未来樹 -Mirage-

詠月初香

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1章

0歳 -水の陽月7-

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垂直を通り越した角度の切り立った崖の下を流れている川のへりを、馬は小さな水飛沫をあげて歩いていきます。そんな場所なので空も見えなければ、逆に崖上から私達を見つけることもできないでしょうね。

(あぁ、やっぱり崖下に隠れ住んでるのかぁ……)

そう、小説を思い出して納得してしまいます。全員死亡を装ってはいるものの、万が一にも追手が掛かる事を恐れた碧宮家一行は、極力人目のつかない場所に隠れ住む事を選び、父親が懇意にしていたヤマト国の外れの山奥、そこの谷底を仮住まいとしたのです。川を歩いて向かうのも足跡をたどられない為なんだろうなぁ。

そうそう!ずっと不確定名「父親」だと思っていた、今現在も私をベビースリングに入れて抱っこしている彼。彼は父親ではありませんでした。あの後、金さんたちにちょこっと情報収集をしてもらった結果、彼は碧宮家前当主の息子の令法りょうぶでした。えぇ、未来樹の主人公の叔父にあたる人物です。逃亡中の現在はその名前を隠し、鬱金うこんという別名を使っているはずです。

そして私は山に一人ぽつんといたところを彼に保護されたのだと判明しました。これで如何あがいても碧宮家とかかわる事は確定です。後は自分が櫻じゃない事を祈るばかり……。

衝撃の事実が判明はしたものの、これからの自分の人生プランを考えなくてはいけない事に変わりはなくて。三太郎さんたちに「えらく冷静だな」なんて言われたりもしたけれど、泣いても喚いても嘆いても、どうにもならない事があるというのは前世で既に経験済みですからね。

まずは言葉でしょうか。幸い三太郎さんが居るので聞く分には困りません。でも話せないのは困ります。なので三太郎さんを先生としてこの世界の言葉を覚える事にしました。




そんな感じで決意を新たにしたところで家?に漸く辿り着きました。
正直、よくこんな崖下に作ったなぁと思います。

確か碧宮家前当主が、娘の沙羅が天女と判明した時に万が一の時の隠れ住む場所として、少しずつ誰にも知られないように用意していた家という設定でした。
まぁ知られないようにとは言っても、友人のヤマト国王太子には話を通してはあったんでしょうけども。

ただ、あくまでも緊急時の避難場所としての家なので、立派なものではないです。
ここで追手や天都、各国の様子を見極めつつ改めて逃げる算段だったはず。
なのでここはせいぜい雨風がしのげて、煮炊きができる竈があるぐらいの粗末なものです。でもそれらが有ると無いとでは大違いな事ぐらい私にだってわかります。

「あっ、おじうえーーーー!」

可愛らしい子供の嬉しそうな声が耳に届くと同時に、馬の歩みがようやく止まりました。

「槐、良い子にしていたか?」

馬から降りた鬱金はワシワシといった感じで子供の頭を撫でながらも周囲を注意深く警戒しています。スリングの中からは男の子の姿は確認できず、相変わらずぼやけた視界に鬱金しか映りません。でも今はまだ小さなこの男の子が、将来様々な冒険をして逞しい男の人に成長するのかと思うと何とも感慨深いです。小説版では努力を重ねて成長するヒーローのような役どころなのですが、今はまだまだ小さな子供……。格好良いよりも可愛いという方がお似合いな年頃のはずです。

「あら、鬱金うこん。予定よりも遅かったから心配していたのですよ」

そうやって少し遠くから優し気な女性の声がしました。
鬱金を呼び捨てにする成人女性はこの場ではただ一人、姉の沙羅しかいません。
というか、沙羅さんの発言が浦さんの声で通訳されているのでちょっと吹き出しそうになりました、はい。

そうそう三太郎さんは現在私の中に居ます。どういう仕組みなのかは不明ですが、私の中であらゆるフォローをしてくれています。

なので通訳はばっちりな上に、他の人からは見えません。
金さんなんて確実に実体があったのに、あれはどうなってるんでしょう?
今度詳しく聞いてみたいところです。

「姉上、遅くなりましたが無事戻りました。
 実はこちらへ戻る途中で少々困った事態に遭遇しまして……」

そう言うと同時に私はようやくスリングの中から出してもらえました。
鬱金は私の両脇に手を入れて抱き上げると「前にならえ!」といった感じで女性に突き出します。首の座っていない私を縦抱きにするのはどうかと思いますが、抗議のしようがなく……。とりあえず目の前でびっくりしている女性に「あぅー!」と挨拶はしておきます。円滑なコミュニケーションを築くには最初が肝心です。

令法りょうぶ!! 何処の女性に……いえ、鬱金でしたね。
 詳しく……えぇ、詳しく説明してくださるわよね?」

思わずといった感じで慣れ親しんだ碧宮家での名前を呼んでしまった沙羅さんですが、すぐさま私が生まれて間もない事に気づいて慌ててちゃんと抱き上げてくれました。あぁ、やっぱり一児の母である沙羅さんの方が抱き方が安定しています、ほっと一安心。

「あら?」

そう沙羅さんは何かに気づいて私をもう一度抱き直しました。その途端に桜の花びらが数枚ちらほらと下へ落ちていきます。スリングにしていたマントを外した鬱金の方でも、マントをパンパンとはたくと同時に桜の花びらがひらひらと落ちてゆきます。

「昨晩、山桜の大木の下で宿を取ったのでその名残のようですね。」

「そう、もうそんな季節なのね……。」

どこか懐かしそうに、そして少し悲しそうに沙羅さんは呟くのでした。




「だーーぅ! ぁぅ! うー! んくっ!!」

右の頬をつつかれたなら左の頬も差し出しなさい……とは流石にマタイさんも言わないと思うけれど、先ほどから目をキラッキラさせた幼児、槐君(三歳)が私の頬を突くのです。なので突こうとしてきたその指に気づかない振りしてから、一気にパクッ!と咥えてみました。

槐君はまさか指を食べられるとは思っていなかったようで、ビクッ!!と盛大に肩を震わせると目がうるうる……っとしてきます。し、しくじったぁぁぁぁ。

「きゃっきゃ!!」

慌てて笑顔で愛想を振りまいて「怖くないよーーー。」と一生懸命アピールしておきます。

こうやって子供二人でコミュニケーションをとっている向うでは難しい顔をした大人が四人、色々と込み入った相談をしています。そちらの会話は金さんと浦さんによって心話で随時伝えてもらっています。桃さんはといえば私の守りとして今も私の中に居て、先程の笑顔アピール時には大笑いしていました。

こんちくしょう……。

ちなみに何故この人選ならぬ精霊選になったかといえば、桃さんでは碧宮家の人に存在がばれてしまう可能性があるからです。

碧宮家の人は霊格が霊術士以上なので精霊の存在に気づけてしまうのです。
では、何故金さんと浦さんは気付かれずに傍にいけるのかといえば、常時周囲に発している霊力を極限まで抑える事が出来るからだそうで……。結果として人間からは見つけられない・気付けないのだそうです。それでなくてもここは谷底で水辺にも近いので金さんと浦さんなら居てもおかしくなく……。逆に桃さんはそこそこ大きな焚火でもしない限り、居ると目立つのだとか。

精霊にもレベルと言えば良いのかランクと言えば良いのか……力の大小があるそうで、その力にしても向き不向きがあるのだそうです。

金さんも浦さんも力自体はそこそこのレベルでコントロールに長ける一方、爆発的な力の使い方は苦手。桃さんは他二人に比べてレベルは若干ですが低くコントロールとは無縁。だけど爆発的な使い方が得意なんだそうです。

また、一口に「〇の精霊」といっても、それぞれ違った役割があるのだとか。
そしてその役割に必要な技を習得しているのだそうです。

例えば浦さんは「浄水」が一番得意。そこそこの量の水を一度に綺麗に出来ます。
次いで得意なのが「流水」。他には「降雨」や「冷却」「保冷」などはできなくはないけれど効果はお察しくださいという感じ。

金さんは「硬化」「圧縮」が得意。柔らかい土や砂を圧縮して固めたりするのなら一度にたくさんできるけれど、逆に畑用に土を柔らかくとか、栄養たっぷりにとかそういう事はできない。次いで得意なのは特定の金属を探す「探査(金属)」や「鍍金(めっき)」。金属の純度を上げる「精錬」は少し質が悪い、混じり物が残ってしまう状態にしかならないそうです。そして「成形」は複雑な形は無理で簡単な形のものに限定される……らしいです。

桃さんは「炭化」。モノを一瞬で炭化させることは得意だけれど「保温」だとか「(程よい)加熱」だとかは致命的に出来ない。苦手じゃなくて出来ない。力を細かくコントロールする事が苦手だから仕方がないかな。

精霊は神の力の“欠片”だから、得手不得手があっても当然だとは思うけれど、これらは未だこの世界の人たちが知らない事なんだそうです。

また、精霊の個性ともいえる其々が持つ技をスキルとした場合、全ての精霊が生まれながらにして持つ能力=アビリティもあるようで、水の精霊ならば「連結」、火の精霊なら「増殖」、地の精霊なら「不変」というのもあり、技とは別のちょっとした+アルファの要素としてとして使うんだとか。

まぁ実際に使ってる所を見た訳じゃないので、今一つ私も理解しきれていません。お互いの意思疎通と様々な知識と認識のすり合わせは早々に必要だなぁと改めて思いました。




そして大人組の会話は簡単に言えば私の処遇についてです。
断固として私を天都か大和の施薬院……施薬院というのは奈良時代に実際にあった庶民救済施設です。ただこの世界の施薬院は奈良時代の庶民向け診療所+炊き出し所といった性質に孤児や何かしらの理由で家の無い人々の保護施設を兼ねているようです。そこへと預けるべきだと主張しているのが、鬱金の乳兄弟である山吹やまぶき
彼は碧宮家を守る事を第一としていますから、イレギュラーな私という存在が危険を呼びこむ可能性がある以上、受け入れられないのだと思います。

対し、まだ生まれたての赤子に何ができるというのか。何より施薬院といえど無制限に子供を受け入れてはくれない。これも何かの縁だからここで育てましょう……と主張しているのが沙羅さん。母性の人ですねぇ。

山吹の母、つまり沙羅と鬱金の乳母であるつるばみさんはどちらかといえば沙羅さんに賛成している感じですね。私が赤子にしても小さい事が気になるようで、場合によっては「どうせ育たない」と施薬院でこっそり口減らしされる可能性があるようなことを言っています。それは一番嫌なパターンですね、確実に避けたいところです。

そして私という騒動の種を持ち込んだ鬱金はぐったりとしています。
理由は私が彼の隠し子だと思われたから。三人に追及されまくって大変そうでした。橡さんいわく、私が沙羅さんの赤ん坊だった頃によく似ているそうで……明らかに碧宮の血を引いている!と判断された結果、追求が厳しくなったのですよ。こればかりは私も記憶にないので是とも否ともいえないのですが、鬱金は断固として身に覚えがないと主張していたので、命の恩人ですし信じたいところです。




けっこうな時間、色々と揉めましたが最終的には山吹が折れる形となりました。
仕える主家の姫様と自分の母親が反対意見を唱えている以上、山吹には勝ち目はなかったような気もします。あまりの長い話し合いに槐君は私の横ですやすやとお昼寝……には少々遅い気もしますが、眠ってしまいました。

沙羅さんは私のところへとやってくると、眠る槐君の頭を愛おし気に撫でてから私を抱き上げて背中を優しくトントンとしてくれます。うーん気持ち良いです、思わずニコッと笑ってしまいます。

「良く笑う良い子ね。私があなたの母よ」

その声に背後から山吹の「えっ!!」という驚愕に満ちた声が聞こえました。

「お待ちください姫様、その赤子をここで育てる事には納得いたしましたが、
 姫様の子供というのは!!」

私も驚きました。沙羅さん、見た目のおっとりさに反して思い切りが良いです。
ただ続く沙羅さんの言葉に私は言葉をなくしました。

「あの子の代わりなんて、そんな事を思っている訳ではないの……。
 命ある状態で産んであげられなかったあの子……。
 でもね、この子はまだ生きているの。私の腕の中で生きているのよ」

逃亡中に体調を崩し、その際に子供を宿している事に気づいた沙羅さんでしたが、
どうやら不幸な結果となったようで……。

さらに沙羅さんは自分の想いをぽつぽつと語りだしました。
槐君に兄弟を作ってあげたかった……と。何故なら自分には弟の鬱金がいるので、父母や幼い頃の思い出を共有することができる。でも槐君には思い出を共有できる同年代の人が誰もいない……。

勿論、将来的には彼にも妻となる女性が現れ、彼の思い出に寄り添ってはくれるでしょう。でも寄り添い共感する事は出来ても共有はできないのです。

……そう、私のように。

私にとって父母の思い出を共有することができるのは祖父母のみでした。
でも、その祖父母とも二度と会えない……。

山吹はその後も、ここで一緒に育てれば同じだと繰り返し沙羅さんを説得しましたが、最終的には折れるしかありませんでした。

こうして私にはいきなり母親と兄、叔父ができ……更には母の乳母だった橡さんとその息子である山吹という同居人ができたのでした。
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