果てなき輪舞曲を死神と

杏仁霜

文字の大きさ
上 下
2 / 47
第一夜

慈悲の短剣

しおりを挟む
 ムハマド・ラディフ王の顔はただひたすらに歪んでいた。

 目の前には隻眼の金髪の男がその様子をうかがっている。それが先程まで相手をしていた地球のニュースキャスターならいい。とりあえず強気の発言を繰り返せばそれなりの歓心を引くことができる。だがその相手がゲルパルト大統領カール・シュトルベルクが相手となると話は違った。

「この条件が最低のラインじゃ……これ以上は譲れん」 

 目の前に出されたのは遼州同盟としての西モスレムの遼北国境ラインまでに厚さ10キロの緩衝地帯をもうけるという案だった。間の兼州河(けんしゅうこう)の中州を巡る今回の軍事衝突。緩衝地帯をもうけるという案は理解できないわけではない。だが彼が煽った世論はそのような妥協を許す状況には無かった。

 緩衝地帯ではなく、武装制限地域として駐留軍を駐在し続けること。せめてその程度の妥協をしてもらわなければ王の位すら危うい。ラディフの意識にはその一点ばかりがちらついていた。

「武装制限……ずいぶんと中途半端な」 

 薄ら笑いを浮かべてるシュトルベルクを見て彼の妹かあの憎らしいムジャンタ・ラスコーこと憎き司法局実働部隊の隊長、嵯峨惟基の妻だったことを思い出す。

『類は友を呼ぶとはこのことじゃわい』 

 そんな思いがさらに王の顔をゆがめた。シュトルベルグの隣に座ったアラブ連盟から派遣された宗教指導者は、ただシュトルベルグの説明にうなづくばかりでラディフの苦悩など理解しているようには見えない。

「武装を制限することで衝突の被害を最小にとどめるというのも悪くないが……後ろに核の脅しがあれば意味はないですなあ……」

 シュトルベルグの隣に座った少し小柄のイスラム法学者はあごひげをなでながらつぶやく。まるで異教徒の肩を持つような言葉遣いにさらにラディフの心は荒れた。

「譲れぬものと譲れないものがある……国家というものにはそう言うものがあるのは貴殿もご存じと思うが?」 

 絞り出したラディフの言葉にシュトルベルグが浮かべたのは冷笑だった。その様は明らかにあのラスコーとうり二つだった。

「実を取るのが国家運営の基礎。私はそう思っていますが……名に寄りすぎた国は長持ちしない。ゲルパルトの先の独裁政権。胡州の貴族制度。どちらもその運命は敵として軍を率いて戦ったあなたならご存じのはずだ」 

 皮肉だ。ラディフはシュトルベルグの意図がすぐに読めた。嵯峨は胡州軍の憲兵上がり、シュトルベルグもゲルパルト国防軍の遼南派遣軍の指揮官だったはずだ。二人ともラディフの軍と戦い、そして敗れ去った敗軍の将。そして今はこうしてラディフを苦しめて悦に入っている。

『意趣返し』

 そんな言葉が頭をよぎった。

 それが思い過ごしかも知れなくても、王として常に強権を握ってきたラディフには我慢ならない状況だった。

「それはキリスト教国の話で……」 

「なるほど……それではイスラム教国では通用しない話だと?」 

 シュトルベルグはそのまま隣に座ったイスラム法学者を眺める。注目され、そして笑みでラディフを包む。

「これは妥協ではなく災厄を避ける義務と考えますが……核の業火に人々が焼かれること。それこそが避けられなければならない最大の問題だと」 

 その小柄なイスラム法学者の言葉はラディフの予想と寸分違わぬものだった。所詮目の前の老人も他国の人なのだ。そう思いついたときにはラディフの隣の弟アイディードや叔父フセインの表情もシュトルベルグの意図を汲んで自分に妥協を迫るような視線を向けていることに気づいた。

「首長会に……かけてみる必要がありそうだな」 

 まさに苦渋の一言だった。

 首長会を開けば事態を悪化させた彼への突き上げが反主流派の首長から出るのは間違いなかった。この場にいる彼の親類縁者もまたその派閥に押されてラディフ非難を始めることだろう。だが時間が無かった。ほかの選択は無い。

「ところで……遼北の説得はどうなのかね」

 気分を換えようとラディフは目の前で笑みを浮かべる大統領に声をかけてみた。

「あちらは素直に非武装の線で呑んだそうですよ……市民の自暴自棄な暴言がネットの切断で止まっている今なら大胆な妥協が出来る……そう踏んだんだと思いますが」 

 シュトルベルグの言葉をラディフはとても鵜呑みには出来なかった。あちらに向かった使者はラスコーの義理の兄である西園寺義基だ。こいつも喰えない奴なのは十分知っていた。

「一党独裁体制はうらやましいものだな……我々は簡単には妥協できない」 

「絶対王政の方が自由がきくように見えますがいかがでしょうか?」 

 ああ言えばこう言う。またもラディフは出鼻をくじかれた。どうにも腹の中が煮えくりかえる感情が顔に出ているのが分かってくると気分が悪くなる。隣のアイディードは腹違いでどうにも気に入らない弟だがそれでもこれほどまでにラディフを腹立たせたことなど無い。

「ワシの王政はそれほど絶対的なものでは無いと思うのじゃが……のう」 

 左右を見て同意を求めてみる。そこにはあからさまに浮ついた笑みが並んでいる。

『どいつも……馬鹿にしおって』 

 叫びたい衝動に駆られるのを必死で耐えるラディフ。

「破滅は避けられそうなんですから……そんなに顔をこわばらせる必要は無いんじゃないですか?」 

 シュトルベルグのとどめの一言だった。ラディフは怒りに駆られて立ち上がっていた。

 不敵に激情に駆られた王をあざ笑うシュトルベルグ。驚いたようにあんぐりと口を開け、ターバンに手を当てるイスラム法学者。

「少しばかり外の空気を吸ってきたいと思うのじゃが……」

「どうぞ。ただ急いでいただきたいものですな……状況は一刻を争う」 

 皮肉を言い始めたらおそらくとどまることを知らないだろうシュトルベルグの口から放たれた言葉に思わずラディフは怒りの表情をあらわにしながらそのままテーブルに背を向けて会議場を後にするしかなかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

人の目嫌い/人嫌い

木月 くろい
ホラー
ひと気の無くなった放課後の学校で、三谷藤若菜(みやふじわかな)は声を掛けられる。若菜は驚いた。自分の名を呼ばれるなど、有り得ないことだったからだ。 ◆2020年4月に小説家になろう様にて玄乃光名義で掲載したホラー短編『Scopophobia』を修正し、続きを書いたものになります。 ◆やや残酷描写があります。 ◆小説家になろう様に同名の作品を同時掲載しています。

逢魔ヶ刻の迷い子

naomikoryo
ホラー
夏休みの夜、肝試しのために寺の墓地へ足を踏み入れた中学生6人。そこはただの墓地のはずだった。しかし、耳元に囁く不可解な声、いつの間にか繰り返される道、そして闇の中から現れた「もう一人の自分」。 気づいた時、彼らはこの世ならざる世界へ迷い込んでいた——。 赤く歪んだ月が照らす異形の寺、どこまでも続く石畳、そして開かれた黒い門。 逃げることも、抗うことも許されず、彼らに突きつけられたのは「供物」の選択。 犠牲を捧げるのか、それとも——? “恐怖”と“選択”が絡み合う、異界脱出ホラー。 果たして彼らは元の世界へ戻ることができるのか。 それとも、この夜の闇に囚われたまま、影へと溶けていくのか——。

逢魔ヶ刻の迷い子2

naomikoryo
ホラー
——それは、封印された記憶を呼び覚ます夜の探索。 夏休みのある夜、中学二年生の六人は学校に伝わる七不思議の真相を確かめるため、旧校舎へと足を踏み入れた。 静まり返った廊下、誰もいないはずの音楽室から響くピアノの音、職員室の鏡に映る“もう一人の自分”——。 次々と彼らを襲う怪異は、単なる噂ではなかった。 そして、最後の七不思議**「深夜の花壇の少女」**が示す先には、**学校に隠された“ある真実”**が眠っていた——。 「恐怖」は、彼らを閉じ込めるために存在するのか。 それとも、何かを伝えるために存在しているのか。 七つの怪談が絡み合いながら、次第に明かされる“過去”と“真相”。 ただの怪談が、いつしか“真実”へと変わる時——。 あなたは、この夜を無事に終えることができるだろうか?

オカルティック・アンダーワールド

アキラカ
ホラー
とある出版社で編集者として働く冴えないアラサー男子・三枝は、ある日突然学術雑誌の編集部から社内地下に存在するオカルト雑誌アガルタ編集部への異動辞令が出る。そこで三枝はライター兼見習い編集者として雇われている一人の高校生アルバイト・史(ふひと)と出会う。三枝はオカルトへの造詣が皆無な為、異動したその日に名目上史の教育係として史が担当する記事の取材へと駆り出されるのだった。しかしそこで待ち受けていたのは数々の心霊現象と怪奇な事件で有名な幽霊団地。そしてそこに住む奇妙な住人と不気味な出来事、徐々に襲われる恐怖体験に次から次へと巻き込まれてゆくのだった。

田舎のお婆ちゃんから聞いた言い伝え

菊池まりな
ホラー
田舎のお婆ちゃんから古い言い伝えを聞いたことがあるだろうか?その中から厳選してお届けしたい。

百一回目の解体新書

駄犬
ホラー
時間は鎹だ。往復を繰り返し学び育てられる、誰にも経験できない、経験させるつもりがない、唯一無二の解脱を皆様方にお見せしよう。

【完結】大量焼死体遺棄事件まとめサイト/裏サイド

まみ夜
ホラー
ここは、2008年2月09日朝に報道された、全国十ケ所総数六十体以上の「大量焼死体遺棄事件」のまとめサイトです。 事件の上澄みでしかない、ニュース報道とネット情報が序章であり終章。 一年以上も前に、偶然「写本」のネット検索から、オカルトな事件に巻き込まれた女性のブログ。 その家族が、彼女を探すことで、日常を踏み越える恐怖を、誰かに相談したかったブログまでが第一章。 そして、事件の、悪意の裏側が第二章です。 ホラーもミステリーと同じで、ラストがないと評価しづらいため、短編集でない長編はweb掲載には向かないジャンルです。 そのため、第一章にて、表向きのラストを用意しました。 第二章では、その裏側が明らかになり、予想を裏切れれば、とも思いますので、お付き合いください。 表紙イラストは、lllust ACより、乾大和様の「お嬢さん」を使用させていただいております。

タクシー運転手の夜話

華岡光
ホラー
世の中の全てを知るタクシー運転手。そのタクシー運転手が知ったこの世のものではない話しとは・・

処理中です...