未来樹 -Mirage-

詠月初香

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3章

16歳 -火の陰月10-

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ポタリッポタリッという水音に足元を見れば、赤い……あかい ちだまり……。

叔父上の身体から伝わる体温が今までに感じた事が無いほどに熱く、なのに同時に冷たく感じます。何よりあの日と同じ、ちの……においが……する……。

とうの昔に乗り越えたと思っていたトラウマが今再び蘇り、私の心を一気に散り散りに切り裂きました。

「や、やだ、叔父上、おじうえっっ!!」

叔父上を助けなくちゃと思うし、実際に行動に移そうと思うのに叔父上の腕から抜け出せません。なんで私はこんなに非力なのっ!!

「大丈夫、……大丈夫……だか……ら」

そう耳元で叔父上は言いますが、大丈夫な訳がない!

「こんな時ぐらい、大丈夫じゃないって言って!!
 叔父上はいつも一人で抱え込みすぎなの!!」

ままならない現状に、常日頃から思っていた事も含めて爆発してしまいました。家父長制度が当たり前のこの世界、どうしたって叔父上に責任や義務がのしかかります。山吹や母上や橡、それに最近では兄上や私だって手助けをしていますが、逆にいえば手助け・・・しかできないのです。叔父上にとってはそれが当たり前なのでしょうが、最終的な決定は叔父上がしますし、その責任も叔父上が全て背負います。今の兄上よりも若い時からずっと、叔父上は私達の為に頑張り続けてきました。弱音一つこぼすこと無く、弱った姿を見せることすらなく。

「は……はは……、櫻の怒り方……母上………みた……だ…………」

その言葉を最後に叔父上の体からフッと力が抜けました。

「叔父上?!」

「慌てるな、急いで船室に行くぞ!!」

珍しく強い語調の兄上が、私から叔父上を引き剥がすと引きずるようにして船室へと向かいます。私もすぐにその後を追おうとしますが、心配なのは残る山吹と緋桐ひぎり殿下です。思わず振り返った私に、

「俺たちは大丈夫ですから、早く中へ!!」

「櫻嬢、まずは自分の身の安全を確保してくれ!!
 この霧だ、相手の攻撃も長くは続かないはずだ。
 そうすれば俺たちも中に戻る!!」

私が振り返った気配を察知したのか、二人はこちらを振り返ることなく矢を叩き落しながら言います。恐らく敵方を含めて今ここにいる人達の中で1・2を争う程に武勇に優れている山吹と緋桐殿下ですが、流石に絶え間なく飛来する無数の矢が相手では無傷という訳にはいかず。致命傷こそ避けてはいるものの、身体のあちこちにキズを負っています。私が一分一秒でも早くここを立ち去って安全を確保する事が二人への一番の手助けになることは明白で、私は大急ぎで兄上と叔父上の後を負いました。




船室にある簡易ベッドでは狭すぎて治療に支障が出そうなので、テーブルに綺麗な布をかけるとその上に叔父上を横たえます。そうなって初めて叔父上の背中をしっかりと見る事ができたのですが、数本の矢が叔父上の背中に刺さっていて、着物が赤黒い色に染まっていました。その出血量や血の気の失せた叔父上の顔に、ガタガタと全身が震えてきてしまいます。

「櫻、浦様に綺麗な水を出してもらえないか、お願いして!!」

叔父上の着物を切り裂いて背中を露出させながら叫ぶ兄上に、慌てて私も浦さんに心話を飛ばします。

<浦さん、綺麗な、綺麗なお水!! 叔父上が! お水!!>

冷静になれない私の支離滅裂な心話に、

<落ち着きなさい!!
 水ならばいくらでも出します、まずは容器を用意しなさい!>

浦さんが冷静に指示を出してくれました。今すぐに綺麗な水を入れる容器、それもコップなんて小さな物ではなくて樽のような大きな容器が必要です。幸いにも私と兄上はこの船でヒノモト国に来ているので、当然ながらこの船には飲料水を入れておく用の木樽があります。もっとも木樽なのは外見だけで、中には蓋に「浄水」と「冷却」の霊石を仕込んだ琺瑯ほうろう容器が入っているんですが。

その樽に海水を汲んで入れておけば、霊石の力によって浄水されて美味しくて冷たい飲料水が完成するのですが、今は海水を入れに行くことはできません。なので樽のところまで水を引いてくる必要があり、浦さんに「流水」技能で海水を空中浮遊させてここまで持ってきてもらうという無理矢理にも程がある荒業を使います。

浦さんが持つたくさんの技能の中の一つ「流水」技能は、最初から持っていた技能な上に元々高レベルでした。その後色々な技能を覚えたり成長させたりした結果、今では浦さんより上手に「流水」技能を扱う精霊はいないかも?というレベルにまで上達していて、こんな自然の摂理に限りなく逆らうような離れ業すら可能になりました。ただし無理を通す為に霊力の消費は激しく、多用はできません。

でも今は、その無理を何が何でも通す時です。


「うわっ、コレは何だ?!」

敵からの攻撃がいつの間にか止んでいた事に、緋桐殿下が中に入ってきた事で気付きました。その緋桐殿下が目の前を流れていく水に指を突っ込もうとしていて、すぐ後ろに居た山吹に止められています。

「精霊様の御業みわざです。お触れにならぬよう」

「精霊様の?? このような御業を間近で見られるとは……」

緋桐殿下の存在をすっかり忘れていましたが、このまま忘れることにします。緋桐殿下に三太郎さんの事や私が規格外天女であることがバレたとしても後でいくらでも対処のしようがありますが、叔父上の命は失われたらソレまでです。

叔父上の手当てを兄上に任せて、私は水に続いて綺麗な布を確保する為に別の船室へと向かいました。帆の予備として積んでいた布は厚みがありすぎて使えず、代わりに今回売り込む予定だった艶糸つやいとで織られた反物の予備を抱えて再び叔父上の元へと戻ります。

「大丈夫って、大丈夫だって叔父上が言ってたじゃない……」

自分にそう言い聞かせるように何度も何度もつぶやきます。少しでも気を抜くと足元から崩れ落ちそうで、涙が零れ落ちそうで、それを唇を噛み締めてぐっと堪えて足を動かします。

その時、兄上の悲痛な声が耳を打ちました。

「叔父上!! ダメです、叔父上!!」

ドクンッ

嫌な胸騒ぎ、ドクンドクンと自分の鼓動が何故か大きく聞こえ、全身の血が一瞬で流れ出ていったかのよう頭がクラクラとして目の前が赤く染まります。

「若!!」

鬱金うこん……いや、令法りょうぶ殿!!」

山吹や緋桐殿下の声が何処か遠くから聞こえて来る中、自分でもどうやってそこまでたどり着けたのかは解らないまま、私は叔父上の直ぐ側にまで来ていました。

「お、叔父上……?
 叔父上、起きて??」

そっと触れた叔父上の頬から徐々に熱が失われていくのが解ります。

「叔父上、大丈夫って、大丈夫って言ったじゃない!!」

自分の視界がどんどんと滲んでいきます。頬を伝う何かが鬱陶しくて仕方がありません。

「まだだ!! 山吹、精霊様から教えられた胸の圧迫を繰り返して!
 櫻、叔父上に呼びかけ続けて!!」

背中の傷に布を当てて応急処置を施した兄上は、叔父上の身体をひっくり返して心臓マッサージを施そうとし、山吹も兄上に言われたとおりに動きます。

「確かこの辺りに……。
 コレだ! 令法殿、コレをお飲みください!!!」

自分の懐から小袋を出して何かを探していた緋桐殿下は、中から黒い丸薬を一つ取り出すと無理やり叔父上の口へと押し込みました。

「ミズホ国は矢に毒を塗っていることが多いんだ。
 コレは現時点で我が国で作られている最高峰の解毒薬だ」

山吹や兄上に説明する緋桐殿下ですが、最後にポツリと「どこまで効くかは解らないが……」と付け加えます。あちらの毒薬も日進月歩しているのでしょう。殿下は叔父上の口に押し込んだその薬を山吹や兄上にも渡し、自分も飲みます。今のところ毒による症状は出ていませんが、遅効性の可能性もあります。

「櫻嬢は……怪我は大丈夫かい?」

気遣う緋桐殿下の声が全く頭に入らず、耳の上だけを滑っていきます。私の視界には叔父上にまたがって心臓マッサージをする山吹と、叔父上に呼びかけつつ口からこぼれ落ちた薬を何とか飲ませようとする兄上が居ますが、その姿がどんどんと滲んでいきます。滲んだらまともに動けないのだから、直ぐ様止めようと思うのに全く滲みが止まりません。



……あぁ、やっぱり大切な人なんて作るんじゃ無かった……


こんなに苦しいのは、こんなに辛いのは、もう、もう…………



山吹が何度目か解らない心臓マッサージで胸を押した拍子に、叔父上の腕が力なくダラーンとテーブルから落ちました。全く力の入っていない、血の気の失せたその腕が、山吹のマッサージに合わせてぶらぶらと揺れます。

その光景を見た途端、思い出せないと思っていた前世の両親の最後を思い出しました。あの時も、全く動かない両親に大人が群がっていて……そして私からは見えないところへと連れて行かれたまま会えなくなってしまいました。

「ぃ、ぃ、いやああああーーーーーーーっっっっ!!!!」

耐えられない程に熱くて苦しい何かが心の中から爆発的に膨れ上がり、一気に外へと放出されました。私がそう叫ぶと同時に

「うわっ!! 何だ、なんでいきなり?!」

「櫻、大丈夫ですか?!」

「問答無用で押し出された?? これは一体……」

三太郎さんがいきなり実体化して目の前に現れました。ただその事を確かに認識しているのですが、全く感情や思考が動きません。

「貴様ら!! 何者だ!!!」

突然現れた三太郎さんに緋桐殿下が慌てて剣を突きつけますが、

「その方々は櫻を守護する精霊様です!!」

と兄上が簡潔に説明します。ただあまりにも簡潔過ぎて緋桐殿下は理解が追いつかないようで、

「は??」

と一言だけ発して固まってしまいました。

「櫻、しっかりなさい!!」

「おい、どうしちまったんだよ!」

私の両側から浦さんと桃さんが心配そうに肩を掴んで顔を覗き込んでいますが、それも先程と同じように認識はできているものの情報は脳を素通りしていきます。むしろ内側から湧き上がる今まで感じたことの無い力に意識が途切れそうです。

呼びかけても返事をしない私に心配そうな表情を浮かべた浦さんと桃さんでしたが、何かに気づいて一瞬で険しい表情へと変わりました。

「櫻、あなた……瞳の色が?!」

「緑色の目?!」

そう言う浦さんと桃さんの言葉は風にのってどこかへと消えていきます。今の私の耳に聞こえるのは暴風の如き流れる風の音と自分の心音。それから

わしが付いておる、自分がしたいようにすれば良い>

という今まで聞いたことのない声音の心話でした。
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