3 / 47
第一夜
雨の森にて
しおりを挟む
なぜこうなってしまったのか…それはわからない。だが順を追って語っていこう。
それは、前々日の夕刻ごろに端を発する。
始まりは、夕闇が迫る雨の森をひた走っていた時だった…。
…雨は嫌いだ。
大事なものを、根こそぎ奪って流れてゆくから。
ちょうどこんな雨の日だったんだろう…俺から家族が去っていったのは。
俺は孤児院で育った。
育ての親であるシスター・リズからは、俺の家族は河川の氾濫による洪水で全員亡くなったと聞いている。つまり俺の家族は、雨に奪われたのだ。残されたのは俺一人。あとは首から下げている、サイズの合わない赤い石の指輪だけだ。顔も覚えていないが母親の形見だろうそれは、以来ずっと身に付けるようにシスターからは言いつけられていた。今では体の一部となっている。
俺はカシアン。
伸び気味の黒髪に黒瞳、母親似と思われる中性的な顔立ちの他は取り立てて特徴も思いつかない。一応の肩書きは二十歳を少し越したばかりの学者見習いなのだが、見習いというよりもただの下っ端といったほうが実像に近いだろう。現に今も上司である教授の命で書類を届けにいったところだ。たまたま生まれ育った孤児院がこの近くだったため『里帰りがてら、行ってくるといい』と言われて押し付けられたのだ。
しかし、妙だ。ここらあたりの森は知っている場所のはずなのに、ここがどこなのかわからなくなっている。…この年になって迷子になるとは思わなかった。昼なお暗い森は、時間の感覚を曖昧にさせる。
見上げた木々の隙間からほんの僅かに覗く雨雲が、だんだんと色合いを濃くしていく。そう時をおかずして、濃紺に変わっていくだろう。木が生い茂る森だからか、雨がそう激しく感じないのが救いだった。だが、ただそれだけ。
ふと、嫌なことを思い出した。同僚で友人でもあるオリバーが同じように書類を届けに行き、そのまま行方不明になっていると聞いた。他の同僚の見解は『教授の変人ぶりに嫌気がさして実家にでも逃げ帰ったんじゃないのか?』というのが共通の認識となっているが、その行方不明になった場所というのがこの辺りの森だったはず。まさか…この森の狼にでも襲われたんじゃないだろうな?
遠くからオオカミの遠吠えが聞こえてくる。気のせいだろうと思いたかったが、現実はそんなに甘くはなかった。遠くかすかな声が、今ははっきりと耳に届く。これは早く人里に…せめてオオカミを防げる小屋にでもたどり着かないと、明日の朝日を拝む前に奴らの腹の中に入ってしまう。
歩く速さが小走りから本気の走りに切り替わる。足元で跳ねる水の音がオオカミを呼び寄せないことを祈るばかりだ。
走って、走って…。
足を止めればすぐそばにオオカミの息遣いが聞こえる気がして、必死に走り続けた。決して臆病風に吹かれたわけではない。実際、オオカミの群れが近づいてくるのがわかる。遠吠えが近くなっている!
木々の向こうに、かすかに明かりが見えた気がした。あれが魔女の小屋だろうと誘いの鬼火だろうと、構うものか! 明かりが近くなってくる。助かる…これで助かる!
ふと、足元から地面の感覚が消失した。
しまった! 明かりに注目するあまり、足元の注意を怠ったか!
崖か何かを踏み外したか…そのまま俺は暗闇の中に落下していった。
あの変人教授…このまま死んだら、狼の腹の中からでも恨みの念を飛ばしてやる…!
その心の声が、俺の最後の記憶になった。
それは、前々日の夕刻ごろに端を発する。
始まりは、夕闇が迫る雨の森をひた走っていた時だった…。
…雨は嫌いだ。
大事なものを、根こそぎ奪って流れてゆくから。
ちょうどこんな雨の日だったんだろう…俺から家族が去っていったのは。
俺は孤児院で育った。
育ての親であるシスター・リズからは、俺の家族は河川の氾濫による洪水で全員亡くなったと聞いている。つまり俺の家族は、雨に奪われたのだ。残されたのは俺一人。あとは首から下げている、サイズの合わない赤い石の指輪だけだ。顔も覚えていないが母親の形見だろうそれは、以来ずっと身に付けるようにシスターからは言いつけられていた。今では体の一部となっている。
俺はカシアン。
伸び気味の黒髪に黒瞳、母親似と思われる中性的な顔立ちの他は取り立てて特徴も思いつかない。一応の肩書きは二十歳を少し越したばかりの学者見習いなのだが、見習いというよりもただの下っ端といったほうが実像に近いだろう。現に今も上司である教授の命で書類を届けにいったところだ。たまたま生まれ育った孤児院がこの近くだったため『里帰りがてら、行ってくるといい』と言われて押し付けられたのだ。
しかし、妙だ。ここらあたりの森は知っている場所のはずなのに、ここがどこなのかわからなくなっている。…この年になって迷子になるとは思わなかった。昼なお暗い森は、時間の感覚を曖昧にさせる。
見上げた木々の隙間からほんの僅かに覗く雨雲が、だんだんと色合いを濃くしていく。そう時をおかずして、濃紺に変わっていくだろう。木が生い茂る森だからか、雨がそう激しく感じないのが救いだった。だが、ただそれだけ。
ふと、嫌なことを思い出した。同僚で友人でもあるオリバーが同じように書類を届けに行き、そのまま行方不明になっていると聞いた。他の同僚の見解は『教授の変人ぶりに嫌気がさして実家にでも逃げ帰ったんじゃないのか?』というのが共通の認識となっているが、その行方不明になった場所というのがこの辺りの森だったはず。まさか…この森の狼にでも襲われたんじゃないだろうな?
遠くからオオカミの遠吠えが聞こえてくる。気のせいだろうと思いたかったが、現実はそんなに甘くはなかった。遠くかすかな声が、今ははっきりと耳に届く。これは早く人里に…せめてオオカミを防げる小屋にでもたどり着かないと、明日の朝日を拝む前に奴らの腹の中に入ってしまう。
歩く速さが小走りから本気の走りに切り替わる。足元で跳ねる水の音がオオカミを呼び寄せないことを祈るばかりだ。
走って、走って…。
足を止めればすぐそばにオオカミの息遣いが聞こえる気がして、必死に走り続けた。決して臆病風に吹かれたわけではない。実際、オオカミの群れが近づいてくるのがわかる。遠吠えが近くなっている!
木々の向こうに、かすかに明かりが見えた気がした。あれが魔女の小屋だろうと誘いの鬼火だろうと、構うものか! 明かりが近くなってくる。助かる…これで助かる!
ふと、足元から地面の感覚が消失した。
しまった! 明かりに注目するあまり、足元の注意を怠ったか!
崖か何かを踏み外したか…そのまま俺は暗闇の中に落下していった。
あの変人教授…このまま死んだら、狼の腹の中からでも恨みの念を飛ばしてやる…!
その心の声が、俺の最後の記憶になった。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
人の目嫌い/人嫌い
木月 くろい
ホラー
ひと気の無くなった放課後の学校で、三谷藤若菜(みやふじわかな)は声を掛けられる。若菜は驚いた。自分の名を呼ばれるなど、有り得ないことだったからだ。
◆2020年4月に小説家になろう様にて玄乃光名義で掲載したホラー短編『Scopophobia』を修正し、続きを書いたものになります。
◆やや残酷描写があります。
◆小説家になろう様に同名の作品を同時掲載しています。
逢魔ヶ刻の迷い子2
naomikoryo
ホラー
——それは、封印された記憶を呼び覚ます夜の探索。
夏休みのある夜、中学二年生の六人は学校に伝わる七不思議の真相を確かめるため、旧校舎へと足を踏み入れた。
静まり返った廊下、誰もいないはずの音楽室から響くピアノの音、職員室の鏡に映る“もう一人の自分”——。
次々と彼らを襲う怪異は、単なる噂ではなかった。
そして、最後の七不思議**「深夜の花壇の少女」**が示す先には、**学校に隠された“ある真実”**が眠っていた——。
「恐怖」は、彼らを閉じ込めるために存在するのか。
それとも、何かを伝えるために存在しているのか。
七つの怪談が絡み合いながら、次第に明かされる“過去”と“真相”。
ただの怪談が、いつしか“真実”へと変わる時——。
あなたは、この夜を無事に終えることができるだろうか?
オカルティック・アンダーワールド
アキラカ
ホラー
とある出版社で編集者として働く冴えないアラサー男子・三枝は、ある日突然学術雑誌の編集部から社内地下に存在するオカルト雑誌アガルタ編集部への異動辞令が出る。そこで三枝はライター兼見習い編集者として雇われている一人の高校生アルバイト・史(ふひと)と出会う。三枝はオカルトへの造詣が皆無な為、異動したその日に名目上史の教育係として史が担当する記事の取材へと駆り出されるのだった。しかしそこで待ち受けていたのは数々の心霊現象と怪奇な事件で有名な幽霊団地。そしてそこに住む奇妙な住人と不気味な出来事、徐々に襲われる恐怖体験に次から次へと巻き込まれてゆくのだった。
鈴落ちの洞窟
山村京二
ホラー
ランタンの灯りが照らした洞窟の先には何が隠されているのか
雪深い集落に伝わる洞窟の噂。凍えるような寒さに身を寄せ合って飢えを凌いでいた。
集落を守るため、生きるために山へ出かけた男たちが次々と姿を消していく。
洞窟の入り口に残された熊除けの鈴と奇妙な謎。
かつては墓場代わりに使われていたという洞窟には何が隠されているのか。
夫を失った妻が口にした不可解な言葉とは。本当の恐怖は洞窟の中にあるのだろうか。
出来損ないの世界
dadadabox
ホラー
朝目が目を覚まして見える景色は皆全く違う。
全員で同じ景色を見た時見える景色は同じだろうか。
もし、一人だけ違う景色を見るものがいれば人はその人をどう捉えるのだろうか。
人と違うかもしれない少年の物語です。
途中で修正が多々入ります。
【完結】大量焼死体遺棄事件まとめサイト/裏サイド
まみ夜
ホラー
ここは、2008年2月09日朝に報道された、全国十ケ所総数六十体以上の「大量焼死体遺棄事件」のまとめサイトです。
事件の上澄みでしかない、ニュース報道とネット情報が序章であり終章。
一年以上も前に、偶然「写本」のネット検索から、オカルトな事件に巻き込まれた女性のブログ。
その家族が、彼女を探すことで、日常を踏み越える恐怖を、誰かに相談したかったブログまでが第一章。
そして、事件の、悪意の裏側が第二章です。
ホラーもミステリーと同じで、ラストがないと評価しづらいため、短編集でない長編はweb掲載には向かないジャンルです。
そのため、第一章にて、表向きのラストを用意しました。
第二章では、その裏側が明らかになり、予想を裏切れれば、とも思いますので、お付き合いください。
表紙イラストは、lllust ACより、乾大和様の「お嬢さん」を使用させていただいております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる