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「ヴェルフル伯令息も見目が良くて欲しいけれど
ヴィルヘルム殿下とギルベルト殿下って第2皇子と第3皇子よね?
ならばお二人とも私の夫にできないかしら??」
レイチェル・ミーモス侯爵令嬢の信じられない言葉に、時までもが固まってしまったように感じられる程に誰もが固まってしまいました。いえ、正確には当のミーモス侯爵令嬢は自分の発言に何ら思うところは無かったらしく、そわそわと殿下たちに媚る視線を向け続けています。
(……ミーモス侯爵夫人は令嬢の教育を放棄していたのかしら?)
私に文字通り教鞭を振るった王太子妃教育係の侯爵夫人は、彼女の母親にあたります。その侯爵夫人から私は国際儀礼として様々なルールやマナーを学びましたが、令嬢の発言はそれ以前の問題です。確かに外交的な事が話されているとはいえ、ここは公的な場ではありません。だから私も正装ではなく活動服のまま、ここに居る事が許されているのです。ですが外国の使者と顔を合わせる準公的な場である事も確かで、だからこそ皇国の人たちも聖国の使者たちも礼を尽くした対応をしていますし、王国のガステール公爵を始めとした王国の人たちもかなり上から目線ではありますが最低限の礼儀は守っているのです。
だというのに……と思うと顔を顰めたくなりますが、貴族令嬢として微笑を保ち続けます。お父様は氷のように冷たい声、それでいながら外交用の丁寧な言葉で
「ガステール公爵、この件に関して後日正式な抗議をさせて頂きます」
と通告しますが、その言葉を聞いてもレイチェル令嬢は何が悪かったのか理解できていないようで、きょとんとした顔をしています。
(王国内ならば通用したのでしょうが……)
そんな光景を見ながら、思わず遠い目をしてしまう私でした。
━━━]━━━━━━━━━-
モディストス王国とアスティオス皇国の文化や習慣はとても似ています。それは王国が元々皇国の一部だった歴史があるからです。
国家への貢献は皇国と王国が同じ国だった頃から、王族貴族を含む全ての国民が等しく負う義務でした。ただ現在とは違うところもあり、それは皇太子であろうと各家の跡継ぎであろうと関係なく、全員が一定年数の兵役を負う事が法律で決められていた事でした。
そんなある時、皇太子が戦争で亡くなってしまったのを皮きりに、第2第3第4皇子が立て続けに戦死や疫病の流行による病死、または事故死してしまったのです。その戦争や疫病は当然ながら皇家の人々の命ばかりではなく、各家の跡取りの命も同様に奪っていきました。当時は他国との戦争は日常茶飯事なうえに治療法の確立していない病気も多かった為にたくさんの命が失われ、その結果皇国は長い動乱の時代へと突入してしまったのです。
これ以降、第一皇子や各家の跡継ぎには命に関わるような貢献は求めず、別の貢献で国に尽くすようになりました。もちろんお兄様のように跡取りでありながら冒険者や兵士になっておられる方も居ますが、皇国としてはそれを強制的に求めていません。あくまでも当人の選択に任せ、何があったとしても各家と個人が責任を持つという事です。
そして当時のモディストス王国はモディストラ辺境伯領と呼ばれていました。辺境伯領の更に西には魔境があり、その向こうには皇国と敵対関係にある帝国がありました。その為、最前線としてある程度の自由裁量が認められていたのです。そんな辺境伯は本国の侯爵と同等、或は部分的には公爵に近い力を持っていましたが、動乱が起こった事を機に「これ以上は皇国に従えない」と独立したのです。
そんな経緯を持つモディストス王国は、兵役による国家への貢献は平民の義務としました。王族や貴族も貢献義務を持ちますが、安全な場所で安全な義務を果たす事こそが国家の安定には必要だと考えたのです。特に高位貴族の女性は、王族と同等の最優先保護対象として守られることになりました。
そして今の王国は10代と20代の女性が異常に少なく、私やミーモス侯爵令嬢と同年代の貴族の女性は、私達以外には3人しか居ません。その3人も子爵や男爵といった下位貴族なうえに、平民からの養女だったりします。少し年代が違えば今までと同じぐらいの男女比なのに、なぜか私と同年代だけ女性の数が極端に少ないのです。これは王国を始めとしたアスティオス神の加護をうけた全ての国で同様で、皇国も同じように女性の数が極端に少ない為、皇太子の婚約者選定も厳しいものになっていると聞きます。
つまりジェラルド殿下の妃となりえる年齢の王国内の貴族の女性は、私を含めても5人しかおらず。その中で一番爵位が高い女性がレイチェル・ミーモス侯爵令嬢でした。その為に彼女は幼い頃から自分の望みが叶わなかった事は一度もなく、ちらりと欲しい物を見たり小声で「アレが欲しいわ」と呟けば、周囲の大人が争ってそれを買い求めて与え続けてきました。そんなレイチェル令嬢の望みの中で唯一叶わなかった事が、王太子妃の座でした。国王陛下が私を王太子妃に指名した為に、彼女は人生で初の挫折を味わったのだと思います。そんな彼女からは嫌がらせと同時に「辞退しなさいよっ!」と良く言われましたが、私から辞退できるのなら最初からしています。
レイチェル令嬢が今も自分がした事の重大さにまったく気づいていないのは、彼女がそういう教育を受けていたからに他なりません。そういう意味では彼女も被害者と言えなくもありませんが、少なくとも私はそれが国際儀礼としてはありえない事だと、他の誰でもない令嬢の母親に教えられています。つまりヴィルヘルム殿下やギルベルト殿下への非礼は、令嬢を含めたミーモス家の責任と言えます。
━━━]━━━━━━━━━-
私は皇国の魔法伯令嬢として過ごすようになって、自分の中にあった常識の幾つかは非常識である事に気付きました。私自身はレイチェル令嬢のように恵まれた境遇ではありませんでした。産みの親からは都合の良い道具扱いでしたし、周囲からは魔力喪失者のバケモノ扱いでした。その為に自分の望みが何なのなんて、考えた事すらありませんでした。
そんな私に優しく、でも後で私が恥ずかしい思いをしないように厳しく教えてくださったのがお父様やお母様を始めとした魔法伯家の人たちでした。厳しさと優しさが両立するのだと教えてくれた両親たちの事を思うと、心の中にほわりと温かい気持ちが湧きあがります。そんな気持ちが自分でも知らず知らず表情に出てしまっていたようで、慌てて柔らかい笑顔を令嬢としての笑顔に戻します。
ところがそんな表情の変化を見ていた人がいました。
「っ!
き、君は何処の令嬢だ?
名乗りを許す」
いきなりそんな事を言いながら私に歩み寄ってくる人が居ました。その顔にヒュッと息を飲んで身体が固まってしまいます。過去に受けた王太子妃教育と魔法伯家で受けた質の高い教育のおかげで笑顔を崩す事だけは防げましたが、心臓が痛いほどに脈打つのが解ります。
「モディストス王家の貴き方にお初にお目にかかります。
アスティオス皇国魔法伯爵家が長女、コルネリア・ヴェルフルと申します」
目の前にまで来たジェラルド殿下に、右手を左胸の上に当てて軽く頭を下げる皇国式の略礼で返します。皇族や王族の方に略礼は本来なら非礼ですが、皇国では活動服を着用している時は略礼でも良いとされているので、この礼でも許容されるはずです。
「ほぅ、皇国の伯爵家の令嬢だったか。
名は極めて平凡だがその美しさは非凡だな」
そう言いながらじろじろと私の全身を上から下へ、そして下から上へと何往復も舐めるように見てきます。5~6往復ぐらいしたところで満足できたのか、最終的に私の顔をポーっと上気した表情で見詰めてきました。
(き……気持ち悪い……)
あまりの嫌悪感に鳥肌がたちそうです。
「よし、皇国のヴェルフル伯爵といったか?
お前の娘を私の側室に召す事に決めた。早急に手配するように」
「「は??」」
いきなりお父様の方を振り返ってとんでもない事を言いだしたジェラルド殿下に、お父様も私も思わず意味が解らないという表情になってしまいました。レイチェル令嬢の失敗を見て貴方も学習してくださいと声を大にして言いたいところですが、当然ながらそんな事が出来る訳もありません。
この2人の性格がかなり似ているという事に今更ながらに気付きました。公爵家出身の正妃様が御産みになった唯一の御子で、つい数年前までは王家でただ一人の子供だったジェラルド殿下も、レイチェル令嬢と同様に周囲から甘やかされ続けた人でした。もちろん国王陛下は自身が受けたような厳しい教育を施そうとしたのですが、正妃様の実家からの圧があり今のような結果になったです。国王陛下は先王が早逝した為に若くして王位を継ぐ事になったのですが、その時にガステール公爵家が後ろ盾になったらしく、その為に公爵家に強く出られないのだと誰かから聞いた覚えがあります。
「何度も言わすな!
そなたの娘を側室にすると言っているのだっ!」
お父様に聞き返された事を自分の意見の否定だと思ったらしいジェラルド殿下は、苛々とした感情を隠そうともせずにお父様に詰め寄ります。
「へ、陛下。
他国から側室を迎えるには様々な事前調査や準備、手続きが必要となります。
今日の所は陛下の御意志を相手方に伝えるだけで……」
流石に不味いと思ったのかガステール公爵がジェラルド殿下を止めますが、それすらも不服のようで、良い年をした男が口をとがらせて不貞腐れる始末。
(私が王国にいた頃は、もう少し相応の言動が出来たはずなのに……)
確かに王太子としてあるまじき言動をしていたジェラルド殿下でしたが、それでも成人を控えた一男性として最低限の立ち居振る舞いはできていたと思うのです。女性に手をあげるような愚劣な男でしたが、それでもこんなに子供っぽい言動をする事はありませんでした。この1年で何かがあったのか、それともレイチェル令嬢と一緒になった事で悪い相乗効果があったのかわかりませんが、今のジェラルド殿下は外交の場どころか公式の場に出せるような人ではありません。
「そこの貴女! ジェラルド様の側室になるって事は
正妃になる私よりは下なんだから、私の命には絶対服従よ!」
先程までヴィルヘルム殿下たちに向けていた熱視線とは打って変わって、冷たく暗いレイチェル令嬢の視線が私に向けられました。きつい物言いにの後、「私の方が綺麗だわ」だとか「私の方が上なのよ」と呟き続ける令嬢の姿は恐怖すら感じます。
「神の寵愛を受けている私の側室になれるのだ、光栄に思うが良い」
ジェラルド殿下はそう言うと、気味の悪い笑顔を浮かべながら再び私へと歩み寄ってきます。
(嫌、来ないで……)
そう思っても、それを口に出せば外交問題になってしまいます。
「過分なる御芳志に身が竦む思いです。
ですが、私には……」
何とか非礼にならない言葉で断りの意思を伝えようとするのですが、その前に私の腕をガッと掴まれてしまいました。
「私の意志は神の意思だ!!」
久しぶりに間近で見た翠眼は狂気に染まっていて、掴まれた腕の痛みを忘れる程の恐怖です。その眼前の恐怖に加えてあの日刻まれた痛みや恐怖の記憶は、1年経っても身体をすくませるに十分なものでした。
「そこまでだ!」
「グアッ!」
横から伸びてきた逞しい腕がジェラルド殿下の腕を握りつぶさんばかりに掴むと、その痛みにジェラルド殿下が思わず悲鳴を上げて私の腕を放しました。その人はその隙を見逃さず、すかさず私から問答無用で引きはがすとジェラルド殿下を甲板へと投げ飛ばしサッと私を背中に庇ってくれます。
この優しく広い背中には、あの日から何度も何度も助けられて守られてきました。どうしようもない程の申し訳なさを感じると同時に、心の奥底で小さく何か別の感情が芽吹いている事に気付きました。
それが一般的に何と呼ばれる感情なのか、未だ私には解りません……。
「大丈夫か、コルネリア嬢」
「ありがとうございます、ヴィルヘルム殿下」
温かい眼差しに優しい声、そんなヴィルヘルム殿下にお礼を言います。頬がほんのり熱く感じるのは、ジェラルド殿下から離されて安心した所為……そうに違いありません。
「き、貴様ぁぁ!!! 何をするかっ!!!」
怒り狂ったジェラルド殿下がこぶしを振り上げてこちらに向かって来ようとするのを、剣の柄に手をかけたアンドレアス卿が間に入って止めます。その光景に今までずっと傍観していたジェラルド殿下の護衛のはずのフレデリック・クロイツ侯爵子息が慌てて駆け寄ってきました。
「ふ、不敬であるぞ!!」
アンドレアス卿の前で剣を構えるクロイツ侯爵子息は、そう息巻いてこちら側に剣を向けます。ですがアンドレアス卿との力量さは剣の心得の無い私から見ても歴然で、クロイツ侯爵子息の構えた剣の先が僅かに震えているのが解ります。そんな相手ならアンドレアス卿ならば怪我一つ負う事なく制圧できるでしょうが、それでも心配になってしまい、ハラハラとした気持ちになってしまいます。
「そのジェラルド殿下に授けられたという神の寵愛の事なのですが……」
一触即発という緊迫した空気の中、そう言いだしたのはギルベルト殿下でした。
「アスティオス神の敬虔なる僕にして皇国第三皇子の名にかけて、
そちらの御令嬢とジェラルド殿下からアスティオス神の気配は
まったく感じないのですが、聖国の方から見てどうでしょう??」
そう言うと、聖国の使者の中でも一番年上の方に声を掛けます。いきなり声をかけられた女性は驚いたようですが、少しの間目を瞑ってからゆっくりと目を開け、
「そうですね。私から見ましてもモディストス王国の方々から
浄き女神たるノーヴァ神の気配は感じ取れません。
ですがモディストス王国は猛き男神たるアスティオス神の加護を受けた国なので
当然だと思いますが?」
「そうですね、男神と女神の加護を同時に受ける事はありませんから。
ですが、我が国のコルネリア・ヴェルフル令嬢はからは如何です?
私は魔王討伐時に彼女から確かに神々の気配を感じたのですが」
「神々の……ということは男神と女神のという事ですか?」
「はい」
ギルベルト殿下はしっかりと頷き、緊迫した空気を木端微塵に壊したうえに別種の緊迫感を周囲に展開するという離れ技をやってのけたのでした。
ヴィルヘルム殿下とギルベルト殿下って第2皇子と第3皇子よね?
ならばお二人とも私の夫にできないかしら??」
レイチェル・ミーモス侯爵令嬢の信じられない言葉に、時までもが固まってしまったように感じられる程に誰もが固まってしまいました。いえ、正確には当のミーモス侯爵令嬢は自分の発言に何ら思うところは無かったらしく、そわそわと殿下たちに媚る視線を向け続けています。
(……ミーモス侯爵夫人は令嬢の教育を放棄していたのかしら?)
私に文字通り教鞭を振るった王太子妃教育係の侯爵夫人は、彼女の母親にあたります。その侯爵夫人から私は国際儀礼として様々なルールやマナーを学びましたが、令嬢の発言はそれ以前の問題です。確かに外交的な事が話されているとはいえ、ここは公的な場ではありません。だから私も正装ではなく活動服のまま、ここに居る事が許されているのです。ですが外国の使者と顔を合わせる準公的な場である事も確かで、だからこそ皇国の人たちも聖国の使者たちも礼を尽くした対応をしていますし、王国のガステール公爵を始めとした王国の人たちもかなり上から目線ではありますが最低限の礼儀は守っているのです。
だというのに……と思うと顔を顰めたくなりますが、貴族令嬢として微笑を保ち続けます。お父様は氷のように冷たい声、それでいながら外交用の丁寧な言葉で
「ガステール公爵、この件に関して後日正式な抗議をさせて頂きます」
と通告しますが、その言葉を聞いてもレイチェル令嬢は何が悪かったのか理解できていないようで、きょとんとした顔をしています。
(王国内ならば通用したのでしょうが……)
そんな光景を見ながら、思わず遠い目をしてしまう私でした。
━━━]━━━━━━━━━-
モディストス王国とアスティオス皇国の文化や習慣はとても似ています。それは王国が元々皇国の一部だった歴史があるからです。
国家への貢献は皇国と王国が同じ国だった頃から、王族貴族を含む全ての国民が等しく負う義務でした。ただ現在とは違うところもあり、それは皇太子であろうと各家の跡継ぎであろうと関係なく、全員が一定年数の兵役を負う事が法律で決められていた事でした。
そんなある時、皇太子が戦争で亡くなってしまったのを皮きりに、第2第3第4皇子が立て続けに戦死や疫病の流行による病死、または事故死してしまったのです。その戦争や疫病は当然ながら皇家の人々の命ばかりではなく、各家の跡取りの命も同様に奪っていきました。当時は他国との戦争は日常茶飯事なうえに治療法の確立していない病気も多かった為にたくさんの命が失われ、その結果皇国は長い動乱の時代へと突入してしまったのです。
これ以降、第一皇子や各家の跡継ぎには命に関わるような貢献は求めず、別の貢献で国に尽くすようになりました。もちろんお兄様のように跡取りでありながら冒険者や兵士になっておられる方も居ますが、皇国としてはそれを強制的に求めていません。あくまでも当人の選択に任せ、何があったとしても各家と個人が責任を持つという事です。
そして当時のモディストス王国はモディストラ辺境伯領と呼ばれていました。辺境伯領の更に西には魔境があり、その向こうには皇国と敵対関係にある帝国がありました。その為、最前線としてある程度の自由裁量が認められていたのです。そんな辺境伯は本国の侯爵と同等、或は部分的には公爵に近い力を持っていましたが、動乱が起こった事を機に「これ以上は皇国に従えない」と独立したのです。
そんな経緯を持つモディストス王国は、兵役による国家への貢献は平民の義務としました。王族や貴族も貢献義務を持ちますが、安全な場所で安全な義務を果たす事こそが国家の安定には必要だと考えたのです。特に高位貴族の女性は、王族と同等の最優先保護対象として守られることになりました。
そして今の王国は10代と20代の女性が異常に少なく、私やミーモス侯爵令嬢と同年代の貴族の女性は、私達以外には3人しか居ません。その3人も子爵や男爵といった下位貴族なうえに、平民からの養女だったりします。少し年代が違えば今までと同じぐらいの男女比なのに、なぜか私と同年代だけ女性の数が極端に少ないのです。これは王国を始めとしたアスティオス神の加護をうけた全ての国で同様で、皇国も同じように女性の数が極端に少ない為、皇太子の婚約者選定も厳しいものになっていると聞きます。
つまりジェラルド殿下の妃となりえる年齢の王国内の貴族の女性は、私を含めても5人しかおらず。その中で一番爵位が高い女性がレイチェル・ミーモス侯爵令嬢でした。その為に彼女は幼い頃から自分の望みが叶わなかった事は一度もなく、ちらりと欲しい物を見たり小声で「アレが欲しいわ」と呟けば、周囲の大人が争ってそれを買い求めて与え続けてきました。そんなレイチェル令嬢の望みの中で唯一叶わなかった事が、王太子妃の座でした。国王陛下が私を王太子妃に指名した為に、彼女は人生で初の挫折を味わったのだと思います。そんな彼女からは嫌がらせと同時に「辞退しなさいよっ!」と良く言われましたが、私から辞退できるのなら最初からしています。
レイチェル令嬢が今も自分がした事の重大さにまったく気づいていないのは、彼女がそういう教育を受けていたからに他なりません。そういう意味では彼女も被害者と言えなくもありませんが、少なくとも私はそれが国際儀礼としてはありえない事だと、他の誰でもない令嬢の母親に教えられています。つまりヴィルヘルム殿下やギルベルト殿下への非礼は、令嬢を含めたミーモス家の責任と言えます。
━━━]━━━━━━━━━-
私は皇国の魔法伯令嬢として過ごすようになって、自分の中にあった常識の幾つかは非常識である事に気付きました。私自身はレイチェル令嬢のように恵まれた境遇ではありませんでした。産みの親からは都合の良い道具扱いでしたし、周囲からは魔力喪失者のバケモノ扱いでした。その為に自分の望みが何なのなんて、考えた事すらありませんでした。
そんな私に優しく、でも後で私が恥ずかしい思いをしないように厳しく教えてくださったのがお父様やお母様を始めとした魔法伯家の人たちでした。厳しさと優しさが両立するのだと教えてくれた両親たちの事を思うと、心の中にほわりと温かい気持ちが湧きあがります。そんな気持ちが自分でも知らず知らず表情に出てしまっていたようで、慌てて柔らかい笑顔を令嬢としての笑顔に戻します。
ところがそんな表情の変化を見ていた人がいました。
「っ!
き、君は何処の令嬢だ?
名乗りを許す」
いきなりそんな事を言いながら私に歩み寄ってくる人が居ました。その顔にヒュッと息を飲んで身体が固まってしまいます。過去に受けた王太子妃教育と魔法伯家で受けた質の高い教育のおかげで笑顔を崩す事だけは防げましたが、心臓が痛いほどに脈打つのが解ります。
「モディストス王家の貴き方にお初にお目にかかります。
アスティオス皇国魔法伯爵家が長女、コルネリア・ヴェルフルと申します」
目の前にまで来たジェラルド殿下に、右手を左胸の上に当てて軽く頭を下げる皇国式の略礼で返します。皇族や王族の方に略礼は本来なら非礼ですが、皇国では活動服を着用している時は略礼でも良いとされているので、この礼でも許容されるはずです。
「ほぅ、皇国の伯爵家の令嬢だったか。
名は極めて平凡だがその美しさは非凡だな」
そう言いながらじろじろと私の全身を上から下へ、そして下から上へと何往復も舐めるように見てきます。5~6往復ぐらいしたところで満足できたのか、最終的に私の顔をポーっと上気した表情で見詰めてきました。
(き……気持ち悪い……)
あまりの嫌悪感に鳥肌がたちそうです。
「よし、皇国のヴェルフル伯爵といったか?
お前の娘を私の側室に召す事に決めた。早急に手配するように」
「「は??」」
いきなりお父様の方を振り返ってとんでもない事を言いだしたジェラルド殿下に、お父様も私も思わず意味が解らないという表情になってしまいました。レイチェル令嬢の失敗を見て貴方も学習してくださいと声を大にして言いたいところですが、当然ながらそんな事が出来る訳もありません。
この2人の性格がかなり似ているという事に今更ながらに気付きました。公爵家出身の正妃様が御産みになった唯一の御子で、つい数年前までは王家でただ一人の子供だったジェラルド殿下も、レイチェル令嬢と同様に周囲から甘やかされ続けた人でした。もちろん国王陛下は自身が受けたような厳しい教育を施そうとしたのですが、正妃様の実家からの圧があり今のような結果になったです。国王陛下は先王が早逝した為に若くして王位を継ぐ事になったのですが、その時にガステール公爵家が後ろ盾になったらしく、その為に公爵家に強く出られないのだと誰かから聞いた覚えがあります。
「何度も言わすな!
そなたの娘を側室にすると言っているのだっ!」
お父様に聞き返された事を自分の意見の否定だと思ったらしいジェラルド殿下は、苛々とした感情を隠そうともせずにお父様に詰め寄ります。
「へ、陛下。
他国から側室を迎えるには様々な事前調査や準備、手続きが必要となります。
今日の所は陛下の御意志を相手方に伝えるだけで……」
流石に不味いと思ったのかガステール公爵がジェラルド殿下を止めますが、それすらも不服のようで、良い年をした男が口をとがらせて不貞腐れる始末。
(私が王国にいた頃は、もう少し相応の言動が出来たはずなのに……)
確かに王太子としてあるまじき言動をしていたジェラルド殿下でしたが、それでも成人を控えた一男性として最低限の立ち居振る舞いはできていたと思うのです。女性に手をあげるような愚劣な男でしたが、それでもこんなに子供っぽい言動をする事はありませんでした。この1年で何かがあったのか、それともレイチェル令嬢と一緒になった事で悪い相乗効果があったのかわかりませんが、今のジェラルド殿下は外交の場どころか公式の場に出せるような人ではありません。
「そこの貴女! ジェラルド様の側室になるって事は
正妃になる私よりは下なんだから、私の命には絶対服従よ!」
先程までヴィルヘルム殿下たちに向けていた熱視線とは打って変わって、冷たく暗いレイチェル令嬢の視線が私に向けられました。きつい物言いにの後、「私の方が綺麗だわ」だとか「私の方が上なのよ」と呟き続ける令嬢の姿は恐怖すら感じます。
「神の寵愛を受けている私の側室になれるのだ、光栄に思うが良い」
ジェラルド殿下はそう言うと、気味の悪い笑顔を浮かべながら再び私へと歩み寄ってきます。
(嫌、来ないで……)
そう思っても、それを口に出せば外交問題になってしまいます。
「過分なる御芳志に身が竦む思いです。
ですが、私には……」
何とか非礼にならない言葉で断りの意思を伝えようとするのですが、その前に私の腕をガッと掴まれてしまいました。
「私の意志は神の意思だ!!」
久しぶりに間近で見た翠眼は狂気に染まっていて、掴まれた腕の痛みを忘れる程の恐怖です。その眼前の恐怖に加えてあの日刻まれた痛みや恐怖の記憶は、1年経っても身体をすくませるに十分なものでした。
「そこまでだ!」
「グアッ!」
横から伸びてきた逞しい腕がジェラルド殿下の腕を握りつぶさんばかりに掴むと、その痛みにジェラルド殿下が思わず悲鳴を上げて私の腕を放しました。その人はその隙を見逃さず、すかさず私から問答無用で引きはがすとジェラルド殿下を甲板へと投げ飛ばしサッと私を背中に庇ってくれます。
この優しく広い背中には、あの日から何度も何度も助けられて守られてきました。どうしようもない程の申し訳なさを感じると同時に、心の奥底で小さく何か別の感情が芽吹いている事に気付きました。
それが一般的に何と呼ばれる感情なのか、未だ私には解りません……。
「大丈夫か、コルネリア嬢」
「ありがとうございます、ヴィルヘルム殿下」
温かい眼差しに優しい声、そんなヴィルヘルム殿下にお礼を言います。頬がほんのり熱く感じるのは、ジェラルド殿下から離されて安心した所為……そうに違いありません。
「き、貴様ぁぁ!!! 何をするかっ!!!」
怒り狂ったジェラルド殿下がこぶしを振り上げてこちらに向かって来ようとするのを、剣の柄に手をかけたアンドレアス卿が間に入って止めます。その光景に今までずっと傍観していたジェラルド殿下の護衛のはずのフレデリック・クロイツ侯爵子息が慌てて駆け寄ってきました。
「ふ、不敬であるぞ!!」
アンドレアス卿の前で剣を構えるクロイツ侯爵子息は、そう息巻いてこちら側に剣を向けます。ですがアンドレアス卿との力量さは剣の心得の無い私から見ても歴然で、クロイツ侯爵子息の構えた剣の先が僅かに震えているのが解ります。そんな相手ならアンドレアス卿ならば怪我一つ負う事なく制圧できるでしょうが、それでも心配になってしまい、ハラハラとした気持ちになってしまいます。
「そのジェラルド殿下に授けられたという神の寵愛の事なのですが……」
一触即発という緊迫した空気の中、そう言いだしたのはギルベルト殿下でした。
「アスティオス神の敬虔なる僕にして皇国第三皇子の名にかけて、
そちらの御令嬢とジェラルド殿下からアスティオス神の気配は
まったく感じないのですが、聖国の方から見てどうでしょう??」
そう言うと、聖国の使者の中でも一番年上の方に声を掛けます。いきなり声をかけられた女性は驚いたようですが、少しの間目を瞑ってからゆっくりと目を開け、
「そうですね。私から見ましてもモディストス王国の方々から
浄き女神たるノーヴァ神の気配は感じ取れません。
ですがモディストス王国は猛き男神たるアスティオス神の加護を受けた国なので
当然だと思いますが?」
「そうですね、男神と女神の加護を同時に受ける事はありませんから。
ですが、我が国のコルネリア・ヴェルフル令嬢はからは如何です?
私は魔王討伐時に彼女から確かに神々の気配を感じたのですが」
「神々の……ということは男神と女神のという事ですか?」
「はい」
ギルベルト殿下はしっかりと頷き、緊迫した空気を木端微塵に壊したうえに別種の緊迫感を周囲に展開するという離れ技をやってのけたのでした。
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ゆるゆる設定です。
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