20 / 47
第三夜
真夜中の水音
しおりを挟む
真夜中 23:30
そろそろ、十二時近い時刻だ。
執事さんが慈悲の短剣を携えてノックする、その時が近づいてきていた。
俺は引き出しの底に情報を刻み込む手を止めるとそっと自室の扉を開け、シャッター付きのランプを持って廊下に音もなく滑り出る。教授に気取られないように足音を忍ばせるのは、今や特技となっていた。それがこんな形で役立つと思わなかった。
この屋敷は夜になるとやたらと暗くなり、ランプなしでは歩くこともままならない。なぜこんな時間に部屋の外に出るかと言われると…単なる意地、だったりする。
今までは自室にいるところで殺されてきたのだから、いっそ部屋の外でやり過ごしてやろうと言う抵抗の仕方を選択してみたわけだ。ただ…どこに行こうかというと、図書室くらいしか…いや、待てよ?
晩餐の席で聞いた、中庭はどうだ?
玄関の時計が、その時十二回鳴り響く。もう一刻の猶予もない。一瞬で心は決まった。階段をそっと降りてすぐ裏側の扉を…。
「?」
妙な、音が聞こえる…それも二つも。
一つは、低い呻き声のような…? 地の底から這い出るような、男の声だろうか。 地下室? そんなものがあっただろうか? もしかしたら、見つけていないだけで存在はするのかもしれないけれど。
まさか、そこに居るのは今までにここに来て殺され続けた人々だろうか?
そしてもう一つは…水の音、のような…。
外の雨音とは質が違う、湿った足音。少しずつ少しずつ、こちらに近づいてきているような…。
ずるり、ぴちゃ…ずるり、ぴちゃ…ずるり、ぴちゃ…ずるずるずる、ぴちゃん…びちゃ、ずる…ずるずる、びちゃ…ずるり、ぴちゃん…びちゃびちゃ…ずるずる…ぴちゃん…。
水浸しの足音は、こっちに近づいて来て居る。俺は慌ててランプのシャッターを閉めて物陰に息をひそめた。
視界は完全な闇、恐怖が具現化したかのような物音に背筋が粟立つ。潜めたい息が、我知らず乱れる。
あれは、生きた者が決して遭遇してはならないものだ。
本能的にそう悟る。唐突に俺は思い出した。引き出しの中の一文。
『屋敷を徘徊する…に、殺られる…』
あれは、この現象のことを指していたということか?
地下からと思われる、男のうめき声がさらに大きく玄関に響き渡った。そうだ、扉…。この、背後にある扉から出れば…。やり過ごせるだろうか?
ずるずる…ぴちゃん、ずる…ずるずる…ぴちゃ、ぴちゃ…ずる、ぴちゃ…ぴちゃ…ずる…
本能的な恐怖に喝を入れ、震える手で扉を開けようとする…その時だった。
「逃がさない…」
廊下をさまよう『それ』が、くぐもった声を発した。喉が、ひゅっと音を立てる。闇に慣れて来た目が、『それ』をとらえる。一気に全身から、血の気が引くのがわかった。
白い、人影…?
暗い中でも、はっきりとわかる。白い影は朧げなのに、その中の目だけが燃えるように赤く光っている。
「逃がさない…」
ひどくゆっくりとした歩み。背後の扉を開けて中庭に駈け込めばなんとかなる…そう思えるのに。
足が…身体が…いうことを聞かない…!
「逃がさない…」
近づいてくる、人影。這いずるようにゆっくりと。しかし、俺の身体は動けない。
しっかりしろ! 必ず帰ると、誓っただろうが!
ティアラの笑顔を思い浮かべて、気合いを入れる。動かない手を無理に動かして、ドアノブを握る…開いた!
扉の先には、さらに黒々とした不吉な闇が広がっていた。ここまで来たら、引き返せない。
…たとえ再び、襲いくる死の運命は覆せなくても。
そろそろ、十二時近い時刻だ。
執事さんが慈悲の短剣を携えてノックする、その時が近づいてきていた。
俺は引き出しの底に情報を刻み込む手を止めるとそっと自室の扉を開け、シャッター付きのランプを持って廊下に音もなく滑り出る。教授に気取られないように足音を忍ばせるのは、今や特技となっていた。それがこんな形で役立つと思わなかった。
この屋敷は夜になるとやたらと暗くなり、ランプなしでは歩くこともままならない。なぜこんな時間に部屋の外に出るかと言われると…単なる意地、だったりする。
今までは自室にいるところで殺されてきたのだから、いっそ部屋の外でやり過ごしてやろうと言う抵抗の仕方を選択してみたわけだ。ただ…どこに行こうかというと、図書室くらいしか…いや、待てよ?
晩餐の席で聞いた、中庭はどうだ?
玄関の時計が、その時十二回鳴り響く。もう一刻の猶予もない。一瞬で心は決まった。階段をそっと降りてすぐ裏側の扉を…。
「?」
妙な、音が聞こえる…それも二つも。
一つは、低い呻き声のような…? 地の底から這い出るような、男の声だろうか。 地下室? そんなものがあっただろうか? もしかしたら、見つけていないだけで存在はするのかもしれないけれど。
まさか、そこに居るのは今までにここに来て殺され続けた人々だろうか?
そしてもう一つは…水の音、のような…。
外の雨音とは質が違う、湿った足音。少しずつ少しずつ、こちらに近づいてきているような…。
ずるり、ぴちゃ…ずるり、ぴちゃ…ずるり、ぴちゃ…ずるずるずる、ぴちゃん…びちゃ、ずる…ずるずる、びちゃ…ずるり、ぴちゃん…びちゃびちゃ…ずるずる…ぴちゃん…。
水浸しの足音は、こっちに近づいて来て居る。俺は慌ててランプのシャッターを閉めて物陰に息をひそめた。
視界は完全な闇、恐怖が具現化したかのような物音に背筋が粟立つ。潜めたい息が、我知らず乱れる。
あれは、生きた者が決して遭遇してはならないものだ。
本能的にそう悟る。唐突に俺は思い出した。引き出しの中の一文。
『屋敷を徘徊する…に、殺られる…』
あれは、この現象のことを指していたということか?
地下からと思われる、男のうめき声がさらに大きく玄関に響き渡った。そうだ、扉…。この、背後にある扉から出れば…。やり過ごせるだろうか?
ずるずる…ぴちゃん、ずる…ずるずる…ぴちゃ、ぴちゃ…ずる、ぴちゃ…ぴちゃ…ずる…
本能的な恐怖に喝を入れ、震える手で扉を開けようとする…その時だった。
「逃がさない…」
廊下をさまよう『それ』が、くぐもった声を発した。喉が、ひゅっと音を立てる。闇に慣れて来た目が、『それ』をとらえる。一気に全身から、血の気が引くのがわかった。
白い、人影…?
暗い中でも、はっきりとわかる。白い影は朧げなのに、その中の目だけが燃えるように赤く光っている。
「逃がさない…」
ひどくゆっくりとした歩み。背後の扉を開けて中庭に駈け込めばなんとかなる…そう思えるのに。
足が…身体が…いうことを聞かない…!
「逃がさない…」
近づいてくる、人影。這いずるようにゆっくりと。しかし、俺の身体は動けない。
しっかりしろ! 必ず帰ると、誓っただろうが!
ティアラの笑顔を思い浮かべて、気合いを入れる。動かない手を無理に動かして、ドアノブを握る…開いた!
扉の先には、さらに黒々とした不吉な闇が広がっていた。ここまで来たら、引き返せない。
…たとえ再び、襲いくる死の運命は覆せなくても。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
オカルティック・アンダーワールド
アキラカ
ホラー
とある出版社で編集者として働く冴えないアラサー男子・三枝は、ある日突然学術雑誌の編集部から社内地下に存在するオカルト雑誌アガルタ編集部への異動辞令が出る。そこで三枝はライター兼見習い編集者として雇われている一人の高校生アルバイト・史(ふひと)と出会う。三枝はオカルトへの造詣が皆無な為、異動したその日に名目上史の教育係として史が担当する記事の取材へと駆り出されるのだった。しかしそこで待ち受けていたのは数々の心霊現象と怪奇な事件で有名な幽霊団地。そしてそこに住む奇妙な住人と不気味な出来事、徐々に襲われる恐怖体験に次から次へと巻き込まれてゆくのだった。
逢魔ヶ刻の迷い子2
naomikoryo
ホラー
——それは、封印された記憶を呼び覚ます夜の探索。
夏休みのある夜、中学二年生の六人は学校に伝わる七不思議の真相を確かめるため、旧校舎へと足を踏み入れた。
静まり返った廊下、誰もいないはずの音楽室から響くピアノの音、職員室の鏡に映る“もう一人の自分”——。
次々と彼らを襲う怪異は、単なる噂ではなかった。
そして、最後の七不思議**「深夜の花壇の少女」**が示す先には、**学校に隠された“ある真実”**が眠っていた——。
「恐怖」は、彼らを閉じ込めるために存在するのか。
それとも、何かを伝えるために存在しているのか。
七つの怪談が絡み合いながら、次第に明かされる“過去”と“真相”。
ただの怪談が、いつしか“真実”へと変わる時——。
あなたは、この夜を無事に終えることができるだろうか?
逢魔ヶ刻の迷い子
naomikoryo
ホラー
夏休みの夜、肝試しのために寺の墓地へ足を踏み入れた中学生6人。そこはただの墓地のはずだった。しかし、耳元に囁く不可解な声、いつの間にか繰り返される道、そして闇の中から現れた「もう一人の自分」。
気づいた時、彼らはこの世ならざる世界へ迷い込んでいた——。
赤く歪んだ月が照らす異形の寺、どこまでも続く石畳、そして開かれた黒い門。
逃げることも、抗うことも許されず、彼らに突きつけられたのは「供物」の選択。
犠牲を捧げるのか、それとも——?
“恐怖”と“選択”が絡み合う、異界脱出ホラー。
果たして彼らは元の世界へ戻ることができるのか。
それとも、この夜の闇に囚われたまま、影へと溶けていくのか——。
鈴落ちの洞窟
山村京二
ホラー
ランタンの灯りが照らした洞窟の先には何が隠されているのか
雪深い集落に伝わる洞窟の噂。凍えるような寒さに身を寄せ合って飢えを凌いでいた。
集落を守るため、生きるために山へ出かけた男たちが次々と姿を消していく。
洞窟の入り口に残された熊除けの鈴と奇妙な謎。
かつては墓場代わりに使われていたという洞窟には何が隠されているのか。
夫を失った妻が口にした不可解な言葉とは。本当の恐怖は洞窟の中にあるのだろうか。
Catastrophe
アタラクシア
ホラー
ある日世界は終わった――。
「俺が桃を助けるんだ。桃が幸せな世界を作るんだ。その世界にゾンビはいない。その世界には化け物はいない。――その世界にお前はいない」
アーチェリー部に所属しているただの高校生の「如月 楓夜」は自分の彼女である「蒼木 桃」を見つけるために終末世界を奔走する。
陸上自衛隊の父を持つ「山ノ井 花音」は
親友の「坂見 彩」と共に謎の少女を追って終末世界を探索する。
ミリタリーマニアの「三谷 直久」は同じくミリタリーマニアの「齋藤 和真」と共にバイオハザードが起こるのを近くで目の当たりにすることになる。
家族関係が上手くいっていない「浅井 理沙」は攫われた弟を助けるために終末世界を生き抜くことになる。
4つの物語がクロスオーバーする時、全ての真実は語られる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる