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2章
10歳 -土の極日1-
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土の陽月と土の陰月の間には土の極日という期間が1旬間ありますが、その極日の間は毎日様々な神事が執り行われます。これは土の大社だけでなく地方の土の神社《かむやしろ》でも同じで、全ての土の神を祀る神社が全く同じ日時に同じ神事を執り行うのです。
なので以前に三太郎さんたちが「七五三や十三詣りは何処で受けても同じ」というような事を言った事がありましたが、その言葉通り辺境の小さな村のお社であろうと王都の巨大な大社であろうと、受け取る事の出来る守護や加護は全く同じものになります。精霊さんや神様は社の大きさで守護の強さを変えたりしないって事ですね。
その10日間の中でもど真ん中の2日間は特に重要な神事が執り行われ、大社や神社では神職たちが不眠不休でその神事にあたります。その長い長い神事は極日5日の日の出と共に始まって6日の日の入りと共に終わるのですが、これも全ての神社で共通です。違う点を上げるとすれば、大社ではその国の王族や天都から派遣された使節団が参列する事ぐらいでしょうか。
ここヤマト国の王都大和でも当然ながら同じ日程で神事が執り行われるのですが、庶民の感心は神事よりも極日の間中行われるお祭りと、5日目・6日目に行われる王族のパレードだったりします。単に王族が王城を出て神殿へと移動するだけの事なのですがが、滅多に見る事ができない王族や天都の使節団、特に東宮妃を一目見てみたいと思う人は多いようで、周辺は朝早くから大勢の人でごった返します。
流石に華族の居住区である6合目より先には検問所があるので入れませんが、検問所から大社へと続く広い道路は露店と人で溢れかえっていて、まるで火の月のような熱気です。そして人出が増えればそれに合わせて露店などの店も増え、店が増えれば価格を含めた様々な競争が起こり、ついでにお祭り気分で消費者のお財布の紐も緩くなり……と、1年で2番目に経済が盛り上がる時期と言われています。
ちなみに1番目は無の月の準備なので、悲壮感すら漂うお買い物になってしまいます。なのでこの世界の大多数の人にとって、明るい気持ちでお買い物ができる唯一の機会なのです。
この世界の人にとって極日は、自分を守護している精霊の力が一番強くなる期間でもあり、1年無事に過ごせた事の感謝と来年1年を無事に生きられるようにという願いを籠めて神々に祈る期間です。ついでに1年分の様々な鬱憤を一気に発散されることができる、数少ない機会でもあるという事ですね。
つまり、何が言いたいかというと……
お ま つ り だーーーーーーーーーーっ!!
って事です。この世界に来て10年と半年、思い返してみれば一度もお祭りに行った事がありませんでした。前世では特別お祭りが好きという訳ではなかったのですが、それでも春には桜祭りがあり、夏には夏祭りや地蔵盆、秋には小学校のバザーと同時開催された村の鎮守の神様のお祭りがありました。冬のお祭りは村には無かったのですが大晦日と元旦はお祭りのようなものでしたし、高校に入ってからは若宮のおん祭りという盛大なお祭りに友達と誘いあって行ったりもしました。
……あれ? もしかして私ってばお祭り好きだった??
10年ぶりとなるお祭りに、自分でも(これはちょっとまずいかな?)と思う程にウキウキワクワクとしてしまって、叔父上から
「気持ちは解ったから、少し落ち着きなさい。
また熱が出てしまうぞ?」
と苦笑されてしまう程です。
「でも、でも、兄上だって同じようにソワソワしています!」
最近ではすっかり大人の仲間入りをして私を小さい子供扱いする兄上ですが、ここ数日に限っては私と似たような状態なのです。やはりお祭りとその後に続く十三詣りが気になって仕方がないようで、何時もの落ち着きはどこへやらといった感じです。いきなりの流れ弾に兄上は
「ぼ、ぼくは櫻と違って熱を出さないから良いんだよ」
と、前世なら一般的に反抗期と言われる年齢に入った兄上が反論してきます。ただ兄上にはあまり反抗期らしい言動はありません。何かの折に三太郎さんに聞いたのですが、反抗期という概念はこの世界には無いそうです。この世界の人にはそもそも反抗期が無いのか、13歳で成人して納税の義務を背負う事になるので色々と手一杯で反抗なんてしている場合ではなくなるのか……どちらなのかはちょっと判断できません。
そんな感じでワイワイと騒ぎながらも、私達3人は極日の真ん中の二日間に出す露店の準備を、私が7歳の時にも泊まった華族すら泊まる事のある高給宿でしています。今回の王都を訪れた理由のメインは兄上の十三詣りと殿下たちが建設予定の浄水場視察ですが、同時に王都に持ち込んだ様々な商品を王宮に収めたり商店に売ったりしてお金を稼ぐという目的も当然ながらあり、露店販売もその一環です。十三詣りに行かなくてはならないので10日間全ては無理ですが、真ん中の一番盛り上がる2日間ぐらいは露店を出して、直に商品の反応を見てみようという事になっています。
今回、露店で出す予定の商品はズバリ「たこ焼き」
この為に金さんにはたこ焼き用のプレートを作ってもらっています。出発前の積み込む商材の相談の時に、お祭りに露店を出すなら絶対にたこ焼きが良いと言い張ったんですよね。その為にたこ焼きの試作品を叔父上たちに出して、猛烈にプレゼンまでしましたよ。
ただ残念な事に前世と全く同じたこ焼きという訳にはいきませんでした。
そもそも小麦粉が高価すぎて用意できないので米粉で代用していますし、ソースもありません。あのドロッとしたソースの再現も試みはしたのですが、材料を集める時点で挫折しそうな程に揃いません。それに例え身近にあったとしても、赤茄子のようにえぐみが強くて思ったような味にならなかったり……。
なのでソースは諦めて、昆布や石茸の出汁をガッツリきかせた米粉+百合根でんぷんの生地にして、ソース無しでも食べられるようなモノにしました。前世のたこ焼きを知っている身としてはどうしても物足りないのですが、家族みんなには好評でしたし、殿下たちにも喜んで貰えたので美味しくは出来上がったと思います。
その生地を混ぜているのが兄上で、その大量の生地を混ぜる様子は、まるで魔女が大釜をかき混ぜているかのようです。叔父上はタコをダンッ!! ダンッ!!とありえない音をさせて切っています。餅切り機のような道具を使わないと切れないぐらいに固いこのタコ、実は干しタコです。
家でたこ焼きの試作品を作った時は、当然ながら茹でたプリップリのタコを使ったのですが、茹でタコは冷蔵庫に入れていたって日持ちは3~4日です。ましてや火の陰月に移動する事を考えれば、1日すら持たない事だって十分ありえます。
そこで思い出したのが、前世でお祖父ちゃんやお祖母ちゃんと旅行に行った先で見かけた奇怪なタコの姿でした。竹のハンガーのような道具にひっかけられて、これでもかと全身を広げたタコを見て
「祖父ちゃんな、これを見る度にジュディ・オ〇グを思い出す」
と言っていたお祖父ちゃん。その時の私は小さかったので、ジュディ・〇ングの意味が解らなかったんですよね。お祖母ちゃんに「お祖父ちゃんが好きな歌手なのよ」と教えてもらって人名だという事は解ったけれど、なぜそれがタコとつながるのかが解らず。家に帰ってから調べて、ある曲の衣装と振り付けがタコの干物っぽいって事に気付いた私は「お祖父ちゃんはジュディ・オン〇に怒られるべきじゃないだろうか?」と思った覚えがあります。
そんなお祖父ちゃん達の事を、最近ではあまり思い出さなくなりました。此方の世界に来たばかりの頃は起きている間中、前世の事ばかりを思っていました。何せ暮らし辛くて仕方なかったので……。それが少しずつ少しずつ、前世よりも今世の事を思う時間が増えていき、10年経った今では思い返す時間は殆どありません。
勿論、忘れた訳ではありません。相変わらず記憶フレームの一部は黒塗り状態ではありますが、大切な大切な思い出です。
何というか立ち位置が「転生した日本人」ではなく、「日本人の記憶を持つこの世界の子」に変わったのだと思います。10年かけてようやく私はこの世界の子になれたのです。
さて、話を戻して……。この干しタコが今回のメイン商材です。
この世界はタコを食べる文化があるのは沿岸部のみで、内陸部ではタコは食べられていません。冷凍どころか冷蔵する技術すら無いのですから仕方がない事ではありますが、海産物は塩漬けか干物にしないと内陸部へ持ち込めないのです。塩は貴重品ですから基本的には干物になるのですが、タコの干物はないのだそうです。
ならタコの干物を作れば画期的だよね!
干物なら桃さんが居るから、上手に作れるよね!!
って事で、あっさりタコを干物にするところまでは決まったのですが、干物にしたタコは固すぎてそのままたこ焼きに入れる事はできません。なのでここからが試行錯誤の本番でした。
水で戻すと当然柔らかくはなりますが、旨味もぼやけてしまいます。折角干物にして旨味を凝縮したのに台無しです。そこで再び思い出したのが、お洒落なお料理番組でやっていた、タコと林檎のカルパッチョでした。つまりタコと林檎は相性が良いのでは?と思った私は、林檎酒でふやかしてみました。通常バージョンの林檎酒だとちょっと林檎の風味が強すぎたので、蒸留酒の林檎果肉をまだ入れていないモノで試したところ、これが大当たり!
更にそこに旨味を追加しようと、干した昆布や石茸も一緒に漬け込んでみました。本当は鰹節が欲しい所なのですが、この世界には鰹節が無いんですよね。堅魚と煮堅魚ならあるんですが、ミズホ国が製造法を秘匿している超がつくレベルの高級品です。ただ堅魚にしても煮堅魚にしても、その製造法には秘匿する箇所があまり無いように思うので、この世界では堅魚の時点で既に燻煙するという製法を使っているのかもしれません。
そうやって林檎の蒸留酒で戻した干しタコを焼いてからタコ焼きに入れたら、香ばしさも増し増しで良い感じになりました。その上に自家製のもみ海苔とお好みで出汁醤油をかければ完成です。米粉の時点で外はパリッ中はトロッというよりは、外はカリッ中はモチッという感じでしたし、色もお米の色が黒いので灰色をしていて私の思っていたたこ焼きではないですが、味は本当に美味しくできました。
その硬い干しタコを叔父上が切り、私がその切れた干しタコを琺瑯容器に入れて蒸留酒と昆布と石茸を入れて混ぜます。後はタコ以外にも変わり種として干し貝柱も同じように戻して、たこ焼きならぬ貝柱焼きも一緒に作ろうかと思っています。他にも露店で同時に販売予定の鮭やらイカやら様々な材料の下準備に大忙しの私達でした。
翌日。私達の露店の場所は道路脇ではなく、大社の真ん前というかすぐ隣のこれ以上は無い程の一等地でした。殿下が職権乱用したのかと思ったのですが、どうやら大社の前庭のこの場所にある両サイド10店ずつは、元々「王家の人の為の店」という扱いらしく、この極日ど真ん中の2日以外は露店が出ない場所なんだそうです。
王家の人にとっても長丁場の神事になるので、途中で少し何か食べたいとか飲みたいという時が当然あります。そんな時、王宮に居れば幾らでも対応が可能ですが大社ではそうはいきません。それにこういう時ぐらいは少し何時もと違った事がしたいと思うのは王族も例外ではなく、そういった高貴な人々の為の屋台がここです。自分の御用達の店であったり、食べたいモノを取り扱っている店などを前もって申請登録して、直ぐに買いに行ける場所に露店を出させるのです。
殿下たちは昨年までは特に無いと申請をしていなかったようなのですが、今年は叔父上が露店を出すと知って、絶対に買いに行くから登録する、させてくれ、頼むと叔父上に懇願していました。両殿下とも、かなりたこ焼きを気に入ったようです。
その合計20店のスペースは他の店よりもかなり広く、売る物によって色々と設備は異なるようですが、共通で裏側にもカウンターがありました。どうやらそこで神殿から来る注文を聞けるようになっているようです。またこの20店限定で、神事に参加できないような見習い神官が必要とあれば手伝ってくれるとの事で、私達のような少人数でも困る事はありません。
私達が使うテントの造りは、道に面した所に大きな焼き場とカウンターがあり、奥には間仕切りを隔てて簡単な調理設備があります。その間仕切りのおかげで製造法を他人に見られる心配もありませんし、休憩していても外から見える事もありません。また店先には大きなタコの干物が風に揺られてユラユラと揺れていて、かなり目立っています。この世界はタコも巨大なので、干物にした中でも一番小さい物を選んでいるのですが、それでも大きいのです……。
荷物を全て搬入し終えたあと、
「火を使うのは危ないから櫻が接客をする方が良いんだろうけど、
十三詣り前の子供が店に出る事を嫌う人もいるから裏方を頼むよ。
たこ焼きを焼き続けるのは大変だろうから、ちゃんと休憩しつつだよ?」
と叔父上に念を押されました。前もって役割は決められていて、私は間仕切りの奥でたこ焼きを焼く係で、叔父上と兄上が接客と同時にカウンター横にある焼き場で鮭の干物やイカの干物を例の手順で戻した物に、醤油ベースの調味液を塗って焼いた物を販売する係です。当初の予定では鉄板で焼く予定だったのですが、忍冬さんとあちこち行った際に、王都で石焼きが流行っているのを見たので、急遽それを取り入れてみました。石焼きとは言っても肉や魚の場合は熱した石板の上で焼いているそうで、石板焼きという方がイメージしやすいかもしれません。
「心配しなくても大丈夫ですよ、叔父上。
あっ、時間が出来たら他のお店を見てきても良いですか?」
「あぁ、その時は私か槐にちゃんと言ってからだぞ?」
「「はーーい」」
……何故か兄上まで返事をしていて、それに気づいて兄上の方を見たら
「ぼくも一緒に行くからね。櫻一人じゃ絶対に迷子になるから」
と言われてしまいました。あれ、絶対に自分も行きたいんだろうな。何はともあれまずはたこ焼きを作りはじめなくてはと、間仕切りで区切られた調理スペースへと移動します。焼き過ぎて余ってもいけないから様子を見つつ焼いて、ピークが過ぎれば兄上と一緒にお祭りに行こう。
そんな事を思っていた時もありました。
気が付いたら外は暗くなっていて、私の膝はガクガクと震えています。途中の記憶が曖昧でよく覚えていないのですが、たこ焼きを焼き始めた途端に匂いにつられて買い求めに来た人が現れ……。それを食べた人の口コミもあったようで、あっという間に雪だるま式に行列が伸びていき店の前は大渋滞に。慌てて兄上が見習い神官の方に手伝いを要請に行ったのですがその間にもどんどんと人は増え、私は今日ほど千手観音になりたいと思った事はありませんでした。
途中でタコや生地が足りなくなって、兄上が神官さんに手伝ってもらいながら明日の分として作っておいた物を宿に取りに行ったり、焼いても焼いても終わらない作業に比喩ではなく眩暈がしたりと本当に大変な1日でした。
たこ焼きも材料がなくなる程に売れましたが、カウンター横で焼いていた鮭やイカもかなりの売れ行きでした。私達の横の露店は様々な飲み物を扱うお店だったのですが、そこの店主が先程、
「いやぁ、あなたの店のおかげでうちの酒の売り上げが例年の倍ですよ」
と朗らかに笑いながら叔父上に挨拶に来ました。どうも焼いた鮭やイカを買った人の大多数が、隣でお酒も買って行ったそうで……。店主が言うには例年なら果実水とお酒の売り上げが半々といったところなのに、今年は大幅にお酒の売り上げが伸びたとかでホクホク顔でした。
「うちはこのまま夜通し営業ですが、そちらは?」
「私どもは一度戻って材料の仕込みをする予定です」
「そうですか、それではまた明日。お互いに頑張りましょう」
そう言うと、お隣さんは戻っていきました。
「櫻。大丈夫……じゃないね」
「大丈夫じゃないです、もう立てません」
お隣さんを見送った後、叔父上は間仕切りの中に入ってきて、私のぐったりした様子に慌てて抱き上げてくれました。こうやって抱っこされるような年齢ではないのですが、今日は歩くどころか立ち上がる気力すら湧かないので、ありがたくされるがままになっておきます。
「槐、槐は大丈夫かい?」
「ぼくはお腹がすいたぐらいで、他は大丈夫です。」
兄上ってばこんなに疲れているのに食欲はあるんだ。すごいなぁ……。
宿に戻ってから叔父上と兄上は食事をし、私は食事をする気力が無いので入浴……とは言っても蒸し風呂なんだけど、とにかく体を綺麗にしたら早々に眠る事にしました。叔父上たちは今日使ってしまった明日の分を新たに作るべく作業を続行していて、私も手伝いをするべきだとは思ったのですが、起きていられない程に眠くて仕方が無く……。
「櫻は寝てしまいなさい。
明日こそお祭りに行くんだろ?
と叔父上は言ってくれますが、明日だって行けるかどうか……。
「大丈夫だよ、明日はお昼の混雑が過ぎればあの区域の露店は終了だ。
王族たちが出立するための牛車を入れる事になるからね。
それに持って来ていた干しタコもここで全部使い切る訳にはいかないし」
なるほど、だから今日も朝早くからやっていた他の露店と違って、牛車を移動させ終えたお昼前ぐらいからの開店だったんですね。それに私達が露店を出す理由は干しタコの味を覚えてもらい、後で干しタコを買ってもらう為のモノなので、ここで全てを使ったら本末転倒なのです。
翌日は私達が準備をし始めた途端に人々が並びだし、開店と同時にまとめ買いまで出る始末でした。ただ叔父上や神殿側も既にそれを予測していて、昨日の倍ちかいの人数の見習い神官さんが手伝いに来てくれ、その人たちが接客や行列整理を受け持ってくれたので、叔父上や兄上は調理に専念する事が出来ました。そのおかげで昨日よりは楽な感じです。
それでもお昼のピークは眩暈がするほどに忙しかったのですが、それを過ぎればこの区域のお客さんは一気に減りました。大社へ参拝に行く人の為に立入禁止にはなっていないのですが、先ほどまでとは通る人の数が雲泥の差です。あちこちの店で閉店準備が進められているようで、私達も外にぶら下げていた干しタコを仕舞って閉店の準備を始めます。これが終わればお祭りだと思えば、重かった身体も少し軽くなったような気がします。
あらかた片づけを終えた後、私と兄上は間仕切りの奥で殿下たちから頂いた着物へと着替えました。その着物を着ながらふと思い出したのは、今日の日程を決めた時の事です。
殿下や叔父上からは「お祭りに行くのは十三詣りが終わってからの方が良いんじゃないか?」と言われていたのです。何せ十三詣りを終えて本戸籍を貰い、身分証を貰った後なら兄上もお酒が飲めますから。それを目当てに祭りに繰り出す13歳はとても多いのだそうです。ですが兄上は中日の方が良いからと言い続けて……。後で2人になった時に、
「本当に十三詣りの後じゃなくて良かったの?」
と尋ねたら
「ぼくはこれから先、叔父上たちと同じように
行商でお祭りに行く事もあるだろうけど、櫻はそうはいかないだろ?
なら櫻には一番賑やかなお祭りに行かせたい、そう思っただけだよ」
と言われて、何だかじーーんとしてしまいました。あんなに小さかった兄上が、私の事を思って自分の事より優先してくれたのだと思うと感無量です。
こうして私は迷子にならないように兄上に手を引かれ、殿下たちから貰った大きすぎる市女笠を被りお祭りへと向かいました。
人が多ければ多い程、やはり異臭というか体臭が凄い人もいるものですが、お祭りに行くという事は神事に参加するという事でもあるので、みなさんある程度は身綺麗にしてから参加しているようで少し安心しました。
兄上と見た事が無い不思議な果物や飲み物を、叔父上からもらったお小遣いと相談しながら買い、兄上と半分こしてお互いに味見をしあったりして……。
(あぁ、これこれ……。お祭りってこうだよねぇ)
なんて懐かしく思ったりもします。そうやってのんびりと数えきれない程の露店が並ぶ道を歩き、思い存分露店を楽しみながら6合目の検問所付近まで来た時、王族が大社を出立する合図の大太鼓が鳴り響きました。
「もうこんな時間か。
流石にそろそろ戻らないと叔父上が心配するな」
そう言って兄上は元来た道を戻りはじめました。私も当然それについていきます。その途中で屈強な兵士に囲まれた牛車が幾つも通り過ぎていきます。おそらく一番最初の豪華な牛車が国王の巌桂陛下で、次の牛車が王太子の連翹殿下でしょう。それぞれ殿下たちの祖父と父親にあたる人物です。その次に続くのは茴香殿下か蒔蘿殿下の牛車でしょうね、どっちが先なのかは解りませんが……。
そうやって幾つもの牛車とすれ違いながら戻っていく途中、急に大きな歓声が上がりました。すぐ横にいた見知らぬ男性が、両手をいきなり高く上げたかと思ったら、両手に持っていた布を激しく振ります。沿道の人たちみんながそうやって布を振りながら見詰める先には、殿下たちの物より優美な造りの女性用の牛車がありました。
ただ、私にはそれをゆっくり見ている余裕はありませんでした。横の男性がいきなり腕を振り上げた時に私の市女笠に思いっきりぶつかって、笠が大きく傾いてしまったのです。その際に顎の下で結えていた紐が首を絞めて、思いっきり咳き込んでしまいました。
「お? すまないな、嬢ちゃん。大丈夫か??」
私が咳き込んだことに気付いた男性が慌てて謝ってくれますが、咳き込んじゃってすぐに返事が出来ません。兄上が背中をさすりながら市女笠を支えてくれてどうにか
「大丈夫です、ちょっと吃驚しだけ」
と答える事ができましたが、まだ何だか喉が痛い気がします。ンンッと喉の調子を整える私に男性は更に何度も謝り、むしろこっちが申し訳なく思うぐらいです。
「本当にもう大丈夫ですから。お祭り、引き続き楽しんでください」
と私は笑顔でその男性に手を振って、叔父上の元へと戻ったのでした。
なので以前に三太郎さんたちが「七五三や十三詣りは何処で受けても同じ」というような事を言った事がありましたが、その言葉通り辺境の小さな村のお社であろうと王都の巨大な大社であろうと、受け取る事の出来る守護や加護は全く同じものになります。精霊さんや神様は社の大きさで守護の強さを変えたりしないって事ですね。
その10日間の中でもど真ん中の2日間は特に重要な神事が執り行われ、大社や神社では神職たちが不眠不休でその神事にあたります。その長い長い神事は極日5日の日の出と共に始まって6日の日の入りと共に終わるのですが、これも全ての神社で共通です。違う点を上げるとすれば、大社ではその国の王族や天都から派遣された使節団が参列する事ぐらいでしょうか。
ここヤマト国の王都大和でも当然ながら同じ日程で神事が執り行われるのですが、庶民の感心は神事よりも極日の間中行われるお祭りと、5日目・6日目に行われる王族のパレードだったりします。単に王族が王城を出て神殿へと移動するだけの事なのですがが、滅多に見る事ができない王族や天都の使節団、特に東宮妃を一目見てみたいと思う人は多いようで、周辺は朝早くから大勢の人でごった返します。
流石に華族の居住区である6合目より先には検問所があるので入れませんが、検問所から大社へと続く広い道路は露店と人で溢れかえっていて、まるで火の月のような熱気です。そして人出が増えればそれに合わせて露店などの店も増え、店が増えれば価格を含めた様々な競争が起こり、ついでにお祭り気分で消費者のお財布の紐も緩くなり……と、1年で2番目に経済が盛り上がる時期と言われています。
ちなみに1番目は無の月の準備なので、悲壮感すら漂うお買い物になってしまいます。なのでこの世界の大多数の人にとって、明るい気持ちでお買い物ができる唯一の機会なのです。
この世界の人にとって極日は、自分を守護している精霊の力が一番強くなる期間でもあり、1年無事に過ごせた事の感謝と来年1年を無事に生きられるようにという願いを籠めて神々に祈る期間です。ついでに1年分の様々な鬱憤を一気に発散されることができる、数少ない機会でもあるという事ですね。
つまり、何が言いたいかというと……
お ま つ り だーーーーーーーーーーっ!!
って事です。この世界に来て10年と半年、思い返してみれば一度もお祭りに行った事がありませんでした。前世では特別お祭りが好きという訳ではなかったのですが、それでも春には桜祭りがあり、夏には夏祭りや地蔵盆、秋には小学校のバザーと同時開催された村の鎮守の神様のお祭りがありました。冬のお祭りは村には無かったのですが大晦日と元旦はお祭りのようなものでしたし、高校に入ってからは若宮のおん祭りという盛大なお祭りに友達と誘いあって行ったりもしました。
……あれ? もしかして私ってばお祭り好きだった??
10年ぶりとなるお祭りに、自分でも(これはちょっとまずいかな?)と思う程にウキウキワクワクとしてしまって、叔父上から
「気持ちは解ったから、少し落ち着きなさい。
また熱が出てしまうぞ?」
と苦笑されてしまう程です。
「でも、でも、兄上だって同じようにソワソワしています!」
最近ではすっかり大人の仲間入りをして私を小さい子供扱いする兄上ですが、ここ数日に限っては私と似たような状態なのです。やはりお祭りとその後に続く十三詣りが気になって仕方がないようで、何時もの落ち着きはどこへやらといった感じです。いきなりの流れ弾に兄上は
「ぼ、ぼくは櫻と違って熱を出さないから良いんだよ」
と、前世なら一般的に反抗期と言われる年齢に入った兄上が反論してきます。ただ兄上にはあまり反抗期らしい言動はありません。何かの折に三太郎さんに聞いたのですが、反抗期という概念はこの世界には無いそうです。この世界の人にはそもそも反抗期が無いのか、13歳で成人して納税の義務を背負う事になるので色々と手一杯で反抗なんてしている場合ではなくなるのか……どちらなのかはちょっと判断できません。
そんな感じでワイワイと騒ぎながらも、私達3人は極日の真ん中の二日間に出す露店の準備を、私が7歳の時にも泊まった華族すら泊まる事のある高給宿でしています。今回の王都を訪れた理由のメインは兄上の十三詣りと殿下たちが建設予定の浄水場視察ですが、同時に王都に持ち込んだ様々な商品を王宮に収めたり商店に売ったりしてお金を稼ぐという目的も当然ながらあり、露店販売もその一環です。十三詣りに行かなくてはならないので10日間全ては無理ですが、真ん中の一番盛り上がる2日間ぐらいは露店を出して、直に商品の反応を見てみようという事になっています。
今回、露店で出す予定の商品はズバリ「たこ焼き」
この為に金さんにはたこ焼き用のプレートを作ってもらっています。出発前の積み込む商材の相談の時に、お祭りに露店を出すなら絶対にたこ焼きが良いと言い張ったんですよね。その為にたこ焼きの試作品を叔父上たちに出して、猛烈にプレゼンまでしましたよ。
ただ残念な事に前世と全く同じたこ焼きという訳にはいきませんでした。
そもそも小麦粉が高価すぎて用意できないので米粉で代用していますし、ソースもありません。あのドロッとしたソースの再現も試みはしたのですが、材料を集める時点で挫折しそうな程に揃いません。それに例え身近にあったとしても、赤茄子のようにえぐみが強くて思ったような味にならなかったり……。
なのでソースは諦めて、昆布や石茸の出汁をガッツリきかせた米粉+百合根でんぷんの生地にして、ソース無しでも食べられるようなモノにしました。前世のたこ焼きを知っている身としてはどうしても物足りないのですが、家族みんなには好評でしたし、殿下たちにも喜んで貰えたので美味しくは出来上がったと思います。
その生地を混ぜているのが兄上で、その大量の生地を混ぜる様子は、まるで魔女が大釜をかき混ぜているかのようです。叔父上はタコをダンッ!! ダンッ!!とありえない音をさせて切っています。餅切り機のような道具を使わないと切れないぐらいに固いこのタコ、実は干しタコです。
家でたこ焼きの試作品を作った時は、当然ながら茹でたプリップリのタコを使ったのですが、茹でタコは冷蔵庫に入れていたって日持ちは3~4日です。ましてや火の陰月に移動する事を考えれば、1日すら持たない事だって十分ありえます。
そこで思い出したのが、前世でお祖父ちゃんやお祖母ちゃんと旅行に行った先で見かけた奇怪なタコの姿でした。竹のハンガーのような道具にひっかけられて、これでもかと全身を広げたタコを見て
「祖父ちゃんな、これを見る度にジュディ・オ〇グを思い出す」
と言っていたお祖父ちゃん。その時の私は小さかったので、ジュディ・〇ングの意味が解らなかったんですよね。お祖母ちゃんに「お祖父ちゃんが好きな歌手なのよ」と教えてもらって人名だという事は解ったけれど、なぜそれがタコとつながるのかが解らず。家に帰ってから調べて、ある曲の衣装と振り付けがタコの干物っぽいって事に気付いた私は「お祖父ちゃんはジュディ・オン〇に怒られるべきじゃないだろうか?」と思った覚えがあります。
そんなお祖父ちゃん達の事を、最近ではあまり思い出さなくなりました。此方の世界に来たばかりの頃は起きている間中、前世の事ばかりを思っていました。何せ暮らし辛くて仕方なかったので……。それが少しずつ少しずつ、前世よりも今世の事を思う時間が増えていき、10年経った今では思い返す時間は殆どありません。
勿論、忘れた訳ではありません。相変わらず記憶フレームの一部は黒塗り状態ではありますが、大切な大切な思い出です。
何というか立ち位置が「転生した日本人」ではなく、「日本人の記憶を持つこの世界の子」に変わったのだと思います。10年かけてようやく私はこの世界の子になれたのです。
さて、話を戻して……。この干しタコが今回のメイン商材です。
この世界はタコを食べる文化があるのは沿岸部のみで、内陸部ではタコは食べられていません。冷凍どころか冷蔵する技術すら無いのですから仕方がない事ではありますが、海産物は塩漬けか干物にしないと内陸部へ持ち込めないのです。塩は貴重品ですから基本的には干物になるのですが、タコの干物はないのだそうです。
ならタコの干物を作れば画期的だよね!
干物なら桃さんが居るから、上手に作れるよね!!
って事で、あっさりタコを干物にするところまでは決まったのですが、干物にしたタコは固すぎてそのままたこ焼きに入れる事はできません。なのでここからが試行錯誤の本番でした。
水で戻すと当然柔らかくはなりますが、旨味もぼやけてしまいます。折角干物にして旨味を凝縮したのに台無しです。そこで再び思い出したのが、お洒落なお料理番組でやっていた、タコと林檎のカルパッチョでした。つまりタコと林檎は相性が良いのでは?と思った私は、林檎酒でふやかしてみました。通常バージョンの林檎酒だとちょっと林檎の風味が強すぎたので、蒸留酒の林檎果肉をまだ入れていないモノで試したところ、これが大当たり!
更にそこに旨味を追加しようと、干した昆布や石茸も一緒に漬け込んでみました。本当は鰹節が欲しい所なのですが、この世界には鰹節が無いんですよね。堅魚と煮堅魚ならあるんですが、ミズホ国が製造法を秘匿している超がつくレベルの高級品です。ただ堅魚にしても煮堅魚にしても、その製造法には秘匿する箇所があまり無いように思うので、この世界では堅魚の時点で既に燻煙するという製法を使っているのかもしれません。
そうやって林檎の蒸留酒で戻した干しタコを焼いてからタコ焼きに入れたら、香ばしさも増し増しで良い感じになりました。その上に自家製のもみ海苔とお好みで出汁醤油をかければ完成です。米粉の時点で外はパリッ中はトロッというよりは、外はカリッ中はモチッという感じでしたし、色もお米の色が黒いので灰色をしていて私の思っていたたこ焼きではないですが、味は本当に美味しくできました。
その硬い干しタコを叔父上が切り、私がその切れた干しタコを琺瑯容器に入れて蒸留酒と昆布と石茸を入れて混ぜます。後はタコ以外にも変わり種として干し貝柱も同じように戻して、たこ焼きならぬ貝柱焼きも一緒に作ろうかと思っています。他にも露店で同時に販売予定の鮭やらイカやら様々な材料の下準備に大忙しの私達でした。
翌日。私達の露店の場所は道路脇ではなく、大社の真ん前というかすぐ隣のこれ以上は無い程の一等地でした。殿下が職権乱用したのかと思ったのですが、どうやら大社の前庭のこの場所にある両サイド10店ずつは、元々「王家の人の為の店」という扱いらしく、この極日ど真ん中の2日以外は露店が出ない場所なんだそうです。
王家の人にとっても長丁場の神事になるので、途中で少し何か食べたいとか飲みたいという時が当然あります。そんな時、王宮に居れば幾らでも対応が可能ですが大社ではそうはいきません。それにこういう時ぐらいは少し何時もと違った事がしたいと思うのは王族も例外ではなく、そういった高貴な人々の為の屋台がここです。自分の御用達の店であったり、食べたいモノを取り扱っている店などを前もって申請登録して、直ぐに買いに行ける場所に露店を出させるのです。
殿下たちは昨年までは特に無いと申請をしていなかったようなのですが、今年は叔父上が露店を出すと知って、絶対に買いに行くから登録する、させてくれ、頼むと叔父上に懇願していました。両殿下とも、かなりたこ焼きを気に入ったようです。
その合計20店のスペースは他の店よりもかなり広く、売る物によって色々と設備は異なるようですが、共通で裏側にもカウンターがありました。どうやらそこで神殿から来る注文を聞けるようになっているようです。またこの20店限定で、神事に参加できないような見習い神官が必要とあれば手伝ってくれるとの事で、私達のような少人数でも困る事はありません。
私達が使うテントの造りは、道に面した所に大きな焼き場とカウンターがあり、奥には間仕切りを隔てて簡単な調理設備があります。その間仕切りのおかげで製造法を他人に見られる心配もありませんし、休憩していても外から見える事もありません。また店先には大きなタコの干物が風に揺られてユラユラと揺れていて、かなり目立っています。この世界はタコも巨大なので、干物にした中でも一番小さい物を選んでいるのですが、それでも大きいのです……。
荷物を全て搬入し終えたあと、
「火を使うのは危ないから櫻が接客をする方が良いんだろうけど、
十三詣り前の子供が店に出る事を嫌う人もいるから裏方を頼むよ。
たこ焼きを焼き続けるのは大変だろうから、ちゃんと休憩しつつだよ?」
と叔父上に念を押されました。前もって役割は決められていて、私は間仕切りの奥でたこ焼きを焼く係で、叔父上と兄上が接客と同時にカウンター横にある焼き場で鮭の干物やイカの干物を例の手順で戻した物に、醤油ベースの調味液を塗って焼いた物を販売する係です。当初の予定では鉄板で焼く予定だったのですが、忍冬さんとあちこち行った際に、王都で石焼きが流行っているのを見たので、急遽それを取り入れてみました。石焼きとは言っても肉や魚の場合は熱した石板の上で焼いているそうで、石板焼きという方がイメージしやすいかもしれません。
「心配しなくても大丈夫ですよ、叔父上。
あっ、時間が出来たら他のお店を見てきても良いですか?」
「あぁ、その時は私か槐にちゃんと言ってからだぞ?」
「「はーーい」」
……何故か兄上まで返事をしていて、それに気づいて兄上の方を見たら
「ぼくも一緒に行くからね。櫻一人じゃ絶対に迷子になるから」
と言われてしまいました。あれ、絶対に自分も行きたいんだろうな。何はともあれまずはたこ焼きを作りはじめなくてはと、間仕切りで区切られた調理スペースへと移動します。焼き過ぎて余ってもいけないから様子を見つつ焼いて、ピークが過ぎれば兄上と一緒にお祭りに行こう。
そんな事を思っていた時もありました。
気が付いたら外は暗くなっていて、私の膝はガクガクと震えています。途中の記憶が曖昧でよく覚えていないのですが、たこ焼きを焼き始めた途端に匂いにつられて買い求めに来た人が現れ……。それを食べた人の口コミもあったようで、あっという間に雪だるま式に行列が伸びていき店の前は大渋滞に。慌てて兄上が見習い神官の方に手伝いを要請に行ったのですがその間にもどんどんと人は増え、私は今日ほど千手観音になりたいと思った事はありませんでした。
途中でタコや生地が足りなくなって、兄上が神官さんに手伝ってもらいながら明日の分として作っておいた物を宿に取りに行ったり、焼いても焼いても終わらない作業に比喩ではなく眩暈がしたりと本当に大変な1日でした。
たこ焼きも材料がなくなる程に売れましたが、カウンター横で焼いていた鮭やイカもかなりの売れ行きでした。私達の横の露店は様々な飲み物を扱うお店だったのですが、そこの店主が先程、
「いやぁ、あなたの店のおかげでうちの酒の売り上げが例年の倍ですよ」
と朗らかに笑いながら叔父上に挨拶に来ました。どうも焼いた鮭やイカを買った人の大多数が、隣でお酒も買って行ったそうで……。店主が言うには例年なら果実水とお酒の売り上げが半々といったところなのに、今年は大幅にお酒の売り上げが伸びたとかでホクホク顔でした。
「うちはこのまま夜通し営業ですが、そちらは?」
「私どもは一度戻って材料の仕込みをする予定です」
「そうですか、それではまた明日。お互いに頑張りましょう」
そう言うと、お隣さんは戻っていきました。
「櫻。大丈夫……じゃないね」
「大丈夫じゃないです、もう立てません」
お隣さんを見送った後、叔父上は間仕切りの中に入ってきて、私のぐったりした様子に慌てて抱き上げてくれました。こうやって抱っこされるような年齢ではないのですが、今日は歩くどころか立ち上がる気力すら湧かないので、ありがたくされるがままになっておきます。
「槐、槐は大丈夫かい?」
「ぼくはお腹がすいたぐらいで、他は大丈夫です。」
兄上ってばこんなに疲れているのに食欲はあるんだ。すごいなぁ……。
宿に戻ってから叔父上と兄上は食事をし、私は食事をする気力が無いので入浴……とは言っても蒸し風呂なんだけど、とにかく体を綺麗にしたら早々に眠る事にしました。叔父上たちは今日使ってしまった明日の分を新たに作るべく作業を続行していて、私も手伝いをするべきだとは思ったのですが、起きていられない程に眠くて仕方が無く……。
「櫻は寝てしまいなさい。
明日こそお祭りに行くんだろ?
と叔父上は言ってくれますが、明日だって行けるかどうか……。
「大丈夫だよ、明日はお昼の混雑が過ぎればあの区域の露店は終了だ。
王族たちが出立するための牛車を入れる事になるからね。
それに持って来ていた干しタコもここで全部使い切る訳にはいかないし」
なるほど、だから今日も朝早くからやっていた他の露店と違って、牛車を移動させ終えたお昼前ぐらいからの開店だったんですね。それに私達が露店を出す理由は干しタコの味を覚えてもらい、後で干しタコを買ってもらう為のモノなので、ここで全てを使ったら本末転倒なのです。
翌日は私達が準備をし始めた途端に人々が並びだし、開店と同時にまとめ買いまで出る始末でした。ただ叔父上や神殿側も既にそれを予測していて、昨日の倍ちかいの人数の見習い神官さんが手伝いに来てくれ、その人たちが接客や行列整理を受け持ってくれたので、叔父上や兄上は調理に専念する事が出来ました。そのおかげで昨日よりは楽な感じです。
それでもお昼のピークは眩暈がするほどに忙しかったのですが、それを過ぎればこの区域のお客さんは一気に減りました。大社へ参拝に行く人の為に立入禁止にはなっていないのですが、先ほどまでとは通る人の数が雲泥の差です。あちこちの店で閉店準備が進められているようで、私達も外にぶら下げていた干しタコを仕舞って閉店の準備を始めます。これが終わればお祭りだと思えば、重かった身体も少し軽くなったような気がします。
あらかた片づけを終えた後、私と兄上は間仕切りの奥で殿下たちから頂いた着物へと着替えました。その着物を着ながらふと思い出したのは、今日の日程を決めた時の事です。
殿下や叔父上からは「お祭りに行くのは十三詣りが終わってからの方が良いんじゃないか?」と言われていたのです。何せ十三詣りを終えて本戸籍を貰い、身分証を貰った後なら兄上もお酒が飲めますから。それを目当てに祭りに繰り出す13歳はとても多いのだそうです。ですが兄上は中日の方が良いからと言い続けて……。後で2人になった時に、
「本当に十三詣りの後じゃなくて良かったの?」
と尋ねたら
「ぼくはこれから先、叔父上たちと同じように
行商でお祭りに行く事もあるだろうけど、櫻はそうはいかないだろ?
なら櫻には一番賑やかなお祭りに行かせたい、そう思っただけだよ」
と言われて、何だかじーーんとしてしまいました。あんなに小さかった兄上が、私の事を思って自分の事より優先してくれたのだと思うと感無量です。
こうして私は迷子にならないように兄上に手を引かれ、殿下たちから貰った大きすぎる市女笠を被りお祭りへと向かいました。
人が多ければ多い程、やはり異臭というか体臭が凄い人もいるものですが、お祭りに行くという事は神事に参加するという事でもあるので、みなさんある程度は身綺麗にしてから参加しているようで少し安心しました。
兄上と見た事が無い不思議な果物や飲み物を、叔父上からもらったお小遣いと相談しながら買い、兄上と半分こしてお互いに味見をしあったりして……。
(あぁ、これこれ……。お祭りってこうだよねぇ)
なんて懐かしく思ったりもします。そうやってのんびりと数えきれない程の露店が並ぶ道を歩き、思い存分露店を楽しみながら6合目の検問所付近まで来た時、王族が大社を出立する合図の大太鼓が鳴り響きました。
「もうこんな時間か。
流石にそろそろ戻らないと叔父上が心配するな」
そう言って兄上は元来た道を戻りはじめました。私も当然それについていきます。その途中で屈強な兵士に囲まれた牛車が幾つも通り過ぎていきます。おそらく一番最初の豪華な牛車が国王の巌桂陛下で、次の牛車が王太子の連翹殿下でしょう。それぞれ殿下たちの祖父と父親にあたる人物です。その次に続くのは茴香殿下か蒔蘿殿下の牛車でしょうね、どっちが先なのかは解りませんが……。
そうやって幾つもの牛車とすれ違いながら戻っていく途中、急に大きな歓声が上がりました。すぐ横にいた見知らぬ男性が、両手をいきなり高く上げたかと思ったら、両手に持っていた布を激しく振ります。沿道の人たちみんながそうやって布を振りながら見詰める先には、殿下たちの物より優美な造りの女性用の牛車がありました。
ただ、私にはそれをゆっくり見ている余裕はありませんでした。横の男性がいきなり腕を振り上げた時に私の市女笠に思いっきりぶつかって、笠が大きく傾いてしまったのです。その際に顎の下で結えていた紐が首を絞めて、思いっきり咳き込んでしまいました。
「お? すまないな、嬢ちゃん。大丈夫か??」
私が咳き込んだことに気付いた男性が慌てて謝ってくれますが、咳き込んじゃってすぐに返事が出来ません。兄上が背中をさすりながら市女笠を支えてくれてどうにか
「大丈夫です、ちょっと吃驚しだけ」
と答える事ができましたが、まだ何だか喉が痛い気がします。ンンッと喉の調子を整える私に男性は更に何度も謝り、むしろこっちが申し訳なく思うぐらいです。
「本当にもう大丈夫ですから。お祭り、引き続き楽しんでください」
と私は笑顔でその男性に手を振って、叔父上の元へと戻ったのでした。
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