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第五夜
幸せの絵画
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真夜中 24:30
執事さんの手引きでシュゼット嬢と会わずに出られる通路をくぐり、俺は再び図書室の隠し扉の前に立った。
ここの中には、何があるのだろうか? 罠を仕掛けてまで守るべき秘密…。
振り向いた先にいる、図書室の片隅でひっそりと息絶えた友の幻を振り返る。彼の分まで見届けよう…ただ、それだけを誓って。
天井からの石弓は、書棚に遮られて届かない。壁に薄く開いた隙間にそっと手を入れてこじ開ける。
背後で重い衝突音。結構な威力のものだったようで、書棚に矢が貫通していた。書棚を動かしていなければ、即死は免れなかっただろう。
ただ、何かが心に引っかかった。
俺の記憶が正しければ、オリバーも知恵が回るタイプだったはずだ…それもイタズラ方面で。
天井の罠に気づき書棚を動かすことは、当然考えて実行していたはず。
なら、なぜ彼は死んだのか…?
最大限の注意を払ってそっと内部に入る。思ったよりも軽い手応えで開く扉の内側は、先ほどの拷問室同様明かりが灯してあった。
生贄の美術館に、先ほどの拷問室。そして、この隠し扉…。
見せたいものがこの先にある。その意思表示のように俺には思えた。だがそれと同時に、見られたくないものでもある何かがここにあるに違いない。
そろり、そろりと歩を進める。
何かが、足に引っかかった。糸…?
直後、何かに足を払われて、床に転倒する!
「!」
倒れた俺の頭上を何かが飛ぶような擦過音。
強かに打ち付けた額を抑えつつ辺りを警戒しながら起き上がると、背後の壁に二本の矢が突き立っているのがわかった。足元にあった糸を引っかければ、矢が飛んで来るような罠が設置してあったようだ。
そうか、違和感の正体がわかった。
幻のオリバーは『真正面から』矢に射抜かれて事切れていた。ということは、扉の前で『背後から』石弓の矢に射抜かれたわけではなかったのだ。壁に刺さった矢をよく見れば、矢尻の先が変色している。…矢毒か…。オリバーも、これで…。
背筋に冷たい汗を垂らしつつ、俺は先に進む。
先ほどの足払いは、俺を助けてくれたのだろうか? 誰もいないように思えたが…?
「オリバー…? 助けてくれたのか?」
当然だが、答える者はいない。なんとなく口元に苦笑いを刻みながら、奥に踏み入った。
そして言葉を、失った。
そこにあったのは、今よりも少し大人びたシュゼット嬢が赤子を抱いている絵画だった。共に描かれた父親と同じ黒い瞳に、母親譲りの淡い金髪の赤子だ。
シュゼット嬢の手には結婚指輪と思しき、赤い石の指輪がある。そして彼女の肩を抱く旦那さんには青い指輪だ。
母親の美しい微笑みは慈愛に満ちて、何よりも大切な宝物を抱くかのよう。寄り添う父親は誇らしげに妻の肩を抱いている。
溢れる幸せを描き留めたように輝きに満ち、暖かな優しさに満ちた日々が伝わって来る。
これを…こんな幸せを領主の欲望に踏みにじられたのか…!
知らず、涙が頰を伝った。目の前の美しい絵画は、その末路を知った上で見るとこの上ない悲しみに彩られてしまう。
何事もなければ、そのまま穏やかな日々が続いていたであろう。だがその先にあったのは、恐怖と絶望、そして死だ。
彼女が…彼女が何をしたというのだ…!
すぐそばの棚には、様々な手記や手紙が重なっていた。手に取り開くと、さらに辛い物語が綴られていた。執事さんが書き連ねたものらしいそれは、無念と怒りと悲しみが詰まったものだった。
『長きにわたり領主が奥様を狙い続け、袖にされ続けてきたことを逆恨みしたのか強硬手段に出られてしまった。なんと、奥様が悪魔と通じていたという言い掛かりをつけてきたのだ。わざわざ聖職者まで抱き込んでの、手の込んだでっち上げになすすべもなく奥様はさらわれてしまった』
ああ…だからこその拷問室行きだったわけだ…。
遠くから、また今日も苦悶の唸り声が聞こえる。数限りなく繰り返す苦しみに満ちた死を与えられていたようだが、全く同情する気がしない。
『旦那様はエリザベスお嬢様を安全な場所に逃すべく、夜に紛れての脱出を図りました。安全な場所…やはり、かねてより奥様が懇意にされていた、かの場所でしょうか?』
…かの場所? この中の手記や手紙を見て、わかる場所だろうか?
俺は、この日記にしおりを挟むと赤子を逃がした施設について調べることにした。
少し罪悪感を覚えながら手紙の束を紐解くと、中から一枚の古びた写真が舞い落ちた。拾い上げて眺めて見ると、俺にも見覚えがある場所だ。いや、見覚えがあるどころじゃない。これは…この場所は…!
小さな町の外れにひっそりと立つ、静かな三角屋根。尖塔の先の小さな十字架に、畑も兼ねた前庭。入り口のアーチには、こう書かれていた。
『ライトミンスター 子供の家』
間違いない…俺が生まれ育った、あの孤児院だ…!
意外なところから転がり出た奇妙なつながりに、混乱しつつも手紙を読み漁る。
「…どういうことだ? あの孤児院で、絵画の赤子が育ったたということなのか?」
考えろ、思い出せ…! それなら、孤児院の中にあった名簿なり写真なりにその名が刻まれているはずだ…! ダイニングに飾られている、孤児院を巣立った者の手による絵画は数枚。そして、俺があの時撮影した写真が一枚…。
淡い金髪に黒い瞳、年代からして五十前後の女性…。名前は、エリザベス…。
そこまで考えて、俺は懐を探った。確か写真を見せたシュゼット嬢が、何かを言いかけていたじゃないか…!
執事さんは、あの写真を見ることでシュゼット嬢の母親としての記憶が蘇ることを危惧していたとすれば…俺が撮ったあの写真に、何かが写っているはずだ!
孤児院の建物を背景に、思い思いに並ぶ子供達。端で見守る牧師さんとシスターたち、孤児院の看板を掲げる巣立った青年たちや近隣から来てくれていた手伝いのおばさんたち。同じく巣立ったシスターたちやその見習い。そして微笑むティアラ…。
この中に、何か大きなヒントがある。だが、淡い金髪の持ち主はこの中にいなかったはず。どういうことだ?
執事さんの手引きでシュゼット嬢と会わずに出られる通路をくぐり、俺は再び図書室の隠し扉の前に立った。
ここの中には、何があるのだろうか? 罠を仕掛けてまで守るべき秘密…。
振り向いた先にいる、図書室の片隅でひっそりと息絶えた友の幻を振り返る。彼の分まで見届けよう…ただ、それだけを誓って。
天井からの石弓は、書棚に遮られて届かない。壁に薄く開いた隙間にそっと手を入れてこじ開ける。
背後で重い衝突音。結構な威力のものだったようで、書棚に矢が貫通していた。書棚を動かしていなければ、即死は免れなかっただろう。
ただ、何かが心に引っかかった。
俺の記憶が正しければ、オリバーも知恵が回るタイプだったはずだ…それもイタズラ方面で。
天井の罠に気づき書棚を動かすことは、当然考えて実行していたはず。
なら、なぜ彼は死んだのか…?
最大限の注意を払ってそっと内部に入る。思ったよりも軽い手応えで開く扉の内側は、先ほどの拷問室同様明かりが灯してあった。
生贄の美術館に、先ほどの拷問室。そして、この隠し扉…。
見せたいものがこの先にある。その意思表示のように俺には思えた。だがそれと同時に、見られたくないものでもある何かがここにあるに違いない。
そろり、そろりと歩を進める。
何かが、足に引っかかった。糸…?
直後、何かに足を払われて、床に転倒する!
「!」
倒れた俺の頭上を何かが飛ぶような擦過音。
強かに打ち付けた額を抑えつつ辺りを警戒しながら起き上がると、背後の壁に二本の矢が突き立っているのがわかった。足元にあった糸を引っかければ、矢が飛んで来るような罠が設置してあったようだ。
そうか、違和感の正体がわかった。
幻のオリバーは『真正面から』矢に射抜かれて事切れていた。ということは、扉の前で『背後から』石弓の矢に射抜かれたわけではなかったのだ。壁に刺さった矢をよく見れば、矢尻の先が変色している。…矢毒か…。オリバーも、これで…。
背筋に冷たい汗を垂らしつつ、俺は先に進む。
先ほどの足払いは、俺を助けてくれたのだろうか? 誰もいないように思えたが…?
「オリバー…? 助けてくれたのか?」
当然だが、答える者はいない。なんとなく口元に苦笑いを刻みながら、奥に踏み入った。
そして言葉を、失った。
そこにあったのは、今よりも少し大人びたシュゼット嬢が赤子を抱いている絵画だった。共に描かれた父親と同じ黒い瞳に、母親譲りの淡い金髪の赤子だ。
シュゼット嬢の手には結婚指輪と思しき、赤い石の指輪がある。そして彼女の肩を抱く旦那さんには青い指輪だ。
母親の美しい微笑みは慈愛に満ちて、何よりも大切な宝物を抱くかのよう。寄り添う父親は誇らしげに妻の肩を抱いている。
溢れる幸せを描き留めたように輝きに満ち、暖かな優しさに満ちた日々が伝わって来る。
これを…こんな幸せを領主の欲望に踏みにじられたのか…!
知らず、涙が頰を伝った。目の前の美しい絵画は、その末路を知った上で見るとこの上ない悲しみに彩られてしまう。
何事もなければ、そのまま穏やかな日々が続いていたであろう。だがその先にあったのは、恐怖と絶望、そして死だ。
彼女が…彼女が何をしたというのだ…!
すぐそばの棚には、様々な手記や手紙が重なっていた。手に取り開くと、さらに辛い物語が綴られていた。執事さんが書き連ねたものらしいそれは、無念と怒りと悲しみが詰まったものだった。
『長きにわたり領主が奥様を狙い続け、袖にされ続けてきたことを逆恨みしたのか強硬手段に出られてしまった。なんと、奥様が悪魔と通じていたという言い掛かりをつけてきたのだ。わざわざ聖職者まで抱き込んでの、手の込んだでっち上げになすすべもなく奥様はさらわれてしまった』
ああ…だからこその拷問室行きだったわけだ…。
遠くから、また今日も苦悶の唸り声が聞こえる。数限りなく繰り返す苦しみに満ちた死を与えられていたようだが、全く同情する気がしない。
『旦那様はエリザベスお嬢様を安全な場所に逃すべく、夜に紛れての脱出を図りました。安全な場所…やはり、かねてより奥様が懇意にされていた、かの場所でしょうか?』
…かの場所? この中の手記や手紙を見て、わかる場所だろうか?
俺は、この日記にしおりを挟むと赤子を逃がした施設について調べることにした。
少し罪悪感を覚えながら手紙の束を紐解くと、中から一枚の古びた写真が舞い落ちた。拾い上げて眺めて見ると、俺にも見覚えがある場所だ。いや、見覚えがあるどころじゃない。これは…この場所は…!
小さな町の外れにひっそりと立つ、静かな三角屋根。尖塔の先の小さな十字架に、畑も兼ねた前庭。入り口のアーチには、こう書かれていた。
『ライトミンスター 子供の家』
間違いない…俺が生まれ育った、あの孤児院だ…!
意外なところから転がり出た奇妙なつながりに、混乱しつつも手紙を読み漁る。
「…どういうことだ? あの孤児院で、絵画の赤子が育ったたということなのか?」
考えろ、思い出せ…! それなら、孤児院の中にあった名簿なり写真なりにその名が刻まれているはずだ…! ダイニングに飾られている、孤児院を巣立った者の手による絵画は数枚。そして、俺があの時撮影した写真が一枚…。
淡い金髪に黒い瞳、年代からして五十前後の女性…。名前は、エリザベス…。
そこまで考えて、俺は懐を探った。確か写真を見せたシュゼット嬢が、何かを言いかけていたじゃないか…!
執事さんは、あの写真を見ることでシュゼット嬢の母親としての記憶が蘇ることを危惧していたとすれば…俺が撮ったあの写真に、何かが写っているはずだ!
孤児院の建物を背景に、思い思いに並ぶ子供達。端で見守る牧師さんとシスターたち、孤児院の看板を掲げる巣立った青年たちや近隣から来てくれていた手伝いのおばさんたち。同じく巣立ったシスターたちやその見習い。そして微笑むティアラ…。
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