概に良いともいえないけどな。世の中広いからさ、アタシから見てもやばい教派も存在するし、この国の土壌だと少数派であればとりあえず白い目で見るし。だって日本で正統なクリスチャンやってるひとなんて人口の〇・八パーだよ? ちなみに信じられないかもしれないけど、その〇・八%の真っ当(とされている)な教派は一切の戸別訪問やポスティングは行わない。ま、どうでもいいけどさ。
その流れもあったな。アタシはふつうに家にいるときと同じく給食のときにお祈りするじゃん。そんなアタシのことをからかうどころか、掃除のときバケツの水あびせるやつとかわんさかいたよ、ガッコってとこは。でもさあ、世界中のバカどもをアタシひとりで相手するには分が悪い。即刻逃げたさ。保健室登校ってやつ。
どうせそいつら、死んだあとはオサラバだしさ。
ん? 死後の世界を信じているのかって? そうねえ、知らねえな。死んだことねえんだもん。生者である以上は死後の世界を語れないんだよなあ。
あ、でもアレだ。可能性を安易に捨ててはならんな――キミ、試しに死んでみる?
ごめんごめん、冗談冗談。半分冗談。
アタシも死んだあとのことは分かんないよ。今でこそキリストを信じていても、分かんないもんは分かんないよ。
無神論者が大勢を占めるこの地で新約とか旧約とかの「約」は天の道を約束する意味の「約」である、ってことをいちいち説いてまわるのは手数が足りないので置いておく。でも、アタシは行きたいと思うよ、天国。
向こうは面白いだろうね、国家神道のじーちゃんが祝詞上げて、真言宗のばーちゃんは題目を唱え、オカンとオトンは使徒信条を唱和してさ。
そうやって、でもみんな争いも苦しみもなく笑って過ごせるんだ、天国って。おもろね? ザ・救い、ってカンジしない?
ちょっと話が飛ぶけど、『葉隠』ってのがあるじゃん。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」、っていう、サムライの。
あれって西洋思想と比較して人命軽視っていわれがちだけど、違うんだよ。
いつ死んでも後悔しないように、精一杯生きなさいよ、っていう意味らしいよ。すぐにでも極楽浄土へ旅立てるよう、清く正しく全力で生きよと。天国に行くことのできる、行くに値するひととなれ。
でも、世の中にはなんの徳も積めず、なんの功も立てられずに亡くなるひともいる。衛生環境の悪いスラムに生まれて、生まれたその日に一ドルも使わず死んでしまう子たちとか。
じゃあ、その子たちはどうすりゃいいのさ。
バチカンの偉い人とか、王室の貴婦人とか、年間の寄付金支出額をステータスとする資産家連中とか、彼らも彼らなりに祈ったり、訪問したり、拠出している。でもスラムのその子らは、なんの役にも立てないで死んでいくんでしょ?
もしそうだとすると『葉隠』の指南はあまりにも厳しいよ。だれか特定の者、徳操高潔な者のみに与えられる特権的な場所が天国なら、なによりも憐れむべき子らをどうして軽視できるのさ。
ちょっといい例がある。
アタシが女子高生だったころに遡ろっか。
そのときアタシは生まれて初めて恋をした。そして相手の子とも気持ちが通じた。長くなるのでちょっと端折っていうと、
死産だった。
死産だったんだ。アタシの第一子は。
十月十日かけて育み、人類にとり最悪というべき激痛とともに出産すべきだった新しい命をアタシは、殺した。
あの元彼――これまた詳細は省くけど驚くほどの外道だった——と別れ、アタシはやけくそになっていた。そこら辺の常備薬とか、オトンのタバコの葉っぱとか、よく覚えてないんだけどね、オーバードーズしたんだ。哀しみ半分腹いせ半分。
二、三日は意識が朦朧としていた。次第に見当識がはっきりしてくると、ここが天国ではないことはすぐに分かった。「あ、失敗したんだな」ということは嫌でも理解できたよ。だって両手両足、縛られてたんだもの。
自分で歩けるほどに回復したら赤い服着た、子どもみたいな背の低い女医に説明受けたんだけどね、よく覚えてるよ。
当時わたしは妊娠五週目だったらしい。胎盤や羊水で体重が増えていたので薬物の血中濃度も下がり、なおかつ各器官の未発達な胎児は分解しきれなかった毒素をその小さな小さな肝臓にため込んだ。ゆえに母体への毒性が下がった、と。
「とても残念です」
と、その女医は頭を下げた。
残念、か。
残念もなにも、わたしの耳にはなにも届かなかった。
せめて、胎児の声が聞けていたら。
せめて、妊娠の事実を知ることが叶っていれば。
せめて、子どもだけでも救命できていれば。
——わたしの子の父親は少ししてから別な女と付き合いを始め、わたしはそれより前に退学届を学校に出した。
ごめんね、
ごめん——
ほんとうに
ごめんなさい——。
完全に引きこもりとなり、祈りも願いも望みも欲求も、つまりこれからの人生がよくなるための感情をすべて忘れ、わたしはただベッドで目をつむるだけの存在となった。
——でも、赤ちゃんをちょっと天国に送ったり、その代償でわたしをちょっと地獄に送ったりすることくらい、できるよね、神様なら。だってあんな小っちゃな赤ちゃんをやすやすと死なせたんだもの、それくらいかんたんでしょ?
久しぶりにふらりと行った教会では、少数の高齢の者からは婚前交渉の禁を破った廉がどうたらこうたらで不自然に距離を置かれたけど、大多数の信徒は自死を図ったわたしへの憐憫の方がまさった。
若いのに、悪い男につかまってかわいそうに――
どうか神様の慰みを――
願わくば、赤ん坊が救われんことを――
うるさい。
うるさいよ?
気に障るんだけど。
——うるさい!
だれも、
だれもなにも救えないのに。
だれもなんの力も持ってはいないのに!
災害でも、人死にでも、祈ることしかできないくせに。
神様でも使徒でもないのに、牧師や伝道師がみことばを取り次ぐ? 祈りが天に届きますように、と祈る?
はっ。
信じられない。
信じられる要素も信じるメリットもなにもない。
気持ちも落ち着かなければ心も清らかにだってならない。神様はわたしに絶望を、わたしの子どもに死を与えた。
散々な気分での帰り際、副牧師に教職用の祈祷室へ来るよういわれた(それを断らなかったのはいまだに不思議だ)。
「でも自分、教えを聞こうっていう気分じゃないんですけどね。ま、お別れの挨拶くらいなら」
「いえいえ、わざわざ来てくれてほんとうにありがとう。どうぞかけて、ね」
そのときの会話はよく覚えている。この歳になってもまだ思い返しては両の手を組むことがある、胸のうちに残る言葉だ。
「よくここまでこれたわね。ひとりだけでなんとかしようってがんばったんでしょ?」
「でも、車とか病院代とか、親ですし」
「ああ、まあ、それもそうね。でも先生がいってるのは、あなたがひとりで神様の仕事もがんばってやってきたていうことよ。コーヒーでいい?」
「は? あ——はい」
「洗礼式の時の五つの質問のうち、最後の一問、覚えてる?」
副牧師はアタシにコーヒーを勧め、問うた。
「それ、大昔じゃないですか――ええと、あなたはあした、絶対に死にます。しかし義によって絶対に天国に行きます、これを信じられますか、だったと思うけど」
副牧師は目を細めてコーヒーを飲む。
「日本でいうなら『葉隠』の精神よね」
「はがくれ?」
「『武士道とは死ぬことと見つけたり』。いつ死んでもいいように生きること」
「ああ」
わたしは心の中で舌打ちをする。こいつも、同類なのか。
「神様が死なせたり、生かす命にはひとつも、一切の無駄も無意味もない、だから天国に行くのよ」
「——でも、教え的にどうなんですかね。それじゃ、なんのための受洗なんだか。第一、いつ死んでもいいように生きなさいっていわれても、わたしの子なんか、どうなるんですかね」
「そうね。小さいころからだけど頭の回転が速い子だったわね、あなたは。これは教会での説教じゃなく、ひとりのおばさんの世迷言として聞いてほしんだけど——」
——たしかに拡大解釈かもしれない。けれど、神様は被造物すべてを愛している。愛をもって造った。造りたいから造られた。なぜなら、欲しかったから。
また、『信ずる者は救われる』との文言は聖書に一か所もないように、神様は愛の象徴、愛そのものでしかない。だからだれをも愛す。だからだれにも哀しい死に方はさせない。これを気の持ちようとか、無理やりな執念ととらえるか、もしくはどこかで『そんな気がする』と感じられるか、あるいは感じようと努め、こころみるか。苦境に立ち、救いはない、と諦める決断をわたしたちの領分でおこなうか——
「——それが、信じるということよ。がんばってだれかの幸せを願うということが。召された者、遺された者、両方ともさいわいであることを、がんばって信じることが」
すこしの間、わたしは沈黙した。
『かわいそうな赤ちゃん。後悔ばかりの恋。ひどい男。無力な宗教』
それら悲劇的側面は、わたしがそう思って、わたしが自身で宛がったレッテルなのかもしれない。わたしが赤ちゃんを、より不幸にして、より悲観的にとらえているとしたら。
だって、仕方ないじゃないか。赤ちゃんはわたしのせいで死んだ
その子の犠牲で生きているわたしに、価値なんて、あるものか。
『かわいそうな自分。後悔ばかりの自分。ひどい自分。無力な自分』
その自分は、自分にはどうにもならないこと——神様が決めたこと——人間には不可侵な領域なのだ。嘆いてばかりのわたしは、自分の不幸に溺れていただけなのかもしれない。さらにいえば、それらの哀しみは赤ちゃんにとってなんの益にも餞にもならない。ああ、わたしは気づく。
『わたしには泣く権利なんてないと思っていた。怒ることはあっても、泣いてはいけないと思ってた。赤ちゃんが天国へ行くようにと祈ったのは、赤ちゃんにわたしのことを許してもらいたかったから、そういう動機なのだ』
わたしは今まで、自分や、自分の周りの不幸をたったひとりで抱えていたことを知る。
「自分を許したり、責めたり、諦めたり、理解したり、どうするかなんて決めなくていいの。神様がうまく執り成してくれるから。それでも納得がいかないなら、神様のくそったれ、ばかやろう、っていってもいいのよ。ぜーんぶ、神様は受け止めてくださる。だってそんなこと、人間にはこれっぽっちもできないもの。あなたは今日まで、自分を許していいのかを悩んだ。自分を責めるべきだと決めていた。でえもそれは神様の領域。あなたは神様の代わりになろうとして、がんばりすぎたよ」
わたしはしばらく呼吸を我慢して泣くのをこらえた。でも、やがてなににもあらがえないことを知る。
「あ——ああ、ああああ——」
わたしはただ、だれかに文句をいいたかっただけなのかもしれない。
泣くから肩を貸して、でもない。つらいから手を握って、でもなく。
わたしは死産という自分自身の失敗のせいで、だれにも助けを求めたり、不平不満をぶちまけたり、弱者として振る舞う権利がないものと思っていた。だから、わたしを許し、その嘆きを受け止めてくれるなら誰でもよかったのだ。今まで自分自身で許すこともできず、嘆きを受け止める存在も知らなかったのだ。
ぬるいコーヒーを飲んだあと、赤ちゃんが天国で安らかに頬笑んでいることをふたりで祈った。
副牧師にもらった飴を舐めながら家路につき、
「神様の——くそったれ」
と、心の中で、ごく小さくつぶやいた。
(了)
まあ、少し端折るけど色々いきさつがあって、クソ元彼との画像はいわずもがな、少しでも涙袋とか上唇のツヤや反り具合、前髪の透け感が気に食わない写真は悉皆闇に葬りさらにスケジュールされたシステムのデフラグで初めから無かったものとしたいのよ。だって嫌でしょ? 赤点のテストなんて誰がファイリングすんの?
そりゃあ、まあ、あれよ、幼少の砌には馬鹿正直に七点のプリント、オカンに見せてたけどさ。ママー、ラッキーセブーン、ってね。ママー、ラッキーセブーンにメリットを感じなくなってからは自己管理よ、自己管理。成績なんてものは。情報操作? あー? あーあーあー、ごめんなにいってんのか聞こえないわ。
しかしながらも、学年のなかでは勉強はそこそこできていた方だし、夏休みの宿題も礼拝堂でさっさと終わらせた部類だし。
隠す必要がないからいうけど、うち、クリスチャンホームなんだ。両親がキリスト教徒。メシのときにアーメンとかいうやつ。ラーメンでもそうめんでもアーメン。
放課後は教会の中庭で遊んで、花火や水鉄砲はその駐車場、式を挙げるのが礼拝堂なら葬儀を執り行うのだって礼拝堂。
ようするにシューキョーにどっぷり浸かった子ども時代な。
でもな、宗教も悪くはないぞ、キミ。ま、一概に良いともいえないけどな。世の中広いからさ、アタシから見てもやばい教派も存在するし、この国の土壌だと少数派であればとりあえず白い目で見るし。だって日本で正統なクリスチャンやってるひとなんて人口の〇・八パーだよ? ちなみに信じられないかもしれないけど、その〇・八%の真っ当(とされている)な教派は一切の戸別訪問やポスティングは行わない。ま、どうでもいいけどさ。
その流れもあったな。アタシはふつうに家にいるときと同じく給食のときにお祈りするじゃん。そんなアタシのことをからかうどころか、掃除のときバケツの水あびせるやつとかわんさかいたよ、ガッコってとこは。でもさあ、世界中のバカどもをアタシひとりで相手するには分が悪い。即刻逃げたさ。保健室登校ってやつ。
どうせそいつら、死んだあとはオサラバだしさ。
ん? 死後の世界を信じているのかって? そうねえ、知らねえな。死んだことねえんだもん。生者である以上は死後の世界を語れないんだよなあ。
あ、でもアレだ。可能性を安易に捨ててはならんな――キミ、試しに死んでみる?
ごめんごめん、冗談冗談。半分冗談。
アタシも死んだあとのことは分かんないよ。今でこそキリストを信じていても、分かんないもんは分かんないよ。
無神論者が大勢を占めるこの地で新約とか旧約とかの「約」は天の道を約束する意味の「約」である、ってことをいちいち説いてまわるのは手数が足りないので置いておく。でも、アタシは行きたいと思うよ、天国。
向こうは面白いだろうね、国家神道のじーちゃんが祝詞上げて、真言宗のばーちゃんは題目を唱え、オカンとオトンは使徒信条を唱和してさ。
そうやって、でもみんな争いも苦しみもなく笑って過ごせるんだ、天国って。おもろね? ザ・救い、ってカンジしない?
ちょっと話が飛ぶけど、『葉隠』ってのがあるじゃん。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」、っていう、サムライの。
あれって西洋思想と比較して人命軽視っていわれがちだけど、違うんだよ。
いつ死んでも後悔しないように、精一杯生きなさいよ、っていう意味らしいよ。すぐにでも極楽浄土へ旅立てるよう、清く正しく全力で生きよと。天国に行くことのできる、行くに値するひととなれ。
でも、世の中にはなんの徳も積めず、なんの功も立てられずに亡くなるひともいる。衛生環境の悪いスラムに生まれて、生まれたその日に一ドルも使わず死んでしまう子たちとか。
じゃあ、その子たちはどうすりゃいいのさ。
バチカンの偉い人とか、王室の貴婦人とか、年間の寄付金支出額をステータスとする資産家連中とか、彼らも彼らなりに祈ったり、訪問したり、拠出している。でもスラムのその子らは、なんの役にも立てないで死んでいくんでしょ?
もしそうだとすると『葉隠』の指南はあまりにも厳しいよ。だれか特定の者、徳操高潔な者のみに与えられる特権的な場所が天国なら、なによりも憐れむべき子らをどうして軽視できるのさ。
ちょっといい例がある。
アタシが女子高生だったころに遡ろっか。
そのときアタシは生まれて初めて恋をした。そして相手の子とも気持ちが通じた。長くなるのでちょっと端折っていうと、
死産だった。
死産だったんだ。アタシの第一子は。
十月十日かけて育み、人類にとり最悪というべき激痛とともに出産すべきだった新しい命をアタシは、殺した。
あの元彼――これまた詳細は省くけど驚くほどの外道だった——と別れ、アタシはやけくそになっていた。そこら辺の常備薬とか、オトンのタバコの葉っぱとか、よく覚えてないんだけどね、オーバードーズしたんだ。哀しみ半分腹いせ半分。
二、三日は意識が朦朧としていた。次第に見当識がはっきりしてくると、ここが天国ではないことはすぐに分かった。「あ、失敗したんだな」ということは嫌でも理解できたよ。だって両手両足、縛られてたんだもの。
自分で歩けるほどに回復したら赤い服着た、子どもみたいな背の低い女医に説明受けたんだけどね、よく覚えてるよ。
当時わたしは妊娠五週目だったらしい。胎盤や羊水で体重が増えていたので薬物の血中濃度も下がり、なおかつ各器官の未発達な胎児は分解しきれなかった毒素をその小さな小さな肝臓にため込んだ。ゆえに母体への毒性が下がった、と。
「とても残念です」
と、その女医は頭を下げた。
残念、か。
残念もなにも、わたしの耳にはなにも届かなかった。
せめて、胎児の声が聞けていたら。
せめて、妊娠の事実を知ることが叶っていれば。
せめて、子どもだけでも救命できていれば。
——わたしの子の父親は少ししてから別な女と付き合いを始め、わたしはそれより前に退学届を学校に出した。
ごめんね、
ごめん——
ほんとうに
ごめんなさい——。
完全に引きこもりとなり、祈りも願いも望みも欲求も、つまりこれからの人生がよくなるための感情をすべて忘れ、わたしはただベッドで目をつむるだけの存在となった。
——でも、赤ちゃんをちょっと天国に送ったり、その代償でわたしをちょっと地獄に送ったりすることくらい、できるよね、神様なら。だってあんな小っちゃな赤ちゃんをやすやすと死なせたんだもの、それくらいかんたんでしょ?
久しぶりにふらりと行った教会では、少数の高齢の者からは婚前交渉の禁を破った廉がどうたらこうたらで不自然に距離を置かれたけど、大多数の信徒は自死を図ったわたしへの憐憫の方がまさった。
若いのに、悪い男につかまってかわいそうに――
どうか神様の慰みを――
願わくば、赤ん坊が救われんことを――
うるさい。
うるさいよ?
気に障るんだけど。
——うるさい!
だれも、
だれもなにも救えないのに。
だれもなんの力も持ってはいないのに!
災害でも、人死にでも、祈ることしかできないくせに。
神様でも使徒でもないのに、牧師や伝道師がみことばを取り次ぐ? 祈りが天に届きますように、と祈る?
はっ。
信じられない。
信じられる要素も信じるメリットもなにもない。
気持ちも落ち着かなければ心も清らかにだってならない。神様はわたしに絶望を、わたしの子どもに死を与えた。
散々な気分での帰り際、副牧師に教職用の祈祷室へ来るよういわれた(それを断らなかったのはいまだに不思議だ)。
「でも自分、教えを聞こうっていう気分じゃないんですけどね。ま、お別れの挨拶くらいなら」
「いえいえ、わざわざ来てくれてほんとうにありがとう。どうぞかけて、ね」
そのときの会話はよく覚えている。この歳になってもまだ思い返しては両の手を組むことがある、胸のうちに残る言葉だ。
「よくここまでこれたわね。ひとりだけでなんとかしようってがんばったんでしょ?」
「でも、車とか病院代とか、親ですし」
「ああ、まあ、それもそうね。でも先生がいってるのは、あなたがひとりで神様の仕事もがんばってやってきたていうことよ。コーヒーでいい?」
「は? あ——はい」
「洗礼式の時の五つの質問のうち、最後の一問、覚えてる?」
副牧師はアタシにコーヒーを勧め、問うた。
「それ、大昔じゃないですか――ええと、あなたはあした、絶対に死にます。しかし義によって絶対に天国に行きます、これを信じられますか、だったと思うけど」
副牧師は目を細めてコーヒーを飲む。
「日本でいうなら『葉隠』の精神よね」
「はがくれ?」
「『武士道とは死ぬことと見つけたり』。いつ死んでもいいように生きること」
「ああ」
わたしは心の中で舌打ちをする。こいつも、同類なのか。
「神様が死なせたり、生かす命にはひとつも、一切の無駄も無意味もない、だから天国に行くのよ」
「——でも、教え的にどうなんですかね。それじゃ、なんのための受洗なんだか。第一、いつ死んでもいいように生きなさいっていわれても、わたしの子なんか、どうなるんですかね」
「そうね。小さいころからだけど頭の回転が速い子だったわね、あなたは。これは教会での説教じゃなく、ひとりのおばさんの世迷言として聞いてほしんだけど——」
——たしかに拡大解釈かもしれない。けれど、神様は被造物すべてを愛している。愛をもって造った。造りたいから造られた。なぜなら、欲しかったから。
また、『信ずる者は救われる』との文言は聖書に一か所もないように、神様は愛の象徴、愛そのものでしかない。だからだれをも愛す。だからだれにも哀しい死に方はさせない。これを気の持ちようとか、無理やりな執念ととらえるか、もしくはどこかで『そんな気がする』と感じられるか、あるいは感じようと努め、こころみるか。苦境に立ち、救いはない、と諦める決断をわたしたちの領分でおこなうか——
「——それが、信じるということよ。がんばってだれかの幸せを願うということが。召された者、遺された者、両方ともさいわいであることを、がんばって信じることが」
すこしの間、わたしは沈黙した。
『かわいそうな赤ちゃん。後悔ばかりの恋。ひどい男。無力な宗教』
それら悲劇的側面は、わたしがそう思って、わたしが自身で宛がったレッテルなのかもしれない。わたしが赤ちゃんを、より不幸にして、より悲観的にとらえているとしたら。
だって、仕方ないじゃないか。赤ちゃんはわたしのせいで死んだ
その子の犠牲で生きているわたしに、価値なんて、あるものか。
『かわいそうな自分。後悔ばかりの自分。ひどい自分。無力な自分』
その自分は、自分にはどうにもならないこと——神様が決めたこと——人間には不可侵な領域なのだ。嘆いてばかりのわたしは、自分の不幸に溺れていただけなのかもしれない。さらにいえば、それらの哀しみは赤ちゃんにとってなんの益にも餞にもならない。ああ、わたしは気づく。
『わたしには泣く権利なんてないと思っていた。怒ることはあっても、泣いてはいけないと思ってた。赤ちゃんが天国へ行くようにと祈ったのは、赤ちゃんにわたしのことを許してもらいたかったから、そういう動機なのだ』
わたしは今まで、自分や、自分の周りの不幸をたったひとりで抱えていたことを知る。
「自分を許したり、責めたり、諦めたり、理解したり、どうするかなんて決めなくていいの。神様がうまく執り成してくれるから。それでも納得がいかないなら、神様のくそったれ、ばかやろう、っていってもいいのよ。ぜーんぶ、神様は受け止めてくださる。だってそんなこと、人間にはこれっぽっちもできないもの。あなたは今日まで、自分を許していいのかを悩んだ。自分を責めるべきだと決めていた。でえもそれは神様の領域。あなたは神様の代わりになろうとして、がんばりすぎたよ」
わたしはしばらく呼吸を我慢して泣くのをこらえた。でも、やがてなににもあらがえないことを知る。
「あ——ああ、ああああ——」
わたしはただ、だれかに文句をいいたかっただけなのかもしれない。
泣くから肩を貸して、でもない。つらいから手を握って、でもなく。
わたしは死産という自分自身の失敗のせいで、だれにも助けを求めたり、不平不満をぶちまけたり、弱者として振る舞う権利がないものと思っていた。だから、わたしを許し、その嘆きを受け止めてくれるなら誰でもよかったのだ。今まで自分自身で許すこともできず、嘆きを受け止める存在も知らなかったのだ。
ぬるいコーヒーを飲んだあと、赤ちゃんが天国で安らかに頬笑んでいることをふたりで祈った。
副牧師にもらった飴を舐めながら家路につき、
「神様の——くそったれ」
と、心の中で、ごく小さくつぶやいた。
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