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2章
11歳 -水の陰月1-
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無の月が終わって新しい年が始まってからというもの、平穏だったのは兄上の誕生日だった9日までだけで、後は波瀾万丈や激動という言葉が幾つあっても足りない日々が続きました。それも命に関わるレベルの波瀾万丈ぷりで、私の精神力がゴリゴリ削られていく日々でした。
そんな私が山に戻ってきた時点で一番元気だったのは山吹でしたが、無理をすればすぐに体調を崩してしまうような万全とは言い難い状態でした。でも、そんな山吹が頑張って皆の世話をして守っていてくれていたからこそ、全員無事にこの騒動を乗り越える事ができたのだと思っています。
次に回復が速かったのは橡でした。朝顔さんの呪詛というか恨み言は碧宮家へ向かっていたので、対象外の橡は余波を喰らっただけに過ぎず……。ただ一番近くで余波を受けた上、50歳オーバーという年齢による基礎体力の低下が響いて山吹より重症となってしまいました。それでも今は家事をこなせる程度には回復しています。畑仕事は流石にまだ無理だと引き留めていますが、当人のやる気だけは全盛時と全く変わりません。ただ橡に無理はしてほしくないけれど、畑仕事はここで生きていく為には必須です。なので橡という大きな穴をどうやって埋めようか、三太郎さんたちと頭を悩ませています。
次に回復したのは叔父上でした。とはいえ橡からかなり遅れての回復で、碧宮家を襲った呪詛の強さを思い知ります。山吹と同じぐらい基礎体力のある叔父上が、ずっとずっと寝込み続けた訳ですから。私が山を下りた以降も暫くは高熱による意識の混濁が続いたそうで、看病をしていた山吹は最悪の事態も考えてしまったそうです。その後、熱は下がりましたが同時に体力もかなり落ちてしまっていて、日課だった早朝鍛錬で軽い運動をして体力を取り戻す事に邁進しています。何せ塩汲み場への長い階段を以前なら何往復も出来た叔父上が、今は1往復すらできなくなっていたらしく……。あまりの体力の落ちっぷりに当人が一番ショックを受けていたと桃さんがこっそり教えてくれました。
そして叔父上よりもずっと回復が遅かったのは母上と兄上でした。朝顔さんの恨み言は主に菖蒲様のライバル(だと勝手に朝顔さんが思っていた)母上と、そもそも恨み言の切っ掛けになった兄上に向かっていた為、この二人が重症なのは仕方がない事ではあります。誰よりも長く高熱に苦しんだ結果、母上の頬はこけてやせ細り、兄上の手足も随分と細くなってしまいました。不幸中の幸いだったのは、兄上にヤマト国の人の体質が色濃く出た事でした。おかげで熱が下がってからの回復は速く、今では叔父上と一緒に体力づくりに勤しむ毎日です。
ただ母上はそうはいきませんでした。帝家と同じで代々混血が続いた碧宮家では、親子でも体質が極端に違う事が多々あります。母上はどちらかといえば体力の乏しいミズホ国の体質が色濃く出ているようで、今でも1日の大半をウォーターベッド御帳台の上で過ごしています。少し無理をしただけで再び高熱が出てしまうので、食事やお風呂、後はトイレや歯磨き等以外で部屋の外に出る事は稀です。それでも水の陽月の終わり頃に比べれば食べられる量が増えてきているそうで、ご飯も私が戻ってきた時には重湯から三分粥になっていて、今では一番水分の少ない全粥になっています。
そして母上の守護精霊の土と水の精霊は、桃さんと一緒に母上たちを守る事に全力を尽くしてくれました。その全力っぷりはフラフラと力なく漂う水や金属の玉の姿に現れていて、今にも消えそうなその姿に心配になるほどでした。慌てて母上の中に戻ってもらうようにお願いしたのですが、その際に
「戻る前に……。できれば私どもにも名前をください」
と言われて困惑してしまいました。どうも第4世代の桃さんの精霊力が桁違いに強いことに驚いた二柱の精霊は、その理由を桃さんに尋ねたそうなのです。ですが桃さんからは「心当たりはない」と素っ気なく返されたらしく……。水の陽月も半ばが過ぎて呪詛の発動が落ち着くと、余暇が出来た二柱は色々と考察を始めました。その結果、名前がある事に意味があるのではと思い至ったそうです。更には
「まぁ、確かにその可能性が無いとは言い切れませんね」
とアスカ村から様子見に来ていた浦さんが二柱の説を否定しなかった所為で、二柱の「名付けられたい欲」に拍車が掛かってしまいました。私はそんな二柱の精霊に顔面がひきつりそうになるのを何とか堪えつつ、こっそり心話で
<そう思うのなら浦さんが名前を付けてよ>
と言ったのですが、
<異世界の魂を持つあなたが名付ける事に意味がある可能性もありますよ?
それに彼らが力を持てば、沙羅を守る力も強まります。
あなたにとっても悪い話ではないのでは??>
と返されて反論できませんでした。仕方なく皆無に乏しいネーミングセンスに四苦八苦しながら母上の土の守護精霊に山幸彦、水の守護精霊に海幸彦と名付ける事にしました。もちろん二柱に告げる前にちゃんと三太郎さんに「どう思う?」というお伺いを立てて、
「山の幸をもたらす者と、海の幸をもたらす者……。
良い名前だと思いますよ」
と浦さんから良い返事を、金さんからは
「金太郎という名前より良いのではないか?」
と妬まし気に言われてしまいました。金さんは名づけと同時に、前掛け一枚の姿にされた事が相当嫌だったらしく……。私としてもそれに関しては本当に申し訳ないと今でも思っているけれど、あれは不可抗力だったから!!!
こうして名前を受け取った山幸彦さんと海幸彦さんは、再び母上の中へ霊力を回復させる為に消えました。元々精霊力が完全回復していなかったのに、金さんや浦さんの精霊力を使って無理矢理起こしたようなものだったので、仕方が無い事ではあります。
そうやって皆が回復していく中、逆に寝込んでしまったのが私でした。
あれは帰宅直後、まずは頭のてっぺんから足の先までゴシゴシ石鹸で洗って綺麗になりたくて、お風呂へと直行したのです。なにせ水の月の間中、殆どお風呂に入れなかったので本当に限界でした。一応身体を拭いたりは出来たのですが、桃さんがいないから温かいお湯を準備するのも大変で、いつも冷たい水で身体を拭いていたのです。髪なんて苦肉の策で、冷水を頭からかぶりつつ浦さんの技能「浄水」で綺麗にしていました。ただ綺麗になってはいるんだろうけど、お湯+石鹸と比べるとどこか物足りないんですよね。
だから本当にお風呂が恋しくて恋しくて……。
ただそうやって洗浄槽を光らせてから全身泡だらけになり、ウキウキしながらお湯に浸かっていると、途中から頭痛と吐き気がしはじめてしまいました。あまりにも体調が酷くてお風呂から出ようと思ったのですが、その時点でもう自力で立ち上がる事が出来ない程の体調不良です。
しかも1人で入っていたから助けてくれる人が近くに誰もいなくて、かといって母上や橡を呼ぶのは2人の体調を考えるとありえません。痛む頭で羞恥心と体調不良のどっちを取るべきか本当にギリギリまで悩んだんだけど、自力で立ち上がる事ができない時点で自力解決は不可能と判断して、全力の心話で浦さんを呼んで助けてもらいました。
我ながら体力が無いなぁと思うけれど、同時にしょうがないよねとも思います。
だって超が付くレベルの強行軍で天都へ行って、神楽を習って舞ったり談判したりと色々とやって、呪詛問題を解決して、ついでに救済策のアイデアも出して、足止めをくらいながらもやっとアスカ村まで戻ってきたのに山には戻れなくて……。疲労と心労が限界突破しても仕方がない状況だよ、うん。
「まったく、あなたは山を下りる度に熱をだしていませんか?」
「山に帰ってきて、みんなの顔を見たら気が抜けちゃったの!
それに旅の途中や天都では寝具が固くて疲れがとれなかったから……」
「もっと体力をつけた方が良いんだろうが、鍛錬しただけで熱を出すからなぁ。
俺様もここまで体力が無いヤツにどうすれば良いのか、全く見当つかねぇよ」
「同じことを山吹や鬱金も悩んでおったな。
我としても櫻の体力の無さはどうにかせねばとは思うのだが、
如何せん塩汲み場の階段の上り下りすら出来ぬようでは……」
「うーーー、皆してっ!!
体力が低いのは自覚してるけれど、前世に比べれば少しは体力ついてるよっ!
それに塩汲み場の階段なんて、山一つ上り下りするようなものなんだよ?
普通は無理だってっ!! 叔父上たちが凄すぎなのっ!!」
「前世の普通が此方では適用されない事は、あなたも散々学んだでしょうに」
精神世界にある大きな丸いテーブルを私と一緒に囲んだ三太郎さんが、呆れが混じった視線を向けてくると同時に溜息混じりの台詞を吐き出します。現実世界の私は高熱の所為でウォーターベッド御帳台の上でフーフー言っているのですが、こちらではとりあえず短時間なら話しが出来る程度には気力が残っています。
この世界の人の身体能力は本当にすごくて、前世だったらオリンピックのメダリストレベルのアスリートが最低ラインみたいなところがあります。だから私の身体能力の低さは三太郎さんたちからすると衝撃的なようで、「これだから守護する精霊が三柱も必要だったんじゃねーの?」という桃さんの言葉に浦さんたちが頷くシーンを何度も見てきました。
「何に致しても、呪詛事件は無事に解決できたのだ。良かったではないか。
勿論大陸中で無数の命が失われた事は嘆かわしく思うが、
幸いにも此処の者たちは皆無事だったのだ。今はそれを喜ぼう」
「そうですね。それにこれ程までに大変な日々を過ごしたのですから、
これ以降は平穏な日々が送れますよ」
金さんの言葉に浦さんがにこやかに微笑んで答えますが、私は嫌な予感しかしません。
「やめて。 浦さんのソレ、死亡フラグって奴だよ」
「死亡フラグ??」
初めて聞く単語に訝し気な顔をした桃さん。創作物が無いに等しいこの世界で、死亡フラグという概念を説明するのは大変でしたが、概ね三太郎さんにも死亡フラグの意味は理解できたようです。ただ理解できる事と納得できる事は別で、
「あなたの居た世界は変っていますねぇ。
こちらの世界では、良い言葉は積極的に口に出すべきという風潮がありますよ。
言霊の力でそれが実現するから……と」
言霊という概念は前世の日本でもありました。ただ日本の「言葉には霊力が宿っていて、その言葉を実現する力を持つ」という考え方とは違い、こちらでは「その言葉を聞いた精霊が力を貸してくれ、言葉を実現する手助けをしてくれる」といった感じの意味合いで、微妙にニュアンスが違います。
「言霊と死亡フラグ、どっちが強いんだろうな?
もちろん俺様は神の力が関与する言霊の方が強いと思うぜ!
死亡フラグとやらは人間が作り出したものなんだろ??」
「桃は直ぐに強弱で判断しようとするクセを止めた方が良いのでは?
そもそも死亡フラグとやらが本当にあるのかどうかも疑わしいのですから。
あくまでも櫻の元の世界の人たちの間にあった認識にすぎないのでしょ?」
「まぁ、それはそうなんだけど……。それでも不吉な感じがして嫌だなぁ」
何て言っていたらフッと意識が飛びかけました。どうやら気力も限界のようです。
「とりあえず、死亡フラグになるような事だけは止めて。
私の心の平穏の為に……」
それだけを言い残すと、私は心の中でも眠りについたのでした。
火の陽月に近付くと少しずつ気温が上がっていき、そんな気温と同調するように皆の体調も少しずつ戻っていきました。以前と同じ生活に戻るにはまだ少し時間がかかりそうですが、それでも普通の生活と言えるような日々です。
少し毛並みが荒れてしまっていた毛美たちも、私が戻ってきた途端に文字通り狂喜乱舞と空中を乱舞してくれて、今では以前と同じように栄養豊富なミルクを毎日提供してくれています。兄上を悲しませた馬の黒松と王風も再び戻ってきて、兄上に泣き笑いのような拍子抜けした顔をさせていました。もっとも、数日経ったらまた居なくなってしまいましたが……。こうして何時か帰ってこない日がやってくるんでしょうね。
悩みの種だった畑は、規模を少し縮小して日持ちのする野菜を中心に作っていく事にしました。母上や橡に無理をさせられない以上私がやるしかないのですが、私一人では畑の維持なんて到底できません。なので今期に限り、未だ狩猟は厳しい叔父上と兄上が手伝ってくれる事になりました。
三太郎さんたちも水の月に入ってからは殆どチェックの出来なかった拠点中の各施設のチェックをしたり、霊石に霊力を補充したりと日々忙しく過ごしています。
全てが順調……そう言いたいのですが、気がかりなのは時々浦さんが何かに気付いたかのようにふと遠くを見る事です。
「どうしたの?」
「いえ、何だか水の気配が……。呪詛の名残でしょうか??」
2人して首を傾げる、そんな日が何度かありました。
この時にもっとしっかりと調べるべきだったのです……。
私は後々、心の底から後悔する事になるのでした。
そんな私が山に戻ってきた時点で一番元気だったのは山吹でしたが、無理をすればすぐに体調を崩してしまうような万全とは言い難い状態でした。でも、そんな山吹が頑張って皆の世話をして守っていてくれていたからこそ、全員無事にこの騒動を乗り越える事ができたのだと思っています。
次に回復が速かったのは橡でした。朝顔さんの呪詛というか恨み言は碧宮家へ向かっていたので、対象外の橡は余波を喰らっただけに過ぎず……。ただ一番近くで余波を受けた上、50歳オーバーという年齢による基礎体力の低下が響いて山吹より重症となってしまいました。それでも今は家事をこなせる程度には回復しています。畑仕事は流石にまだ無理だと引き留めていますが、当人のやる気だけは全盛時と全く変わりません。ただ橡に無理はしてほしくないけれど、畑仕事はここで生きていく為には必須です。なので橡という大きな穴をどうやって埋めようか、三太郎さんたちと頭を悩ませています。
次に回復したのは叔父上でした。とはいえ橡からかなり遅れての回復で、碧宮家を襲った呪詛の強さを思い知ります。山吹と同じぐらい基礎体力のある叔父上が、ずっとずっと寝込み続けた訳ですから。私が山を下りた以降も暫くは高熱による意識の混濁が続いたそうで、看病をしていた山吹は最悪の事態も考えてしまったそうです。その後、熱は下がりましたが同時に体力もかなり落ちてしまっていて、日課だった早朝鍛錬で軽い運動をして体力を取り戻す事に邁進しています。何せ塩汲み場への長い階段を以前なら何往復も出来た叔父上が、今は1往復すらできなくなっていたらしく……。あまりの体力の落ちっぷりに当人が一番ショックを受けていたと桃さんがこっそり教えてくれました。
そして叔父上よりもずっと回復が遅かったのは母上と兄上でした。朝顔さんの恨み言は主に菖蒲様のライバル(だと勝手に朝顔さんが思っていた)母上と、そもそも恨み言の切っ掛けになった兄上に向かっていた為、この二人が重症なのは仕方がない事ではあります。誰よりも長く高熱に苦しんだ結果、母上の頬はこけてやせ細り、兄上の手足も随分と細くなってしまいました。不幸中の幸いだったのは、兄上にヤマト国の人の体質が色濃く出た事でした。おかげで熱が下がってからの回復は速く、今では叔父上と一緒に体力づくりに勤しむ毎日です。
ただ母上はそうはいきませんでした。帝家と同じで代々混血が続いた碧宮家では、親子でも体質が極端に違う事が多々あります。母上はどちらかといえば体力の乏しいミズホ国の体質が色濃く出ているようで、今でも1日の大半をウォーターベッド御帳台の上で過ごしています。少し無理をしただけで再び高熱が出てしまうので、食事やお風呂、後はトイレや歯磨き等以外で部屋の外に出る事は稀です。それでも水の陽月の終わり頃に比べれば食べられる量が増えてきているそうで、ご飯も私が戻ってきた時には重湯から三分粥になっていて、今では一番水分の少ない全粥になっています。
そして母上の守護精霊の土と水の精霊は、桃さんと一緒に母上たちを守る事に全力を尽くしてくれました。その全力っぷりはフラフラと力なく漂う水や金属の玉の姿に現れていて、今にも消えそうなその姿に心配になるほどでした。慌てて母上の中に戻ってもらうようにお願いしたのですが、その際に
「戻る前に……。できれば私どもにも名前をください」
と言われて困惑してしまいました。どうも第4世代の桃さんの精霊力が桁違いに強いことに驚いた二柱の精霊は、その理由を桃さんに尋ねたそうなのです。ですが桃さんからは「心当たりはない」と素っ気なく返されたらしく……。水の陽月も半ばが過ぎて呪詛の発動が落ち着くと、余暇が出来た二柱は色々と考察を始めました。その結果、名前がある事に意味があるのではと思い至ったそうです。更には
「まぁ、確かにその可能性が無いとは言い切れませんね」
とアスカ村から様子見に来ていた浦さんが二柱の説を否定しなかった所為で、二柱の「名付けられたい欲」に拍車が掛かってしまいました。私はそんな二柱の精霊に顔面がひきつりそうになるのを何とか堪えつつ、こっそり心話で
<そう思うのなら浦さんが名前を付けてよ>
と言ったのですが、
<異世界の魂を持つあなたが名付ける事に意味がある可能性もありますよ?
それに彼らが力を持てば、沙羅を守る力も強まります。
あなたにとっても悪い話ではないのでは??>
と返されて反論できませんでした。仕方なく皆無に乏しいネーミングセンスに四苦八苦しながら母上の土の守護精霊に山幸彦、水の守護精霊に海幸彦と名付ける事にしました。もちろん二柱に告げる前にちゃんと三太郎さんに「どう思う?」というお伺いを立てて、
「山の幸をもたらす者と、海の幸をもたらす者……。
良い名前だと思いますよ」
と浦さんから良い返事を、金さんからは
「金太郎という名前より良いのではないか?」
と妬まし気に言われてしまいました。金さんは名づけと同時に、前掛け一枚の姿にされた事が相当嫌だったらしく……。私としてもそれに関しては本当に申し訳ないと今でも思っているけれど、あれは不可抗力だったから!!!
こうして名前を受け取った山幸彦さんと海幸彦さんは、再び母上の中へ霊力を回復させる為に消えました。元々精霊力が完全回復していなかったのに、金さんや浦さんの精霊力を使って無理矢理起こしたようなものだったので、仕方が無い事ではあります。
そうやって皆が回復していく中、逆に寝込んでしまったのが私でした。
あれは帰宅直後、まずは頭のてっぺんから足の先までゴシゴシ石鹸で洗って綺麗になりたくて、お風呂へと直行したのです。なにせ水の月の間中、殆どお風呂に入れなかったので本当に限界でした。一応身体を拭いたりは出来たのですが、桃さんがいないから温かいお湯を準備するのも大変で、いつも冷たい水で身体を拭いていたのです。髪なんて苦肉の策で、冷水を頭からかぶりつつ浦さんの技能「浄水」で綺麗にしていました。ただ綺麗になってはいるんだろうけど、お湯+石鹸と比べるとどこか物足りないんですよね。
だから本当にお風呂が恋しくて恋しくて……。
ただそうやって洗浄槽を光らせてから全身泡だらけになり、ウキウキしながらお湯に浸かっていると、途中から頭痛と吐き気がしはじめてしまいました。あまりにも体調が酷くてお風呂から出ようと思ったのですが、その時点でもう自力で立ち上がる事が出来ない程の体調不良です。
しかも1人で入っていたから助けてくれる人が近くに誰もいなくて、かといって母上や橡を呼ぶのは2人の体調を考えるとありえません。痛む頭で羞恥心と体調不良のどっちを取るべきか本当にギリギリまで悩んだんだけど、自力で立ち上がる事ができない時点で自力解決は不可能と判断して、全力の心話で浦さんを呼んで助けてもらいました。
我ながら体力が無いなぁと思うけれど、同時にしょうがないよねとも思います。
だって超が付くレベルの強行軍で天都へ行って、神楽を習って舞ったり談判したりと色々とやって、呪詛問題を解決して、ついでに救済策のアイデアも出して、足止めをくらいながらもやっとアスカ村まで戻ってきたのに山には戻れなくて……。疲労と心労が限界突破しても仕方がない状況だよ、うん。
「まったく、あなたは山を下りる度に熱をだしていませんか?」
「山に帰ってきて、みんなの顔を見たら気が抜けちゃったの!
それに旅の途中や天都では寝具が固くて疲れがとれなかったから……」
「もっと体力をつけた方が良いんだろうが、鍛錬しただけで熱を出すからなぁ。
俺様もここまで体力が無いヤツにどうすれば良いのか、全く見当つかねぇよ」
「同じことを山吹や鬱金も悩んでおったな。
我としても櫻の体力の無さはどうにかせねばとは思うのだが、
如何せん塩汲み場の階段の上り下りすら出来ぬようでは……」
「うーーー、皆してっ!!
体力が低いのは自覚してるけれど、前世に比べれば少しは体力ついてるよっ!
それに塩汲み場の階段なんて、山一つ上り下りするようなものなんだよ?
普通は無理だってっ!! 叔父上たちが凄すぎなのっ!!」
「前世の普通が此方では適用されない事は、あなたも散々学んだでしょうに」
精神世界にある大きな丸いテーブルを私と一緒に囲んだ三太郎さんが、呆れが混じった視線を向けてくると同時に溜息混じりの台詞を吐き出します。現実世界の私は高熱の所為でウォーターベッド御帳台の上でフーフー言っているのですが、こちらではとりあえず短時間なら話しが出来る程度には気力が残っています。
この世界の人の身体能力は本当にすごくて、前世だったらオリンピックのメダリストレベルのアスリートが最低ラインみたいなところがあります。だから私の身体能力の低さは三太郎さんたちからすると衝撃的なようで、「これだから守護する精霊が三柱も必要だったんじゃねーの?」という桃さんの言葉に浦さんたちが頷くシーンを何度も見てきました。
「何に致しても、呪詛事件は無事に解決できたのだ。良かったではないか。
勿論大陸中で無数の命が失われた事は嘆かわしく思うが、
幸いにも此処の者たちは皆無事だったのだ。今はそれを喜ぼう」
「そうですね。それにこれ程までに大変な日々を過ごしたのですから、
これ以降は平穏な日々が送れますよ」
金さんの言葉に浦さんがにこやかに微笑んで答えますが、私は嫌な予感しかしません。
「やめて。 浦さんのソレ、死亡フラグって奴だよ」
「死亡フラグ??」
初めて聞く単語に訝し気な顔をした桃さん。創作物が無いに等しいこの世界で、死亡フラグという概念を説明するのは大変でしたが、概ね三太郎さんにも死亡フラグの意味は理解できたようです。ただ理解できる事と納得できる事は別で、
「あなたの居た世界は変っていますねぇ。
こちらの世界では、良い言葉は積極的に口に出すべきという風潮がありますよ。
言霊の力でそれが実現するから……と」
言霊という概念は前世の日本でもありました。ただ日本の「言葉には霊力が宿っていて、その言葉を実現する力を持つ」という考え方とは違い、こちらでは「その言葉を聞いた精霊が力を貸してくれ、言葉を実現する手助けをしてくれる」といった感じの意味合いで、微妙にニュアンスが違います。
「言霊と死亡フラグ、どっちが強いんだろうな?
もちろん俺様は神の力が関与する言霊の方が強いと思うぜ!
死亡フラグとやらは人間が作り出したものなんだろ??」
「桃は直ぐに強弱で判断しようとするクセを止めた方が良いのでは?
そもそも死亡フラグとやらが本当にあるのかどうかも疑わしいのですから。
あくまでも櫻の元の世界の人たちの間にあった認識にすぎないのでしょ?」
「まぁ、それはそうなんだけど……。それでも不吉な感じがして嫌だなぁ」
何て言っていたらフッと意識が飛びかけました。どうやら気力も限界のようです。
「とりあえず、死亡フラグになるような事だけは止めて。
私の心の平穏の為に……」
それだけを言い残すと、私は心の中でも眠りについたのでした。
火の陽月に近付くと少しずつ気温が上がっていき、そんな気温と同調するように皆の体調も少しずつ戻っていきました。以前と同じ生活に戻るにはまだ少し時間がかかりそうですが、それでも普通の生活と言えるような日々です。
少し毛並みが荒れてしまっていた毛美たちも、私が戻ってきた途端に文字通り狂喜乱舞と空中を乱舞してくれて、今では以前と同じように栄養豊富なミルクを毎日提供してくれています。兄上を悲しませた馬の黒松と王風も再び戻ってきて、兄上に泣き笑いのような拍子抜けした顔をさせていました。もっとも、数日経ったらまた居なくなってしまいましたが……。こうして何時か帰ってこない日がやってくるんでしょうね。
悩みの種だった畑は、規模を少し縮小して日持ちのする野菜を中心に作っていく事にしました。母上や橡に無理をさせられない以上私がやるしかないのですが、私一人では畑の維持なんて到底できません。なので今期に限り、未だ狩猟は厳しい叔父上と兄上が手伝ってくれる事になりました。
三太郎さんたちも水の月に入ってからは殆どチェックの出来なかった拠点中の各施設のチェックをしたり、霊石に霊力を補充したりと日々忙しく過ごしています。
全てが順調……そう言いたいのですが、気がかりなのは時々浦さんが何かに気付いたかのようにふと遠くを見る事です。
「どうしたの?」
「いえ、何だか水の気配が……。呪詛の名残でしょうか??」
2人して首を傾げる、そんな日が何度かありました。
この時にもっとしっかりと調べるべきだったのです……。
私は後々、心の底から後悔する事になるのでした。
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