未来樹 -Mirage-

詠月初香

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2章

11歳 -水の陽月13-

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「いや、無理だって!!!」

思わずそう叫ぶと同時に、右手が裏拳ツッコミを入れそうになるのをグッとこらえます。


……うん、やらかした……
どう考えても堪えるところを間違えてるよね。


頭を抱えて耳を塞ぎたい気分ですが、その為には腕が4本必要になるなぁなんて現実逃避をしてしまいます。まずは突発的な言動を謝罪しなくては……。

いきなり叫んだ私に、御簾の前で菖蒲あやめ様を護るようにして座っていた朝顔さんは、サッと腰を上げて懐剣(水バリア付き)を構え、夕顔さんはビクッと肩を震わせてしまいました。

「ど、どうしたのです? 突然叫んだりして……」

御簾の向う側の菖蒲様も驚いたようで、上ずった声で私に質問してきます。

「申し訳ありません。
 精霊様から菖蒲様に伝えてほしいと言われた言葉がありまして……
 ただ、その内容が……伝えづらいというか、言いづらいというか……」

謝罪の後は急にしどろもどろになってしまいます。冒してしまった失態をカバーしなくちゃという焦りもありますが、何より菖蒲様に伝えなくてはならない言葉がこの世界的にはとてもツライ事なのです。

「夕顔、御簾をあげてください。
 精霊様のお言葉を賜るのに御簾を下ろしたままでは失礼になります」

「ですが……」

「本来であれば精霊様を宿した方に上座を譲るのが礼儀です。
 それを現在の様々な事情を鑑みて、このような席次になりましたが……。
 ならば御簾を上げて最低限の礼を尽くすべきだとわたくしは思うのです」

「……解りました」

「ならばわらわも几帳は不要じゃ」

菖蒲様に続いて牡丹ぼたん様も声を上げると、几帳の陰から出てきてしまいました。

この世界において精霊の意志を伝える役目を担うのは、各神社かむやしろの巫女さんや神職の方です。といっても私のように意思疎通が出来る人は皆無で、良くてうっすらと精霊の感情が伝わってくるという程度らしいのですが……。ようは「精霊様、これってどう?」と神社でお祈りすると、何だか嬉しそうな感情が伝わって来たり、或は嫌そうな感情が伝わって来たりするらしいです。その際に必要になる力も、精霊に願いを届けたり受けと取ったりする力です。

また今回のように伝える相手の地位がとても高い場合、使者は最高位の神職かそれに次ぐ神職が担うのが通例です。現代日本で言えば、皇族の方に会うのに平社員を派遣する会社は無いよねって話しです。なので最初に部屋に案内された時、私を上座に座らせたい菖蒲様に対し、神社からの正式な使者ではないうえに子供の私を上座に座らせたくない朝顔姉妹という図式が出来上がってしまいました。

私としては話しさえ聞いてもらえれば座る場所は何処でも良かったので、菖蒲様にはそのまま上座に座ってもらいましたが、菖蒲様はその事が気になっていた様子です。朝顔さんたちからすれば菖蒲様の安全を最優先し、牡丹様の紹介とはいえ素性の良く解らない私を近付けたくないと思うのは当然ですし、何より三太郎さんたちがまったく気にしていないので本当に気にしなくて良いんですけどね。


御簾が上がって初めて直接見た菖蒲様は、とても綺麗な女性でした。ただ綺麗ではあるのですが、儚いを通り越して「幸が薄そう」としか表現できない容姿で、思わず心配になってしまう程です。

「これで少しは話しやすくなったでしょうか?
 小さなわらべが顔の見えない大人を相手に話すのは大変ですよね。
 もっと早くにこうするべきでした。」

「して、女童よ。精霊様は何と仰っておられるのか?」

菖蒲様は穏やかに、牡丹様はきっぱりと話しの続きを促してくれますが、ただでさえ幸薄そうな菖蒲様にこんな事を伝えて良いのかどうか……。

<幸薄そうに見えるだけで、実際に幸が薄いかどうかは解らぬであろうが>

中から金さんのツッコミが入りますが、何かしら理由をつけて言うのを避けたいという気持ちが働いてしまうのです。それぐらいとんでもない提案で……。

でもここで菖蒲様をどうにかしないと、母上たちの命が失われてしまいます。菖蒲様には申し訳ないけれど、私には母上たちの方が大切です。批難される覚悟を決めてキュッと唇を強く引き締めてから顔を上げ、大きく息を吸ってから話し始めました。

「精霊力は人間には無く、神様や精霊様だけが持つ力ではあるのですが、
 今は解りやすさ重視で霊力という言葉をあえて使いますね。

 精霊様が仰るには、今の菖蒲様の状態は余りにも不均衡な霊力が原因です。
 ですから届ける力を受け取る力と均衡がとれるぐらいまで削ってしまえば、
 この呪詛騒動は収まる……との事でした」

私がそう言った途端、菖蒲様の扇で隠れていない目がまんまるに見開かれました。その目が「信じられない事を聞いた」と如実に物語っています。

「馬鹿な! ありえぬ!! 姫様の霊力を削れとお前は言うのか!!
 精霊様の言葉を捏造し、姫様に危害を加えようとしているのでは!!」

「姫様、あのような言葉に耳を傾けてはなりません」

激昂する朝顔さんに、衝撃を受けて固まってしまった菖蒲様をフォローする昼顔さんと夕顔さん。こうなるのは解り切っていましたが、完全に敵認定されてしまったようで、凄い顔で睨まれてしまいました。

そんな2人の声が聞こえてくると同時に、凄まじい耳鳴りが襲ってきました。この不快感しかない耳鳴りには覚えがあります。

「呪詛ですっ!!」

慌ててそう叫ぶと同時に一番近くにいた牡丹様の傍に移動します。こうすれば少なくとも牡丹様は浦さんの作る呪詛を相殺する空間の中に入るはずです。

山を降りて以降、夜寝るときには浦さんの力に包まれて眠るようにしてます。その時と同じ感覚に包まれると、耳が痛いほどだった耳鳴りも少しだけ小さくなりました。

あの日からまだそれほど日にちは経っていませんが、浦さんも金さんも対呪詛の力の使い方に慣れてきたようです。とは言っても、二人が呪詛返し的な力に目覚めたという訳ではありません。

山での対呪詛のやり方は、浦さんの【浄水】技能を応用して呪詛を相殺する方法です。この方法は確かに上手くはまれば綺麗に相殺できるらしいのですが、実際には呪詛にも波やムラがあって綺麗に相殺する事は難しく……。現に微調整の得意な浦さんですら、上手くいかずに苦戦しました。

それに対して今は【浄水】技能を使うのではなく、精霊力そのものをぶつけて呪詛を弾き飛ばしている感じなんだそうです。かなり荒っぽい方法で浦さんとしては不本意らしいのですが、微調整が要らない上に私と一緒に居ればどれだけ精霊力を使っても回復できるとあって、今はこのやり方で呪詛から身を守っています。

ただ、弾き飛ばすという事は私達に来た呪詛が全て周囲へ向かってしまっている訳で、今回のように無差別な呪詛でも無い限り、良心が痛むので使えない方法でもあります。




<こうなる可能性も視野に入れてはいましたが……
 思っていたよりも強い呪詛ですね>

<いや、これは強いというよりは近すぎる所為で、
 呪詛が分散せずに全てが此方に向かってきてしまっている所為であろう>

<なるほど、だから拡散する前の呪詛に晒される事になった
 蒼宮家の人たちの被害が一番大きかったんだね>

水の精霊力を帯びた呪詛なのに、蒼宮家が一番被害にあっている事が不思議でしたが、そういう理由ならば納得できます。それに経過日数の違いがあるにして、アスカ村と天都の住民の死亡者数の違いも、単純に人口の多さだけでは説明できない程でしたし……。

「こ……これはいったい……。何が起こっておるのじゃ」

「牡丹様、どうか動かないでくださいね」

牡丹様の霊格はどれくらいなのかは解りませんが、反応からして呪詛の黒い靄は見えていないようです。ただ周囲のただならぬ気配は感じているようで、辺りに注意深く何かを探るような視線を向けています。とりあえずあちこち動かれると浦さんの守備範囲から出てしまう可能性があるので、動かないようにお願いをしていたら、

「女童、お前の仕業か、答えよ!!!」

と朝顔さんから怒鳴られてしまいました。私からすれば「あなたの所為……とは言いたくないけれど、あなたが一因なのは確かですよ」と言ってやりたくなりますが、流石に自重します。喧嘩をしたい訳ではありませんから……。

「違います、私ではありません!!」

「えぇい、黙れ黙れ黙れ!! 不審極まりない女童め!!」

答えよって言っておきながら黙れって……。時代劇なんかで見かける事のある掛け合いだけど、いざ自分がやられるとちょっとイラっとしますね。

「あぁ、もうっ!! 朝顔さんは黙っていてください。
 本当に時間が無いんです、このままじゃ朝顔さんたちも危ないんだから!
 菖蒲様! ゆっくりと考えて頂くだけの時間がありません。
 申し訳ありませんが……本当に申し訳ありませんが……
 この騒動を沈める為、霊力を削らせて頂きます!!」

もう朝顔さんを無視して菖蒲様に直接交渉する事にします。交渉というより通告という感じですが、事ここに至っては菖蒲様も私も腹を括るしかありません。

ところが菖蒲様は最初こそ驚き、慌てた様子でしたが

「えぇ、構いません。
 私の霊力を削る事でこの騒動が終わるのならば……。
 全て精霊様の御指図に従います」

そう穏やかにそう言うと、頭を深く下げられました。その言葉に慌てたのは三姉妹で、

「いけません、姫様!
 姫様の霊力を削るなどあってはなりません。
 どうか……どうか姫様、御考え直しを……」

菖蒲様の後で控えていた昼顔さんが、縋るようにして菖蒲様に翻意を促します。霊力が下がれば霊格も下がります。それはこの世界の人にとって極めて深刻な事態なのです。霊力や霊格は精霊との繋がりの強さを意味しています。特に華族や王族といった人たちは霊力の量や霊格の高さ誇りに思っているので、高位華族でありながら霊力が低いと陰口を叩かれたり侮蔑の対象になってしまいます。更には未婚だったら婚姻に響きますし、既婚だったとしても何かと不都合が生じます。一番解りやすい例だと、母親の霊格が低ければ例え長男だったとしても継承権の順位が低くなってしまったりもするのです。

なので菖蒲様の霊力を削るという事は、今後菖蒲様に子供が出来たとしても(政治的な慣例もありますが)継承権がかなり低くなってしまうのです。他にも現東宮妃たちは仲が良い為に問題になっていませんが、そうでない場合は同じ東宮妃でも霊格の高さで微妙に順位付けがされたりします。

ですから朝顔さんたちが、必死に菖蒲様を説得しようとする気持ちも解ります。そんな三人に対し、菖蒲様はむしろ今日一番の穏やかさで、

「三人ともありがとう。ですが、もう良いのです。
 私は今、産まれて初めてという程に穏やかな気持ちなのです。
 今までは自分の霊力に振り回されてきましたが、
 今後はその様な事もなくなるのです、むしろ喜んでください」

そう、静かに微笑まれるのです。でもそう言われても朝顔さんたちは諦めきれないようなのですが、呪詛は確実に三姉妹にも影響を与えていて、ガクガクと身体を震わせて蹲ってしまいました。

「朝顔!! 昼顔、 夕顔、しっかり!!!
 精霊様、時間が……どうか、彼女たちをお救いください」

倒れる三人を見て顔を真っ青にした菖蒲様が、私に向かって深々と頭を下げました。正確には私を通して精霊様に頭を下げているのでしょうが、私のような子供に躊躇いなく頭を下げる事ができる菖蒲様に少し驚いてしまいます。

ただ、菖蒲様に頼まれようと頼まれまいと私がする事は同じです。
母上たちの為にこの騒動を早急に収束させる、それに尽きます。

「牡丹様、菖蒲様の方へ行きたいので私と一緒に移動してください」

「うむ、解った。
 つまり……そなたの傍が一番安全という事かや??」

「現状ではそうなります」

そんな事を話しつつ、慎重に菖蒲様の元へと辿り着きました。朝顔さんたちに妨害する元気はもう無いようですが、呪詛の圧に負けないだけの霊力を浦さんに放出してもらわなければならないので慎重になってしまうのです。

「菖蒲様、その檜扇を形代にしても良いですか?」

前もって浦さんや金さんから教わっていた通り、菖蒲様の形代を作ることにします。その形代として選んだのは菖蒲様がずっと握っていた檜扇で、流水紋や花が描かれたとても綺麗な檜扇です。平時ならばこんな素晴らしい芸術品のような檜扇を形代にするなんて勿体ないと思ってしまいそうですが、今は一刻も早く形代を作る事が優先されます。

「えぇ、コレで良ければ」

「でしたら、その檜扇に息を吹きかけてから私にください」

そうして渡された檜扇を手に、私は少しだけ牡丹様たちから距離をとるように移動しました。離れすぎると浦さんの負担が上がってしまうのでほんの僅かですが、この後の事を思うと離れざるを得ません。

そうしてから、懐に忍ばせておいた小さな石……つるばみが作ってくれた毛美もみのぬいぐるみに入れて持ち運んだ桃さんの霊石がある事を確認します。これで私の方は準備OKです。

<浦さん、そろそろいける?>

<えぇ、あの女房たちが意識を失ったようで、呪詛の波が弱まりました。
 やるのならば今しかありません>

それは千載一遇のチャンス!!

浦さんの力が一気に私の中から溢れ出して、菖蒲様を包み込みました。途端に菖蒲様は小さく呻き、同時にキーーンとパリーンが合わさったような不思議な音が響いたかと思ったら、菖蒲様が倒れてしまいました。すぐにでも助けに行きたいところですが、金さんは浦さんの代わりに呪詛を弾き飛ばす役目があり、私にも別の役目があります。

そうしている間にも浦さんが菖蒲様の霊力を削って檜扇へと移し終え、檜扇は菖蒲様の分身のような存在形代に変わりました。菖蒲様の持つ発信アンテナの8~9割を無理やり檜扇に押し込めたので、今にも檜扇がばらばらに砕けてしまいそうです。それを金さんが呪詛を弾き飛ばしながらも、【硬化】や【圧縮】といった技能や土の精霊が持つ固定の性質を使って何とか抑え込みます。

<<櫻!!>>

「はい!!」

バッと檜扇に向かって手を伸ばすと、私の懐にある石……桃さんの【浄火】技能を籠めた霊石に意識を集中させて発動させます。途端に私の手の先から檜扇に向かってキラキラとした光を纏った真紅の炎が飛んでいき、バチバチと炎が弾けるような音やとても檜扇を燃やしているとは思えない悪臭を出しながら檜扇は炎に包まれていきました。
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