2 / 2
目が覚めると工事現場だった・後編
しおりを挟む
だが時々、あの、ええと、何だっけ、吉野家。そう、吉野家、あの牛丼が食べたくなることがある。吉野家だけじゃない。ジョリパ、ツタヤ、ファミマ、ワンルームのアパート。それらをふと思い出すと、僕はまるで揚力を得たかのような(体が浮くような)、奇妙な感覚に見舞われる。作業中に牛丼を思い出す。すると立ち眩みのように僕は、身も心もふわりと現場から離れそうになるのだ。
「馬鹿、危ない。集中しろ」
僕はだんだん、この「危ない」の意図を理解しはじめていた。牛丼屋など、そういった店を思い出すと工事から気がそれてしまう。つまり、この世界はすべてが工事であるので、工事の否定は世界への全否定となるのだ。僕がこの世界を拒めば拒むほど、前の――ツタヤもファミレスもある――世界に近づく。労働力を一人、失うことになるので、この世界は作業員全員、一丸となって「危ない」と警句を発するのだ。
だから、前の世界への「浮気心」を抱けば、ただ単に墜落事故などにつながるだけでなく、人力を一人分、失うことになるのだ。それをこの世界は嫌がる。
そういった事情で、煙草を吸いながら前の世界のことを話すのは、まったくもって不可能だった。
「おい、危ないぞ、さっきから。しっかりしろ」
僕という一個人を、この工事現場の世界がなんらかの力で引き留めている。この世界に牛丼などは存在しない。あるのは煙草とおにぎり、工事。ここでは工事関係者しか見たことがない。そしてこの世界は、僕を引き離そうとしない意図があるのだ。しかし、それは前の世界――吉野家やスパゲティのある世界を思いだすことで弱まる。その証拠に、前の世界を意図的に思い出したことがある。僕の、この工事の世界にある意識の割合が減り、前の世界が鮮やかに想起されるのだ。僕はやろうと思えば、いくらでも前の世界のことを思い出せた。だが、工事の世界から離れるのは不都合だと思った。
それは、職責だ。
僕は現場から、そして僕自身からも作業の責任を果たすように求められている。確かに今は、今でこそ現場があるからそれに順応しているだけなのかもしれない。とはいえ、現場への責任は必然的に発生する。責任――端的にいえば、自分が現場から離れた時の穴埋めを心配することもそうだ。前の世界(つまり、牛丼のある方)では、僕は状況が先に整わない限り自分から仕事に就けないままでいただろう。
今は工事現場で汗を流す生活が当たり前になっているから、それを進んで受け入れている。進んで適応しようとしている。着実に、工事の世界がしごく当たり前の生活だと思うようになった。おにぎりや煙草のためだけでない、もっと大きな現場で作業したいとすら思っていた。そんな思いも前の僕に戻ったら持てないだろう。あの頃は職安通いが当たり前になり、どの求人票もつまらなく見えていた。求人の品定めだけがうまくなっていた。
「起きたか、おはよう」
僕はでっぷりと肥えた、なまっちろい肌の若者に声をかける。おそらくニートか、ひきこもりか。「あんた、働くのか?」若者はきょろきょろ見渡しながらうなずく。「食ったらええよ」僕はビニールシートのおにぎりを指す。
その日の仕事を終える。新人は疲れた様子だったが、素直で飲み込みも早く、体重はかなりオーバー気味なものの頭脳に秀で、期待も抱けそうだった。
目覚めたら工事現場でありますように。そう祈りながらおにぎりをかみしめて食べた。煙草を吸っていると意識が遠のく。
「馬鹿、危ない。集中しろ」
僕はだんだん、この「危ない」の意図を理解しはじめていた。牛丼屋など、そういった店を思い出すと工事から気がそれてしまう。つまり、この世界はすべてが工事であるので、工事の否定は世界への全否定となるのだ。僕がこの世界を拒めば拒むほど、前の――ツタヤもファミレスもある――世界に近づく。労働力を一人、失うことになるので、この世界は作業員全員、一丸となって「危ない」と警句を発するのだ。
だから、前の世界への「浮気心」を抱けば、ただ単に墜落事故などにつながるだけでなく、人力を一人分、失うことになるのだ。それをこの世界は嫌がる。
そういった事情で、煙草を吸いながら前の世界のことを話すのは、まったくもって不可能だった。
「おい、危ないぞ、さっきから。しっかりしろ」
僕という一個人を、この工事現場の世界がなんらかの力で引き留めている。この世界に牛丼などは存在しない。あるのは煙草とおにぎり、工事。ここでは工事関係者しか見たことがない。そしてこの世界は、僕を引き離そうとしない意図があるのだ。しかし、それは前の世界――吉野家やスパゲティのある世界を思いだすことで弱まる。その証拠に、前の世界を意図的に思い出したことがある。僕の、この工事の世界にある意識の割合が減り、前の世界が鮮やかに想起されるのだ。僕はやろうと思えば、いくらでも前の世界のことを思い出せた。だが、工事の世界から離れるのは不都合だと思った。
それは、職責だ。
僕は現場から、そして僕自身からも作業の責任を果たすように求められている。確かに今は、今でこそ現場があるからそれに順応しているだけなのかもしれない。とはいえ、現場への責任は必然的に発生する。責任――端的にいえば、自分が現場から離れた時の穴埋めを心配することもそうだ。前の世界(つまり、牛丼のある方)では、僕は状況が先に整わない限り自分から仕事に就けないままでいただろう。
今は工事現場で汗を流す生活が当たり前になっているから、それを進んで受け入れている。進んで適応しようとしている。着実に、工事の世界がしごく当たり前の生活だと思うようになった。おにぎりや煙草のためだけでない、もっと大きな現場で作業したいとすら思っていた。そんな思いも前の僕に戻ったら持てないだろう。あの頃は職安通いが当たり前になり、どの求人票もつまらなく見えていた。求人の品定めだけがうまくなっていた。
「起きたか、おはよう」
僕はでっぷりと肥えた、なまっちろい肌の若者に声をかける。おそらくニートか、ひきこもりか。「あんた、働くのか?」若者はきょろきょろ見渡しながらうなずく。「食ったらええよ」僕はビニールシートのおにぎりを指す。
その日の仕事を終える。新人は疲れた様子だったが、素直で飲み込みも早く、体重はかなりオーバー気味なものの頭脳に秀で、期待も抱けそうだった。
目覚めたら工事現場でありますように。そう祈りながらおにぎりをかみしめて食べた。煙草を吸っていると意識が遠のく。
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
俺の娘、チョロインじゃん!
ちゃんこ
ファンタジー
俺、そこそこイケてる男爵(32) 可愛い俺の娘はヒロイン……あれ?
乙女ゲーム? 悪役令嬢? ざまぁ? 何、この情報……?
男爵令嬢が王太子と婚約なんて、あり得なくね?
アホな俺の娘が高位貴族令息たちと仲良しこよしなんて、あり得なくね?
ざまぁされること必至じゃね?
でも、学園入学は来年だ。まだ間に合う。そうだ、隣国に移住しよう……問題ないな、うん!
「おのれぇぇ! 公爵令嬢たる我が娘を断罪するとは! 許さぬぞーっ!」
余裕ぶっこいてたら、おヒゲが素敵な公爵(41)が突進してきた!
え? え? 公爵もゲーム情報キャッチしたの? ぎゃぁぁぁ!
【ヒロインの父親】vs.【悪役令嬢の父親】の戦いが始まる?
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
テンプレな異世界を楽しんでね♪~元おっさんの異世界生活~【加筆修正版】
永倉伊織
ファンタジー
神の力によって異世界に転生した長倉真八(39歳)、転生した世界は彼のよく知る「異世界小説」のような世界だった。
転生した彼の身体は20歳の若者になったが、精神は何故か39歳のおっさんのままだった。
こうして元おっさんとして第2の人生を歩む事になった彼は異世界小説でよくある展開、いわゆるテンプレな出来事に巻き込まれながらも、出逢いや別れ、時には仲間とゆる~い冒険の旅に出たり
授かった能力を使いつつも普通に生きていこうとする、おっさんの物語である。
◇ ◇ ◇
本作は主人公が異世界で「生活」していく事がメインのお話しなので、派手な出来事は起こりません。
序盤は1話あたりの文字数が少なめですが
全体的には1話2000文字前後でサクッと読める内容を目指してます。
巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する
高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。
手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる