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瞬きをした、そのほんの僅かな時間。
その普段なら意識する事すらない短い時の間に
「……こうげ……す!!」
「き…………じょう………………かんだ!!」
という何処かで聞いた覚えがあるような声が聞こえてきました。ですが、どれだけ思い返そうとしても、その切羽詰まった声の持ち主に心当たりがありません。しかも次の瞬間には私の中からその声が訴えていた言葉の内容も、声の主を思い出そうとする気持ちも消えてしまいました。
何だかすっきりとしなくて考え込む私の顔面に、分厚い書類の束が音をたてて叩きつけられました。いきなり襲ってきた衝撃の強さに、耐え切れずに倒れてしまいます。
「聞いているのか!! コルネリア・ガウディウム!!!」
「申し訳ありません」
震えそうになる膝に力を入れてすぐさま立ち上がると、じんじんと痛む顔を隠すように深く深く頭を下げて謝罪の言葉を述べます。ほんの少しでも謝罪が遅れると、ジェラルド王太子殿下は烈火のごとくお怒りになられます。ですから最近の私は何も考えずにまず謝罪する事を覚えました。
そう、考えていたら駄目なのです。
考えれば考える程、どんどんと辛くなりますから……。
つい先日、殿下と同じ王立高等学園に入学した私ですが、事あるごとに殿下に呼び出されては雑用を言い渡されます。雑用ならば良いのですが、中には生徒会長である殿下でなければ処理できない書類まであるのです。そういった書類も、後は殿下にサインを書いて頂ければ終わる状態にしなくてはなりません。高等学園に入ったばかりの私には荷が重い作業ばかりなうえに、質問をしようにも私から殿下に話しかける事は禁じられています。仕方なく同じく生徒会の役員をされている側近の方に尋ねようとしても、皆さまから避けられてしまいます。これでは仕事が何時まで経っても終わらないので何とか教えて頂こうと食い下がれば、その場面を見たそれぞれの婚約者の御令嬢たちから
「殿下の婚約者という立場を利用して、
わたくしの婚約者に色目を使うのは止めてくださらない?
はしたないにも程がありますわ!」
と責められる始末。でしたら御令嬢の方から側近の方々に書類に関する質問をして頂けないだろうかとお願いしたのですが、
「魔力喪失者と関わったとあれば、わたしくしたちの品位が疑われます。
二度とわたくしにも彼にも話しかけるどころか近付かないで!」
と言われてお終いでした。そんな状況でしたから今の私でも理解できた書類や、嫌がりながらも教えてくださった教師の方々の手を借りる事が出来た書類は終わらせる事ができましたが、どうにもならない書類もかなりの量になり……。それが今先程、投げつけられた書類の束になります。
「まったく……。こんな醜悪な魔力喪失者が私の婚約者とは……。
少しは私の役に立とうとは思わないのか! この愚図が!!!」
額に青筋を浮かべて怒鳴るジェラルド殿下の後には、側近の方々やレイチェル・ミーモス侯爵令嬢がいました。頭を下げたままなのでその様子を見る事はできませんが、いつも通りなら令嬢は今頃愉悦に満ちた眼差しを私に向けている事でしょう。眼差しだけならば、それも今のように私が見る事ができない状況ならば私にダメージはありませんから構いません。問題は2人きりになった時です。あの耳に突き刺さるような笑い声は、私の耳と心をとても傷つけるのです。それを思えば今は……なんて思っていたら、
「殿下ぁ、今 あの人が恐ろしい目で睨みつけてきましたの。
私……怖いですわ」
そんな鼻にかかったレイチェル侯爵令嬢の声が聞こえてきました。頭を上げる許可を頂けない私は今も謝罪の姿勢のままで、その状態でレイチェル令嬢を睨みつけるなんて無理です。そう無実を訴えたい私に向かって、今度は机の上にあったインク瓶が投げつけられました。その瓶はゴンッ!という鈍い音をたてて私の肩に当たり、そのまま制服を黒く染めて行きます。
「見た目だけでなく心根まで醜悪なバケモノが!!!」
醜悪なバケモノという単語を皮切りに、止めどなく続く耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言を浴びながら、
(この後、このインク染みの所為で
お母様や侍女たちからも怒られたうえに、食事抜きにされるのよね)
なんて事を思ってしまいます。
……この後?? どうして私はこの後の事を知っているの?
むくむくと湧き上がってきた疑問に意識が向いた途端、凄まじい頭痛と耳鳴りがして意識が遠くなっていきました。
━━━]━━━━━━━━━-
ハッと気付けば目の前に居たジェラルド殿下は居られず、王宮で連日行われる王妃教育の教育係のミーモス侯爵夫人が教鞭を手に立っておられました。
「全く嘆かわしい、この程度もできないのですか!!」
侯爵夫人はそう言いながら、机の上に置いた私の手に教鞭をビシッと振り下ろします。その余りの痛みに手を引きそうになるのですが、僅かでも動けば今度はスカートを太もものあたりまでたくし上げて、露わにした太ももに何度も教鞭が振り下ろされる事になります。あれは何度受けても痛みと羞恥のあまり死んでしまいたくなるほどの辛さです。
「も、申し訳けございません」
痛みにこらえながら謝罪しますが、夫人の教鞭は止まりません。これだけ教育熱心なミーモス侯爵夫人ですが、娘であるレイチェル令嬢の学園の成績は下から数えた方が早いそうで、私に向ける熱意を娘に向けてほしいと思ってしまいますが、当然ながらそんな事を口に出す事はできません。
それに侯爵夫人が私に教える礼儀作法は王妃としての礼儀作法で、侯爵令嬢が覚えるべき礼儀作法とは異なります。ましてや学校の勉強も出来るに越した事はありませんが、それが王妃に必要な素養の全てかと言われれば違います。それに私の礼儀作法が御粗末である事も事実で、本来ならば幼少時からちゃんとした教育を受けなくてはならないのに、私にお金をかけるのは無駄と判断した両親は、10歳から通う学園で習えば良いと私にそういった教師をつけなかったのです。
ですからミーモス侯爵夫人が、私に対して怒るのも教鞭を振るうのも仕方が無い事なのです。
「まったく我が家のレイチェルの方がよほど王妃に相応しいというのに……。
こんな出来損ないを王妃にしようなんて、陛下も何を考えておられるのかしら」
その後も手の角度が駄目だと言われては鞭打たれ、足運びが御粗末だと言われては鞭打たれ、何かをするたびに教鞭が私に振り下ろされ続けました。そしてその度にレイチェル令嬢や、騎士団に入った御子息たちの自慢が繰り返されます。自分の子供だけならば我が子に対する愛情に溢れた方ですむのですが、親戚にあたるロブスト伯爵家の次男がグラティアだという自慢まで繰り返されるのです。
こんな事は日常茶飯事で、何時もの私なら自分の不甲斐なさから反抗心が湧き上がるなんてことは決してないのですが、何故か今日に限って何か反発したい気持ちになってしまいました。
(×x×××家で受けた礼儀作法も王妃教育と同じぐらいに高度でしたが、
侯爵夫人よりも教え方が上手だったので私もすぐに覚えてしまいましたよ。
それに御自慢のご令息は***さんや**さんたちに簡単に負けました)
……×x×××家に***さん??
覚えの無い誰かの名前に心の中が波打つのが解ります。ですがそれを思い出そうとするよりも、自分の中に生まれた違和感が気になってしまいました。何時もの私なら泣きそうになる事を堪えるのに必死で、反抗しようなんてチラリと思う事もありません。
なのに……なのに……
ですが、その違和感に気付いた途端に激しい頭痛と吐き気が襲ってきて、私は意識が遠くなっていくのでした。
━━━]━━━━━━━━━-
そんな事を何度も何度も繰り返しました。
まるで私に教え込むかのように何度も何度も……
最初こそ何かがおかしいと違和感を覚えましたが、繰り返していくうちに違和感を覚える私がおかしいのだと理解しました。私に向かって繰り返し告げられる「出来損ない」や「バケモノ」という評価こそが私に相応しいモノなのです。
だって、誰かが……私の耳元でずっと囁き続けるのです。
「私には何の価値もない、そんな私を必要とする人なんて誰もいない。
なのに、どうして生きているの?」
……と
━━━]━━━━━━━━━-
そうして迎えた高等学園の卒業パーティの日。
私は階段のほぼ最上部から転げ落ち、騎士団長の息子のフレデリック・クロイツ侯爵子息に押さえつけられて呼吸すらままなりません。叩かれた頬も打ち付けた全身も痛くて痛くて……。
でも、仕方がないのです。
私にはこうされるのが相応しいのです……。
お父様もお母様も義弟のダニエルも、それに我が家の使用人たちも私を嫌います。
私は醜く、愚図なバケモノなので嫌われて当然なのです。
(このまま死んでしまえば楽になれるのかしら……)
全てを諦めて目を瞑ったその時、急に体の上から重みが消えました。それと同時にフレデリック侯爵子息の「グァッ!!」というくぐもった声と床に倒れ込む音が聞こえてきます。
「リア、ようやく見つけた!!」
私をリアと呼ぶ人に心当たりはありません。ですがその呼び名に籠められたどこまでも優しい響きにゆっくりと瞑っていた目を開けました。
そこには夜明け色の瞳と勝色の髪を持った男性が立っていて、私に手を差し伸べていました。その向こう側では栗色の髪を持った体格の良い男性が、フレデリック侯爵子息の胸元を掴んで無理やり立たせると、
「お前のような奴が騎士を名乗る資格は無い!!」
と怒鳴ってから再び殴りつけています。見た事のない男性2人ですが、知識として夜明け色の瞳を持つ人は隣国のアスティオス皇国の皇族である事は解ります。現時点で皇籍を持っているかどうかは解りませんが、少なくとも皇族の血を引いている事は確かです。
「……どちらさま……で……しょうか?」
ようやく吸えるようになった空気に息が整わず、途切れ途切れにそう尋ねると、途端に目の前の夜明け色の瞳を持った男性は悲しそうに瞳を細めました。その表情に凄まじい罪悪感が湧き上がり、心臓がキュゥと痛くなります。
「帰ろう、リア。みんなリアの事を心配している。
ここはリアの居るべき場所じゃないし、こんな奴らはリアの傍に相応しくない」
怒りの形相をしていた栗色の髪の男性はその表情を一変させると、ゆっくりと私の方へと近づきながらもそう言います。
「帰る? でも私は……私には、何の価値もないから」
「リア!」
私に帰る場所なんてあるのでしょうか……。
ガウディウム家に住む全ての人が、私が帰る事なんて望んでいないでしょう。思わず零れてしまった言葉を言い切る前に、まるで私の言葉を遮るように夜明け色の瞳の男性が私を抱きしめました。
「やめてください、私に近づくと醜さが伝染るんだそうです。
貴方のように綺麗な方が近付いては……」
「誰だ、そんな馬鹿な事を言う奴は!!」
「もう何発か殴っておくか……」
どうしてこの2人の男性が私に優しくするのか、まったく理解できませんし不思議でなりません。私はバケモノなのに……。
「リア、君はもうコルネリア・ガウディウムじゃない。
今の君の名前はコルネリア・ヴェルフル魔法伯令嬢だ。
君の両親も兄のエルも……
そして何より俺が君の帰りを待っている。
君を守ると誓った言葉は、今も、これからも、ずっと変らない」
散々痛めつけられた身体に負担がかからないように、そっと優しく抱きしめてくる温かい腕に、心の中がギシギシと音をたてて軋むのが解りました。心の奥底から何かが溢れ出てくるような感覚に、戸惑いしかありません。
「俺は口が上手くないから、君に喜んで貰えるような言葉を贈れる自信はないが、
それでも、俺だって伝えたい。リアの事が大事だ。一緒に帰ろう?」
栗色の髪の人がそう言いながら私の頬にそっと手を添えました。その言葉と固い掌の頼もしさに、心の中の軋む音が一段と大きくなります。
「「さぁ、リア」」
2人が微笑みながらそう告げた途端、何かが崩れ落ちる音が私の中で響きました。それと同時に勝手に溢れ出した涙が零れ落ち、その涙を頬に添えられた固い手がそっと拭ってくれました。二人の優しい眼差しを見て、私の中に居た何かが断末魔のような悲鳴を上げていますが、その声が私に何かをもたらす事はありませんでした。
「はい、帰りましょう。
……ウィルさん、アンディさん」
私はしっかりと二人の名前を呼ぶと、彼らの手をとって立ち上がったのでした。
その普段なら意識する事すらない短い時の間に
「……こうげ……す!!」
「き…………じょう………………かんだ!!」
という何処かで聞いた覚えがあるような声が聞こえてきました。ですが、どれだけ思い返そうとしても、その切羽詰まった声の持ち主に心当たりがありません。しかも次の瞬間には私の中からその声が訴えていた言葉の内容も、声の主を思い出そうとする気持ちも消えてしまいました。
何だかすっきりとしなくて考え込む私の顔面に、分厚い書類の束が音をたてて叩きつけられました。いきなり襲ってきた衝撃の強さに、耐え切れずに倒れてしまいます。
「聞いているのか!! コルネリア・ガウディウム!!!」
「申し訳ありません」
震えそうになる膝に力を入れてすぐさま立ち上がると、じんじんと痛む顔を隠すように深く深く頭を下げて謝罪の言葉を述べます。ほんの少しでも謝罪が遅れると、ジェラルド王太子殿下は烈火のごとくお怒りになられます。ですから最近の私は何も考えずにまず謝罪する事を覚えました。
そう、考えていたら駄目なのです。
考えれば考える程、どんどんと辛くなりますから……。
つい先日、殿下と同じ王立高等学園に入学した私ですが、事あるごとに殿下に呼び出されては雑用を言い渡されます。雑用ならば良いのですが、中には生徒会長である殿下でなければ処理できない書類まであるのです。そういった書類も、後は殿下にサインを書いて頂ければ終わる状態にしなくてはなりません。高等学園に入ったばかりの私には荷が重い作業ばかりなうえに、質問をしようにも私から殿下に話しかける事は禁じられています。仕方なく同じく生徒会の役員をされている側近の方に尋ねようとしても、皆さまから避けられてしまいます。これでは仕事が何時まで経っても終わらないので何とか教えて頂こうと食い下がれば、その場面を見たそれぞれの婚約者の御令嬢たちから
「殿下の婚約者という立場を利用して、
わたくしの婚約者に色目を使うのは止めてくださらない?
はしたないにも程がありますわ!」
と責められる始末。でしたら御令嬢の方から側近の方々に書類に関する質問をして頂けないだろうかとお願いしたのですが、
「魔力喪失者と関わったとあれば、わたしくしたちの品位が疑われます。
二度とわたくしにも彼にも話しかけるどころか近付かないで!」
と言われてお終いでした。そんな状況でしたから今の私でも理解できた書類や、嫌がりながらも教えてくださった教師の方々の手を借りる事が出来た書類は終わらせる事ができましたが、どうにもならない書類もかなりの量になり……。それが今先程、投げつけられた書類の束になります。
「まったく……。こんな醜悪な魔力喪失者が私の婚約者とは……。
少しは私の役に立とうとは思わないのか! この愚図が!!!」
額に青筋を浮かべて怒鳴るジェラルド殿下の後には、側近の方々やレイチェル・ミーモス侯爵令嬢がいました。頭を下げたままなのでその様子を見る事はできませんが、いつも通りなら令嬢は今頃愉悦に満ちた眼差しを私に向けている事でしょう。眼差しだけならば、それも今のように私が見る事ができない状況ならば私にダメージはありませんから構いません。問題は2人きりになった時です。あの耳に突き刺さるような笑い声は、私の耳と心をとても傷つけるのです。それを思えば今は……なんて思っていたら、
「殿下ぁ、今 あの人が恐ろしい目で睨みつけてきましたの。
私……怖いですわ」
そんな鼻にかかったレイチェル侯爵令嬢の声が聞こえてきました。頭を上げる許可を頂けない私は今も謝罪の姿勢のままで、その状態でレイチェル令嬢を睨みつけるなんて無理です。そう無実を訴えたい私に向かって、今度は机の上にあったインク瓶が投げつけられました。その瓶はゴンッ!という鈍い音をたてて私の肩に当たり、そのまま制服を黒く染めて行きます。
「見た目だけでなく心根まで醜悪なバケモノが!!!」
醜悪なバケモノという単語を皮切りに、止めどなく続く耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言を浴びながら、
(この後、このインク染みの所為で
お母様や侍女たちからも怒られたうえに、食事抜きにされるのよね)
なんて事を思ってしまいます。
……この後?? どうして私はこの後の事を知っているの?
むくむくと湧き上がってきた疑問に意識が向いた途端、凄まじい頭痛と耳鳴りがして意識が遠くなっていきました。
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ハッと気付けば目の前に居たジェラルド殿下は居られず、王宮で連日行われる王妃教育の教育係のミーモス侯爵夫人が教鞭を手に立っておられました。
「全く嘆かわしい、この程度もできないのですか!!」
侯爵夫人はそう言いながら、机の上に置いた私の手に教鞭をビシッと振り下ろします。その余りの痛みに手を引きそうになるのですが、僅かでも動けば今度はスカートを太もものあたりまでたくし上げて、露わにした太ももに何度も教鞭が振り下ろされる事になります。あれは何度受けても痛みと羞恥のあまり死んでしまいたくなるほどの辛さです。
「も、申し訳けございません」
痛みにこらえながら謝罪しますが、夫人の教鞭は止まりません。これだけ教育熱心なミーモス侯爵夫人ですが、娘であるレイチェル令嬢の学園の成績は下から数えた方が早いそうで、私に向ける熱意を娘に向けてほしいと思ってしまいますが、当然ながらそんな事を口に出す事はできません。
それに侯爵夫人が私に教える礼儀作法は王妃としての礼儀作法で、侯爵令嬢が覚えるべき礼儀作法とは異なります。ましてや学校の勉強も出来るに越した事はありませんが、それが王妃に必要な素養の全てかと言われれば違います。それに私の礼儀作法が御粗末である事も事実で、本来ならば幼少時からちゃんとした教育を受けなくてはならないのに、私にお金をかけるのは無駄と判断した両親は、10歳から通う学園で習えば良いと私にそういった教師をつけなかったのです。
ですからミーモス侯爵夫人が、私に対して怒るのも教鞭を振るうのも仕方が無い事なのです。
「まったく我が家のレイチェルの方がよほど王妃に相応しいというのに……。
こんな出来損ないを王妃にしようなんて、陛下も何を考えておられるのかしら」
その後も手の角度が駄目だと言われては鞭打たれ、足運びが御粗末だと言われては鞭打たれ、何かをするたびに教鞭が私に振り下ろされ続けました。そしてその度にレイチェル令嬢や、騎士団に入った御子息たちの自慢が繰り返されます。自分の子供だけならば我が子に対する愛情に溢れた方ですむのですが、親戚にあたるロブスト伯爵家の次男がグラティアだという自慢まで繰り返されるのです。
こんな事は日常茶飯事で、何時もの私なら自分の不甲斐なさから反抗心が湧き上がるなんてことは決してないのですが、何故か今日に限って何か反発したい気持ちになってしまいました。
(×x×××家で受けた礼儀作法も王妃教育と同じぐらいに高度でしたが、
侯爵夫人よりも教え方が上手だったので私もすぐに覚えてしまいましたよ。
それに御自慢のご令息は***さんや**さんたちに簡単に負けました)
……×x×××家に***さん??
覚えの無い誰かの名前に心の中が波打つのが解ります。ですがそれを思い出そうとするよりも、自分の中に生まれた違和感が気になってしまいました。何時もの私なら泣きそうになる事を堪えるのに必死で、反抗しようなんてチラリと思う事もありません。
なのに……なのに……
ですが、その違和感に気付いた途端に激しい頭痛と吐き気が襲ってきて、私は意識が遠くなっていくのでした。
━━━]━━━━━━━━━-
そんな事を何度も何度も繰り返しました。
まるで私に教え込むかのように何度も何度も……
最初こそ何かがおかしいと違和感を覚えましたが、繰り返していくうちに違和感を覚える私がおかしいのだと理解しました。私に向かって繰り返し告げられる「出来損ない」や「バケモノ」という評価こそが私に相応しいモノなのです。
だって、誰かが……私の耳元でずっと囁き続けるのです。
「私には何の価値もない、そんな私を必要とする人なんて誰もいない。
なのに、どうして生きているの?」
……と
━━━]━━━━━━━━━-
そうして迎えた高等学園の卒業パーティの日。
私は階段のほぼ最上部から転げ落ち、騎士団長の息子のフレデリック・クロイツ侯爵子息に押さえつけられて呼吸すらままなりません。叩かれた頬も打ち付けた全身も痛くて痛くて……。
でも、仕方がないのです。
私にはこうされるのが相応しいのです……。
お父様もお母様も義弟のダニエルも、それに我が家の使用人たちも私を嫌います。
私は醜く、愚図なバケモノなので嫌われて当然なのです。
(このまま死んでしまえば楽になれるのかしら……)
全てを諦めて目を瞑ったその時、急に体の上から重みが消えました。それと同時にフレデリック侯爵子息の「グァッ!!」というくぐもった声と床に倒れ込む音が聞こえてきます。
「リア、ようやく見つけた!!」
私をリアと呼ぶ人に心当たりはありません。ですがその呼び名に籠められたどこまでも優しい響きにゆっくりと瞑っていた目を開けました。
そこには夜明け色の瞳と勝色の髪を持った男性が立っていて、私に手を差し伸べていました。その向こう側では栗色の髪を持った体格の良い男性が、フレデリック侯爵子息の胸元を掴んで無理やり立たせると、
「お前のような奴が騎士を名乗る資格は無い!!」
と怒鳴ってから再び殴りつけています。見た事のない男性2人ですが、知識として夜明け色の瞳を持つ人は隣国のアスティオス皇国の皇族である事は解ります。現時点で皇籍を持っているかどうかは解りませんが、少なくとも皇族の血を引いている事は確かです。
「……どちらさま……で……しょうか?」
ようやく吸えるようになった空気に息が整わず、途切れ途切れにそう尋ねると、途端に目の前の夜明け色の瞳を持った男性は悲しそうに瞳を細めました。その表情に凄まじい罪悪感が湧き上がり、心臓がキュゥと痛くなります。
「帰ろう、リア。みんなリアの事を心配している。
ここはリアの居るべき場所じゃないし、こんな奴らはリアの傍に相応しくない」
怒りの形相をしていた栗色の髪の男性はその表情を一変させると、ゆっくりと私の方へと近づきながらもそう言います。
「帰る? でも私は……私には、何の価値もないから」
「リア!」
私に帰る場所なんてあるのでしょうか……。
ガウディウム家に住む全ての人が、私が帰る事なんて望んでいないでしょう。思わず零れてしまった言葉を言い切る前に、まるで私の言葉を遮るように夜明け色の瞳の男性が私を抱きしめました。
「やめてください、私に近づくと醜さが伝染るんだそうです。
貴方のように綺麗な方が近付いては……」
「誰だ、そんな馬鹿な事を言う奴は!!」
「もう何発か殴っておくか……」
どうしてこの2人の男性が私に優しくするのか、まったく理解できませんし不思議でなりません。私はバケモノなのに……。
「リア、君はもうコルネリア・ガウディウムじゃない。
今の君の名前はコルネリア・ヴェルフル魔法伯令嬢だ。
君の両親も兄のエルも……
そして何より俺が君の帰りを待っている。
君を守ると誓った言葉は、今も、これからも、ずっと変らない」
散々痛めつけられた身体に負担がかからないように、そっと優しく抱きしめてくる温かい腕に、心の中がギシギシと音をたてて軋むのが解りました。心の奥底から何かが溢れ出てくるような感覚に、戸惑いしかありません。
「俺は口が上手くないから、君に喜んで貰えるような言葉を贈れる自信はないが、
それでも、俺だって伝えたい。リアの事が大事だ。一緒に帰ろう?」
栗色の髪の人がそう言いながら私の頬にそっと手を添えました。その言葉と固い掌の頼もしさに、心の中の軋む音が一段と大きくなります。
「「さぁ、リア」」
2人が微笑みながらそう告げた途端、何かが崩れ落ちる音が私の中で響きました。それと同時に勝手に溢れ出した涙が零れ落ち、その涙を頬に添えられた固い手がそっと拭ってくれました。二人の優しい眼差しを見て、私の中に居た何かが断末魔のような悲鳴を上げていますが、その声が私に何かをもたらす事はありませんでした。
「はい、帰りましょう。
……ウィルさん、アンディさん」
私はしっかりと二人の名前を呼ぶと、彼らの手をとって立ち上がったのでした。
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