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2章
11歳 -水の陽月10-
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蒼の東宮妃菖蒲様。
根幹と呼ばれる小説版未来樹の通りなら母上より4つ年上で、第一部の主要キャラの中では海棠さんに次いで年齢が高い女性です。他の東宮妃たちは元より、夫の東宮よりも1つ年上だったと記憶しています。
そんな菖蒲様はミズホ国王の長女……つまり第一王女として産まれたのですが、王女として城で過ごした期間よりも、ミズホ国にある水の神を祀る大社で巫女をしていた期間の方が長いという設定でした。
母上や牡丹様、菖蒲様や黄金宮家の金蓮様は東宮の教育と東宮妃との顔合わせを兼ねた机並べの儀における学友、或は戦友のような間柄です。熱血指導&根性論の牡丹様、理詰めの金蓮様というムチ係の2人に対し、慰めの菖蒲様、励ましの姫沙羅というアメ係の2人という役割分担で、東宮と一緒に勉学に励んでいたそうです。ムチ係に割り振られた2人はその役目で納得できるのかなぁ?と小説を読みながら首を傾げたものでしたが、様々な理由から東宮妃候補たちは争うよりも一致団結して東宮を育てる事にしたようです。当時の東宮はとても穏やかで優しいけれど、少々臆病で決断力に欠ける性格をしていたので、まずは一人前に育て上げる事が優先された……なんて事が書いたあったように思います。
同時に今代の東宮妃たちの性格が比較的穏やかだった事もあり、後宮モノに良くあるような東宮の寵愛を独占する為の熾烈な争いは起こりませんでした。三妃の中で一番気性が激しいのは牡丹様ですが、同時に誇り高い女性なので他者をイジメたり、裏工作で傷つけたり蹴落としたりといった自分を下げる行為を良しとはしません。小説の中では「欲しいのならば、向うが妾こそが相応しいと選ぶよう自分を高め、正々堂々と戦い勝ち取る!」なんて事を宣言していました。この世界の牡丹様も小説版の性格と大差ないようで、争うのなら正々堂々と正面からという気質です。
更には東宮が蒼の后の息子で、帝が前緋の后の息子なので、次の東宮は黄金宮家からという空気が朝廷内にありました。アマツ三国のバランスを考えると、一つの宮から連続で東宮を輩出する訳にはいかないようです。
そんな訳で、他国より少しでも自国を優遇させたい各国の上層部の一部には思うところはあるんだろうけど、当事者である三妃は争う事なく、それなりに良好な関係にありました。なので牡丹様も海棠さんも緋桐殿下も私の発言に納得がいかないようで、
「公式の場に薄紫と青を重ねて着る事ができるのは蒼の東宮妃のみじゃが……。
じゃが、菖蒲様は妾と求める道は違えど、尊敬に値するお方。
呪詛を放つような方ではない!」
そう牡丹様がきっぱりと言い切ります。ちなみに東宮妃をはじめとした皇族の方々は、祭事や神事などの公式の場に出る際には着物の色が決められています。帝は漆黒で、東宮も黒だけど帝よりはやや薄め。帝の妻である后は濃紫と出身宮家の色で、東宮妃は薄紫と自分の宮の色を身に纏うのです。これは公式行事に参列する際のルールで、例え帝であっても破る事のできない決まりです。公式行事じゃなければ自分の好きな色や季節に合った色を着る事もできるんですけどね。
なので私が伝えた呪詛犯の特徴を持つ女性は、あの場にはただ一人しかいません。
「牡丹様はそう仰いますが、呪詛を放っているのはその方で間違いありません。
呪詛を放った人だけが持つ穢れを身に纏っていましたから」
「万が一にも間違いであったならば、そなたは命を失う事になる。
それでも、なお、菖蒲様が呪詛を放ったと言い切れるのかや?」
「はいっ!」
威圧感を感じる程に強い姿勢の牡丹様から視線を逸らすことなく、私はきっぱりと言い切りました。当然ながら菖蒲様が穢れを纏っている姿を私自身が見たり感じたりした訳ではなく、金さんと浦さんが感知してくれただけです。ですが今ここに居ない桃さんも含めて、私は三太郎さんの事を心から信頼しています。約11年という長さ、そしてその大半の時間一緒に居たという濃さが「三太郎さんが私の信頼を裏切る事は無い」という信頼を育てました。もし三太郎さんが私の意に沿わない事をしていたとしても、それは三太郎さんが私を思っての事なんだろうなと思える程です。
「……菖蒲様が呪詛を放っているとして、君はどうしたいんだ?
もし君が菖蒲様に危害を加えるというのならば、
私は流石に止めざるを得ないんだが?」
渋い顔をした海棠さんが、私の真意を探ろうとするかのようにジッと見てきます。
「危害を加えるような事はしたくありません。
それが例え呪詛を放っている人相手だとしても……です。
だから呪詛を放っている理由を聞いて、可能ならば解決し、
呪詛を放つ原因を解消するのが一番良い手かな……と」
「そう簡単に行くだろうか?
そもそも大罪である呪詛を放っている事を認める者など皆無だろう」
「そうだな。それに何といっても間が悪い。
今、面会を申し入れても叶わない可能性が高い。
ヒノモトの流れを汲む者なら、尚更……」
私の答えに少し安堵して顔の渋さがマイルドになった海棠さんでしたが、すぐさま渋さが戻ってきてしまいました。その戻ってきた理由を緋桐殿下が説明してくれます。呪詛は緋色宮家やヒノモト国が行っているという噂は私が思っていたよりも広まっているようで、様々なトラブルがあちこちで発生しているんだそうです。
「……はぁぁ。ひとまず菖蒲様に面会を申し込む文をしたためよう。
緋桐が申すように今の状況では面会は叶わぬやもしれぬし、
そもそも文が菖蒲様に届くかどうかも解らぬが……」
神社の鐘が鳴る事5回。だいたい5時間が過ぎた頃、私は緊張した面持ちで御簾の前に座っていました。深夜という事もあって辺りは静まり返っているのですが、それ以上に室内の沈黙が重すぎて呼吸音すら憚れる気がします。牡丹様も今は正面にある御簾の斜め前に設えられた几帳の陰に座っていて、どんな表情をしているのか見る事ができません。そんな1人ポツンと座る私の前には、怒りのあまり顔を真っ赤と真っ白にした女性の二人が座っていました。
牡丹様が出した文に対し、返事が届いたのは3時間と少し経ってからでした。これはもう返事は無理かもしれないと諦めかけていた所に届いた文に書かれていた内容は、「牡丹様と傍仕え1名のみで参られるのならば訪問は構わない」といったものでした。傍仕えの代わりに私を連れていく以上、牡丹様の安全が守れないと海棠さんや緋桐殿下は断固として反対したのですが、最終的には牡丹様の
「此方も無理を言うのだから致し方ない。
それに妾とて自分の身を守る程度の事はできる」
という言葉に折れるしかありませんでした。それでも菖蒲様の方の傍仕えも極力少数でお願いしたいと要望を出したあたり、海棠さんとしては本当にギリギリの決断だったんだと思います。
「女童よ、言って良い事と悪い事の区別すら付かぬか?
牡丹様は我ら蒼宮家、ひいてはミズホ国に喧嘩を売っておられるのか?」
空気の重さと鋭さに現実逃避をしかけていた私に対し、これ以上はない程に怒りを露わにした女性は、その真っ赤な怒りの表情のまま牡丹様へ問いかけます。
「緋の東宮妃牡丹様、私どもは貴女様に誠意を尽くし
このような騒動の中、このような時間の訪問を許可致しました。
その返礼がこれですか?」
もう一人の女性は背筋に寒気が走るほどに冷たい言葉と視線で、2人の女性の温度差が凄いことになっています。ただそこに籠められた感情は共通で、私に対する怒りと嫌悪……むしろ憎悪といっても良いレベルのものでした。
「朝顔、夕顔。あなた達の気持ちは嬉しく思いますが、少し控えなさい。
そのような態度では、その子が萎縮してしまうではありませんか」
御簾の向う側から優しく穏やかな声が聞こえ、その途端に部屋の空気がフッと軽くなった気がします。言うまでもなく声の主は菖蒲様で、顔を真っ赤にして怒っていた女房が朝顔、そして冷たい言動をしていた女房が夕顔という名前のようです。
叔父上の友人の茴香殿下や蒔蘿殿下、そしてフランクな言動が多い牡丹様と違い菖蒲様をはじめとした蒼宮家の方々は礼儀に厳しく、私は未だに顔を上げる許可すら出してもらえません。まぁ布作面を付けて顔を隠した子供から、
「菖蒲様、呪詛をどうかおやめください」
なんて言われたら怒って当然ですし、顔を上げる許可が出ないのも仕方がありません。私だってこんな直球勝負をするつもりはなかったのですが、牡丹様を巻き込んでしまった時点で諦めてもいました。当初の予定では牡丹様の力を借りるのは内裏に入るまでで、後は極力穏便に事を収める為に、皆が寝静まった頃に浦さんに顕現してもらってこっそり呪詛犯の所に忍び込んで、1対1で話をつけて誰にも知られないうちに解決するつもりだったんだけどなぁ……。
「姫様、お持ち致しました」
その時、御簾の向う側で動きがあったようで、少し席を外していた昼顔と呼ばれる女性が戻ってきたようです。そして小さく何かが擦れる音がしたかと思うと
「女童よ、面を上げよ」
と夕顔さんの声が聞こえたのでゆっくりと顔を上げました。すると御簾が中に座っている菖蒲様の膝の上に置かれた手が見える程度にまで上げられていて、その手にはソフトボール程の大きさの水が入った青い玉がありました。
「小さな子供にこのような役目を負わすとは……。大変でしたね。
今からわたくしは呪詛を放ってなどいないという証をお見せしますから、
しっかりと見て神社へとお戻りなさい」
この世界では子供が神事に関わる時、顔を隠す風習があります。だからこそ神社で布作面を身につけていても誰も不審に思わなかったのです。なので菖蒲様は私が神社の誰かに言いつけられて此処に来たのだと思ったようです。
「これはね、ミズホ国に伝わる神具の一つで「狗ヶ汰血」というの。
遥か昔、姫を守る為に命を落とした子犬が、
死した後も姫を守ろうと自らの血を玉に封じたと言われていてね。
姫が窮地に陥った時、或は判断に困った時にその玉を手にして言葉を発するの。
その言葉が正しければ浄き水のままなのだけれど、
間違っていれば子犬の血の色に変わって教えてくれるのよ」
そう言って水色の玉をそっと両手で包むと、
「例えば……。わたくしは男です」
と穏やかに言葉に出す菖蒲様。その途端に手の中にあった玉はあっという間に鮮やかな赤色に染まっていきました。布ごしでも解る程に色が変わっています。
(随分と珍しいものを持っていますね。
アレは私達、第2世代が作られた頃の道具ですよ)
心の中から感嘆する浦さんの声が聞こえてきました。良い事と悪い事の区別がまだつかなかった幼い人類に対し、水の神はアレを渡したのだそうです。そうやって嘘は悪い事なのだと教えたのだとか。
(その頃に姫なんて居たの?)
(いいえ、居ませんよ。なので偶然その様な事例があったのか、
それとも覚えやすいように逸話を作ったのか……どちらかでしょうね)
狗ヶ汰血という言葉はかなり古い言葉らしく、現代の言葉に訳せば「子犬の良し悪しを選り分ける血」という意味になるんだそうです。
「見えましたか?
このように嘘をついたり悪い事を宣言したりすれば血の色に染まるのです。
では……」
そう言うとコホンと小さく咳払いをした菖蒲様は、穏やかだけれどしっかりとした声で
「私は誰も呪ってなどおりません」
そう宣言したのです。その途端に真っ赤だった玉はすーーーっと澄んだ青色へと戻っていきました。これは菖蒲様の言葉に嘘偽りが無いという事を示しています。その様を見た途端、三人の女房は私を視線だけで殺せそうな程に睨みつけ、
「子供と言えど東宮妃を愚弄した罪、その命で償ってもらうぞ!!!」
と声を荒げて立ち上がると、護衛を兼ねていると思われる朝顔さんが懐剣を抜いて私の喉元に突きつけてきたのでした。
根幹と呼ばれる小説版未来樹の通りなら母上より4つ年上で、第一部の主要キャラの中では海棠さんに次いで年齢が高い女性です。他の東宮妃たちは元より、夫の東宮よりも1つ年上だったと記憶しています。
そんな菖蒲様はミズホ国王の長女……つまり第一王女として産まれたのですが、王女として城で過ごした期間よりも、ミズホ国にある水の神を祀る大社で巫女をしていた期間の方が長いという設定でした。
母上や牡丹様、菖蒲様や黄金宮家の金蓮様は東宮の教育と東宮妃との顔合わせを兼ねた机並べの儀における学友、或は戦友のような間柄です。熱血指導&根性論の牡丹様、理詰めの金蓮様というムチ係の2人に対し、慰めの菖蒲様、励ましの姫沙羅というアメ係の2人という役割分担で、東宮と一緒に勉学に励んでいたそうです。ムチ係に割り振られた2人はその役目で納得できるのかなぁ?と小説を読みながら首を傾げたものでしたが、様々な理由から東宮妃候補たちは争うよりも一致団結して東宮を育てる事にしたようです。当時の東宮はとても穏やかで優しいけれど、少々臆病で決断力に欠ける性格をしていたので、まずは一人前に育て上げる事が優先された……なんて事が書いたあったように思います。
同時に今代の東宮妃たちの性格が比較的穏やかだった事もあり、後宮モノに良くあるような東宮の寵愛を独占する為の熾烈な争いは起こりませんでした。三妃の中で一番気性が激しいのは牡丹様ですが、同時に誇り高い女性なので他者をイジメたり、裏工作で傷つけたり蹴落としたりといった自分を下げる行為を良しとはしません。小説の中では「欲しいのならば、向うが妾こそが相応しいと選ぶよう自分を高め、正々堂々と戦い勝ち取る!」なんて事を宣言していました。この世界の牡丹様も小説版の性格と大差ないようで、争うのなら正々堂々と正面からという気質です。
更には東宮が蒼の后の息子で、帝が前緋の后の息子なので、次の東宮は黄金宮家からという空気が朝廷内にありました。アマツ三国のバランスを考えると、一つの宮から連続で東宮を輩出する訳にはいかないようです。
そんな訳で、他国より少しでも自国を優遇させたい各国の上層部の一部には思うところはあるんだろうけど、当事者である三妃は争う事なく、それなりに良好な関係にありました。なので牡丹様も海棠さんも緋桐殿下も私の発言に納得がいかないようで、
「公式の場に薄紫と青を重ねて着る事ができるのは蒼の東宮妃のみじゃが……。
じゃが、菖蒲様は妾と求める道は違えど、尊敬に値するお方。
呪詛を放つような方ではない!」
そう牡丹様がきっぱりと言い切ります。ちなみに東宮妃をはじめとした皇族の方々は、祭事や神事などの公式の場に出る際には着物の色が決められています。帝は漆黒で、東宮も黒だけど帝よりはやや薄め。帝の妻である后は濃紫と出身宮家の色で、東宮妃は薄紫と自分の宮の色を身に纏うのです。これは公式行事に参列する際のルールで、例え帝であっても破る事のできない決まりです。公式行事じゃなければ自分の好きな色や季節に合った色を着る事もできるんですけどね。
なので私が伝えた呪詛犯の特徴を持つ女性は、あの場にはただ一人しかいません。
「牡丹様はそう仰いますが、呪詛を放っているのはその方で間違いありません。
呪詛を放った人だけが持つ穢れを身に纏っていましたから」
「万が一にも間違いであったならば、そなたは命を失う事になる。
それでも、なお、菖蒲様が呪詛を放ったと言い切れるのかや?」
「はいっ!」
威圧感を感じる程に強い姿勢の牡丹様から視線を逸らすことなく、私はきっぱりと言い切りました。当然ながら菖蒲様が穢れを纏っている姿を私自身が見たり感じたりした訳ではなく、金さんと浦さんが感知してくれただけです。ですが今ここに居ない桃さんも含めて、私は三太郎さんの事を心から信頼しています。約11年という長さ、そしてその大半の時間一緒に居たという濃さが「三太郎さんが私の信頼を裏切る事は無い」という信頼を育てました。もし三太郎さんが私の意に沿わない事をしていたとしても、それは三太郎さんが私を思っての事なんだろうなと思える程です。
「……菖蒲様が呪詛を放っているとして、君はどうしたいんだ?
もし君が菖蒲様に危害を加えるというのならば、
私は流石に止めざるを得ないんだが?」
渋い顔をした海棠さんが、私の真意を探ろうとするかのようにジッと見てきます。
「危害を加えるような事はしたくありません。
それが例え呪詛を放っている人相手だとしても……です。
だから呪詛を放っている理由を聞いて、可能ならば解決し、
呪詛を放つ原因を解消するのが一番良い手かな……と」
「そう簡単に行くだろうか?
そもそも大罪である呪詛を放っている事を認める者など皆無だろう」
「そうだな。それに何といっても間が悪い。
今、面会を申し入れても叶わない可能性が高い。
ヒノモトの流れを汲む者なら、尚更……」
私の答えに少し安堵して顔の渋さがマイルドになった海棠さんでしたが、すぐさま渋さが戻ってきてしまいました。その戻ってきた理由を緋桐殿下が説明してくれます。呪詛は緋色宮家やヒノモト国が行っているという噂は私が思っていたよりも広まっているようで、様々なトラブルがあちこちで発生しているんだそうです。
「……はぁぁ。ひとまず菖蒲様に面会を申し込む文をしたためよう。
緋桐が申すように今の状況では面会は叶わぬやもしれぬし、
そもそも文が菖蒲様に届くかどうかも解らぬが……」
神社の鐘が鳴る事5回。だいたい5時間が過ぎた頃、私は緊張した面持ちで御簾の前に座っていました。深夜という事もあって辺りは静まり返っているのですが、それ以上に室内の沈黙が重すぎて呼吸音すら憚れる気がします。牡丹様も今は正面にある御簾の斜め前に設えられた几帳の陰に座っていて、どんな表情をしているのか見る事ができません。そんな1人ポツンと座る私の前には、怒りのあまり顔を真っ赤と真っ白にした女性の二人が座っていました。
牡丹様が出した文に対し、返事が届いたのは3時間と少し経ってからでした。これはもう返事は無理かもしれないと諦めかけていた所に届いた文に書かれていた内容は、「牡丹様と傍仕え1名のみで参られるのならば訪問は構わない」といったものでした。傍仕えの代わりに私を連れていく以上、牡丹様の安全が守れないと海棠さんや緋桐殿下は断固として反対したのですが、最終的には牡丹様の
「此方も無理を言うのだから致し方ない。
それに妾とて自分の身を守る程度の事はできる」
という言葉に折れるしかありませんでした。それでも菖蒲様の方の傍仕えも極力少数でお願いしたいと要望を出したあたり、海棠さんとしては本当にギリギリの決断だったんだと思います。
「女童よ、言って良い事と悪い事の区別すら付かぬか?
牡丹様は我ら蒼宮家、ひいてはミズホ国に喧嘩を売っておられるのか?」
空気の重さと鋭さに現実逃避をしかけていた私に対し、これ以上はない程に怒りを露わにした女性は、その真っ赤な怒りの表情のまま牡丹様へ問いかけます。
「緋の東宮妃牡丹様、私どもは貴女様に誠意を尽くし
このような騒動の中、このような時間の訪問を許可致しました。
その返礼がこれですか?」
もう一人の女性は背筋に寒気が走るほどに冷たい言葉と視線で、2人の女性の温度差が凄いことになっています。ただそこに籠められた感情は共通で、私に対する怒りと嫌悪……むしろ憎悪といっても良いレベルのものでした。
「朝顔、夕顔。あなた達の気持ちは嬉しく思いますが、少し控えなさい。
そのような態度では、その子が萎縮してしまうではありませんか」
御簾の向う側から優しく穏やかな声が聞こえ、その途端に部屋の空気がフッと軽くなった気がします。言うまでもなく声の主は菖蒲様で、顔を真っ赤にして怒っていた女房が朝顔、そして冷たい言動をしていた女房が夕顔という名前のようです。
叔父上の友人の茴香殿下や蒔蘿殿下、そしてフランクな言動が多い牡丹様と違い菖蒲様をはじめとした蒼宮家の方々は礼儀に厳しく、私は未だに顔を上げる許可すら出してもらえません。まぁ布作面を付けて顔を隠した子供から、
「菖蒲様、呪詛をどうかおやめください」
なんて言われたら怒って当然ですし、顔を上げる許可が出ないのも仕方がありません。私だってこんな直球勝負をするつもりはなかったのですが、牡丹様を巻き込んでしまった時点で諦めてもいました。当初の予定では牡丹様の力を借りるのは内裏に入るまでで、後は極力穏便に事を収める為に、皆が寝静まった頃に浦さんに顕現してもらってこっそり呪詛犯の所に忍び込んで、1対1で話をつけて誰にも知られないうちに解決するつもりだったんだけどなぁ……。
「姫様、お持ち致しました」
その時、御簾の向う側で動きがあったようで、少し席を外していた昼顔と呼ばれる女性が戻ってきたようです。そして小さく何かが擦れる音がしたかと思うと
「女童よ、面を上げよ」
と夕顔さんの声が聞こえたのでゆっくりと顔を上げました。すると御簾が中に座っている菖蒲様の膝の上に置かれた手が見える程度にまで上げられていて、その手にはソフトボール程の大きさの水が入った青い玉がありました。
「小さな子供にこのような役目を負わすとは……。大変でしたね。
今からわたくしは呪詛を放ってなどいないという証をお見せしますから、
しっかりと見て神社へとお戻りなさい」
この世界では子供が神事に関わる時、顔を隠す風習があります。だからこそ神社で布作面を身につけていても誰も不審に思わなかったのです。なので菖蒲様は私が神社の誰かに言いつけられて此処に来たのだと思ったようです。
「これはね、ミズホ国に伝わる神具の一つで「狗ヶ汰血」というの。
遥か昔、姫を守る為に命を落とした子犬が、
死した後も姫を守ろうと自らの血を玉に封じたと言われていてね。
姫が窮地に陥った時、或は判断に困った時にその玉を手にして言葉を発するの。
その言葉が正しければ浄き水のままなのだけれど、
間違っていれば子犬の血の色に変わって教えてくれるのよ」
そう言って水色の玉をそっと両手で包むと、
「例えば……。わたくしは男です」
と穏やかに言葉に出す菖蒲様。その途端に手の中にあった玉はあっという間に鮮やかな赤色に染まっていきました。布ごしでも解る程に色が変わっています。
(随分と珍しいものを持っていますね。
アレは私達、第2世代が作られた頃の道具ですよ)
心の中から感嘆する浦さんの声が聞こえてきました。良い事と悪い事の区別がまだつかなかった幼い人類に対し、水の神はアレを渡したのだそうです。そうやって嘘は悪い事なのだと教えたのだとか。
(その頃に姫なんて居たの?)
(いいえ、居ませんよ。なので偶然その様な事例があったのか、
それとも覚えやすいように逸話を作ったのか……どちらかでしょうね)
狗ヶ汰血という言葉はかなり古い言葉らしく、現代の言葉に訳せば「子犬の良し悪しを選り分ける血」という意味になるんだそうです。
「見えましたか?
このように嘘をついたり悪い事を宣言したりすれば血の色に染まるのです。
では……」
そう言うとコホンと小さく咳払いをした菖蒲様は、穏やかだけれどしっかりとした声で
「私は誰も呪ってなどおりません」
そう宣言したのです。その途端に真っ赤だった玉はすーーーっと澄んだ青色へと戻っていきました。これは菖蒲様の言葉に嘘偽りが無いという事を示しています。その様を見た途端、三人の女房は私を視線だけで殺せそうな程に睨みつけ、
「子供と言えど東宮妃を愚弄した罪、その命で償ってもらうぞ!!!」
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