刀身に誓った恋 或は 頭身が違った恋

詠月初香

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樹海の魔王ファフナーを浄化した時、私は確かに女性の声を聞いたように思ったのです。ですがあの時の私は心身共にギリギリの状態で、その直後に高熱を出して意識を失ってしまう程でした。それでもあの場に誰か別の冒険者が居た可能性を考えて、意識が戻り次第お兄様やウィルさんに女性の声が聞こえた事を伝えたのですが、お兄様たちは誰一人としてその声を聞いていませんでした。

冷静になって考えてみれば、瘴気の氾濫の兆しのあった樹海の奥深くまで女性が単独で入り込む事は限りなく不可能に近く……。ウィルさんたちぐらいに強いパーティの一員としてなら可能でしょうが、それならば1人の女性の声だけが聞こえてくる事はおかしく。ですから私の聞き間違いなのだと結論づけたのですが、ここにきて溟海めいかいの魔王の声があの時の声にそっくりであることに気付きました。

ですがその事を横にいるファフナーに伝えようにも、溟海の魔王の叫び声が大きすぎて自分の声すら聞こえない程です。樹海の魔王と違って大きな岩などが飛んでくる事が無い為にあの時よりは安全だと錯覚してしまいそうですが、耳が痛いを通り越して頭痛がするレベルの絶叫は防ぎようがありませんし、どういう仕組みなのか解りませんが裂傷を負わせてくるので大岩よりも性質が悪いと言えます。ただ不幸中の幸いなのは、呼吸のために僅かな時間とはいえ絶叫が止まる時間がある事です。しかしアンディさんの恩寵で対処できない溟海の魔王の叫び声は、そんな僅かな時間だけ途切れても気休めにすらなりません。

「何だ、これは!!」

「おそらく魔王の声がこの事象を引き起こしているのだと思います!」

魔王の攻撃を防ごうと盾を構えるアンディさんでしたが、その盾を握る手に裂傷を負っていました。本来ならば盾の内側で傷を負うはずの無い箇所の裂傷に、顔をしかめながら叫ぶアンディさんに答えたのはお兄様です。ただお兄様も確証がある訳ではなく、私と同様に現状魔王から放たれている攻撃と思われるものが声だけな事からの推測のようです。

「声なんて防ぎよ×××××××××××!」

ギルさんがアンディさんの手の傷を回復させながら叫びますが、その声の後半は再び始まった魔王の絶叫にかき消されてしまいました。その余りにも悲痛かつ大音量の絶叫に咄嗟に耳を塞ぎたくなってしまいますが、魔王と対峙していて両手を塞ぐような愚は冒せません。

私を含む全員の装備は魔獣の皮や角などを素材とした活動服をベースに、それぞれの好みや動きやすさ・職業などを考慮した武具を身につけています。特にこのパーティは高位貴族ばかりなので、使っている素材や効果は並の冒険者では手が出せない程の物ばかりだったりします。

そのおかげもあって魔王の絶叫による裂傷は鎧等でカバーできない場所限定で負っているのですが、その装備にも少しずつ傷が入っていき、いずれ装備でカバーできなくなる事でしょう。それにギルさんは回復魔法を使う事ができますが、複数人を一度に完全回復させるような魔法は使えません。このままでは遠からず回復が追いつかなくなる事は明白で、早急に打開策を打たねばなりません。

その時、ある事に気付きました。
溟海の魔王の絶叫による攻撃に距離は関係ないのかも?……と。

効果が無いとは解っていても、いざという時の為に最前線で盾を構え続けるアンディさんと、一番後方で待機している私。離れて立つ二人が同じような頻度で傷を負うのです。勿論もっともっと離れた場所にまで移動すれば違いは出てくるでしょうが、少なくともこのホールの中にいるのなら、近くても遠くても大きな差は無いようなのです。

ただ距離は関係ないとはいえ、魔王に直接攻撃接敵できない理由もありました。

ウィルさんたちは当然ながら魔王に攻撃しようと近づいたのですが、周囲にある浅い水溜まりに近付くとそれだけで精神攻撃に飲み込まれそうになるそうで、それは瘴気の影響を退ける私の結界や浄化の魔力でも対処ができないものでした。精神攻撃無効の恩寵を持つギルさんは回復に専念しなくてはならない状況ですし、お兄様が遠くから魔法で攻撃しても魔王の持つ対魔法障壁を貫く事ができません。魔王の放つ絶叫は建物にも影響を与えていて、天上付近から欠けた石などが魔王付近に弾かれる事なく落ちてきているところを見ると、物理攻撃は利きそうなのに肝心の接敵する方法が無いのです。

ならば私がやる事は一つです。

(ファフナー、私……魔王の所へ行くね。そして絶叫を止めてくる)

一番最後に魔王の精神攻撃から目覚めた私は、まだ魔王の魔力が体内に残っているはずです。どれぐらい残っているかはわかりませんが、少なくともこの中で一番残っている事は確かです。現に今も絶叫による外傷は負っても、ウィルさんたちのように精神的な衝撃は受けていません。

(お前の事だからとんでもない事を考えているだろうとは思ったが、
 俺の想定以上だったな。だが、少し待て。俺が逆位相の一撃を入れる)

溟海の魔王の絶叫が響くこの場所で、唯一意思疎通が可能なファフナーに自分のやりたい事を伝えました。止められる可能性も考えましたが、相談なく行動する事は全員を危険に晒してしまいます。

(問題は一撃は入れられるが、
 今の俺では逆に一撃しか入れられないという事だ。その機会を逃すなよ)

(えぇ、解ったわ)

一度しか使えない攻撃という事に若干の不安は覚えますが、すぐに集中し始めたファフナーの邪魔をする事はできません。そんなファフナーの喉のあたりからゴロゴロというような、まるで猫が喉を鳴らしているかのような音が聞こえてきます。人間にそんな事が出来るなんてと驚いてしまいますが、目を瞠る私の前でファフナーは小さな声を出しては微妙に修正するといった事を何度か繰り返します。そして何回目かの修正の後、私を心配そうな眼差しで見ると頷きました。準備が完了したようです。

その時、ちょうど溟海の魔王の絶叫が途切れ

「お前たち、そこを退け!!」

と横に居たファフナーが叫んでウィルさんたちに注意してから、とても大きく息を吸い込みました。そして溟海の魔王が再び絶叫を放つのと同時にファフナーも

「drachen brüllen!!」

という聞き覚えの無い言語と同時に全身を使って大声を上げました。その声はあの日、樹海にいた黒い巨大な体躯を持ったファフナーの咆哮と同じでした。溟海の城の大広間で樹海の魔王の咆哮と溟海の魔王の絶叫がぶつかり合います。私はてっきり音が2倍になるかと思ったのですが、不思議な事に溟海の魔王の絶叫をファフナーの咆哮が綺麗に消してしまいました。

(行け!!!)

ゴフッという心配になる音と共にファフナーの声が聞こえ、私は無我夢中で魔王に向かって走り出します。それに慌てたのはお兄様たちでしたが、お兄様たちが私に近付くよりも先に私は水溜まりの中へと駆け入ります。

途端に周囲にはジェラルド殿下をはじめとしたモディストス王国の人たちの姿が浮かび上がりますが、少なくとも今の私はまだ抵抗が出来ているようで、心無い言葉を投げつけてくる人々を無視して駆け続けます。

「リア!!!」

背後から掛けられる心配に満ちた声を励みに更に水しぶきを上げて進み、魔王へと近付きました。魔力の準備は万全で、結界や浄化を助けるサンストーンやムーンストーンの準備も終えています。

間近で見た魔王は、その白い手もエメラルドグリーンの髪も涙で濡れていました。ただ涙は涙でも、その涙は真っ赤な血涙です。全て溶けて流れ出てしまったかのようなまっ黒な虚の眼孔から、止めどなく流れ続けている真紅の血涙です。魔王は近くにいる私を気にも留めずに再び絶叫を放とうと息を吸い込みはじめますが、その魔王の頭を私は自分の胸へと抱き込みました。自分の体で魔王の絶叫を抑え込もうと考えたのです。

「「リア!!!!!」」

後から聞こえてきた無数の呼び声と同時に、私の体に無数の傷が一度に幾つも入ります。絶叫を完全には抑え込めなかったようで、折角お父様にそろえて頂いた活動服もあちこちが破れてしまいました。

傷を負った身体の痛みと、お父様から頂いた大切な活動服を駄目にしてしまった心の痛みの二つが襲い掛かってきて涙が浮かんでしまいそうです。ですが自分の痛みに気を取られている場合ではありません。

「何が悲しいの? 誰が貴女をそんなに悲しませているの?!」

溟海の魔王のくぐもった絶叫に負けないように私も大声で叫び、強く強く抱きしめます。流石に接触してしまえば抵抗を上回る程の精神攻撃が襲ってきて、絶望するほどの悲しみで心がいっぱいになってしまいます。

「ギル! 全力でリアの回復に専念してくれ!!」

「解っています!」

少し遠い所からウィルさんやギルさんが叫ぶのが聞こえます。その声と同時に

「リア! 駄目です!!
 同情してはいけません。同情は同調を呼び相手に主導権を奪われます!」

そう注意してくるお兄様の声も聞こえます。自分主導で同調できれば相手の魔法を乗っ取る事ができると言っていたのは、「ボトルシップ」と溟海の城を繋いだ時のお兄様でした。だからどれ程悲痛な泣き声を上げていようとも溟海の魔王に同情してはならないと、このホールに踏み込む前に再度注意をされました。

えぇ、解っています。お兄様。

全身に傷を負い、その途端にギルさんの魔法で傷が回復していきます。ただ傷は確かに治るのですが、失った血液や体力までは戻りません。だからこの作戦も長期戦には持ち込めません。早急に魔王を浄化するのみです。

「悲しみ、終わらせましょう……」

そう言うと私は腕の中にいる魔王に全ての魔力を注ぎ、それと同時に周囲にばらまいた宝石が光り出します。薄暗かった溟海の城の最深部は浄化の光に包まれ、真っ白になった視界で私は世界がぐるりとひっくり返ったかのような、そんな錯覚を覚えたのでした。
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