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3章
16歳 -火の極日2-
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「櫻嬢、この果物は甘くて美味しいぞ」
「櫻、こっちの焼き貝も美味しそうだよ」
カットされた黄色い果物を串に刺したモノと、串刺しにされ香ばしく焼かれた貝を両サイドから差し出され、どうしたものかと困惑してしまいます。
「兄上も緋桐殿下もありがとうございます」
とりあえず両方受け取ってから、どう考えても果物より先に焼き貝を食べるべきだよねと思い、ヴェールを汚さないように気をつけながら焼き貝から口をつけると、兄上が少し勝ち誇ったような顔になりました。「こっちの焼き貝の方が」とは言わずに「こっちの焼き貝も」と言う辺りが兄上らしいなぁと思っていたのですが、私が思っている以上に緋桐殿下に対抗意識があるのかもしれません。
緋桐殿下は自分の選んだ果物が後回しにされた事に少し驚いたような表情になりましたが、苦笑しつつ店主に「変わりはないか?」と尋ねて祭事に何か問題が起こっていないか確認する事にしたようでした。
つい先刻のこと。
宿の窓から夜店や行き交う人たちで賑わう通りを見ていた私を、緋桐殿下が一緒にお祭りに行かないか?と誘ってくれました。ですが当然ながらすんなりとOKが出る訳がなく……。叔父上は即答こそ避けたもののとても渋い顔をし、逆に山吹は即座に「駄目です!」と却下してきました。私としても夜店という単語にはワクワクしてしまいますが、叔父上たちが渋い顔をしている理由も解るので簡単には頷けません。
「安心してくれ、この期間はいつも以上に治安維持に力を入れている。
まだ十三詣りを終えていないような小さな子供も夜店に来るぐらいだ。
流石に月が中天に差し掛かる頃には子供たちは帰るが、
俺達もそれぐらいまでに戻ってくれば、何も問題はないだろう?」
「ですが殿下は御公務があるのでは?」
ヤマト国の茴香殿下たちもそうでしたが、この期間の王族は朝早くやら夜遅くまで多忙を極めます。緋桐殿下も警備全般を任されていたはずで、その関係の木簡を届けたり引き取ったりする為に殿下の随身の石榴さんが何度も何度も宿と王宮を往復している事を知っています。当然ながら石榴さんは王宮で仕事をしてほしいと頼んでいたのですが、宿に居る方が仕事が早いという事に気付いた途端、そのお小言は一切言わなくなったそうです。
……普段、どれだけ仕事を溜め込んでいるんだか……。
まぁ、誰しも得手不得手はあるものです。神の欠片の三太郎さんたちですら不得手があるのだから、人間の私達に不得手がある事は仕方がないどころか当然だとすら思います。緋桐殿下の場合、身体を動かす事ならほぼ全て得意で他者の追随を許さない程に優れているそうなのですが、逆に書類仕事のような机に向かってする仕事が本当に苦手なんだとか。
ただ石榴さんの愚痴から察するに、本気になってやれば出来るのに好きじゃないからと後回しにして仕事を溜め込み、その結果余計に嫌いになって更に溜め込むという悪循環らしく……。石榴さんも呆れ半分諦め半分といった感じなのだそうです。
「見廻りも公務の一環だから問題ない」
そうにこやかに言う緋桐殿下に思わず納得しかけましたが、第二王子の緋桐殿下は本部で指揮を取る立場で、自身が見廻る必要は皆無のはずです。絶対に書類仕事が嫌で何かしら理由を探していたに違いありません。
「それにせっかく我が国に櫻嬢が来てくれたのに、
宿に閉じこもりっぱなしなのはどうにも残念で仕方がないんだ。
我が国は熱いだけの国ではないし、決して危険な国でもない。
色んな良い所を沢山見て、感じて、楽しんでいってほしい」
熱のこもった目でじっと見つめられると少しドキドキとしてしまいますが、緋桐殿下の言いたい事は全て理解しました。私達がヤマト国に住んでいると思っている緋桐殿下は、自国の悪い評判を他国に広められたくないに違いありません。良い噂であれ悪い噂であれ噂に尾ひれがつくのは防ぎようが無く、また一度広まった噂の訂正も難しいものです。そんな風評被害で国家イメージを損なう事は、王族の一員として見過ごせないのでしょう。
そんな心配をしなくてもヒノモト国を悪く言うつもりなんて欠片もありません。そう伝えたら、何故か叔父上や山吹も含めた全員から残念なモノを見る目をされてしまいました。
当の緋桐殿下も見た事がない程に微妙な顔をしていたのですが、咳払いを一つすると気を取り直して叔父上や私に「この城下町で一番の大通りは華族が多くいる為に行かない」だとか、「その大通りから1本横のこの宿のある通りは子供も遊びにくるような夜店ばかりだから大丈夫」だとか、「念には念を入れて警備の人員を増やすように指示してある」だとか言葉を重ねます。
それに今夜を逃すと極日5日・6日は殿下が、それ以降は極日後半に入る為に私達が、それぞれ忙しくなって観光をする時間が全く取れなくなってしまいます。また今回、叔父上たちが私や兄上をヒノモト国に連れてきた目的を考えると、友達どころか顔見知りすら作れていない現状はどうにかしたいようで、叔父上は悩みだしてしまいました。
私としては三太郎さんを含む家族が側に居てくれさえすればそれで良いんだけど、母上たちの親心を無碍にもできません。
結局、叔父上は兄上も一緒に行く事を条件に外出の許可を出してくれました。最初は叔父上が保護者として同行しようとしたのですが、仕事の手続きがある為に断念せざるを得ず。山吹は船で不寝番をしなくてはならない為、何度も何度も私と兄上に注意事項を念押しして泣く泣く同行を諦めました。
こうして兄上と殿下と私の3人で出かける事になったのです。
緋桐殿下と兄上と私で道を歩いていると、これ以上はない程に目立って仕方がありません。正確には私を見ている人はとても少なく、自国の第二王子の緋桐殿下と、その殿下よりも体格の良い兄上が注目を浴びています。チラチラと盗み見る視線や、ポーッとのぼせ上がったような視線を全身に浴びる事に殿下は慣れているようで、たまたま目があった女性に軽く手を振ったり微笑んだりして、その度に歓声が上がる始末です。
(兄上と2人で来るべきだった……)
そう思ってしまう私です。ただこの通りは平民向けの夜店ばかりの為、王子である殿下に勇気を出して近付いてくる平民の女性は居らず、客引きの男性も流石に殿下は避けるようで、ぎゅうぎゅう詰めの周囲に比べるとぽっかりと私達の周りに空間ができていて、歩きやすさと呼吸のしやすさは抜群です。
声に出しては絶対に言いませんし態度にも出しませんが、やっぱり臭うんです。香辛料の香りで若干誤魔化されているものの、これだけの沢山の人が密集していれば臭いも当然強まる訳で……。下級華族や平民に比べたらかなりマシとはいえ、殿下ですら決して「良い香り」とは言えないレベルです。というか焚きこめた香が強すぎて長時間横に居ると鼻が痛くなってきます。これでは折角のイケメンも台無しですが、この世界では強く香を焚きこめた服を着る事が高貴な人たちのお洒落なので、私が我慢するしかありません。
対し兄上は殿下のように日焼けをした逞しい外見も闊達な雰囲気もありませんが、爽やかで優し気な貴公子然とした雰囲気を持っています。
それに何より臭くない!
これが本当に大きいのです。2人に挟まれるように間を歩いているのに、兄上の方へと無意識に寄ってしまうぐらいには私の行動を左右しています。また殿下だけでなく、夜店から漂ってくる料理や香辛料の様々な香りもそれぞれ一つ一つは美味しそうなのに、全部が一緒になった途端に鼻への攻撃力MAX状態になるので油断できません。
そんな人混みの中にぽっかりと開いた空間を維持しつつ夜店を見て廻っていたら、面白いお店がありました。油屋が出した夜店のようで、小麦粉で作られたと思われる細長いパンのような物の上に、お好みの油と塩をかけるだけのシンプルな軽食の屋台です。
「兄上、アレを見てください。見た事の無い食べ物ですよ」
「へぇ、面白いね。油だけでもあんなに種類があるのに、
香辛料との組み合わせで色んな味が楽しめるみたいだ」
母上たちの狙いは私や兄上に友人を作る事でしたが、私にとって一番の狙いは油梨と呼ばれる木を見つけて持ち帰る事です。種子だけでなく果肉からも油がとれる油梨を島で栽培できるようになれば、日常生活で色々と助かりますから。
その油梨の種子と果肉から作られた油が目の前に並んでいました。他にも見た事が無い珍しい油が幾つもあり、仙人掌の種から作られた仙人掌油や、ピスタチオみたいな見た目だけれど中身が真っ赤なナッツから作られた油なんかもあります。
「兄上、これを叔父上たちのお土産にしたいので全種類買ってください!
あっでも香辛料との組み合わせも気になっちゃうなぁ……」
お財布は兄上が持っているので欲しい物があれば兄上にお願いするしかないのですが、油屋で売っている油を全種類買って帰るのは流石に無謀です。油梨を持ち帰る事は確定していますが、それ以外にも味の良い油があれば食用としてそちらも試してみたいのです。なのでこの軽食は渡りに船といった感じなのですが、香辛料をどうするか悩んでしまいます。油の味だけを確かめるのなら香辛料無しで買い求めれば良いのですが、やっかいな事に香辛料も買い揃えたいんですよね。
そうやって悩んでいたら横に緋桐殿下がやってきました。
「櫻嬢は甘いのとしょっぱいの、どちらの方が好きなんだ?」
「今の気分だと、どちらかといえば甘いのでしょうか」
「なら茴芹という甘い香りを持つ香辛料はどうだ?
それだけでもほんのり甘いが、柑子を皮ごと甘く煮た物も添えると美味いぞ。
その上に砕いた木の実を乗せても良いし、
別の果物の甘煮と組み合わせても面白いからお勧めだ」
そう言って緋桐殿下が指さした先には植物の種や実、葉が山盛りになっていました。パンを買うと、その場で香辛料をすり鉢で細かい粉末状にしてパンにかけてくれるシステムになっているようです。その為に周囲には一際強い香辛料の香りが漂っていて、油の匂いは殆どしません。また塩や香辛料の他にも砕いた数種類の木の実や色とりどりのジャムのような物も並べられていて、味付けはかなり多彩です。
どの組み合わせがベストか悩んでいると、私達が到着する少し前にここでパンを買ったらしい小さな女の子が、「すごく美味しいよ」とニコニコ笑顔と慣れた手つきで食べながら教えてくれました。どうやらヒノモト国ではとても慣れ親しまれた物のようで、その子が食べているパンも殿下お勧めの組み合わせのようです。
「では殿下のお勧めを買ってみます」
そう答えてから兄上にもう一度お願いすれば、兄上は仕方がないとばかりに溜息をついて
「殿下、申し訳ありませんが妹をお願いしてもよろしいでしょうか?」
申し訳なさ半分に心配半分といった風情の兄上に、殿下は
「勿論だ。安心してくれ、信頼を裏切るような事は絶対にしないから」
と胸を張って答えます。この国では信頼以上の財産はないと子供たちに教えるのだと、以前牡丹様や海棠さんから聞いた覚えがあります。それは戦という極限状態の時に背中を預ける事ができる人の大切さを身をもって知っているからで、だからこそ裏切りや人を騙す事を嫌悪する国民性ができあがりました。この国民性こそが過酷な気候風土や戦乱を生き延びる為に培った知恵なのだ……と、牡丹様が誇らしげに教えてくれた事を思い出します。
兄上を待っている間、ふと緋桐殿下が私の為の果物や飲み物は買っているのに、自分用には何も買っていない事に気付き、
「殿下は何も買われないのですか??」
と首を傾げながら尋ねれば
「一応とはいえ仕事中って事になっているからなぁ。
流石にその辺りぐらいは弁えておかないと」
なんて苦笑しながら答えてくれました。
(緋桐殿下、なんだかんだ言って真面目なんだよね。
たとえ気乗りのしない嫌な事だったとしても、
一度引き受けた事は全力で取り組む所も5年前のあの時と変らない)
そんな事を思うとフフフと小さく笑い声が零れてしまいました。
「櫻嬢がそうやって笑顔でいてくれるのは嬉しいんだが、
今の何処に笑うところがあったのか、俺には解らないんだが……?」
「いえ、殿下らしいな……って思って」
「俺らしい?」
「はい。真面目な所とか、一度引き受けた事は……」
そうさっき思った事をもう少し丁寧に伝えようとした途端、ぐるんといきなり身体が回転し、殿下の強烈な匂いに包まれます。えっ??と頭の中がクエッションマークでいっぱいになっている間にも、私の身体は殿下によってグッと強く抱え込まれてしまいました。余りにも殿下に近づきすぎた所為で強すぎる香りが鼻の奥を直撃し、ツーンとした痛みに生理的に涙が滲んで視界がぼやけてしまいます。そんな視界不良な私の耳に
「これはどういう事ですかっ!!」
という女性の声が突き刺さったのでした。
「櫻、こっちの焼き貝も美味しそうだよ」
カットされた黄色い果物を串に刺したモノと、串刺しにされ香ばしく焼かれた貝を両サイドから差し出され、どうしたものかと困惑してしまいます。
「兄上も緋桐殿下もありがとうございます」
とりあえず両方受け取ってから、どう考えても果物より先に焼き貝を食べるべきだよねと思い、ヴェールを汚さないように気をつけながら焼き貝から口をつけると、兄上が少し勝ち誇ったような顔になりました。「こっちの焼き貝の方が」とは言わずに「こっちの焼き貝も」と言う辺りが兄上らしいなぁと思っていたのですが、私が思っている以上に緋桐殿下に対抗意識があるのかもしれません。
緋桐殿下は自分の選んだ果物が後回しにされた事に少し驚いたような表情になりましたが、苦笑しつつ店主に「変わりはないか?」と尋ねて祭事に何か問題が起こっていないか確認する事にしたようでした。
つい先刻のこと。
宿の窓から夜店や行き交う人たちで賑わう通りを見ていた私を、緋桐殿下が一緒にお祭りに行かないか?と誘ってくれました。ですが当然ながらすんなりとOKが出る訳がなく……。叔父上は即答こそ避けたもののとても渋い顔をし、逆に山吹は即座に「駄目です!」と却下してきました。私としても夜店という単語にはワクワクしてしまいますが、叔父上たちが渋い顔をしている理由も解るので簡単には頷けません。
「安心してくれ、この期間はいつも以上に治安維持に力を入れている。
まだ十三詣りを終えていないような小さな子供も夜店に来るぐらいだ。
流石に月が中天に差し掛かる頃には子供たちは帰るが、
俺達もそれぐらいまでに戻ってくれば、何も問題はないだろう?」
「ですが殿下は御公務があるのでは?」
ヤマト国の茴香殿下たちもそうでしたが、この期間の王族は朝早くやら夜遅くまで多忙を極めます。緋桐殿下も警備全般を任されていたはずで、その関係の木簡を届けたり引き取ったりする為に殿下の随身の石榴さんが何度も何度も宿と王宮を往復している事を知っています。当然ながら石榴さんは王宮で仕事をしてほしいと頼んでいたのですが、宿に居る方が仕事が早いという事に気付いた途端、そのお小言は一切言わなくなったそうです。
……普段、どれだけ仕事を溜め込んでいるんだか……。
まぁ、誰しも得手不得手はあるものです。神の欠片の三太郎さんたちですら不得手があるのだから、人間の私達に不得手がある事は仕方がないどころか当然だとすら思います。緋桐殿下の場合、身体を動かす事ならほぼ全て得意で他者の追随を許さない程に優れているそうなのですが、逆に書類仕事のような机に向かってする仕事が本当に苦手なんだとか。
ただ石榴さんの愚痴から察するに、本気になってやれば出来るのに好きじゃないからと後回しにして仕事を溜め込み、その結果余計に嫌いになって更に溜め込むという悪循環らしく……。石榴さんも呆れ半分諦め半分といった感じなのだそうです。
「見廻りも公務の一環だから問題ない」
そうにこやかに言う緋桐殿下に思わず納得しかけましたが、第二王子の緋桐殿下は本部で指揮を取る立場で、自身が見廻る必要は皆無のはずです。絶対に書類仕事が嫌で何かしら理由を探していたに違いありません。
「それにせっかく我が国に櫻嬢が来てくれたのに、
宿に閉じこもりっぱなしなのはどうにも残念で仕方がないんだ。
我が国は熱いだけの国ではないし、決して危険な国でもない。
色んな良い所を沢山見て、感じて、楽しんでいってほしい」
熱のこもった目でじっと見つめられると少しドキドキとしてしまいますが、緋桐殿下の言いたい事は全て理解しました。私達がヤマト国に住んでいると思っている緋桐殿下は、自国の悪い評判を他国に広められたくないに違いありません。良い噂であれ悪い噂であれ噂に尾ひれがつくのは防ぎようが無く、また一度広まった噂の訂正も難しいものです。そんな風評被害で国家イメージを損なう事は、王族の一員として見過ごせないのでしょう。
そんな心配をしなくてもヒノモト国を悪く言うつもりなんて欠片もありません。そう伝えたら、何故か叔父上や山吹も含めた全員から残念なモノを見る目をされてしまいました。
当の緋桐殿下も見た事がない程に微妙な顔をしていたのですが、咳払いを一つすると気を取り直して叔父上や私に「この城下町で一番の大通りは華族が多くいる為に行かない」だとか、「その大通りから1本横のこの宿のある通りは子供も遊びにくるような夜店ばかりだから大丈夫」だとか、「念には念を入れて警備の人員を増やすように指示してある」だとか言葉を重ねます。
それに今夜を逃すと極日5日・6日は殿下が、それ以降は極日後半に入る為に私達が、それぞれ忙しくなって観光をする時間が全く取れなくなってしまいます。また今回、叔父上たちが私や兄上をヒノモト国に連れてきた目的を考えると、友達どころか顔見知りすら作れていない現状はどうにかしたいようで、叔父上は悩みだしてしまいました。
私としては三太郎さんを含む家族が側に居てくれさえすればそれで良いんだけど、母上たちの親心を無碍にもできません。
結局、叔父上は兄上も一緒に行く事を条件に外出の許可を出してくれました。最初は叔父上が保護者として同行しようとしたのですが、仕事の手続きがある為に断念せざるを得ず。山吹は船で不寝番をしなくてはならない為、何度も何度も私と兄上に注意事項を念押しして泣く泣く同行を諦めました。
こうして兄上と殿下と私の3人で出かける事になったのです。
緋桐殿下と兄上と私で道を歩いていると、これ以上はない程に目立って仕方がありません。正確には私を見ている人はとても少なく、自国の第二王子の緋桐殿下と、その殿下よりも体格の良い兄上が注目を浴びています。チラチラと盗み見る視線や、ポーッとのぼせ上がったような視線を全身に浴びる事に殿下は慣れているようで、たまたま目があった女性に軽く手を振ったり微笑んだりして、その度に歓声が上がる始末です。
(兄上と2人で来るべきだった……)
そう思ってしまう私です。ただこの通りは平民向けの夜店ばかりの為、王子である殿下に勇気を出して近付いてくる平民の女性は居らず、客引きの男性も流石に殿下は避けるようで、ぎゅうぎゅう詰めの周囲に比べるとぽっかりと私達の周りに空間ができていて、歩きやすさと呼吸のしやすさは抜群です。
声に出しては絶対に言いませんし態度にも出しませんが、やっぱり臭うんです。香辛料の香りで若干誤魔化されているものの、これだけの沢山の人が密集していれば臭いも当然強まる訳で……。下級華族や平民に比べたらかなりマシとはいえ、殿下ですら決して「良い香り」とは言えないレベルです。というか焚きこめた香が強すぎて長時間横に居ると鼻が痛くなってきます。これでは折角のイケメンも台無しですが、この世界では強く香を焚きこめた服を着る事が高貴な人たちのお洒落なので、私が我慢するしかありません。
対し兄上は殿下のように日焼けをした逞しい外見も闊達な雰囲気もありませんが、爽やかで優し気な貴公子然とした雰囲気を持っています。
それに何より臭くない!
これが本当に大きいのです。2人に挟まれるように間を歩いているのに、兄上の方へと無意識に寄ってしまうぐらいには私の行動を左右しています。また殿下だけでなく、夜店から漂ってくる料理や香辛料の様々な香りもそれぞれ一つ一つは美味しそうなのに、全部が一緒になった途端に鼻への攻撃力MAX状態になるので油断できません。
そんな人混みの中にぽっかりと開いた空間を維持しつつ夜店を見て廻っていたら、面白いお店がありました。油屋が出した夜店のようで、小麦粉で作られたと思われる細長いパンのような物の上に、お好みの油と塩をかけるだけのシンプルな軽食の屋台です。
「兄上、アレを見てください。見た事の無い食べ物ですよ」
「へぇ、面白いね。油だけでもあんなに種類があるのに、
香辛料との組み合わせで色んな味が楽しめるみたいだ」
母上たちの狙いは私や兄上に友人を作る事でしたが、私にとって一番の狙いは油梨と呼ばれる木を見つけて持ち帰る事です。種子だけでなく果肉からも油がとれる油梨を島で栽培できるようになれば、日常生活で色々と助かりますから。
その油梨の種子と果肉から作られた油が目の前に並んでいました。他にも見た事が無い珍しい油が幾つもあり、仙人掌の種から作られた仙人掌油や、ピスタチオみたいな見た目だけれど中身が真っ赤なナッツから作られた油なんかもあります。
「兄上、これを叔父上たちのお土産にしたいので全種類買ってください!
あっでも香辛料との組み合わせも気になっちゃうなぁ……」
お財布は兄上が持っているので欲しい物があれば兄上にお願いするしかないのですが、油屋で売っている油を全種類買って帰るのは流石に無謀です。油梨を持ち帰る事は確定していますが、それ以外にも味の良い油があれば食用としてそちらも試してみたいのです。なのでこの軽食は渡りに船といった感じなのですが、香辛料をどうするか悩んでしまいます。油の味だけを確かめるのなら香辛料無しで買い求めれば良いのですが、やっかいな事に香辛料も買い揃えたいんですよね。
そうやって悩んでいたら横に緋桐殿下がやってきました。
「櫻嬢は甘いのとしょっぱいの、どちらの方が好きなんだ?」
「今の気分だと、どちらかといえば甘いのでしょうか」
「なら茴芹という甘い香りを持つ香辛料はどうだ?
それだけでもほんのり甘いが、柑子を皮ごと甘く煮た物も添えると美味いぞ。
その上に砕いた木の実を乗せても良いし、
別の果物の甘煮と組み合わせても面白いからお勧めだ」
そう言って緋桐殿下が指さした先には植物の種や実、葉が山盛りになっていました。パンを買うと、その場で香辛料をすり鉢で細かい粉末状にしてパンにかけてくれるシステムになっているようです。その為に周囲には一際強い香辛料の香りが漂っていて、油の匂いは殆どしません。また塩や香辛料の他にも砕いた数種類の木の実や色とりどりのジャムのような物も並べられていて、味付けはかなり多彩です。
どの組み合わせがベストか悩んでいると、私達が到着する少し前にここでパンを買ったらしい小さな女の子が、「すごく美味しいよ」とニコニコ笑顔と慣れた手つきで食べながら教えてくれました。どうやらヒノモト国ではとても慣れ親しまれた物のようで、その子が食べているパンも殿下お勧めの組み合わせのようです。
「では殿下のお勧めを買ってみます」
そう答えてから兄上にもう一度お願いすれば、兄上は仕方がないとばかりに溜息をついて
「殿下、申し訳ありませんが妹をお願いしてもよろしいでしょうか?」
申し訳なさ半分に心配半分といった風情の兄上に、殿下は
「勿論だ。安心してくれ、信頼を裏切るような事は絶対にしないから」
と胸を張って答えます。この国では信頼以上の財産はないと子供たちに教えるのだと、以前牡丹様や海棠さんから聞いた覚えがあります。それは戦という極限状態の時に背中を預ける事ができる人の大切さを身をもって知っているからで、だからこそ裏切りや人を騙す事を嫌悪する国民性ができあがりました。この国民性こそが過酷な気候風土や戦乱を生き延びる為に培った知恵なのだ……と、牡丹様が誇らしげに教えてくれた事を思い出します。
兄上を待っている間、ふと緋桐殿下が私の為の果物や飲み物は買っているのに、自分用には何も買っていない事に気付き、
「殿下は何も買われないのですか??」
と首を傾げながら尋ねれば
「一応とはいえ仕事中って事になっているからなぁ。
流石にその辺りぐらいは弁えておかないと」
なんて苦笑しながら答えてくれました。
(緋桐殿下、なんだかんだ言って真面目なんだよね。
たとえ気乗りのしない嫌な事だったとしても、
一度引き受けた事は全力で取り組む所も5年前のあの時と変らない)
そんな事を思うとフフフと小さく笑い声が零れてしまいました。
「櫻嬢がそうやって笑顔でいてくれるのは嬉しいんだが、
今の何処に笑うところがあったのか、俺には解らないんだが……?」
「いえ、殿下らしいな……って思って」
「俺らしい?」
「はい。真面目な所とか、一度引き受けた事は……」
そうさっき思った事をもう少し丁寧に伝えようとした途端、ぐるんといきなり身体が回転し、殿下の強烈な匂いに包まれます。えっ??と頭の中がクエッションマークでいっぱいになっている間にも、私の身体は殿下によってグッと強く抱え込まれてしまいました。余りにも殿下に近づきすぎた所為で強すぎる香りが鼻の奥を直撃し、ツーンとした痛みに生理的に涙が滲んで視界がぼやけてしまいます。そんな視界不良な私の耳に
「これはどういう事ですかっ!!」
という女性の声が突き刺さったのでした。
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