未来樹 -Mirage-

詠月初香

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2章

11歳 -水の陽月15-

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蒼の東宮妃菖蒲あやめではなくミズホ国第一王女や水の大社おおやしろの巫女と名乗る菖蒲様に、私は思わず首を傾げてしまいました。後になって知ったのですが、神社かむやしろで祈祷をする時など、精霊に自分の名前を告げる時は現時点での身分や名前ではなく、十三詣りで精霊と縁を結んだ時の身分や名前を告げるのだそうです。金さんが言うには

「神の欠片たる精霊からすれば、人間の一生など瞬き一つの間に過ぎぬ。
 その短い時の中でコロコロと変るモノを告げられても困る。
 それゆえ最初に縁を結んだ時の名や身分を告げるべきなのだ。
 ……と、人間たちは思っておるようでな。
 我らとしては別段どちらでも良いのだが、あえて訂正させる事でもないゆえ」

という事でした。

そうやって菖蒲様に精霊の注意を引いてもらって時間を稼いでいる間に、浦さんが【浄水】で精霊の穢れを祓っていきます。菖蒲様を危険に晒す行為ではあるのですが、呪詛と違って精霊力をぶつけて精霊を消し飛ばす訳にもいきませんし、内裏の一室ここで精霊同士が戦闘をする訳にもいきません。

<ぅぐぁあああっ。……ぐぅ…………あ……やめ……?>

三太郎さん以外との心話は久しぶりなうえに、妖化しかけている所為でノイズがすごくて不明瞭ですが、最初は唸り声ばかりだった精霊から徐々にちゃんとした言葉が出てくるようになりました。

「どうかお鎮まりくださいませ。
 決して精霊様の御守護を忌み嫌った訳では御座いません。
 ですが、このままでは沢山の命が失われてしまうのです。
 ましてや、わたくしの所為で貴き精霊様が穢れてしまうなど、
 決して……決してあってはならない事なのです」

そう言って平伏する菖蒲様ですが、ふと気づけばその横で牡丹様も頭を下げていました。初めて三太郎さんに出会った時の母上たちもそうでしたが、やはり精霊というものに対する感覚が私とは違うようで、神様と遭遇したかのような対応です。それに菖蒲様の言葉から解った事がもう一つ。どうやらたくさんの人命が失われる事よりも、一柱の精霊が穢れる事の方が重大みたいです。私としてはどちらも大事にして欲しいところですが、精霊の方を優先させるのはこの世界の人の常識なのかもしれません。


菖蒲様の守護精霊は菖蒲様に少し意識が逸れてしまった上に、連日連夜に渡って行われた呪詛の大放出の所為で霊力がかなり落ちていたようで、浦さんに抑え込まれてしまいました。ただ浦さんも余力がある訳では無いようで、対精霊に全力を注いでいる所為で周りを気遣う余裕は無い様子です。その証拠に

<あなたはやりすぎなのですよ!
 節度や加減というものを知りなさい!!>

という怒りの心話が私に聞こえてきましたが、それと同時に菖蒲様たちの肩がフルッと小さく震えたのです。

(まずい! これ、菖蒲様や牡丹様にまで聞こえているんじゃ?!)

と慌てて確認しましたが、2人は平伏したままなので聞こえているのかいないのか判断ができません。ただその直後のこと。

<あなたのその執着が、そこの娘に悪影響を及ぼしているのです!
 子が出来ぬように力を使うなど、あってはならない事と解っていますか!!>

「は? 子供が出来ないようにしてた?!」

思わず声に出てしまうぐらいに聞こえてきた内容は衝撃的でした。菖蒲様は三妃の中でただ1人、子供がいない東宮妃です。菖蒲様本人が「子供は要らない」と思っているのならばそれでも良いのでしょうが、そうでない場合は……。自分の失言に気付いた私は冷や汗がとまりません。恐る恐る視線を横に移せば、何時の間にか顔を上げていた菖蒲様が

「どう……いうこと……です……か……」

と、呆然とした表情で言葉を零しました。同時にポロリポロリと涙が零れ落ちていきます。

「菖蒲様、お気を確かに……。
 どうやら先程から心に響く声は妾の勘違いでは無かった様子。
 いかに守護精霊様といえど、菖蒲様の幸せを奪う権利があるのですか!」

牡丹様は菖蒲様を慰めるようにそっと背に手を添えてからキッと顔を上げると、精霊に向かって強い語調で問いかけました。

<あや……め、 たいせ……つ、 あやめ……いなくなる……許せない。
 菖蒲、菖蒲の命が何より大切!!>

部屋の中で大波同士がぶつかったかのような大きな音が響き、同時にズンッと身体にのしかかる重圧が襲ってきました。上から押さえつけられる力が強すぎる余り、肺から空気が抜け出てしまい

「カハッ!」

と声とすら呼べない短い音が出てしまいました。

<櫻!! この……他者の話を聞く事の出来ぬ愚か者がっっ!!!>

そんな金さんの怒号が内側から聞こえた途端に身体にかかっていた圧が消え、部屋の中に居た水の玉は床に水たまりのようになっていました。

<菖蒲……? 本当に菖蒲なの……??
 泣いてる? どうして??>

床に押さえつけられた事で菖蒲様の泣いている顔を直視した精霊はようやく冷静になれたのか、それとも浦さんの【浄水】が穢れを(正気に戻れる程度には)綺麗にし終えた為なのかは解りませんが、やっと話しが通じるかも?と思われる言葉が出てきました。

それと同時に部屋の中で荒れ狂っていた二種類の水の精霊力が静まり、ホッと知らず知らずのうちに安堵の溜息をついてしまいます。浦さんと金さんに念の為に確認をしたら

<とりあえず対話が可能な程度には落ち着いたようだ。油断はできぬがな>

<最悪の事態は避けられましたよ。此処から先はこの者次第です>

とのことだったので、ひとまずは安心して良いって事でしょう。
ならばやる事は一つです。

「はぁ……。とりあえず朝顔さんたちを手当てしてから寝かせて、
 部屋を片づけてから話しませんか?」

菖蒲様や牡丹様が相手だというのに、もう敬語を使う気力すら残ってないよ……。




その後、2人の東宮妃のもの言いたげな目は気付かない振りをして、精霊と話し合いました。はっきり言って菖蒲様の守護精霊は友達になりたくないタイプの精霊で、自分の気に入った人は他の誰とも仲良くしてほしくないという困った精霊でした。

更には子供ができる事を徹底的に妨害していた事も判明しました。これに関しては少しだけ気持ちが解らなくもないのですが、当人の同意なくそんな事をする精霊にドン引きしてしまいます。精霊の言い分は

<子供が出来れば菖蒲が死ぬ可能性が高くなる>

というもので、この世界の妊娠出産事情が最大の原因でした。

それというのも、この世界は国によって平均寿命が大きく変りますが、同時に男女でも平均寿命は大きく変ってきます。戦争の絶えなかった時代はほぼ同じぐらいだったようですが、戦争の無くなった今は女性の方が圧倒的に平均寿命が短いのだそうです。その原因が妊娠と出産で、妊娠中・出産・産後の全ての期間で命を削るようにして子供を産み育てねばならないこの世界の女性の平均寿命は、男性の半分と少しぐらいしかありません。医療技術が発達した前世の現代日本ですら、100%安全な出産は無いと保健体育で習った覚えがあります。ましてや医療技術の劣るこの世界での出産が、命がけになるのも当然です。

出産は「生」と「死」が余りにも近くに存在し、その片方を遠ざける為に菖蒲様の守護精霊は妊娠となる原因を徹底的に排除しました。菖蒲様にとって運が悪かったことに守護精霊の持つ技能は【満潮みちしお】と【引潮ひきしお】で、女性の体のリズムに影響を及ぼしやすい力でした。

菖蒲様に執着した守護精霊が菖蒲様を守る為に暴走し……。
 それが遠因となって、朝顔さんが呪詛紛いの願いを唱え……
  その願いを菖蒲様が増幅して守護精霊に届けて、呪詛がばらまかれる。

今回の騒動の大元は菖蒲様でも朝顔さんでもなく、この守護精霊じゃないの?と思う私ですが、流石に空気を読んで黙っておくのでした。





激動の一夜が明け、全てが終わった朝がやってきました。
海棠さんと2人で乗った馬の背から見た天都は、まだ日が昇ったばかりだというのにあちこちから煙が上がっていて、その煙のほぼ全てが火葬の煙なのだと海棠さんが教えてくれました。立ちのぼる煙の数の多さに何とも言えない気持ちになってしまいます。だってこれだけの数の煙が上がっているのに、実は火葬を行う神職の人も今回の騒動で亡くなっていたり寝込んでいたりで、火葬待ちの遺体がどんどんと増えていっているという話しも一緒に聞いたので……。

この世界では基本的に土葬なのですが、今回のように疫病や呪詛で亡くなった遺体には強い穢れが残っている為、そういった遺体は火葬で浄める事が決まりのようです。その際には神職の祈りが必要なのに、今はその神職の人が足りないって事らしいです。ちなみに水葬はどの国でも禁忌で、特にミズホ国では海に穢れを持ち込んだら死罪なんて法律すらあるのだとか。

そして呪詛の波動は綺麗さっぱり消えました……と言えれば良かったのですが、あれだけ強い呪詛だとどうしても残滓というか名残のようなモノがあり、今も空気中に少し呪詛の波動が残っています。ただ菖蒲様の送信アンテナは既に小さくなっているので、これ以上呪詛が放たれる事はありません。ですが現時点で身体が弱り切ってしまっている人が多く、このままでは体調の回復もままならずに死に至る人が増えていくと思われます。

その事に関しては昨晩……と言えば良いのか今日の早朝。

「お米や塩をそのまま配布する無の月方式じゃなくて、
 御救小屋おすくいこやと言えば良いのか……、炊き出しと言えば良いのか……
 ようは調理した料理を配布すれば小さな子供も助かるから」

女童めのわらわの言いたい事は解りました。
 随身や侍女も寝込んでいる者が多い為、わたくし1人となるでしょうが
 全力で事にあたりましょう」

「ならばわらわの方からも手を貸そう。
 いや、違うな。手を貸すのではなく妾も一緒に取り組もう。
 蒼宮家に比べ我が緋色宮家は被害が少ない。
 此方から人員を出来うる限り割こう。

 それにこれだけの非常事態じゃ。
 ヒノモト国へ使いを出して、食料を融通してもらう事もできよう。
 後は黄の妃金蓮きんれん殿にも話しを通し、そちらからも助力を得られれば……」

と、とんとん拍子に三妃合同で炊き出しを行う事が決まりました。それによって今までは目立てば呪詛にやられるとばかりに息をひそめていた各宮家の人たちが、一斉に三妃の指示に従って活動を始めました。もちろん喜び勇んで働いている訳ではなく、三妃に命じられた為に仕方なくといった感じではあります。ですから三妃の皆さんへ不満が集まらないかと心配になります。そんな私の表情を見た牡丹様は花のように笑うと

「小さな女童に心配される程、妾たちは無力ではないぞ?
 じゃが妾たちを案じてくれた事、感謝しておる。
 そなたは本当に良い子じゃな」

と頭を撫でられてしまいました。




こうして三妃様たちが一斉に動くのと同時に、海棠さんも牡丹様からの書状を持ってヒノモト国へ食料支援の急使として派遣されました。海棠さんも本調子では無いのに長旅をするなんて大丈夫なのか心配になりますが、

「心配してくれてありがとう。だが、大丈夫だ。
 この程度の不調で戦えぬようではヒノモト国の武人とは言えないし、
 牡丹様の信頼に応える事こそ随身である私の役目だからな」

と海棠さんの少し疲れた顔が笑顔に変ります。

「むしろ櫻嬢の方こそ、
 数日、しっかりと身体を休めてから出発した方が良かったのではないか?
 牡丹様も何か褒美を取らせたいと仰ってくださっていたのに」

海棠さんが心配そうに言いますが、私としては一刻も早く山に戻りたくて仕方がないので、帰宅を明日以降に延ばすという選択肢はありません。お風呂をはじめとした衛生面も今までは緊急事態だからと何とか我慢できていましたが、それもそろそろ限界ですし、何より……

「家族が心配だから、少しでも早く帰りたいの。
 それにご褒美が欲しくてした来た訳でも頑張った訳でもないから……」

私が最後に見た母上や兄上たちは、苦しそうに呻き続ける姿で……。ちゃんと「いってきます」すら言えていないのです。桃さんからの緊急連絡が無いという事はみんな無事でいるのだと思いますが、それでも心配な事に変わりはありません。

「そうか……。そうだな、家族が心配だという気持ちは良く解る。
 ならば一刻も早く櫻嬢を送り届けよう。
 本当に天都の外れまでで良いのだな? 迎えがあると言っていたが……」

「はい、本当に大丈夫です」

ずっと大丈夫と言い張る私に、海棠さんもしぶしぶ納得してくれました。
いや、だって金さんたちに実体化して運んでもらいますなんて言う訳にもいかないので仕方がありません。ほんと、昨晩から説明しづらい事ばかりで嫌になります。

実は海棠さんと一緒に出発する前には緋桐殿下ともちょっと揉めてしまっていて、

「俺が村まで送って行こう」

と緋桐殿下は言ってくれたのですが、私が住む村なんてものが存在しない以上頷く訳にはいきません。その所為でなかなか説得が出来ずにすったもんだがあったのですが、見かねた牡丹様が緋桐殿下に

「御救小屋が出来たから動ける者は動けぬ者を助けて食事を取りに来ると良い。
 どうしても取りに来る事が無理な者がいる場合、
 御救小屋に居る役人に頼めば時間は掛かるが配達を手配する」

というお触れを天都中に伝える役目を与える事で解決してもらいました。天都の町や村には五人組制度に近い仕組みがあるので、5家族も居れば1人ぐらいは御救小屋に行く事が出来るだろうという算段で、今朝がた決まったお触れでした。

御役目があるのなら仕方ないと緋桐殿下は言うものの、心から納得はやはり出来ないみたいで、

「俺としては小さい女の子を放り出すような真似はしたくないんだが……。
 牡丹様の命なら仕方ない。それから先日渡した木札はそのまま持っておけ。
 アレは俺の紋が入っているから、俺の助けが必要な時は何時でも来い。
 ……次は必ず、絶対に、守り切ってみせるから」

と、先日貰った桐と大きな鳥の紋が入った木札を必ず持って行けと何度も念を押してから、役目を果たす為に去っていきました。

初めて会った時は、15歳という年齢で浮名を流す殿下に思わず引いてしまったものでした。ですがその後、王族であるより武人の緋桐でありたいと語った辺りから私の前では言動が変わり、今の殿下なら友達になれるかも?と思えるようになりました。牡丹様からも

「そなたとの出会いや守り切れなかった一件が、
 緋桐に良い変化をもたらしたようじゃ。
 元々努力を怠らぬ子ではあったが、それに磨きがかかった。
 妾が申すのもなんじゃが、改めて礼を言う」

と言われてしまいました。緋桐殿下が変ったように、私もこの出会いで何かを学び、変っていくのかもしれません。

<それが成長というものです>

そんな浦さんの心話を聞きながら、私は天都を後にしたのでした。
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