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2章
10歳 -土の陰月1-
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叔父上と兄上と私、そして何故か一緒に戻る事になった忍冬さんの計4人がアスカ村に到着したのは土の陰月の15日でした。舗装整備された事に加えて極力直線になるように道路が作られた事で、移動にかかる日数は以前に比べるとかなり減りました。往路は移動速度よりも揺れない事を重視する茴香殿下の牛車に追従する形だったので7歳の時に比べて少ししか短縮できませんでしたが、復路は以前の半分とまではいかなくてもそれに近い日数で移動できています。
……まぁ、そのおかげで馬車酔いになってしまいましたが……
茴香殿下は今年の無の月もアスカ村で過ごす予定とのことでしたが、まだ王都に仕事がたくさん残っている為にそれらが片付いてから戻るらしく、最後に会った時には
「あのタコと魚の干物を負担にならない量で良いから
アスカ村の領主館にも卸しておいて欲しい。
支払いは忍冬に指示を出しておくから」
と叔父上に懇願していました。タコや鮭の干物を楽しみに、仕事を少しでも早く終わらせるんだとか。茴香殿下はお酒が好きですが量よりも質重視で、美味しいお酒を美味しい肴と一緒に適量飲む事を楽しむ人です。同じぐらいに舌が肥えている蒔蘿殿下も自領のサホ町でタコの干物を試してみるつもりのようで、そんな殿下2人に満足してもらえたのならあれらの商品は大ヒット間違いなしでしょう。
そんな茴香殿下の傍を離れて、随身の忍冬さんが一人アスカ村に戻っても良いのか不思議だったのですが、殿下の代わりに領地の冬支度を進めなくてはならず。茴香殿下の随身の中でも筆頭の忍冬さんが全権委任され、領地の冬支度を進めなくてはいけないのだそうです。もちろん王都へ出発する前にもある程度は冬支度を進めていた上に、領地に残留している部下の方々も準備を進めてはいるそうなのですが、やはり領主の決定が必要な事もあるとかで、一足先に忍冬さんだけが戻る事になったのだとか。
アスカ村で忍冬さんと別れ、ここから先は叔父上と兄上と私の三人だけの徒歩の旅になります。山を下りた時は火の陰月だったので少し歩けば汗をかくような気温でしたが、今は雪がちらつくような気温で歩いていないと寒い程です。
そう、歩いていないと寒いんですっ!
でも私のペースに合わせて歩いていたら、雪が歩行困難になるほどに積もってしまう可能性があると言われてしまい、叔父上が背負う背負子に背中合わせで腰をかけて運搬される事になってしまいました。寒くないように着込んではいますし、念のために持って来ていた火緋色金の霊石に技能「発熱」を籠めた温石で暖をとれてはいるのですが、それでも全く動かないと少しずつ冷えてきてしまいます。特に手が冷えてしまって……。
王都や途中の町で買った冬ごもり用の物資の中でも比較的軽めのモノを、叔父上と兄上が分担して持っているのですが、私も両手で抱えるようにして一番軽い荷物を持っています。その為に手だけは温められずに痛いほどに冷えてしまいました。叔父上に背負われている私が荷物を持っても叔父上の負担が増えるだけなのは解っているのですが、それ以外に出来る事が何もない事が心苦しくて……。
ちなみに重量のある荷物は、アスカ村の領主館の倉庫に一時保管してもらっています。後で叔父上と山吹がピストン輸送する予定で、その時に茴香殿下に頼まれたタコや鮭の干物も持って行く手はずになっています。
「槐、大丈夫か?
汗をかいてしまうと身体が冷えるから、無理のない歩速を保つんだ」
「はい、叔父上」
時々叔父上が後ろを振り返って、兄上の様子を確認しつつ山を登っていきます。
兄上は十三詣りを終えて精霊の守護を得た後、戸籍登録や今年分の税金を治める為の簡単な労働を数日間しなくてはならず。それら全てを終えてからの出発だったので、結局ヤマト国の王都を出たのは土の陰月に入ってからになってしまいました。
その兄上の守護精霊は叔父上と同じく土の精霊でした。
どうやって土の精霊と判別するのか疑問に思って兄上に聞いたのですが、儀式の間に入ると祭壇と鏡があり、そこに向かって祈ると鏡に光が映るんだそうです。その光の色が黄系統なら土の精霊、青系統なら水の精霊、赤系統なら火の精霊の守護が宿ったという事が解る仕組みだったそうです。それでなくても神官たちは精霊力を感じる事ができるそうで、祈った瞬間に感じる精霊力でも判断するんだとか。
兄上の守護精霊とも三太郎さんたちのように会えたら良いなぁと思っていたのですが、どれだけ待っても会う事はできませんでした。ただ叔父上や山吹の精霊が2年以上経ってから様子を見に来たように、兄上の精霊だって何時か会いに来てくれるかもしれません。それを待つことにします。
それにしても私の時はどうするんだろう??
十三詣りをしないと戸籍が貰えないし、でも十三詣りをしっちゃうと色々とマズイ情報が漏れそうだし。一生山から下りないのなら戸籍なんて要らない気もするけれど……。
家に到着した途端に気が抜けてしまったのか、一気に疲れが襲ってもう一ミリも動きたくありません。自分の足で歩いている2人ではなく、叔父上に背負われているだけの私の方が疲労困憊になるなんて……。
叔父上たちは荷物の片づけと明日アスカ村へと持って行く荷物の準備を先にするから、私は温泉へ行って良いよと言ってくれたのですが、ずっと揺られていたせいか足がふらついてしまいます。そんな私を見かねたのか山吹が手を差し伸べて
「お嬢、湯殿まで連れていきましょうか?」
と心配そうに言ってくれるのですが、ちょっと待って!
「だ、駄目! 山吹はこっちに来ちゃ駄目っ!!」
慌てて距離を取ります。動けるじゃないか、私。
「お嬢??」
山吹が不審そうな顔をしていますが、今は近寄られたくありません。
「山吹、お嬢様も女の子なのですから、気を使いなさい」
私と山吹のやり取りを微笑まし気に見ていた橡が、助け舟を出してくれました。それでも山吹は「何故??」と首を傾げていましたが、橡が「若様のお手伝いをしてきなさい」という指示には素直に従って、叔父上の後を追っていきました。
何日もかかる旅をしてきた訳ですから、当然私は汚れていて……。そんな時に男性に近付かれたくありません。三太郎さんが一緒に居てくれたので、人気のない山の中に居る時は簡易風呂にも入れましたが、洗濯すらままならない日の方が多く。
同じように汚れている叔父上や兄上ですら近付くのを若干躊躇うぐらいなのに、家で毎日綺麗にしている山吹には、恥ずかしすぎて絶対に近づきたくありません。そんな乙女心も理解してほしいのに、意外と山吹は女心に疎いのかもしれません。
「はぁぁぁ、やっぱり家が一番。私もう山を下りたくない……」
全身をこれでもかと洗ってさっぱりとした私は、お風呂上りの一杯を一気に飲みほすとしみじみと呟いてしまいます。珍しいことに私は今一人っきりで、三太郎さんはそれぞれの対応した霊石のチェックと精霊力の補充、母上や橡は大量の洗濯物を回しつつ晩御飯の準備、叔父上と兄上と山吹は入浴中です。
「少し不安だったけど……、良かった」
王都は勿論、アスカ村や道中の村や町にも流行り病の気配は無く、今年は豊作だったこともあって皆明るい笑顔でした。他にも家に戻ったら母上たちが寝込んでいたらどうしようという不安もあったのですが、その心配も杞憂に終わりました。
「どうした? 何かあったのか??
っと橡、すまねぇが俺様にも何か飲み物をくれ」
一番最初に戻ってきたのは桃さんで、私の横にドカリと座ると台所に向かって声をかけました。それから改めて私の方を見て「ん?」と返答を促します。
「いや、みんな元気で良かったなぁ……って。
それと桃さんや金さん、浦さんが作ってくれたこの家から
もう二度と離れたくないなぁって思っただけ」
10年かけても前世と同じ生活水準にはもっていけませんが、ピンポイントで見れば前世よりも便利な物もあったりと、此処での生活は世界で一番良いと豪語できる程になりました。まぁ、だからこそ山を下りるのが苦痛になるんですが。
「そうですね。私としましても以前の生活にはもう戻れないと思います」
桃さんに葛の葉から作ったお茶とお茶菓子を持ってきた橡が、私に同意するように頷いてくれます。
そうやって他愛の無い話をしていたら少しずつみんなが集まってきて、久しぶりに家族が全員集合しました。9人揃っての晩御飯は約90日ぶりになります。
「やっぱり母上と橡のご飯が一番おいしいです」
私がそう言えば横で兄上も頷きます。もちろん醤油を始めとした調味料を造れた事が大きいのでしょうが、やはり母親のご飯というのは特別です。
「大和で色々と食べてきたのではないの?」
私と兄上の言葉に嬉しそうに微笑む母上が尋ねた途端、桃さんが
「あっ、俺様あの石の上で焼いた魚とイカが食べたい!!」
とお箸を握りしめて力説を始めました。色々と言っていましたが、要約すれば「あんなに良い匂いと音をさせておきながら、俺様の口に一かけらも入らなかったのはずるい!」って事らしく……。
「魚もイカも今までに何度も食べた事があるじゃない?」
「それは干物じゃないやつだろ?
一度乾燥させた物を戻してから焼いたのは食べたことがない。
それに石の上でも焼いてない!」
山を下りている間中、何も口にできなかった桃さん。その所為か食に対する熱意が際限なく高まっているようです。もしステータス画面なんてものがあったら、桃さんの画面には「状態異常(食欲)」なんて記述がありそうです。
しかもこのステータス異常は桃さんだけでなく、金さんや浦さんにも発生しているようで、これは数日以内に石版焼きをやらないと納得してもらえない奴です。まぁ美味しい物を食べる事ができるのは私も嬉しいのですが、問題はこの時期は色々と無の月の準備で皆が忙しく、ゆっくりとご飯を食べる時間がなかなか取れないって事です。
その辺りを説明して、三太郎さんたちはしぶしぶながらも了承してもらいました。暫く我慢してもらう代わりに、三太郎さんがそれぞれ希望するデザート3種も作る事になってしまいましたが……。
「姉上、何か変わった事はありませんでしたか?」
食後のお茶で一息入れた叔父上が、母上に尋ねた事をきっかけに近況報告が始まりました。最初の報告は死活問題にも繋がる保存食の進行具合です。7歳の時には桃さん不在による保存食の「乾燥」の遅れが発生してしまいましたが、今年は食材乾燥機を作っておいたので大幅な遅れは出ていないそうです。野菜なんかは軒下に干せば技能を使って乾燥させる必要はないんですが、魚などの水産物の干物はどうしても乾燥より先に痛んでしまいそうで……。
「それと黒松と王風が……」
母上が少し俯きながら切り出したのは、10年間ずっと一緒に頑張ってきてくれた大きな大きな二頭の馬の事でした。
「あぁ、そろそろだとは思っていましたが……」
叔父上をそれだけで察したようで、しんみりとした口調になりました。三太郎さんも表情こそ変わらないものの、母上が伝えたい事は理解したようです。唯一兄上だけがどういう事なのか解らないようでキョトンとした顔をしています。
「黒松たちがどうしたのですか?」
「黒松や王風はそろそろ旅立つ歳になってしまったの」
母上が兄上に言葉を選んで説明を始めました。我が家に来た時点で既に老齢という域に片足が入りかけていた二頭の馬。この世界の……特にヤマト国の馬は死期が近づくと姿を消す習性があります。最後の地を探し求めて旅立つのです。いきなりいなくなる個体もいますが、大多数は最初は3~5日居なくなったと思ったら戻ってきて、また暫くしたら今度は10日居なくなるといった感じに、少しずつ遠くを探しているかのように不在期間が延びていきます。そして戻らなくなる……と。黒松たちもそんな感じで居なくなる日があるそうなのです。
「え……。嫌です! 黒松も王風もずっとずっとここで!」
兄上がバッと立ち上がったと思ったら、泣きそうな顔でそう叫びます。そしてそのまま振り返らずに自室へと走って行ってしまいました。荷物運びをしなくなった黒松や王風はゆっくりとした日々を過ごしていますが、兄上はそんな二頭の背に乗ってあちこちに行くのが好きでした。もちろん行動範囲は決められていて遠出なんてできませんが、湖で一緒に水浴びをしたり拠点の外周をぐるっと回ったりしていました。乗馬の練習も兼ねて二頭の馬と一緒に行動する事が家族の中で一番多かった兄上。
あぁ……やばいです、もらい泣きしそう……
「明日からいっぱい、いっぱい撫でて、ご飯あげて、
いっぱいいっぱいいっぱい……ありがとうって言います」
「そうね……」
母上が私の頭を撫でながら静かに微笑みます。
季節は、時間は、歳は……どんどんと過ぎて行って決して戻ってこない。
母上も叔父上も橡も山吹も……何時か私の傍からいなくなってしまうのかな……。
……まぁ、そのおかげで馬車酔いになってしまいましたが……
茴香殿下は今年の無の月もアスカ村で過ごす予定とのことでしたが、まだ王都に仕事がたくさん残っている為にそれらが片付いてから戻るらしく、最後に会った時には
「あのタコと魚の干物を負担にならない量で良いから
アスカ村の領主館にも卸しておいて欲しい。
支払いは忍冬に指示を出しておくから」
と叔父上に懇願していました。タコや鮭の干物を楽しみに、仕事を少しでも早く終わらせるんだとか。茴香殿下はお酒が好きですが量よりも質重視で、美味しいお酒を美味しい肴と一緒に適量飲む事を楽しむ人です。同じぐらいに舌が肥えている蒔蘿殿下も自領のサホ町でタコの干物を試してみるつもりのようで、そんな殿下2人に満足してもらえたのならあれらの商品は大ヒット間違いなしでしょう。
そんな茴香殿下の傍を離れて、随身の忍冬さんが一人アスカ村に戻っても良いのか不思議だったのですが、殿下の代わりに領地の冬支度を進めなくてはならず。茴香殿下の随身の中でも筆頭の忍冬さんが全権委任され、領地の冬支度を進めなくてはいけないのだそうです。もちろん王都へ出発する前にもある程度は冬支度を進めていた上に、領地に残留している部下の方々も準備を進めてはいるそうなのですが、やはり領主の決定が必要な事もあるとかで、一足先に忍冬さんだけが戻る事になったのだとか。
アスカ村で忍冬さんと別れ、ここから先は叔父上と兄上と私の三人だけの徒歩の旅になります。山を下りた時は火の陰月だったので少し歩けば汗をかくような気温でしたが、今は雪がちらつくような気温で歩いていないと寒い程です。
そう、歩いていないと寒いんですっ!
でも私のペースに合わせて歩いていたら、雪が歩行困難になるほどに積もってしまう可能性があると言われてしまい、叔父上が背負う背負子に背中合わせで腰をかけて運搬される事になってしまいました。寒くないように着込んではいますし、念のために持って来ていた火緋色金の霊石に技能「発熱」を籠めた温石で暖をとれてはいるのですが、それでも全く動かないと少しずつ冷えてきてしまいます。特に手が冷えてしまって……。
王都や途中の町で買った冬ごもり用の物資の中でも比較的軽めのモノを、叔父上と兄上が分担して持っているのですが、私も両手で抱えるようにして一番軽い荷物を持っています。その為に手だけは温められずに痛いほどに冷えてしまいました。叔父上に背負われている私が荷物を持っても叔父上の負担が増えるだけなのは解っているのですが、それ以外に出来る事が何もない事が心苦しくて……。
ちなみに重量のある荷物は、アスカ村の領主館の倉庫に一時保管してもらっています。後で叔父上と山吹がピストン輸送する予定で、その時に茴香殿下に頼まれたタコや鮭の干物も持って行く手はずになっています。
「槐、大丈夫か?
汗をかいてしまうと身体が冷えるから、無理のない歩速を保つんだ」
「はい、叔父上」
時々叔父上が後ろを振り返って、兄上の様子を確認しつつ山を登っていきます。
兄上は十三詣りを終えて精霊の守護を得た後、戸籍登録や今年分の税金を治める為の簡単な労働を数日間しなくてはならず。それら全てを終えてからの出発だったので、結局ヤマト国の王都を出たのは土の陰月に入ってからになってしまいました。
その兄上の守護精霊は叔父上と同じく土の精霊でした。
どうやって土の精霊と判別するのか疑問に思って兄上に聞いたのですが、儀式の間に入ると祭壇と鏡があり、そこに向かって祈ると鏡に光が映るんだそうです。その光の色が黄系統なら土の精霊、青系統なら水の精霊、赤系統なら火の精霊の守護が宿ったという事が解る仕組みだったそうです。それでなくても神官たちは精霊力を感じる事ができるそうで、祈った瞬間に感じる精霊力でも判断するんだとか。
兄上の守護精霊とも三太郎さんたちのように会えたら良いなぁと思っていたのですが、どれだけ待っても会う事はできませんでした。ただ叔父上や山吹の精霊が2年以上経ってから様子を見に来たように、兄上の精霊だって何時か会いに来てくれるかもしれません。それを待つことにします。
それにしても私の時はどうするんだろう??
十三詣りをしないと戸籍が貰えないし、でも十三詣りをしっちゃうと色々とマズイ情報が漏れそうだし。一生山から下りないのなら戸籍なんて要らない気もするけれど……。
家に到着した途端に気が抜けてしまったのか、一気に疲れが襲ってもう一ミリも動きたくありません。自分の足で歩いている2人ではなく、叔父上に背負われているだけの私の方が疲労困憊になるなんて……。
叔父上たちは荷物の片づけと明日アスカ村へと持って行く荷物の準備を先にするから、私は温泉へ行って良いよと言ってくれたのですが、ずっと揺られていたせいか足がふらついてしまいます。そんな私を見かねたのか山吹が手を差し伸べて
「お嬢、湯殿まで連れていきましょうか?」
と心配そうに言ってくれるのですが、ちょっと待って!
「だ、駄目! 山吹はこっちに来ちゃ駄目っ!!」
慌てて距離を取ります。動けるじゃないか、私。
「お嬢??」
山吹が不審そうな顔をしていますが、今は近寄られたくありません。
「山吹、お嬢様も女の子なのですから、気を使いなさい」
私と山吹のやり取りを微笑まし気に見ていた橡が、助け舟を出してくれました。それでも山吹は「何故??」と首を傾げていましたが、橡が「若様のお手伝いをしてきなさい」という指示には素直に従って、叔父上の後を追っていきました。
何日もかかる旅をしてきた訳ですから、当然私は汚れていて……。そんな時に男性に近付かれたくありません。三太郎さんが一緒に居てくれたので、人気のない山の中に居る時は簡易風呂にも入れましたが、洗濯すらままならない日の方が多く。
同じように汚れている叔父上や兄上ですら近付くのを若干躊躇うぐらいなのに、家で毎日綺麗にしている山吹には、恥ずかしすぎて絶対に近づきたくありません。そんな乙女心も理解してほしいのに、意外と山吹は女心に疎いのかもしれません。
「はぁぁぁ、やっぱり家が一番。私もう山を下りたくない……」
全身をこれでもかと洗ってさっぱりとした私は、お風呂上りの一杯を一気に飲みほすとしみじみと呟いてしまいます。珍しいことに私は今一人っきりで、三太郎さんはそれぞれの対応した霊石のチェックと精霊力の補充、母上や橡は大量の洗濯物を回しつつ晩御飯の準備、叔父上と兄上と山吹は入浴中です。
「少し不安だったけど……、良かった」
王都は勿論、アスカ村や道中の村や町にも流行り病の気配は無く、今年は豊作だったこともあって皆明るい笑顔でした。他にも家に戻ったら母上たちが寝込んでいたらどうしようという不安もあったのですが、その心配も杞憂に終わりました。
「どうした? 何かあったのか??
っと橡、すまねぇが俺様にも何か飲み物をくれ」
一番最初に戻ってきたのは桃さんで、私の横にドカリと座ると台所に向かって声をかけました。それから改めて私の方を見て「ん?」と返答を促します。
「いや、みんな元気で良かったなぁ……って。
それと桃さんや金さん、浦さんが作ってくれたこの家から
もう二度と離れたくないなぁって思っただけ」
10年かけても前世と同じ生活水準にはもっていけませんが、ピンポイントで見れば前世よりも便利な物もあったりと、此処での生活は世界で一番良いと豪語できる程になりました。まぁ、だからこそ山を下りるのが苦痛になるんですが。
「そうですね。私としましても以前の生活にはもう戻れないと思います」
桃さんに葛の葉から作ったお茶とお茶菓子を持ってきた橡が、私に同意するように頷いてくれます。
そうやって他愛の無い話をしていたら少しずつみんなが集まってきて、久しぶりに家族が全員集合しました。9人揃っての晩御飯は約90日ぶりになります。
「やっぱり母上と橡のご飯が一番おいしいです」
私がそう言えば横で兄上も頷きます。もちろん醤油を始めとした調味料を造れた事が大きいのでしょうが、やはり母親のご飯というのは特別です。
「大和で色々と食べてきたのではないの?」
私と兄上の言葉に嬉しそうに微笑む母上が尋ねた途端、桃さんが
「あっ、俺様あの石の上で焼いた魚とイカが食べたい!!」
とお箸を握りしめて力説を始めました。色々と言っていましたが、要約すれば「あんなに良い匂いと音をさせておきながら、俺様の口に一かけらも入らなかったのはずるい!」って事らしく……。
「魚もイカも今までに何度も食べた事があるじゃない?」
「それは干物じゃないやつだろ?
一度乾燥させた物を戻してから焼いたのは食べたことがない。
それに石の上でも焼いてない!」
山を下りている間中、何も口にできなかった桃さん。その所為か食に対する熱意が際限なく高まっているようです。もしステータス画面なんてものがあったら、桃さんの画面には「状態異常(食欲)」なんて記述がありそうです。
しかもこのステータス異常は桃さんだけでなく、金さんや浦さんにも発生しているようで、これは数日以内に石版焼きをやらないと納得してもらえない奴です。まぁ美味しい物を食べる事ができるのは私も嬉しいのですが、問題はこの時期は色々と無の月の準備で皆が忙しく、ゆっくりとご飯を食べる時間がなかなか取れないって事です。
その辺りを説明して、三太郎さんたちはしぶしぶながらも了承してもらいました。暫く我慢してもらう代わりに、三太郎さんがそれぞれ希望するデザート3種も作る事になってしまいましたが……。
「姉上、何か変わった事はありませんでしたか?」
食後のお茶で一息入れた叔父上が、母上に尋ねた事をきっかけに近況報告が始まりました。最初の報告は死活問題にも繋がる保存食の進行具合です。7歳の時には桃さん不在による保存食の「乾燥」の遅れが発生してしまいましたが、今年は食材乾燥機を作っておいたので大幅な遅れは出ていないそうです。野菜なんかは軒下に干せば技能を使って乾燥させる必要はないんですが、魚などの水産物の干物はどうしても乾燥より先に痛んでしまいそうで……。
「それと黒松と王風が……」
母上が少し俯きながら切り出したのは、10年間ずっと一緒に頑張ってきてくれた大きな大きな二頭の馬の事でした。
「あぁ、そろそろだとは思っていましたが……」
叔父上をそれだけで察したようで、しんみりとした口調になりました。三太郎さんも表情こそ変わらないものの、母上が伝えたい事は理解したようです。唯一兄上だけがどういう事なのか解らないようでキョトンとした顔をしています。
「黒松たちがどうしたのですか?」
「黒松や王風はそろそろ旅立つ歳になってしまったの」
母上が兄上に言葉を選んで説明を始めました。我が家に来た時点で既に老齢という域に片足が入りかけていた二頭の馬。この世界の……特にヤマト国の馬は死期が近づくと姿を消す習性があります。最後の地を探し求めて旅立つのです。いきなりいなくなる個体もいますが、大多数は最初は3~5日居なくなったと思ったら戻ってきて、また暫くしたら今度は10日居なくなるといった感じに、少しずつ遠くを探しているかのように不在期間が延びていきます。そして戻らなくなる……と。黒松たちもそんな感じで居なくなる日があるそうなのです。
「え……。嫌です! 黒松も王風もずっとずっとここで!」
兄上がバッと立ち上がったと思ったら、泣きそうな顔でそう叫びます。そしてそのまま振り返らずに自室へと走って行ってしまいました。荷物運びをしなくなった黒松や王風はゆっくりとした日々を過ごしていますが、兄上はそんな二頭の背に乗ってあちこちに行くのが好きでした。もちろん行動範囲は決められていて遠出なんてできませんが、湖で一緒に水浴びをしたり拠点の外周をぐるっと回ったりしていました。乗馬の練習も兼ねて二頭の馬と一緒に行動する事が家族の中で一番多かった兄上。
あぁ……やばいです、もらい泣きしそう……
「明日からいっぱい、いっぱい撫でて、ご飯あげて、
いっぱいいっぱいいっぱい……ありがとうって言います」
「そうね……」
母上が私の頭を撫でながら静かに微笑みます。
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