未来樹 -Mirage-

詠月初香

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3章

16歳 -火の陰月4-

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前もって後頭部を殴られたと聞いていたので痛みを覚悟して目覚めたのですが、傷があると思われる場所が割れるように痛くて、思わずうめき声が漏れてしまいました。ズキズキなんて可愛いオノマトペじゃなくて、ガンガン……いや、ガンガンですらこの痛みを表現するには足りないと思うほどの痛みです。

「目が覚めたのかしら?」

女性のこちらを探るような声に続いて、固い何かが私をつついてきました。ですが金さんたちに言われていた通り、気を失っているフリを続けます。

「……いや、まだのようだ」

おそらく私をつついたと思われる男性の声が聞こえてきますが、その声に聞き覚えはありません。桃さん情報によれば、大天幕を警護していた兵士のうちの1人の可能性が高いので、ヒノモト国に知人らしい知人が居ない事を考えれば聞き覚えがなくても当然です。

そのまま男の声も女の声も聞こえなくなり、今直ぐに私をどうこうする気配が無いことを確認してから、ゆっくりと、そしてうっすらと目を開けました。ですが見えたのは暗闇だけ。顔に目隠しをされているような圧迫感は無いので、単純に周囲が真っ暗なんだと思います。

その闇に目が慣れてくると、目の前にかなり織り目の詰まった布があることがわかりました。どうやら布製の袋に入れられているのか、或いは包まれているらしく、視界はもとより身動きもほとんど取れません。

また口の中に何か布のようなモノが入っていて、しかもソレを吐き出せないように猿轡までされています。いったい私の口の中に何が入れられているのか……。綺麗な布をこの為に用意するとは思えませんし、この世界の衛生状況を考えると悪い予感しかしません。万が一にも汚い布が私の口の中に入れられていたらと考えると、吐き気が込み上げてきてしまいます。

ですが口の中の異物や猿轡を外そうにも、体が動きません。

(腕は……駄目だ、動かない。それに足も縛られているみたい)

背中側でひとまとめにされた腕に力を入れてみましたが、手首が痛むだけで拘束が解ける気配はありません。同じく足も足首と膝のあたりの2箇所が縛られているようで、自力で移動しようと思ったら飛び跳ねるしかなさそうです。

そんな私の耳にかすかに聞こえてくる音。
それは規則正しく砂を踏みしめる音とザァーと砂の上を滑る音でした。

その音には聞き覚えがありました。
それも今朝聞いたばかりで、粒子の細かい砂の上を走らせる為の荷ゾリの音です。ヒノモト国の馬はヤマト国の馬に比べると体躯は少し小さめなのですが足が太く、蹄はあまり発達せずにぷよぷよした脂肪で足裏が覆われています。この脂肪が熱い砂の上を歩く時に熱を伝えづらくしたり、砂に沈まないようにしてくれるのだそうです。

この砂漠に適した形に進化した足のおかげでヒノモト国の馬は砂漠でも活動が可能で、逆に他国の馬は砂漠では活動が制限されてしまいます。ヒノモト国の馬が他国でどの程度活躍できるかは謎ですが、少なくともこの国にいる限り、どの国のどんな馬が相手でも負けることは無いでしょう。

(参ったなぁ。逃げるにしてもこれじゃ……)

砂漠に特化した馬という事実、それは運良くこの荷ゾリから無傷で飛び降りる事ができて逃げ出せたとしても、私の足では絶対に逃げ切れないという事になります。何かあった時は相手を攻撃したり、ましてや倒そうなんて思わずに一目散に逃げるという約束を叔父上たちと交わしているのですが、現状では逃げたくても逃げられません。




「さっきの話の続きだけど……。
 その子、本当に我が国を害する毒婦なの?」

「姫様がそう仰るんだ、何かしら証拠を掴まれたのだろう。
 俺たちはめいに従い、任務を完遂する事だけを考えていれば良い」

「そうは言うけれど……
 今日一日、側で見てきたけれど本当に普通の子なの。
 王族の横に居るのがふさわしいかは置いておいて、良い子だとすら思ったわ」

「そう見られるように演技しているんだろ」

しばらくじっと様子を伺っていたら、再び声が聞こえてきました。どうやら御者台付近にいるのが大団扇うちわの女官で、私の比較的近く……つまり荷台にいるのが剣で私を殴ったと思われる兵士のようです。

逆だったら良かったのに……と思ってから、直ぐに考えを改めました。
男性より女性を相手にした方が逃げやすそうだと思ったのですが、私の身体能力だと相手が女性だろうが子供だろうが確実に負けてしまいます。幼児か赤ん坊相手なら勝てると思いますが、流石にそこと比べて勝てる!って誇るのは……。

ましてやヒノモト国の女性は王族や華族であっても何かしらの武術を修める習慣があるので、真っ向勝負をすれば勝てる確率は無いに等しく。それが例え逃げ足という武術とは少し毛色の違うモノだとしても、全く勝てる気がしません。

それに運良く逃げられたとしても、水やあらゆる装備、そして砂漠を進む知識や知恵を持たない私がこの灼熱の砂漠で生き延びる事はとても困難です。この場を逃げ出す事が出来たら成功なのではなく、叔父上たちの元へ無事にたどり着けてこそ成功です。その為には何かしら私に有利な状況になるのを待つか、作り出す必要があります。

「それに指定された船が停泊している港まで後少しだ。
 この女をその船の奴らに引き渡せば俺たちの仕事は終わりなんだ」

「生きている方が望ましいが、無理なら死んでいても構わない。
 こんな命令をする人のほうがおかしくない?
 私達犯罪の片棒を担がされているんじゃ?」

「くどいな!
 姫様直々の命だというのに犯罪の訳がないだろう!」

女官さんと直接言葉を交わした回数は片手の指で数えるほどですが、それでも今日一日一緒にいた事で命令に疑問を抱く程度には私のことを知ってもらえていたようです。逆にずっと大天幕を警護していたと思われる兵士の男性は、命令が第一で疑問を抱くことすら悪いことだと思っているようで、さっさと私を引き渡してしまえば良いと思っているようです。

ただ今の会話の内容に希望が一つ見えました。

(港ってことは海だよね。
 海に飛び込んでしまえば浦さんの力を借りて逃げられるかも……)

叔父上たちには到底敵わないですし、この世界の最低ラインがオリンピックのメダリストレベルな為に口が裂けても得意とは言えませんが、私だって泳いだり素潜りしたりは出来ます。

(なら、今は大人しくしておいて海まで連れて行ってもらおう。
 砂漠で逃げ出すより絶対に生存率が上がる)

そう決めると体力の温存に努めることにしました。袋詰か簀巻き状態で炎天下を進むという環境のせいか、それとも水分を取り損なっているせいか妙に頭がクラクラとします。

(あと出血してる可能性もあるんだっけ……)

触れる事ができないので正確なことはわかりませんが、後頭部の痛みに加えて頬のあたりに何かが乾燥してカピカピになっているような感覚があります。もしこれが血だとしたら、結構な量が流れてしまっているようです。ただ、既に乾いているということは、出血自体は治まっているようですが。

(怖いけれど三太郎さんが一緒に居てくれる。
 叔父上や兄上、山吹だって絶対に探し出してくれる。
 海にさえたどり着けば、逃げるチャンスは絶対にある!)

そう心の中で唱え続けるのでした。




「このような毒婦が緋桐殿下のお側に侍るなど、決して許されない。
 そう姫様は仰られておられます」

「姫様の仰ると通りに御座います。
 それにこの女を含む吉野家はヤマト国の諜報機関の可能性が極めて高く、
 商売という名目であちらこちらと赴いては、
 その国の情報や財をヤマト国へと流す役目を担っていると
 一部で噂されている者どもに御座います。
 誇り高きヒノモト王家の方々と取り引きをするなど、あってはなりませぬ。
 姫様のご慧眼に、きっと王家の方々も感謝なされることでしょう」

顔の確認をするために布袋から出された私は、今も現在進行系で気を失っているフリを続けています。ただ少しでも情報が欲しくて、慎重にうっすらと目を開けてみました。そんな私の視界に最初に映った人物は、怪しくないところを探すのが大変なほど不審極まりない人物たちでした。ヴェールと呼ぶには厚手の布で目元以外を完全に隠した女性と、媚びへつらったような声で女性に話しかける男がいて、それぞれに数人の護衛やお付きの人を引き連れて、片や感情論、片や大嘘を話しています。私のいる場所からは女性はともかく男性の方は後ろ姿しか見えないのですが、それでも嫌悪感を感じてしまうのは何故なのか……。

「その者が二度と我が国へと足を踏み入れる事が無いように。
 姫様はそう望まれております」

「は、心得ております。ご安心ください、全て我らが適切に処理いたします」

(人間に対して処理って……、なんか怖いことを言ってる……)

気を失ったフリはまだ続けていますが、耳から入ってくる情報はなんだか不穏なものばかりです。

それにしても、やはりというか何というか……。
顔をしっかりと布で隠してはいるものの、私を見る目つきや嫌悪感が満載の声音に覚えがありました。

(目元しか見えないけれど、あれ絶対に火箭かせん家の苧環おだまき姫だよね。
 金さんの予想が大正解かぁ……)

小火宴だけで事が収まるとは思っていませんでしたが、こんな暴力的な手段に出るとは思っていませんでした。独善的で直情的ではあるものの、同時にヒノモト国人として、そして高位華族としての誇り高い人なんだろうなって思っていたのに。

だって苧環姫は緋桐殿下が好きすぎて私を敵視はしていたけれど、決して私の体が小さいことを含む外見の事を悪くは言いませんでした。ほとんどの人は私が実年齢とは思えない、小さすぎる、子供のようだという感想を口にするのですが、彼女は私が弱そうだとは口にしましたが、それが体格のせいだとは思っていないようでした。あくまでも鍛錬や努力が足りないから脆弱だし、命をかける覚悟のない下賤な者は緋桐殿下に相応しくないという論調でした。

ちなみにヒノモト国では、命をかけて王族を守ることができるのは高貴な身分の人の特権らしいです。だから命を賭ける覚悟のない私を下賤だと評したんだろうと、後で皐月姫殿下が教えてくれました。皐月姫殿下自身は、死ぬ覚悟より生きる覚悟という私の考え方はあまりにも斬新すぎて直ぐには受け入れがたいけれど、それでも「それはそれで貴い考え方よね」と、私の考え方を受け入れようとしてくれました。




「姫様の御心を煩わせる許し難き女は、我らがしかと仕置きをしておきましょう。
 どうかご安心ください、悔い改めるまで徹底的に躾けておきますゆえ」

そう言って男は私の姿を苧環姫に視認させるためか、90度ほど体の向きを変えました。この時になってようやく男の顔が見えたのですが、男の顔にも見覚えがありました。

(こ、この人!! アイカ町の松屋の七房さんを悩ました不出来なやつ!!
 名前すらもう覚えてないけど、あの時の番頭!!!)
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