未来樹 -Mirage-

詠月初香

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3章

16歳 -火の陰月12-

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この一刻一秒を争う時に、私は一体何をやっているんだろうと自問自答してしまいます。それでも叔父上を助けるには新たに現れた自称風の精霊の名前と姿を決める必要があると言われれば、否と言う選択肢はありません。

でもどれだけ名前や姿を考えようとしても、頭に浮かぶのは叔父上のことばかり。

(早く名前を……早く叔父上を助けないと。
 違う、まずは姿を決めなくちゃ……叔父上の怪我……早く治して。
 あぁああーーっっ、もうっっ!!!
 なんで叔父上が大変な時に名前で悩まなくちゃならないの!?)

今、目の前に殴って良い物があったら八つ当たりしてしまいそうなぐらいイライラしてしまい、全く考えがまとまりません。もう「風さんとかで良いんじゃないか?」と思ったのですが、適当に決めた名と姿では精霊力が漏出してしまって思うような結果が得られないと、前もって釘を刺されているのでそれもできません。

(風……風の精霊、風の神の欠片……。風の神って事は風神。
 風神といえば前世の地元には風の神様を祀った神社があったなぁ)

地元というには少し距離がありましたが、それでも年に数回は行っていた神社が風神を祀る神社でした。その神社の名前は……

たつさん、でどうかな?」

どうかな?と言いつつ、拒否は許さないと言外に気持ちを込めて何も無い空間をジッと見つめます。そこから風が吹いてくるので、そこに何かあるのは解ります。でも目視は相変わらずできません。

私がそう告げた途端、目視できないその何かから急に突風が吹き付けました。室内に唐突に湧き上がった強風に髪がぐちゃぐちゃにされ、自分の髪で視界が遮られてしまいます。この世界の人は男女ともに長髪が当たり前で、犯罪者以外は全員が長髪なのですが、便利なことも多いですがこういう時はとても面倒です。どうにか視界を塞いでいた長い髪を手櫛で後ろへと流し終え、前を見れば見知らぬ男が一人立っていました。

年齢は叔父上ぐらいでしょうか。
30代半ばから後半ぐらいのその男性は、長い髪をポニーテール……というより総髪そうはつと呼ぶ方がしっくりとくる髪型をしています。ポニテより総髪という言葉を選びたくなる理由は着ている衣装が着流しだからという事が大きく、錆浅葱灰青緑色の着物の裾から腰の辺りまでや袖の一部に明度を変えただけの雲取り文くもどりもんエ霞文えかすみもんがあしらわれ、それでいながら上半身はほぼ無地と渋さがありながらもいきとかいなせなんて言葉が似合いそうな風貌なのです。

「よし、これでわしも存分に力を振るう事ができる」

耳で初めて聞いた龍さんの言葉は思っていた以上に年齢不詳で、儂という一人称が与える年寄り臭さと見た目や声の若々しさとがアンバランスすぎて違和感しかありません。ですが戸惑うのはココまでです。

「龍さん、叔父上を助けて!!」

「任せておけ!と言いたいところじゃが、儂の力だけではどうにもならん。
 金太郎と申したな、おぬしの力を貸せ」

龍さんを取り巻く風が落ち着くのと同時に、龍さんは叔父上に向かってあるき出しました。そうしてから叔父上の顔の上に手を広げて何かをしようとします。

「我はそなたを信用できぬ。
 そもそも我ら精霊に対し、風の精霊などという嘘をよく付くことができる」

「しかも第一世代とは……」

風の神も精霊も存在しないと言い切る金さんは龍さんの指示に従う気はさらさら無いようで、龍さんに訝しげな視線を向けます。浦さんも第1世代の精霊ということに引っかかりを覚えるようで、金さんと同じような視線を龍さん向けています。

「おぬし達が儂に言いたい事があるのはわかっておる。
 じゃが、今は優先すべきことがあるじゃろう。力を貸せ!」

「お願い! 金さん!!」

三太郎さんの敵愾心をさらりと受け流してまずは手を貸せという龍さんに、私も同調して金さんに縋ります。

「はぁ……。我は何をすれば良い?」

「おぬしが固定の性質を持つように、儂は変化の性質を持つ。
 そなたの力をこの男に合うように変化させて注ぐ」

金さんは私の守護精霊なので、いくら固定の性質を持っていたとしても叔父上の魂を固定できるとは限らないというのが龍さんの説明でした。なので金さんを一時的かつ擬似的に叔父上の守護精霊の波長に変化させて、精霊力固定の性質を注げば叔父上の魂を固定できる可能性があるかもしれない……と。

なので叔父上の守護精霊を今すぐココに召喚できれば一番手っ取り早いのですが、それには大きな問題があります。まず召喚が簡単にできる事では無いって事と、金さんと違って大量の精霊力を使っても回復が容易ではないという事。特に2つ目が問題で、精霊にとって精霊力の大量消費は存在が消滅してしまう危険性があるため、絶対に無理は出来ません。

「ふむ、承知した。
 だが我とてこの十数年で霊力がかなり増大したものの、無限ではない。
 その問題をどう致すのか?」

「その事じゃが……。
 櫻、おぬしはこの男を助ける覚悟はあるか?」

「覚悟?? 叔父上を助けられるのなら何でもするよ!」

即答した私に兄上や山吹、それに緋桐殿下までもが「櫻!」や「お嬢!」と言って止めに入りました。精霊との約束は人間相手とは重みが違います。しかも三太郎さん相手ならばともかく、その三太郎さんが信用ならないと言っている相手に「何でもする」は駄目だと兄上が止めに入りました。でも私の気持ちは変わりません。

「ならばおぬしは着物を脱いで、
 この男とできるだけ肌が触れるようにくっついて横たわるのじゃ」

言われた言葉に一瞬理解が追いつきませんでしたが、救命行為としてソレが必要だというのならば実行するまでです。

「そうすることが必要だというのなら……」

そう言って着物の帯に手をかけます。

「ま、待て待て!!
 精霊の方には理解できないかもしれない……ませんが、
 女性に服を脱げというのはあまりにも無体な……」

私の手を止めた緋桐殿下は失礼にならないように気を使いつつも、龍さんに苦情を申し立てます。山吹も心臓マッサージ中でなければ龍さんに掴みかかっていたかもしれないという程に睨みつけていて、兄上も呆然としています。

「時間が無いゆえ人の子への説明は後回しじゃ。
 良いか金太郎、おぬしは櫻の中に戻って精霊力を常時回復しつつ、
 この男に流し込み続けるのじゃ。
 精霊力を途切れさせず、延々と注ぐにはそうするしかない事は解るじゃろう?」

「なるほど……」

唸るように言う金さんですが、私も同じ気持ちです。確かにその方法なら精霊力の消費と回復が同時に行えます。

「ですが着物を脱ぐ必要が……」

そう兄上が言うと同時に、桃さんが

「あぁ、そういえば霊石に技能を籠める時、櫻を通す必要があったが……
 アレと同じことか??」

と思い出したように言いました。

「そうじゃ。おぬしは勘が良いな。
 あれは櫻が無意識に儂の変化の性質を使っていたのじゃが、
 櫻が触れる事で方向がより定まるのじゃよ」

そして今回は注ぐ霊力が大きい為に手のひらで触れる程度では足りない可能性が高く、万全を期す為にも私が触れている範囲をできるだけ大きくする必要があるという説明でした。ようは狭い範囲に大量+強力な力を流し込めば私や叔父上、そして精霊の金さんや龍さんの負担がかかりなモノになってしまいますが、広い範囲で流し込めば抵抗が減って負担も減るという理屈のようです。

「そして儂と金太郎が力を注いでいる間、櫻にも負担がかかるじゃろう。
 流石に常時全力疾走を続ける程の疲労ではないじゃろうが、
 ずっと歩き続ける程度の疲労はあるはずじゃ。
 それが短時間ならば良いが、1日で終わるのか10日かかるのかは解らぬ。
 それでも良いのじゃな?」

「良いに決まってるじゃない!」

「更にその間。霊力の回復を儂と金太郎に集中させる為に
 他の二柱の精霊は現世待機となるのじゃが、良いか?」

「その程度ならば構いません」

「俺様も構わねぇ。
 ここはヒノモトだから俺様の回復も他所よりはえぇし、
 海にいれば浦だって回復しやすいだろ」

そうやって精霊同士で話をまとめている間、覚悟を決めた兄上と山吹、緋桐殿下も話を進めていて、

「山吹、胸の圧迫は僕が変わる。
 櫻が着物を脱ぐ時は同母兄の僕以外がここに居るべきではない」

「そうですね、俺は緋桐殿下と共に外で待機します。
 ですが何かありましたらすぐに大声で俺をお呼びください」

と心臓マッサージを交代して続行する兄上を残して、山吹と緋桐殿下は外に出ていきました。その兄上は胸部圧迫をしながらも出来る限り私から顔をそむけてくれ、その間に私は大急ぎで着物を脱ぎました。流石に腰巻き下着を脱ぐのは躊躇われたので、上半身だけ裸になって叔父上の脇にぴったりとくっつくように横になります。下から見上げて初めて気づいたのですが、兄上は顔を背けるだけじゃなくギュッと目を瞑っていてくれていて、最大限の配慮をしてくれていました。

そうして少し冷たくなった叔父上に私がくっつくと、待っていたかのように金さんと龍さんが私の中に戻りました。そして私の中からザァァーーと何かが大量に流れていきます。今までも精霊石に技能を籠める時などに経験した感覚でしたが、流れていく量と襲い来るだるさが比べ物になりません。

「さぁ、もう良いですよ」

浦さんが兄上の手を止めさせ、持ってきた大きな布を私と叔父上の上に掛けます。

「櫻、気持ちは解りますが
 腰巻きも掛け布の下で取っておいた方が良いかもしれません。
 既に負担が掛かっているのでしょう?」

ほんの僅かしか眉を動かしていないつもりだったのですが、襲ってきた怠さを浦さんに見抜かれてしまっていたようです。恥ずかしいですが布の下で腰巻きも取ってしまいます。これで本当に布の下は一糸まとわぬ姿となってしまいました。更に万全を期すため、浦さんの指示で兄上が叔父上が身につけていた着物だった布切れを手探りで全て脱がしてしまいました。途端に叔父上に触れている足からも何かが流れていきます。

「大変でしょうが……頑張れますか?」

「櫻、大丈夫か?」

「私は大丈夫だから、何も心配しないで?」

心配そうな浦さんや不安げな兄上に、私はしっかりとした声でそう答えたのでした。




その後、あの船であったことを兄上や山吹、緋桐殿下に伝えました。菖蒲様の霊力に関する事はぼかしましたが、おおよその事の経緯は伝わったはずです。そうやって会話をしてはいる私たちではありますが、私は布1枚の下は全裸なので男性3人はできるだけ部屋の端に居てくれます。

「恐らくその船はミズホ国の水の大社おおやしろで禊を済まされた菖蒲あやめ様を
 我が国へと送り届ける為の船だ。だとしたら私も直ぐに戻らねば……」

第二王子としての役目がある緋桐殿下は、本来ならば港で菖蒲様を迎えて王宮まで護衛する仕事がありました。ですが不審船がヒノモト国の海域に出没している事を理由に、沖の監視をするという名目で海に出てきたんだそうです。その際に随身の柘榴ざくろさんと絶対に菖蒲様の到着までには戻ると約束したので早々に戻らないといけないのですが、船は今乗っているコレしかありません。なので少し躊躇ってから

「君たちはどうする?
 吉野家が行っている我が国との交渉を中途半端なまま放置しては
 後々面倒な事や、不測の事態が起こる可能性があるが……。
 それとは別に、できれば陸近く……泳げる程度にまで戻ってもらえると……」

と申し訳無さそうに言いました。その言葉に兄上と山吹は黙り込んでしまいます。そもそもヒノモト国との交渉は私達家族が安全に過ごす為の方法の一つでしかありません。その家族の一員の私が誘拐され怪我を負い、叔父上は生死の境を彷徨うという結果となった以上、続行すべきなのかどうか……。

「私は今後も君たちにとって良い結果となるよう尽力したいと思っているが、
 君たち次第な事でもあるし……」

珍しく歯切れの悪い緋桐殿下ですが、それは陸まで送って欲しいという申し訳無さに加えて私の誘拐に火箭かせん家の苧環おだまき姫と思われる女性と松屋の元番頭が関わっていた事を先程知ってしまったからです。私自身は決して緋桐殿下のせいだとは欠片も思っていませんが、殿下は責任を感じてしまっているようです。

少し悩んだ兄上でしたが、

「叔父上が目覚めた時、僕たちを誇りに思ってもらえるように……
 良くやったと思ってもらえるようにしたい。
 だから僕は吉野家として交渉の続きを行い、無事に取引を終えたい」

「そうですね、途中で物事を放り出すことは若様の意思にも反しましょう」

そう山吹と二人で結論づけました。

「ならば二人には私と一緒に一度ヒノモト王宮へと来てもらいたい。
 私自身がそうであるように、二人にとっても心配極まりない状況だろうが……」

殿下はそう言ってから更に何かを呟いていたようですが、私とは距離が離れていてよく聞こえませんでした。

「浦様、桃様、櫻と叔父上の事をお願いしてもよろしいでしょうか?」

神妙な顔つきで兄上はそう言うと、桃さんはその神妙さを吹き飛ばすように

「おぅ、任せとけって。
 俺様に出来ることは全部してやるから、櫻のことは心配するな」

と胸を叩いて言ってくれました。ただ続いて

「ただ、鬱金の事は……当人の生命力次第だ」

と言い切ります。それに浦さんも同調して

「そうですね、私に出来る事はするつもりではいますが、
 鬱金の事は……保証しかねます。勿論最大限の援助は致しますが……」

と静かに言いました。精霊は嘘を吐きません。本心を話さない事は多々ありますが、嘘は言わないのだそうです。だから三太郎さんも龍さんも叔父上が絶対に助かるとは言わず、可能性はあるや努力するとしか言いません。

「それだけで十分です。ありがとうございます」

それでも心から感謝して頭を下げる兄上と山吹です。本来ならあっという間に消し飛んでしまいそうな程に小さな可能性を、三太郎さんと龍さんが引き寄せてくれているのですから当然といえば当然です。

そんな話を聞きながらも、意識がプツリ、プツリと途切れてしまいます。
まだ夜と呼ぶには早い時間なのですが、既に眠くて眠くて仕方がありません。

「さぁ、櫻は寝ていなさい。
 誘拐されて体力的にも精神的にも大変でしたし、頭の怪我や出血もありました。
 そんな身体で今からずっと霊力の回復に体力を使う事になるのですから……」

そう浦さんがそっと私の頭を撫でながら言います。その手が気持ちよくて、どんどんと眠気が増していきます。天女が疲労する程の精霊力の回復は、本来ならばやってはならないレベルの急速回復だそうです。つまりそのレベルの回復量が必要なぐらい、今の叔父上は危険な状態ということです。

少しの隙間もできないように、ぴったりと吸い付くように叔父上に身を寄せます。そうして頭上から聞こえる僅かな呼吸音と、叔父上の胸から微かに聞こえる鼓動を何度も何度も確かめながら私は意識を手放したのでした。
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