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3章
兄と弟と妹と(前) :緋桐
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議会は熱気を帯びていた。
むしろ悪い意味で狂熱的とすらいえるほどで、その熱の中心には一妃の父がいた。彼は第一王子の派閥の頭を務める男で、仁家の一つ火槍家の当主だ。
「第二王子殿下は如何様にして責任を取られるおつもりか!
確かに御本人は動かれていないようですが、
火箭家の姫が殿下の御為に動いたと証言が御座います。
殿下に全く咎が無いとはいきませぬぞ!」
仁家の当主という王族に次いで位の高い者の発言に、同じ派閥の下位の者たちが「そうだそうだ!」と続く。
「何を言うか! 今回のことは緋桐殿下に咎は無い!
そもそも証言をしたという商人が嘘をついていないと何故言えるのだ!
それに我が娘も珍しい小間物が到着予定だと商人から聞いて、
騙されて港に出かけたに過ぎん!」
「そうだ! その商人について当方が調べた所、
不調法を緋桐殿下に厳しく咎められ、勤めていた店からも見放された男!
つまり逆恨みをし、殿下を陥れる為に嘘の証言をしたと考えられるだろう!」
そう反論するのは火箭家の当主、そして俺の祖父に当たる狼火家の当主で、ともに第二王子の派閥の華族たちだ。ヒノモト国の慣習でいえば、一番武力に優れた者が王位に着くことになる。なので今までは自分達にこそ正統性があるという主張だったのだが、ここに来て急に雲行きが怪しくなってきたので必死だ。
「しかし第二王子殿下は平素から素行が少々悪ぅ御座いますから、
とても王の位に相応しいとは……」
途中で鼻で笑ってしまって言葉を途切れさせた一妃の父に、思わず国王陛下も眉をひそめた。ヒノモト国ではミズホ国や天都ほど身分に厳しくは無いのだが、流石に王族に向かって、しかも会議という仕事の最中にこの言動はありえない。俺自身は全て覚悟の上でそう装ってきたので、今更鼻で笑われようが蔑んだ視線を向けられようが気にはしない。だが兄者たちはそうではないようで、普段は温厚な兄者ですら顔を顰めてしまっている。
「火の極日に頻発した水の精霊力の異常も
精霊様が緋桐殿下に何か思う所があるせいではありませんか?」
「そんな訳がなかろう!
蒼の東宮妃様も、たまたま強い水の精霊様がお越しになっただけで、
決して悪い兆候ではないと仰っていたではないか!」
菖蒲様とその御一行は、俺が港に戻れた1刻後にボロボロの筏で港近くの砂浜に流れ着かれた。俺は事前に情報を貰っていたので、いち早くその場に駆けつけて菖蒲様を保護する事ができた。そして色々と思う所はあるものの、菖蒲様の依頼で沖で動けずにいる(らしい)船の拿捕も指示した。櫻嬢の気持ちを思えば、そのまま遭難してしまえば良いのにと思ってしまうが、立場上放置はできない。
その菖蒲様は民の不安をいち早く取り除くためと、水分だけ補給した後すぐさま水の神社へと向かわれて祈りを捧げてくださった。
伝え聞くとんでもない弟王は、姉姫を少しは見習えと言いたい。
その後も俺や兄者といった当事者を無視し、会議はどんどん加熱していく。
俺が求めているモノはこの国が平穏で有ること、そして豊かであることだ。我が国は他2国や天都に比べて寒さによる死者は少ないものの、何故か無の月に病によって倒れる者が多い。公的な支援や研究は当然ながら行っているが、それでも謎の病で命を落とす者の数は減らないし、原因究明も未だできていない。
また国民性というには色々と問題があるのだが、武術の地道な鍛錬は尊ぶというのに商人や農民、工人の日々の積み重ねを軽んじる傾向がある。ようは武人であれば無条件で尊敬されるし、武人でなければ問答無用で蔑まれてしまう。
それがあくまでも個人の思想や態度の話しというのならば、俺が口を挟む事ではない。ただ俺の価値観とは合わないと、付き合いを控えれば良いだけだ。だがそれが国家ともなれば話しは別で、極めて歪な国だと言わざるを得ない。武も文も、商や農や工も全て等しく国家にとって重要なのだから。
だからこそ今後は武力だけで国王を選ぶのではなく、全ての均衡を保てる者が王になるべきなのだ。父王にそう伝えたのは、俺がまだ子供の頃だった。その時に父王も、何だったら祖父もがそう思って動いていた事を知ったが、国の慣習を変えるには至らなかった。
何故なら我が国でも他国同様に王家が頂点に立ってはいるが、華族の……正確には各家の武将達の力がとても強くて無視は出来ないからだ。この国はもともと複数の有力な武家がそれぞれ独自の法で領地を収めていたが、対ミズホ国の為に手を組んだという歴史がある。その際に一番強い武人を頭領として指示系統を整えたのが、ヒノモト国家の始まりだ。だからこそ強い者が王となる慣習を変える事は、国家の成り立ちを揺るがすと猛反対を食らってしまう。衣食住といったことには柔軟な対応を見せる者ですら、武が絡む伝統に関してだけは一気に頑固になるのだ。
しかもたちが悪い事に、この保守思考な華族は俺の派閥にも当然多いが兄者の派閥でも主流派なのだ。なので兄者の優れた点を主張して王に推すのではなく、俺のいたらぬ点を指摘して、それよりは武では劣るが兄者のほうがマシだという推し方をする。なのでかなり昔ではあるが、
「お前たちは兄者の味方でも何でも無い!」
と思わず言ってしまった事があったのだが、それを「第二王子は王位に固執している」と曲解されてしまって泥沼な事態になってしまった事がある。アレ以来、俺は兄者の派閥には何も言わぬようにして、己の派閥には王位を狙う気が無い事を態度で示し続けた。明確な言葉にしなかったのは父王からの頼みで、しばらくの間は兄者の切磋琢磨の相手となってほしいと言われたからだ。
目の前で繰り広げられる言い争いに、だんだんと嫌気がさしてきた。
櫻嬢は大丈夫だろうか……。
もちろん物理的な傷は負わなかったはずなので、そういう意味での心配ではない。それこそ文字通り身を挺して鬱金殿が守りきった。そう俺ではなく鬱金殿が守ったのだ。そして鬱金殿は瀕死の重体となってしまった。解毒薬を飲ませることはできたが、あの傷では助かるかどうか……。その時の櫻嬢の悲しみを思うと、どうすれば良いのか解らなくなる。
今までも妖や賊の討伐で配下の者が帰らぬ人となったことはあったし、その家族の嘆きを間近で見たこともあった。その時も今と同じように俺の力が及ばなかった事を申し訳なく思いはしたのだが、今回のようにどうすれば良いのか解らなくなるなんて事はなかった。
(どうして櫻嬢だけ違うのだろう?
彼女がヒノモト国の出身ではない為、戦死を誉と思う文化を持たないからか?)
そんな事を考えていたら、
「聞いておられるのですか、緋桐殿下!!」
と火槍家当主が机をバンッと叩いて怒鳴ってきた。俺はそちらにチラリと視線を向けてから
「国王陛下、発言の許可を頂きとうございます」
と父王に向かって頭を下げる。議会は基本的には華族が自分の意見を忌憚なく言い合える場なので、国王に許可は求める必要は無い。それをあえてする理由は、俺の言葉を遮る事は国王の許可に異を唱えたという事になるぞという脅しだ。
「許す」
「ありがとうございます。
さて……貴卿らは私に責任があると言う。
では私はその責任を取って王室を離脱しようと思う。
あぁ、勘違いしないで頂きたいのは臣籍降下するということではない」
王室を離脱するといった途端に父王や兄者は目を見開き、会議場は水を打ったように静まりかえった。だが直ぐに火槍家当主が何かを言おうとしたのを、手と目で制して臣籍降下するのではないと続ける。
ちなみ貴卿とは公卿を尊ぶ呼び方で、我が国では公は各大臣を指し、卿は大臣以外の官吏や信家以上の華族を指す。まぁぶっちゃければ、今ここに居る者全員がソレにあたる。
「それから離脱は明日からって事で頼む。
そうでないと……」
そう言って懐剣を取り出す。こうやって懐剣を持つことが出来るのも王族の特権である以上、今直ぐ王室離脱をしてしまえば色々と不都合がある。
そうして懐から取り出した剣で髪を結わえていた紐を切り落とし、背中へと流れた自分の髪をひとまとめにして握ると、懐剣で一気に切り落とした。
「「緋桐!!!」」
父王と兄者が同時に俺の名前を呼び、発言を阻止された火槍家の当主すらも言葉無く呆然と俺を見ていた。
「お前は何を考えているんだ!!
髪を切り落とすということは、罪人という事だぞ!!」
兄者はそれ以上は言葉にならないようで、唇をワナワナと震わせて俺の短くなった髪をどうにか出来ないかと俺の頭を触りまくる。
「兄者、落ち着いてください。
ずっと、それこそ十を過ぎた頃からずっと考えていた事です。
国家間の大規模な戦が遠い昔の事となった今、
次の王には交渉力や調停力に優れた兄者こそが相応しいと。
俺は王となった兄者を近くで支えられたら良いな……と」
「ならば、ならば何故このようなことを!!」
「俺がここにいる限り、火種は燻り続けます。
たとえ俺がソレを望んでいなくとも……」
そう言って火箭家当主を含めた、俺の派閥の者達へと視線を移す。彼らに悪意が無い事は解っている。ただ伝統や慣習に則って、俺が王であるべきだと思っているだけだ。たが彼らのその思想に俺の意思は全く関係ないようで、反映どころか尊重すらしてもらえないが。
「それから兄者。これから王位を継ぐにあたり一つだけ忠告を。
兄者の良いところを見ようともせずに、
他者の足を引っ張って兄者の役にたったつもりでいる者を
重用するのは止めたほうが良いですよ」
誰のこととは言いませんが、と最後に付け加えてさっさと会議場を後にする。後ろで火槍家の当主を始め兄者の派閥の者たちが何か喚いていたが、そんなものは聞く価値もない。俺の派閥の者たちは呆然として言葉も無いようだが、少し間を置いて「お待ち下さい!」だとか「お考え直しください!」なんて叫び始めた。だが、待つ気も考え直す気もない。
自室に戻った途端、ずっと後ろで控えていた随身の柘榴がぶち切れた。
「殿下ぁ!! 何考えてるんですか!!」
「明日の朝日が昇れば、もう殿下ではなくなるぞ」
そう言いながら荷物をまとめる。最低限必要な肌着や、少しばかりの金を小袋にいれた。ここに有るものは王家の財産だから、本来なら最低限であっても持ち出すべきではないと思うが、肌着一式と2~3日分の食事代ぐらいは許してほしい。
「ふざけている場合ですか!! 殿下……いや、緋桐は言っていただろ!
ヤマト国の蒔蘿殿下のように、王太子を近くで支えたいと!
それに蒔蘿殿下が管理されている兵座を我が国にも導入したいと!」
乳兄弟であり幼馴染であり、そして一番の友人が俺の名前を呼ぶ。柘榴から呼び捨てにされるのは随分と久しぶりな気がする。
数年前、国王の巌桂陛下の退位に伴い、王太子だった連翹殿が国王へ即位し、双子の王子だった茴香殿が王太子に、そして蒔蘿殿が王太子の補佐に就任していた。今や大陸の新しい文化や流行を生み出す最先端の地となったヤマト国は見習う点がとても多く、少しでも我が国に合う形にして導入したいと思っていた。
「ソレを夢見ていたことも確かにあったな」
まるで大昔のことのように言うが、実のところ昨日までは計画を練っていた。だが今の俺にはその情熱が消えてしまったようで、
「柘榴、後はお前がやってくれ。
兄者にはちゃんと言っておくから」
と柘榴に丸投げしてしまう。兄者なら俺の随身や配下の者たちも、適材適所に配置換えをしてくれるだろう。兄者は相手の力量を見定めること、そしてその力を上手に引き出して使う事が得意なのだから。
そんな話しをしていたら部屋の入口が騒がしくなり、そちらを振り返るのと同時に頬をぶん殴られた。
「こ、この馬鹿者が! 軽率短慮にも程がある!!」
其処には息を切らした父王がいた。歴戦の武人だった父の拳はかなり痛いが、俺も武人の端くれらしくふらつくこと無く受け止める。ところがその父の背後という死角から兄者が急に現れたかと思ったら、今度は兄者に胸ぐらを掴み上げられ前後にガクガクと揺さぶられた。
「お前というやつはっっ!!!」
「あ、兄者、落ち着けっ」
揺さぶられている所為で舌を噛みそうになりながらも、なんとか兄者の腕を外した。ある意味父王よりも、兄者から受けた被害の方が大きい気がする。
「先日も言ったよな? 俺はずっと兄者が王になるべきだと思っていた。
それはここ数年で思ったことじゃない、ずっと小さい頃からだ」
「確かにソレは聞いたが……。だからってこんな急に」
「先ほどの足の引っ張りあいのような会議に嫌気がさしたってのが大きいが、
それ以上に俺は大切なモノを守りたい。
そのためには俺はここに居てはだめなんだ、ここに居ては守れないんだ」
俺が居ることで国が乱れるのなら、俺はこの国に居ないほうが良い。それに櫻嬢を守るという約束を、またしても果たせなかった。だからソレが果たせるまで、彼女の側に居たいとも思う。
「お前の髪は髢にするように保管させたんだが……」
「すまないな、兄者。だが、もうそれはいらない」
確かに今なら髪型が限定はされるが、切り落とした髪をつけ足せば今まで通りの生活に戻れるのかもしれない。しかしそれは俺の望む所ではない。
「二妃には……そなたの母には言ったのか?」
「母は常々、俺のやりたいようにやれば良いと言ってくれています。
幼い頃より王になりたいのならその為の助力を全力でするし
別のものになりたいのならその為の助力を全力でする……と。
母が望むのは俺が俺らしく生き、そして幸せであることだそうですよ」
本当にありがたいことに、母は母方祖父とは違って俺を王にしようとは思っていない。ただただ「俺らしくあれ」と言ってくれるだけだ。ただ好きにやったのなら、その責任は全て自分にあるという事を忘れるなとは常々言われていたが。
「そうか。……ならば私から言う事はない。
いや一つだけ。そなたが何処にいようと私の息子である事に変わりはない。
たまには顔を見せに参れ。それが無理なら手紙でも良い」
「父上様!!
駄目です、緋桐を引き止めてください!!」
父王は迷いつつも納得してくれたようだ。もしかしたらこういう事態を想定していたり、母と話し合ったりしていたのかもしれない。逆に兄者はどうしても納得できないようで、なおも食い下がる。俺がいないほうがすんなりと王位につけると思うのだが、兄者は王になりたくはないのだろうか??
そんな事を思ってから、ふと俺達兄弟には会話が足りないという櫻嬢の言葉を思い出した。俺は兄者が王になりたいのかなりたくないのか、それすら知らない。とても気を使う繊細な話題だから、あえて避けていたという事もあるのだが……。
「兄様!!!」
いきなり部屋に飛び込んできた皐月が、俺の胸に向かって突進してきた。父王や兄者とは違って、流石にこれは簡単に受け止められる。
「う、嘘ですよね? 兄様、は、また戯れを仰って」
「すまないな」
可哀想には思うが、皐月の言葉を遮ってから頭を撫でてやる。この妹は異母兄妹だというのに、同母兄妹のように俺を慕って、時に怒ってくれた。大切な大切な妹だ。その妹を悲しませるのは本意ではないが、それでも譲れない事もある。
「王家を出て、どうされるのですか!」
「ひとまずは吉野家に身を寄せようと思っている。
少々借りがあることだし、それを返すまでは」
そう言ってから、彼らの商談のことを思い出した。
「そうそう兄者、それから皐月。
今回の騒動で吉野家にも大変迷惑を掛けた事は知っているだろう?
だからこの先の取引でも、少しだけ、ほんの少しだけで良いから
吉野家を贔屓にしてやってくれ。
あっ、塩と太陽の熱で調理する器具は絶対にあった方が良いから、
この2つは何が何でも商談成立させたほうが良いぞ?」
「全くお前は……。あぁ、解った。
塩も燃料の代替え案も我が国にとっては重要な事だからな」
そう言うと、兄上は諦めたかのように寂しそうに笑った。
翌朝。朝一番の面会の時間にやってきた山吹と槐殿、そして兄者と俺は無事に商談を終えた。これが俺の王族としての最後の仕事だ。それを無事に終えた俺は、彼らといっしょに城を後にした。二人に俺も一緒に行くといったら「は?」と虚をつかれた顔をしていたが、とりあずは許可を得ることができた。
そして城を出る俺に、何故か兄者まで付いてきた。どうやら吉野家の持つ試作品の新しい塩の予備を受け取りに行くという名目で、俺を見送るつもりのようだ。そして皐月は最後まで顔を見せてはくれなかった。寂しいがそれだけ俺が皐月を怒らせてしまったということなので、甘んじてソレを受け入れる。
その道すがら、俺と兄者はいろんなことを話した。
例えば皐月が生まれたばかりの頃、その姿見たさに離宮に兄者といっしょに忍び込んだことや、生まれたばかりの赤子の小ささに驚いてしまって、近づけなくなってしまったことなど。あの時は皐月を壊してしまいそうで怖かったなんて、兄者と一緒に笑いあった。
もっと早くからこうやって話し合えば良かった……。
そう心から思ったのは、兄者の一言があったからだ。
「すまない。私は……私は、お前を大切に思っている。
思ってはいるが、同時に憎いと思ったこともある。
私には到底無理なことを事も無げにやってのけるお前が……」
「兄者……」
「すまない、本当にすまないと思うのに
私の中にはどうしてもお前が憎いと思ってしまう気持ちが消えないのだ」
辛そうに謝る兄者に、俺は言葉が出ない。俺は兄者を憎いと思ったことはないが、兄者の立場からすればそう思われても仕方がないということは解る。俺はただただ強くなることが好きだから鍛錬を続けてきたが、兄者からすればソレすら気に障った事だろう。
「御兄弟のお話に口を挟む御無礼をお許しください」
そう槐殿が馬を俺達の横に並べながら頭を下げた。本来ならば商人が王族の会話に加わるなんて許されないのだが、俺も城を出た時点で王族ではなくなっている。なので兄者は俺と話す為に、この行き路の間は身分を一切考慮しなくても良いと宣言してくれていた。
「私も梯梧殿下の気持ちがとても良くわかります。
私の場合は妹ですが、妹は特殊という言葉では説明しきれないぐらいに特殊で
吉野家の商品の大半は妹が発案しております。
他にも色々とあり、どうして妹だけ、妹ばかりと思ったこともございます」
「……その時、そなたはどう致した? また妹御は??」
「一度だけ、妹は覚えていないでしょうが幼い頃に喧嘩をした事がございます。
喧嘩と言いましても、私が一方的に妹を詰って家を飛び出したのですが、
そんな私を追いかけてきた妹と二人、崖から落ちそうになりました」
その言葉に兄者も俺も驚いてしまった。兄妹揃って相当危険な目にあってしまったのだろう、視界の端で山吹が何ともいえない神妙な顔をしている事からも察せられる。
「ですが妹は自分の身を顧みず、命がけで私を助けてくれたのです。
それ以来、私は妹には頭が上がりませんし、妹が何より大切になりました」
そう穏やかに話す槐殿。
「ですが心の奥底には妹を羨ましく、
そして恨めしく思う気持ちがどうしても小さく残るのです。
ですがそれを他人から言われたのならば
その相手を……まぁ端的に言えば殴ってしまうと思います。
梯梧殿下もそうではありませんか?」
「そう……か? そうなのか??」
どこか自信なさげな兄者に対し、槐殿は
「では試しに、“緋桐殿下は女性にだらしなく、
武はあるものの有意義に使えぬ愚か者だ!” ……答えが出たのでは?」
その槐殿の言葉に兄者の顔を見れば、眉間の縦筋がひどいことになっていた。
「これはとある方から教えられた言葉ですが、人は不完全な存在なので、
善いところ悪いところ両方あって当然なのだそうです。
人を憎いと思ってしまう気持ちも、そしてそれを良くない事だと思う気持ちも
人ならば当然なのだ……と。
そして同じ悪口でも他者が言えば腹立たしく感じるのは、
その相手の良いところを悪口以上に知っているからだそうですよ。
緋桐殿下は確かに訳あってのことではありますが女性問題が多い方です。
ですが身分の別け隔てなく優しく、責任感のある方です。
兄君である梯梧殿下ならば、もっともっと良いところをご存知でしょう?」
なんだか気恥ずかしい言葉が次々と出てきて、居心地が悪い。そんな俺とは逆に兄者は我が意を得たりとばかりに顔を輝かせた。
「そうだ。……あぁ、そうだな。
私は緋桐の良いところを沢山知っている。
だから自分の中の負の感情を余計に申し訳なく思ってしまうのだが、
それも不完全な人ならばこそで、
またソレを戒め抑えることができるのも人ならではなのだな」
「はい」
「ありがとう、良い言葉を聞いた」
そんな事を話しながらも俺達は港へと向かった。
吉野家の商談は先ほど仮契約まで済ませたので、一度ヤマト国にあるという家へと戻って、土の陰月の頃にもう一度現物を持ってヒノモト国に来て本契約となる。港に近づけば近づくほど言葉は少なくなり、港に入った頃には俺も兄者も何も言わなくなっていた。
そして最後に向かい合うと
「さて、……緋桐。別れの言葉は言わぬ。
行って来い、そして何時か満足したのなら帰ってこい」
「兄者。……あぁ、行って来る!」
そう言うと、俺は兄者に背を向けたのだった。
むしろ悪い意味で狂熱的とすらいえるほどで、その熱の中心には一妃の父がいた。彼は第一王子の派閥の頭を務める男で、仁家の一つ火槍家の当主だ。
「第二王子殿下は如何様にして責任を取られるおつもりか!
確かに御本人は動かれていないようですが、
火箭家の姫が殿下の御為に動いたと証言が御座います。
殿下に全く咎が無いとはいきませぬぞ!」
仁家の当主という王族に次いで位の高い者の発言に、同じ派閥の下位の者たちが「そうだそうだ!」と続く。
「何を言うか! 今回のことは緋桐殿下に咎は無い!
そもそも証言をしたという商人が嘘をついていないと何故言えるのだ!
それに我が娘も珍しい小間物が到着予定だと商人から聞いて、
騙されて港に出かけたに過ぎん!」
「そうだ! その商人について当方が調べた所、
不調法を緋桐殿下に厳しく咎められ、勤めていた店からも見放された男!
つまり逆恨みをし、殿下を陥れる為に嘘の証言をしたと考えられるだろう!」
そう反論するのは火箭家の当主、そして俺の祖父に当たる狼火家の当主で、ともに第二王子の派閥の華族たちだ。ヒノモト国の慣習でいえば、一番武力に優れた者が王位に着くことになる。なので今までは自分達にこそ正統性があるという主張だったのだが、ここに来て急に雲行きが怪しくなってきたので必死だ。
「しかし第二王子殿下は平素から素行が少々悪ぅ御座いますから、
とても王の位に相応しいとは……」
途中で鼻で笑ってしまって言葉を途切れさせた一妃の父に、思わず国王陛下も眉をひそめた。ヒノモト国ではミズホ国や天都ほど身分に厳しくは無いのだが、流石に王族に向かって、しかも会議という仕事の最中にこの言動はありえない。俺自身は全て覚悟の上でそう装ってきたので、今更鼻で笑われようが蔑んだ視線を向けられようが気にはしない。だが兄者たちはそうではないようで、普段は温厚な兄者ですら顔を顰めてしまっている。
「火の極日に頻発した水の精霊力の異常も
精霊様が緋桐殿下に何か思う所があるせいではありませんか?」
「そんな訳がなかろう!
蒼の東宮妃様も、たまたま強い水の精霊様がお越しになっただけで、
決して悪い兆候ではないと仰っていたではないか!」
菖蒲様とその御一行は、俺が港に戻れた1刻後にボロボロの筏で港近くの砂浜に流れ着かれた。俺は事前に情報を貰っていたので、いち早くその場に駆けつけて菖蒲様を保護する事ができた。そして色々と思う所はあるものの、菖蒲様の依頼で沖で動けずにいる(らしい)船の拿捕も指示した。櫻嬢の気持ちを思えば、そのまま遭難してしまえば良いのにと思ってしまうが、立場上放置はできない。
その菖蒲様は民の不安をいち早く取り除くためと、水分だけ補給した後すぐさま水の神社へと向かわれて祈りを捧げてくださった。
伝え聞くとんでもない弟王は、姉姫を少しは見習えと言いたい。
その後も俺や兄者といった当事者を無視し、会議はどんどん加熱していく。
俺が求めているモノはこの国が平穏で有ること、そして豊かであることだ。我が国は他2国や天都に比べて寒さによる死者は少ないものの、何故か無の月に病によって倒れる者が多い。公的な支援や研究は当然ながら行っているが、それでも謎の病で命を落とす者の数は減らないし、原因究明も未だできていない。
また国民性というには色々と問題があるのだが、武術の地道な鍛錬は尊ぶというのに商人や農民、工人の日々の積み重ねを軽んじる傾向がある。ようは武人であれば無条件で尊敬されるし、武人でなければ問答無用で蔑まれてしまう。
それがあくまでも個人の思想や態度の話しというのならば、俺が口を挟む事ではない。ただ俺の価値観とは合わないと、付き合いを控えれば良いだけだ。だがそれが国家ともなれば話しは別で、極めて歪な国だと言わざるを得ない。武も文も、商や農や工も全て等しく国家にとって重要なのだから。
だからこそ今後は武力だけで国王を選ぶのではなく、全ての均衡を保てる者が王になるべきなのだ。父王にそう伝えたのは、俺がまだ子供の頃だった。その時に父王も、何だったら祖父もがそう思って動いていた事を知ったが、国の慣習を変えるには至らなかった。
何故なら我が国でも他国同様に王家が頂点に立ってはいるが、華族の……正確には各家の武将達の力がとても強くて無視は出来ないからだ。この国はもともと複数の有力な武家がそれぞれ独自の法で領地を収めていたが、対ミズホ国の為に手を組んだという歴史がある。その際に一番強い武人を頭領として指示系統を整えたのが、ヒノモト国家の始まりだ。だからこそ強い者が王となる慣習を変える事は、国家の成り立ちを揺るがすと猛反対を食らってしまう。衣食住といったことには柔軟な対応を見せる者ですら、武が絡む伝統に関してだけは一気に頑固になるのだ。
しかもたちが悪い事に、この保守思考な華族は俺の派閥にも当然多いが兄者の派閥でも主流派なのだ。なので兄者の優れた点を主張して王に推すのではなく、俺のいたらぬ点を指摘して、それよりは武では劣るが兄者のほうがマシだという推し方をする。なのでかなり昔ではあるが、
「お前たちは兄者の味方でも何でも無い!」
と思わず言ってしまった事があったのだが、それを「第二王子は王位に固執している」と曲解されてしまって泥沼な事態になってしまった事がある。アレ以来、俺は兄者の派閥には何も言わぬようにして、己の派閥には王位を狙う気が無い事を態度で示し続けた。明確な言葉にしなかったのは父王からの頼みで、しばらくの間は兄者の切磋琢磨の相手となってほしいと言われたからだ。
目の前で繰り広げられる言い争いに、だんだんと嫌気がさしてきた。
櫻嬢は大丈夫だろうか……。
もちろん物理的な傷は負わなかったはずなので、そういう意味での心配ではない。それこそ文字通り身を挺して鬱金殿が守りきった。そう俺ではなく鬱金殿が守ったのだ。そして鬱金殿は瀕死の重体となってしまった。解毒薬を飲ませることはできたが、あの傷では助かるかどうか……。その時の櫻嬢の悲しみを思うと、どうすれば良いのか解らなくなる。
今までも妖や賊の討伐で配下の者が帰らぬ人となったことはあったし、その家族の嘆きを間近で見たこともあった。その時も今と同じように俺の力が及ばなかった事を申し訳なく思いはしたのだが、今回のようにどうすれば良いのか解らなくなるなんて事はなかった。
(どうして櫻嬢だけ違うのだろう?
彼女がヒノモト国の出身ではない為、戦死を誉と思う文化を持たないからか?)
そんな事を考えていたら、
「聞いておられるのですか、緋桐殿下!!」
と火槍家当主が机をバンッと叩いて怒鳴ってきた。俺はそちらにチラリと視線を向けてから
「国王陛下、発言の許可を頂きとうございます」
と父王に向かって頭を下げる。議会は基本的には華族が自分の意見を忌憚なく言い合える場なので、国王に許可は求める必要は無い。それをあえてする理由は、俺の言葉を遮る事は国王の許可に異を唱えたという事になるぞという脅しだ。
「許す」
「ありがとうございます。
さて……貴卿らは私に責任があると言う。
では私はその責任を取って王室を離脱しようと思う。
あぁ、勘違いしないで頂きたいのは臣籍降下するということではない」
王室を離脱するといった途端に父王や兄者は目を見開き、会議場は水を打ったように静まりかえった。だが直ぐに火槍家当主が何かを言おうとしたのを、手と目で制して臣籍降下するのではないと続ける。
ちなみ貴卿とは公卿を尊ぶ呼び方で、我が国では公は各大臣を指し、卿は大臣以外の官吏や信家以上の華族を指す。まぁぶっちゃければ、今ここに居る者全員がソレにあたる。
「それから離脱は明日からって事で頼む。
そうでないと……」
そう言って懐剣を取り出す。こうやって懐剣を持つことが出来るのも王族の特権である以上、今直ぐ王室離脱をしてしまえば色々と不都合がある。
そうして懐から取り出した剣で髪を結わえていた紐を切り落とし、背中へと流れた自分の髪をひとまとめにして握ると、懐剣で一気に切り落とした。
「「緋桐!!!」」
父王と兄者が同時に俺の名前を呼び、発言を阻止された火槍家の当主すらも言葉無く呆然と俺を見ていた。
「お前は何を考えているんだ!!
髪を切り落とすということは、罪人という事だぞ!!」
兄者はそれ以上は言葉にならないようで、唇をワナワナと震わせて俺の短くなった髪をどうにか出来ないかと俺の頭を触りまくる。
「兄者、落ち着いてください。
ずっと、それこそ十を過ぎた頃からずっと考えていた事です。
国家間の大規模な戦が遠い昔の事となった今、
次の王には交渉力や調停力に優れた兄者こそが相応しいと。
俺は王となった兄者を近くで支えられたら良いな……と」
「ならば、ならば何故このようなことを!!」
「俺がここにいる限り、火種は燻り続けます。
たとえ俺がソレを望んでいなくとも……」
そう言って火箭家当主を含めた、俺の派閥の者達へと視線を移す。彼らに悪意が無い事は解っている。ただ伝統や慣習に則って、俺が王であるべきだと思っているだけだ。たが彼らのその思想に俺の意思は全く関係ないようで、反映どころか尊重すらしてもらえないが。
「それから兄者。これから王位を継ぐにあたり一つだけ忠告を。
兄者の良いところを見ようともせずに、
他者の足を引っ張って兄者の役にたったつもりでいる者を
重用するのは止めたほうが良いですよ」
誰のこととは言いませんが、と最後に付け加えてさっさと会議場を後にする。後ろで火槍家の当主を始め兄者の派閥の者たちが何か喚いていたが、そんなものは聞く価値もない。俺の派閥の者たちは呆然として言葉も無いようだが、少し間を置いて「お待ち下さい!」だとか「お考え直しください!」なんて叫び始めた。だが、待つ気も考え直す気もない。
自室に戻った途端、ずっと後ろで控えていた随身の柘榴がぶち切れた。
「殿下ぁ!! 何考えてるんですか!!」
「明日の朝日が昇れば、もう殿下ではなくなるぞ」
そう言いながら荷物をまとめる。最低限必要な肌着や、少しばかりの金を小袋にいれた。ここに有るものは王家の財産だから、本来なら最低限であっても持ち出すべきではないと思うが、肌着一式と2~3日分の食事代ぐらいは許してほしい。
「ふざけている場合ですか!! 殿下……いや、緋桐は言っていただろ!
ヤマト国の蒔蘿殿下のように、王太子を近くで支えたいと!
それに蒔蘿殿下が管理されている兵座を我が国にも導入したいと!」
乳兄弟であり幼馴染であり、そして一番の友人が俺の名前を呼ぶ。柘榴から呼び捨てにされるのは随分と久しぶりな気がする。
数年前、国王の巌桂陛下の退位に伴い、王太子だった連翹殿が国王へ即位し、双子の王子だった茴香殿が王太子に、そして蒔蘿殿が王太子の補佐に就任していた。今や大陸の新しい文化や流行を生み出す最先端の地となったヤマト国は見習う点がとても多く、少しでも我が国に合う形にして導入したいと思っていた。
「ソレを夢見ていたことも確かにあったな」
まるで大昔のことのように言うが、実のところ昨日までは計画を練っていた。だが今の俺にはその情熱が消えてしまったようで、
「柘榴、後はお前がやってくれ。
兄者にはちゃんと言っておくから」
と柘榴に丸投げしてしまう。兄者なら俺の随身や配下の者たちも、適材適所に配置換えをしてくれるだろう。兄者は相手の力量を見定めること、そしてその力を上手に引き出して使う事が得意なのだから。
そんな話しをしていたら部屋の入口が騒がしくなり、そちらを振り返るのと同時に頬をぶん殴られた。
「こ、この馬鹿者が! 軽率短慮にも程がある!!」
其処には息を切らした父王がいた。歴戦の武人だった父の拳はかなり痛いが、俺も武人の端くれらしくふらつくこと無く受け止める。ところがその父の背後という死角から兄者が急に現れたかと思ったら、今度は兄者に胸ぐらを掴み上げられ前後にガクガクと揺さぶられた。
「お前というやつはっっ!!!」
「あ、兄者、落ち着けっ」
揺さぶられている所為で舌を噛みそうになりながらも、なんとか兄者の腕を外した。ある意味父王よりも、兄者から受けた被害の方が大きい気がする。
「先日も言ったよな? 俺はずっと兄者が王になるべきだと思っていた。
それはここ数年で思ったことじゃない、ずっと小さい頃からだ」
「確かにソレは聞いたが……。だからってこんな急に」
「先ほどの足の引っ張りあいのような会議に嫌気がさしたってのが大きいが、
それ以上に俺は大切なモノを守りたい。
そのためには俺はここに居てはだめなんだ、ここに居ては守れないんだ」
俺が居ることで国が乱れるのなら、俺はこの国に居ないほうが良い。それに櫻嬢を守るという約束を、またしても果たせなかった。だからソレが果たせるまで、彼女の側に居たいとも思う。
「お前の髪は髢にするように保管させたんだが……」
「すまないな、兄者。だが、もうそれはいらない」
確かに今なら髪型が限定はされるが、切り落とした髪をつけ足せば今まで通りの生活に戻れるのかもしれない。しかしそれは俺の望む所ではない。
「二妃には……そなたの母には言ったのか?」
「母は常々、俺のやりたいようにやれば良いと言ってくれています。
幼い頃より王になりたいのならその為の助力を全力でするし
別のものになりたいのならその為の助力を全力でする……と。
母が望むのは俺が俺らしく生き、そして幸せであることだそうですよ」
本当にありがたいことに、母は母方祖父とは違って俺を王にしようとは思っていない。ただただ「俺らしくあれ」と言ってくれるだけだ。ただ好きにやったのなら、その責任は全て自分にあるという事を忘れるなとは常々言われていたが。
「そうか。……ならば私から言う事はない。
いや一つだけ。そなたが何処にいようと私の息子である事に変わりはない。
たまには顔を見せに参れ。それが無理なら手紙でも良い」
「父上様!!
駄目です、緋桐を引き止めてください!!」
父王は迷いつつも納得してくれたようだ。もしかしたらこういう事態を想定していたり、母と話し合ったりしていたのかもしれない。逆に兄者はどうしても納得できないようで、なおも食い下がる。俺がいないほうがすんなりと王位につけると思うのだが、兄者は王になりたくはないのだろうか??
そんな事を思ってから、ふと俺達兄弟には会話が足りないという櫻嬢の言葉を思い出した。俺は兄者が王になりたいのかなりたくないのか、それすら知らない。とても気を使う繊細な話題だから、あえて避けていたという事もあるのだが……。
「兄様!!!」
いきなり部屋に飛び込んできた皐月が、俺の胸に向かって突進してきた。父王や兄者とは違って、流石にこれは簡単に受け止められる。
「う、嘘ですよね? 兄様、は、また戯れを仰って」
「すまないな」
可哀想には思うが、皐月の言葉を遮ってから頭を撫でてやる。この妹は異母兄妹だというのに、同母兄妹のように俺を慕って、時に怒ってくれた。大切な大切な妹だ。その妹を悲しませるのは本意ではないが、それでも譲れない事もある。
「王家を出て、どうされるのですか!」
「ひとまずは吉野家に身を寄せようと思っている。
少々借りがあることだし、それを返すまでは」
そう言ってから、彼らの商談のことを思い出した。
「そうそう兄者、それから皐月。
今回の騒動で吉野家にも大変迷惑を掛けた事は知っているだろう?
だからこの先の取引でも、少しだけ、ほんの少しだけで良いから
吉野家を贔屓にしてやってくれ。
あっ、塩と太陽の熱で調理する器具は絶対にあった方が良いから、
この2つは何が何でも商談成立させたほうが良いぞ?」
「全くお前は……。あぁ、解った。
塩も燃料の代替え案も我が国にとっては重要な事だからな」
そう言うと、兄上は諦めたかのように寂しそうに笑った。
翌朝。朝一番の面会の時間にやってきた山吹と槐殿、そして兄者と俺は無事に商談を終えた。これが俺の王族としての最後の仕事だ。それを無事に終えた俺は、彼らといっしょに城を後にした。二人に俺も一緒に行くといったら「は?」と虚をつかれた顔をしていたが、とりあずは許可を得ることができた。
そして城を出る俺に、何故か兄者まで付いてきた。どうやら吉野家の持つ試作品の新しい塩の予備を受け取りに行くという名目で、俺を見送るつもりのようだ。そして皐月は最後まで顔を見せてはくれなかった。寂しいがそれだけ俺が皐月を怒らせてしまったということなので、甘んじてソレを受け入れる。
その道すがら、俺と兄者はいろんなことを話した。
例えば皐月が生まれたばかりの頃、その姿見たさに離宮に兄者といっしょに忍び込んだことや、生まれたばかりの赤子の小ささに驚いてしまって、近づけなくなってしまったことなど。あの時は皐月を壊してしまいそうで怖かったなんて、兄者と一緒に笑いあった。
もっと早くからこうやって話し合えば良かった……。
そう心から思ったのは、兄者の一言があったからだ。
「すまない。私は……私は、お前を大切に思っている。
思ってはいるが、同時に憎いと思ったこともある。
私には到底無理なことを事も無げにやってのけるお前が……」
「兄者……」
「すまない、本当にすまないと思うのに
私の中にはどうしてもお前が憎いと思ってしまう気持ちが消えないのだ」
辛そうに謝る兄者に、俺は言葉が出ない。俺は兄者を憎いと思ったことはないが、兄者の立場からすればそう思われても仕方がないということは解る。俺はただただ強くなることが好きだから鍛錬を続けてきたが、兄者からすればソレすら気に障った事だろう。
「御兄弟のお話に口を挟む御無礼をお許しください」
そう槐殿が馬を俺達の横に並べながら頭を下げた。本来ならば商人が王族の会話に加わるなんて許されないのだが、俺も城を出た時点で王族ではなくなっている。なので兄者は俺と話す為に、この行き路の間は身分を一切考慮しなくても良いと宣言してくれていた。
「私も梯梧殿下の気持ちがとても良くわかります。
私の場合は妹ですが、妹は特殊という言葉では説明しきれないぐらいに特殊で
吉野家の商品の大半は妹が発案しております。
他にも色々とあり、どうして妹だけ、妹ばかりと思ったこともございます」
「……その時、そなたはどう致した? また妹御は??」
「一度だけ、妹は覚えていないでしょうが幼い頃に喧嘩をした事がございます。
喧嘩と言いましても、私が一方的に妹を詰って家を飛び出したのですが、
そんな私を追いかけてきた妹と二人、崖から落ちそうになりました」
その言葉に兄者も俺も驚いてしまった。兄妹揃って相当危険な目にあってしまったのだろう、視界の端で山吹が何ともいえない神妙な顔をしている事からも察せられる。
「ですが妹は自分の身を顧みず、命がけで私を助けてくれたのです。
それ以来、私は妹には頭が上がりませんし、妹が何より大切になりました」
そう穏やかに話す槐殿。
「ですが心の奥底には妹を羨ましく、
そして恨めしく思う気持ちがどうしても小さく残るのです。
ですがそれを他人から言われたのならば
その相手を……まぁ端的に言えば殴ってしまうと思います。
梯梧殿下もそうではありませんか?」
「そう……か? そうなのか??」
どこか自信なさげな兄者に対し、槐殿は
「では試しに、“緋桐殿下は女性にだらしなく、
武はあるものの有意義に使えぬ愚か者だ!” ……答えが出たのでは?」
その槐殿の言葉に兄者の顔を見れば、眉間の縦筋がひどいことになっていた。
「これはとある方から教えられた言葉ですが、人は不完全な存在なので、
善いところ悪いところ両方あって当然なのだそうです。
人を憎いと思ってしまう気持ちも、そしてそれを良くない事だと思う気持ちも
人ならば当然なのだ……と。
そして同じ悪口でも他者が言えば腹立たしく感じるのは、
その相手の良いところを悪口以上に知っているからだそうですよ。
緋桐殿下は確かに訳あってのことではありますが女性問題が多い方です。
ですが身分の別け隔てなく優しく、責任感のある方です。
兄君である梯梧殿下ならば、もっともっと良いところをご存知でしょう?」
なんだか気恥ずかしい言葉が次々と出てきて、居心地が悪い。そんな俺とは逆に兄者は我が意を得たりとばかりに顔を輝かせた。
「そうだ。……あぁ、そうだな。
私は緋桐の良いところを沢山知っている。
だから自分の中の負の感情を余計に申し訳なく思ってしまうのだが、
それも不完全な人ならばこそで、
またソレを戒め抑えることができるのも人ならではなのだな」
「はい」
「ありがとう、良い言葉を聞いた」
そんな事を話しながらも俺達は港へと向かった。
吉野家の商談は先ほど仮契約まで済ませたので、一度ヤマト国にあるという家へと戻って、土の陰月の頃にもう一度現物を持ってヒノモト国に来て本契約となる。港に近づけば近づくほど言葉は少なくなり、港に入った頃には俺も兄者も何も言わなくなっていた。
そして最後に向かい合うと
「さて、……緋桐。別れの言葉は言わぬ。
行って来い、そして何時か満足したのなら帰ってこい」
「兄者。……あぁ、行って来る!」
そう言うと、俺は兄者に背を向けたのだった。
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