未来樹 -Mirage-

詠月初香

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1章

1歳 -火の陽月2-

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バーベキューを堪能した翌日。

朝食後の団欒が終わり、大人たちが朝の仕事にとりかかろうという時になって、叔父上が三太郎さんに相談があると言いだしました。母上やつるばみが後片付けの為に台所に向かった後なので、居間に残っているのは三太郎さんと叔父上、山吹、そして私と兄上だけです。私も兄上を誘って席を立つべきかどうか悩んだのですが、叔父上の相談というのが何なのか気になってしまい、席に着いたまま話しを聞く事にしました。まぁ席というか……浦さんの膝の上なんですけどね。

そして少し言いづらそうに話し出した叔父上の相談内容をかいつまんで説明すると、塩を買いに行った叔父上でしたが、思っていたよりも油が安値でしか買い取ってもらえなかった……と。無の月が終わったばかりで時期が悪かったという事もありますし、飛び込みでの商談は色々と足元を見られやすいという事もあったのだとは思います。

そこで叔父上は、石鹸か竹醤を売れば良いのではないかと思ったんだそうです。
一昨日までは世にも珍しい汚れを綺麗に落としてくれる泡を作る石鹸を……と思っていたようなのですが、昨日食べた竹醤の味に衝撃を受け、これは絶対に売れる!と確信したのだとか。

勿論今すぐにという話しではなく、次の出稼ぎの時にでも……という事でした。確かに竹醤や石鹸は三太郎さんの力を借りなくても作る事が可能なので、以前に三太郎さんが決めた外に出す為の最低限の条件はクリアしています。

「竹醤と石鹸ですと、どちらの方が作るのに時間や手間がかかりますか?」

そう尋ねる叔父上に

「時間がかかるのは圧倒的に竹醤でしょうね。
 手間は双方に大差はないかと……」

と浦さんが答えてくれます。そう叔父上に応えつつも心話で

<どうします?>

と私に尋ねてきました。それに対し私の答えは

<竹醤はともかく、石鹸は絶対にダメ!!>

でした。別に石鹸を自分達だけのものにしたいとか、そう言う事ではありません。石鹸が普及すれば不衛生な環境が少しは良くなるでしょうし、それによって病気になる人も減ると思います。私自身、それを狙って石鹸を作った訳ですし……。

ただ、それを多数の人が日常的に使い始めた場合、大きな問題があるのです。

<この拠点では浦さんの力で、石鹸を使った後の水を綺麗にできるけれど
 他の場所では石鹸水をそのまま河川に流すことになっちゃうでしょ。
 その場合、公害という大問題が引き起こされちゃう可能性があるの。
 この問題の対処法が見つかる前に石鹸を広める事はできない>

そう、社会の授業でも習った日本の高度成長と同時に引き起こされた環境汚染。各家庭からの排水の所為で泡だらけになった川の写真は衝撃的でした。あちらの世界の知恵を持ち込むと同時に、環境汚染まで持ち込むわけにはいきません。公害という概念がまだないこの世界の浦さんでしたが、私がイメージで伝えた泡だらけになって魚が住めなくなった川の映像はしっかりと伝わったようで……。

<解りました。ではその様に伝えましょう>

と私に心話を飛ばしてから、少し目を伏せながら叔父上に答えを返します。

「石鹸……、あれは此処だからこその物です。
 この地にて出される汚水は全て私の力により浄めてから放流しています。
 あの泡だらけの水も例外ではなく、綺麗にしてから川へと流しているのです。
 それができない他所では、自然にとって毒となってしまいます」

「毒……ですか?」

浦さんの想定外の答えに珍しくきょとんとした顔になる叔父上。

「えぇ。あなたアレを飲めますか?」

「え?! 一度だけ不可抗力で口に少し入ってしまった事がありましたが、
 飲みたいと思うような物ではありませんでした……」

飲めるかという浦さんの問に面喰った叔父上でしたが、どうも以前に頭を洗っていて泡が口に入ってしまった事があったらしく、しぶーーい顔で答えます。

「そうでしょうね。
 ですが、石鹸水を川に流すという事はその川に住む全ての生物……
 魚も水草も何もかもが、あの石鹸水を口にするという事です。
 そしてその川で漁をする者、川の水を飲み水とする者もいるでしょう。
 ……浄水の必要性、解って頂けましたか?」

そもそも日本とこちらでは人口が違うので、全く同じ事になるとは限りません。ですが、万が一にも公害が引き起こされた時に、私にその責任を取る事ができるとは思えません。なので無責任な事はしたくないのです。そんな浦さんの説明に叔父上も納得したようでした。

「そんなに金が必要なのか?」

横で話しを聞いていた桃さんが、空気も読まずにズバリと切り込みます。あまりの切り込みっぷりに金さんと浦さんが揃って溜息をつき、そんな二人の態度に桃さんが「なんだよ」と不貞腐れてしまいました。

「いえ、その……確かにお金があればとは思いますが……」

と少し叔父上は口ごもって迷うようなそぶりを見せます。そんな叔父上の様子に、叔父上のすぐ隣に座っていた山吹が小さな声で

「私からお伝え致しましょうか?」

と持ち掛けますが叔父上はそれを手だけで制して、覚悟を決めたと言わんばかりにグッと身体に力を籠めると顔を上げて口を開きました。

「……はっきり申しまして、塩の消費量が昨年とは比べ物にならない程に増え、
 今後は更に増えそうなので、その為の資金源をどうしようかと……」

……うん、叔父上の悩みの原因、私でした。

塩の消費量が激増した理由は消費する人数が増えた事もあるでしょうが、何よりも竹醤づくりで大量に消費する所為です。叔父上からすれば竹醤を作っているのは三太郎さんたちになるので、精霊である三太郎さんの所為で……とは言いづらかったのだと思います。

「なるほど、我らが増えた事と竹醤作りが原因か。
 これは我らも塩を手に入れる為の手段を積極的に考えるべきだな。
 竹醤やタレは我も浦も桃も気に入っておるゆえ、この先も使いたい」

という金さんの言葉に、浦さんも桃さんも全面的に同意のようでウンウンと頷きます。金さんは塩・竹醤・タレの3つの味付けの肴で酒がどんどん飲めると喜んでいましたし、浦さんはお肉は塩焼き派でしたが、貝柱を竹醤で焼いた物は気に入ってくれました。桃さんは竹醤も気に入ったようでしたが、何よりタレで焼いたお肉にはまっていました。勿論三太郎さんだけでなく、母上や橡は竹醤で焼いた貝柱を殊の外気に入ってくれましたし、叔父上や山吹、兄上はタレで焼いた雁のお肉を一心不乱に食べてくれました。

今朝の朝ごはんの焼き魚にも竹醤を少しかけて食べたら、これがまた絶品で……。
それらの事もあって竹醤は作り続けようと決めた私でしたが、竹や麹はともかく塩だけは叔父上たちに買ってきてもらわないと如何にもなりません。

塩かぁ……。何か手を考えないとなぁ……。

私達がいるこの山は、一応海に面しています。簡単な配置図としては、ヤマト国の西の端にある山、その山の東側から登ったところにある崖の下に岩屋があり、そのまま山を登り切って頂を越えて少し下ったところがテーブルマウンテン状になっているこの拠点付近。拠点付近から更に西に向かって森やら何やらを抜ければ断崖絶壁となり、その向うというか下が海です。

かなりの高さがある断崖絶壁なので、海を渡る船などからテーブルマウンテンの奥の方にあるこの拠点付近を見る事はできません。ですが断崖絶壁に近付けば当然見られてしまう可能性があります。ましてや断崖絶壁の下から海水を汲み上げて塩づくりなんて始めたら、確実に存在がバレます。

アマツ大陸は大雑把にいえば十字の形の右側が無いような地形をしていますが、その右側、つまり東側の海は常に荒れていて難破する船が絶えず、今では航行する船は殆どありません。その為、余程の理由が無い限り全ての船が

北のミズホ←→西のヤマト←→南のヒノモト

といった航行ルートをとります。つまりこの拠点のある山の西の果ての断崖絶壁の下は、幾つもの船が通る航行ルートなのです。そんな場所で塩づくりなんて危険は犯せません。


大前提として塩づくりだけでなく全ての事柄で私自身も危険を犯したくありませんし、母上や叔父上たちにも危険を犯してほしくはありません。竹醤を作ろうと思い立った理由は幾つもありますが、その中の一つが竹醤を売ったお金で、塩やその他の私が欲しい物を出来るだけ安全に手に入れる為でした。

公害の原因となりかねない石鹸と違って、竹醤なら一般に広めても大丈夫なはずです。ですが今年の水の陽月に作った竹醤は大半が試作品でしたし、そもそも量も私達が消費する程度しかありません。仕込んだ時点では、ちゃんと醤油のようになってくれるのか、この世界の人に受け入れてもらえる味なのか、そういった事が何一つ解らなかった訳で……。そんな状態で大量の竹醤を仕込むのは冒険が過ぎます。

幸いにも好評だったので、来年の水の陽月に大量の竹醤を仕込む予定ではありますが、その為には叔父上たちが出稼ぎに出る土の極日までに大量の塩を買う為の物資を用意する必要があります。

塩を買う為に竹醤が、でも竹醤を作るためには塩が……と堂々巡りです。
勿論竹醤ではない別の物資で塩を買いこむ事は可能です。
ですが、その物資もまた問題なのです。

去年は主に母上たちが織った布や雁の羽根などを売りに行ったのですが、今年はこの中の布がまず山を下ろせません。糸が土蜘蛛の糸なので売る訳にはいかないのです。そして雁の羽根は一応溜めていますが、そもそも高く売れるような物でもありません。

そう、叔父上たちには換金できる手持ちのアイテムが少ないのです。

先日売りに行った油も換金アイテムとして有力ですが、油は油で私達も使うので一定量の確保はしておきたいですし、大量に採取してアケビが山から消えてしまっても困ります。それに原料が忌み嫌われているアケビだという事が知られたら、まず買い取ってもらえないでしょうし……。

母上たちにも何時も使っている糸が土蜘蛛の糸である事や、忌み嫌われている林檎やアケビからお酢や油を作っている事をいい加減話さなくては……と思うのですが、なかなか切っ掛け掴めなかったり、踏ん切りがつかなかったりで未だに話せていません。




「なら、あの貝。アレを売れば良いんじゃねーの?」

と悩んでいる私を笑い飛ばすかのように明るい声で言いだしたのは桃さんでした。あの貝というのは言うまでもなく巨大な二枚貝なアレです。

昨年の土の陰月の頃、湖の岸辺に大量の巨大な貝殻が打ち上げられた事があって、何事かと思って浦さんに調べてもらった事があったのですが、どうも増えすぎた結果の自滅だったようで……。にも関わらず今でも湖に結構な数が生息しているらしく、むしろ少し減らした方が良いかもしれないというレベルだったそうです。ちなみにその貝殻は全て桃さんに頼んで貝灰にしてもらい、石鹸作りに活用させてもらいました。

「ですが、生のモノは持ち運びに向きませんので……」

と叔父上が申し訳なさそうに言います。この家には目標にはちょっと届かないかれど一応冷蔵・冷凍庫があるので多少は保存も出来ますし、出稼ぎに行く季節には雪がちらつく寒さにはなります。ですが、生モノを持って1旬間移動なんて無茶な話です。


えぇ、生モノならば……。


<そうか! 桃さんの技能「乾燥」で干し貝柱にすれば良いんだ!!>

<そうゆうこと!>

私がパッと顔を上げると、私に向かってニカッと笑う桃さんが視界に入りました。

私が地底湖に落ちたあの時、戻ってきた桃さんはヒノモト国で新しい技能を手に入れていました。それが地位の技能「乾燥【7】」です。旅人を猛烈な口渇や空腹状態にし、倒れて苦しむ様を見て喜ぶダルと呼ばれる妖を倒した時に手に入れたそうなのですが、この技能があれば食材の乾燥もあっという間でしょう。

もちろん自然乾燥でも作れるのでしょうが、この辺りは標高が高いだけあって湿度が平地に比べて少し高いのです。そのため乾燥がなかなか進まずカビが生えるなどの失敗する確率がありますが、桃さんの技能を使えばその確率はゼロに等しくなります。

「俺様の力で乾燥させれば、軽くなるし日持ちもする。
 あの貝なら少々取り過ぎたところで絶滅なんて事もないだろ?」

桃さんはそう言って確認するように浦さんを見ました。そんな桃さんの言葉に浦さんは

「そうですね、むしろアレは少し減らした方が良いぐらいかと。
 湖や川の魚が少ないのはアレの所為でしょうから」

と桃さんの言葉を全面的に肯定します。魚の餌となるような水中のプランクトンをあの貝が食べ尽くしてしまっているそうで、魚があまり増えないのだそうです。魚の種類によっては私達一家が日々食べても大丈夫な程度には生息しているんですけど、湖の規模にしては魚の総量が少ないのだとか。

「確かに貝の干物ならば持ち運びも楽なので助かります。
 そういえば、あの貝はなんという貝なのですか?」

金策に一筋の光が見えた事で、ホッと安堵した表情の叔父上がそんな事を聞いてきました。みんな「アレ」とか「あの貝」で通じてしまっていたので、改めて名前を聞かれると困ります。

「あー、なんだ。
 たしかハマなんとか……とか? タイラなんとか……とかとか??」

なんだか「とか」がゲシュタルト崩壊しそうな事を桃さんが言っていますが、それは私が元居た世界での名前で、こちらでは名無しの貝です。なので新たに誰かが命名すれば良いのでは?とチラリと浦さんを見上げます。水=浦さんですからね。

<私……ですか?>

そう言って少し悩んだ浦さんは

「コホン……。では、あの貝を ハマタイラ と名付けましょう」

と爆弾を落してくれたのでした。
この日、浦さんの弱点が判明しました。

壊滅的にネーミングセンスが無いという弱点が。




その後、後片付けの終わった母上や橡も加わって、乾燥させることができる食材を幾つか見繕う事にしました。まずは当然ハマタイラ。ただ、ハマタイラは乾燥させる前に塩茹でにする必要があるので、塩の残量と相談しつつ作る事になりました。それからキノコ類。椎茸に似た味の良い茸が土の陽月頃になれば採れるので主にその茸と、幾つかの別の茸を実験的に乾燥させる予定です。その他にもお魚やお肉も量が取れれば乾燥にまわしたいのですが、これらは塩が必要になるのでちょっと無理かもしれません。

全てに言える事は生態系を崩さず、長期的に採取可能な状態を保つ事。
それを念頭に取る量を決めていく事になりました。

前世のお隣の国には乾貨という言葉がありました。貨幣と同じ価値をもつ乾物という意味だったと記憶していますが、今 まさに 乾物=貨幣として私達を助けてくれるかもしれません。
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