果てなき輪舞曲を死神と

杏仁霜

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第一夜

淀みゆく絵画

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昼 13:00

執事さんの勢いに飲まれるように、俺はそのまま一階の図書室に案内された。想像以上の蔵書量で、ここになら何日でもいられる気がする。歴史書、文学、料理に経済学。どれを取っても素晴らしい! 
 図書室の鍵はフクロウのレリーフで飾られていた。ちなみに俺にあてがわれた部屋は、猫のレリーフが施されている。どちらも扉にそれぞれの動物レリーフで対応しているようだ。同じように来客がよくある屋敷なのだろうか? だから、こういう工夫があるのだろうな。

 気づけば時は正午を回っていたらしい。執事さんが昼食に誘ってくれた。
 その道すがら、通りすがりの玄関先に大きな絵が飾ってあることに気づいて足が止まった。
 
 癖のない美しい金髪に、澄んだ青い瞳。左目の目元にあるほくろまで書き込まれた、精緻な肖像画だ。豪華な椅子に腰掛けて儚げに微笑む若い女性の姿。一瞬シュゼット嬢かとも思ったが、額縁の隅に五十年前の日付があった。それなら、よく似た身内…祖母あたりだろうか?
「いかがなさいました?」
 ふと見ると、執事さんが戻ってきていた。途中で足を止めた俺に気づいたのだろう。この絵の女性のことを尋ねると「もう随分前にお亡くなりになられた、この屋敷の女主人の肖像です」という答えが返ってきた。ここの家系は、代々美人が多いのだろうな。背景を抑えめな色調でまとめている分、肖像が浮き上がるように見える。
「美しい方ですね」
 素直な感想をこぼすと、執事さんは目を伏せて悲しげに答える。
「ええ、とても。しかし、美しいことが幸せとは限りません」
  彼は、見たところ六十代を越したところに思える。もしかしたら、この絵の彼女が若い頃からここに仕えていたのかもしれない。ということは、彼女が辿ったであろう人生に寄り添っていたとしてもおかしくない。
 そこまで考えて、俺はかぶりを振った。いけない、余計な詮索だな。


 昼食をすませると、執事さんに許可をもらい屋敷の中を歩いて見ることにした。あちこちにかけてある絵画の魅力に抗えなかったのだ。さながら小さな美術館の気分で、風景画、静物画などの作品に見入る。専属の絵師さんでもいたのだろうか、全て同じような精密で繊細なタッチで描かれている。駆け出し学者として変人教授に付き合わされているが、その関係で絵画や芸術に触れる機会が格段に増えていたのは思わぬ幸運だった。お陰で絵画の良し悪しは、少しはわかるつもりだ。

 ふと見ると絵画に紛れて、ケース入りの一振りの短剣が展示してあった。玄関の真正面の壁沿いにさりげなく置かれている。ぐるりと廻ってみなくては、見落としていただろう。
 優美な装飾が施してあるが、よく見ると実用的でもあるデザインだ。全体に十字架をモチーフにしてあるようで、鞘には装飾に紛れるように綺麗な文字が刻まれている。

『慈悲の短剣』

 …? 確か、昔の戦場で使われたという物か? 絵画に紛れているにしては、随分と異質な。しかしよく見れば、この細工は美術品と見えなくもないが…。しかし、武器に『慈悲』とつけるとはどういう意味だったろうか? 思い出せないもどかしさ。まだまだ未熟だな、見習いとはいえ学者の端くれだというのに…。


 しかし…妙だ。図書館にいた時から違和感があったのだが、ここにはほとんど人の気配がないのだ。こんなに広いお屋敷で、これほどまでに人が少ないとは…。シュゼット嬢と執事さん、今日見た人物はそれだけだった。不思議なことだ…この広いお屋敷は、細部まで掃除が行き届いている。いくら執事さんが有能でも、一人でどうにかできる広さではないはずなのに。
 窓から外を眺めると、相変わらず激しい雨が窓を叩いているようだった。周りは森に囲まれているせいか昼でも薄暗く、空気も淀んでいる。俺を追い回した狼の群れは、まだ近くにいるのだろうか? そしてここに住むシュゼット嬢や執事さんは、不便でも危険でもないのだろうか?

 俺は再び視線を絵画に戻した。全てが明るい色調ばかりではない。というよりも奥に進むにつれ、暗く淀んだ作風になっていく気がする。
 玄関にかかっていた肖像画は別として、その周辺の絵は輝くような色彩が鮮やかに描かれている。庭のブランコに犬と戯れる少女、雨上がりの虹や家族の肖像。健やかに成長した少女は美しく微笑み、やがて婚約者らしき青年と寄り添い、婚礼の衣装をまとって…。幸せを象徴する絵画はそこまでのようだ。
 それが、少し奥に進むと趣が変わってくるのだ。 不吉さを感じられる赤い空、微笑む家族の背景には羽を広げた悪魔のような影…。幸せだったはずの家族に、一体何があったんだろうか? 
 さらに奥に進むと、作風はもっと淀んで歪みさえ感じられるものになる。
 少女に覆いかぶさるように描かれた抽象的な闇。泣き顔。嵐に悪魔。墜落する、翼を折られた天使。なんなんだろう? あまりの作風のギャップに、画家が代わったかとも思ったが、特徴的なタッチはそのままだ。ということは、
家族に何か起きたか、そうでなければ画家が精神を病んだか? そこまで考えて思い当たることがあった。
 そうだ、さっきの執事さんの言葉。

『美しいことが、幸せと限りません』

  その絞り出すような言葉は、いやでも印象に残る。画家ではなく、家族に何かが起きたのだ。

執事さんに聞いてみようか? いや、あまり踏み込むのも気が引ける。こうなって来ると、自分の好奇心…目の前に謎があると解かずにいられない性分が恨めしい。だからこそ、学者なんて面倒な上に割りに合わない道に進んでしまったのだが。
「進むべき道を間違えたかな?」
 ひとりごちると、俺は絵画の通路に再び足を向けた。ここから読み取れる物語もあるだろう。
 どの道、この嵐が収まらないと外には出られないわけだし。断片的に推理するのも悪くない。
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