刀身に誓った恋 或は 頭身が違った恋

詠月初香

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アスティオス皇国やモディストス王国の北側にある海の魔境「溟海めいかい

溟海は森の魔境「樹海」と同様に広大な面積を持つ、人の立ち入りを拒む大海原です。溟海は海も空も常に荒れていて、時には軍船すらも木端微塵にしてしまう大波や竜巻は脅威でしかありません。個人で所有出来るような小舟ではあっという間に海の藻屑ですし、軍船を含めた大型船でも竜巻には耐えられません。

何より一番の問題は、水棲モンスターと戦闘になる可能性がとても高いという事です。船の甲板にわざわざ上がってくるような水棲モンスターは珍しく、大抵は人間ではなく船を破壊して海に落ちてきた人間を襲います。それは水中呼吸の出来ない人間にとって、死に直結するような事態です。しかもその水棲モンスターがファイアベアのように瘴気によって凶悪化しているので、高ランクの冒険者でも避ける海域になっているのです。



そんな溟海に行く事になった私は早急に体力や魔力を回復させ、様々な準備を始めなくてはなりません。小さい頃からモディストス王国の王都から出た事が無かった私は、海というものを一度も見た事がありません。知識としては知っていますが、それも単にとても大きな池や湖のようなモノだという事だけ。海での冒険に何が必要になるのかなんて、全く知らないのです。

なので皇居から戻った私は、私付きの侍女のヒルデに

「ヒルデ、今度は海の魔境に行く事になったの。
 海に行くのは初めてで、何が必要か解らないから教えてくれないかしら?」

とお願いしました。その途端、ヒルデは私の世話をしていた手をピタリと止めて、一礼してからにこりと笑います。

「お嬢様。申し訳ありませんが少しの間 下がらせて頂きます。
 旦那様に少々、問い合わせて参りますね」

そう言うヒルデは何時もと同じように優しく笑っているのだけれど、何故か後退りしたくなるほどの迫力です。

「ヒ、ヒルデ??」

「直ぐに戻ってまいりますから。
 クララ、お嬢様にお休み頂けるように支度をお願いね」

「はーい、解りましたぁ。
 お嬢様ぁ。まだ回復しきっていないんですから、
 ちゃんと休んでくださいねぇ」

確かに完全に回復していないうちから皇居へと赴き、皇帝陛下や皇国の重鎮の方々とお会いしたりして、精神的にも肉体的にも疲れ果ててしまってはいます。ですが出来るだけ早く溟海の瘴気を晴らさないと、国益に関わる重大な問題が発生してしまいます。

「ヒルデ達の気持ちはとても嬉しいのだけれど、
 皇帝陛下からの御下命だからこればかりは仕方がないわ。
 それにお父様やお兄様は最後まで反対してくださっていたのよ?
 でも最終的に私が「行く」と決めたの。お父様たちの所為ではないわ」

私は今、とても幸せなのです。こうして身近に私の事を心配してくれる人がたくさん居る事が、とてもとても嬉しいのです。ですが皇国でこの先も家族やヒルデ達と一緒に過ごす為には、貢献度を上げていかなくてはなりません。特に伯爵以上の貴族は、平民や下位貴族とは比べ物にならない程の貢献を求められます。それを怠れば、最悪国外追放処分が待っています。勿論、最悪の事態になる前に、一般的な貴婦人たちが行っているような奉仕活動などで貢献度を上げていく事もできます。ですが「人生、一寸先は闇」という事を私は嫌という程に知っています。ですから貢献度を少しでも上げておくに越したことはありません。

「それにね、私はお父様やお母様にお兄様。
 それから魔法伯家のみんなと何時までも一緒に居たいの。
 だから頑張ってくるわ」

「お嬢様ぁ……」

クリスがうるうるとした目で私を見てきたかと思うと、先程までの圧のある笑顔から普通の笑顔に戻ったヒルデが、

「解りました。では準備はこのヒルデに全てお任せください。
 その間、お嬢様は体力や魔力の回復に専念してくださいね。
 魔境では、ほんの僅かな回復不足が死を招く事になりかねません。
 どうかご自愛を……」

と、優しく私の手を取って言いました。出会った当初はお友達になれたら良いなと思っていましたが、今ではすっかりお姉様のようなヒルデ。何時も心配をかけてしまっている上に、何かと頼ってしまって申し訳ない気持ちになってしまいます。ですが一度、そう伝えたところ

「コルネリアお嬢様のお役に立てる事が私の喜びですのに、
 お嬢様は私から喜びを奪われてしまうのですか?」

と言われてしまいました。それ以降は頼り過ぎないようにしつつも、ヒルデをはじめとした周りに人に頼る事を少しずつ覚えていきました。そしてその事を誰よりも喜んでくれたのは家族とヒルデ達でした。そんなモディストス王国に居た時には想像すらできなかった幸せが、ここにはたくさんありました。


━━━]━━━━━━━━━-


「ふぁ~ぁ。やはり別の魔境に行く事になったか」

「えぇ、ファフナーの予想通りだったわ」

ファフナーは対外的には私と契約した使い魔という扱いになっている為に、マジックアイテムや使い魔の持ち込みに厳しい皇居に連れて行く事ができませんでした。なので私が出かけている間、ファフナーはお留守番だったのです。どうやら今まで寝ていたようで、小さなあくびをしたと思ったらベッドに腰かけた私の膝の上に飛んできて、ちょこんと乗っかりました。

5日前に王国の無茶な要求の一件を聞いたファフナーはこうなる事を予想していたようで、皇居に向かう前に

「もし別の魔境の浄化を命じられて、どうしても断れないようなら、
 何かしらリアの為になるような条件を付けて受けておけ」

と言われていました。樹海の魔王戦とは違って、今度の魔王戦はファフナーが全力支援してくれるそうなので、ヴィルヘルム殿下たちへの負担が少しは減ると思います。お兄様や2人の殿下、そしてアンディさんとパーティを組むには私は弱すぎて、足手まといだという事は重々承知しているのですが、体力を上げたり体術を身につけたりする余裕が一切無く……。かといって魔法伯家の自室に居ながら、魔境にいる魔王を遠隔で浄化するなんて事が出来る訳もなく……。

「幾つかのマジックアイテムの貸与と優遇措置を約束してもらったわ。
 皇国では公平性を保つ為に、優遇措置は基本的にはとらないらしいの。
 でも、今回は事情が事情だから……」

「その辺りはリアの父親に任せておけば大丈夫だろ。
 で、今回のパーティメンバーも前回と同じか?」

「えぇ、前回とまるっきり同じよ。
 いたずらに人数を増やしても連携が取れないし、
 お兄様や殿下たちが強いのは、気心の知れた間柄だからというのもあるから。
 それに私の能力の事も知られる訳にはいかないし……」

以前にお兄様から聞いた事があるのですが、お兄様たちのパーティに入りたいと申し入れてきた人の数は膨大で、名や顔を覚えきれない程にたくさん居られたのだそうです。当然といえば当然の事態で、直系皇族二人に侯爵家次男と魔法伯家長男という高位貴族ばかりのパーティに入って少しでも親密になりたい思う、或は家族に親密になるようにと指示された人が続出するのは不思議でも何でもありません。

「まぁ、俺としてもその方がありがたい。
 いちいち俺の事を説明するのも面倒だからなぁ……」

そのファフナーの言葉を聞いて、私はファフナーな事を何も知らない事に気付きました。樹海で出会ったあの日からずっと一緒にいてくれて、何度も助けてもらったというのに……

「……ねぇ、ファフナーの事を聞いても良い?」

「そのうち……な。
 いや、リアに秘密にしたい訳じゃないんだ。
 ただ先日の一件で魔王に残っていた記憶や感情を全て取り戻す事ができたが、
 その記憶の所為で感情の整理がなかなか出来ていないんだ。
 気持ちに整理がついて、その時になってもリアが知りたければ話すよ」

真っ白で柔らかい毛を撫でていた私の手に、ファフナーは頭をぐりぐりと押し付けてきました。その安心できる温もりに私は「約束ね」という言葉を伝えると、少しでも回復を急ぐために眠ることにしたのでした。


━━━]━━━━━━━━━-


ファフナーと約束してから、既に12日が経過しました。

ここは安心できる魔法伯邸ではなく、大荒れの海に翻弄される度にギィギィと木が軋むような不気味な音を鳴らし続ける船の操舵室で、私はその操舵室の片隅でファフナーをぎゅぅと抱きしめながら座っていました。

「このマジックアイテムを借りてこられて、本当に助かったですね……」

皇家が所有しているマジックアイテムの一つ「ボトルシップ」。これは普段は小さな瓶に入っている船の模型なのですが、ひとたび瓶から取り出せば使用者の望む大きさの船へと姿を変えます。しかも帆には風属性のモンスター「フライングクロース」の飛膜を使っていて、風が無くても推進力分の風を帆に当ててくれます。おかげで漕ぎ手が要らず、パーティメンバーだけで乗っても不都合が生じません。また船の本体部分も通称「魔樹」と呼ばれる魔力を良く通す木材を材料にしている為、簡単に折れたり曲がったり壊れたりする事もありません。この魔樹に魔力を流す回路を掘る技術は既に失われている為に再生産ができず、「ボトルシップ」の希少価値は計り知れません。

「全くだ。あと、魔法伯家のこの「寝床」もな」

そのボトルシップの操舵室に設置しているのが、お父様が不眠不休で調整してくださったマジックアイテムの「ケット・シー猫妖精の寝床」です。これは設置した部屋がどれ程揺れようとも、水平を保って揺れを無くしてくれるという優れたマジックアイテムです。極小型のモノならば高級な馬車に取り付けられている事もありますが、操舵室全体に効果を及ぼすほどのランクの高い「ケット・シー猫妖精の寝床」は世界を探してもこれ一つではないでしょうか。このマジックアイテムがなければ、今頃私達は全員が船酔いで倒れていた事でしょう。

船室の窓から外を見れば、真っ黒い海が見えました。初めて見た海は海面が常にうねり、まるでゴォォォという唸り声をあげながら襲い掛かるモンスターのようで、私は思わずブルッと身体を震わせてしまいました。

「大丈夫だよ、リア。私がついているし、皆も一緒だ。
 それにリアが力を込めてくれたコレがあるしね」

私が不安そうにしている事に気付いたお兄様が、温かい飲み物を持ってきてくださいました。そしてカップを私に渡してから、サイドの髪を少し後ろに流して耳につけているイヤーカフを見せてくれます。そこにあるのは確かに私が結界と浄化の力を込めたイヤーカフで、室内灯を反射してキラリと光ります。

そろそろ夏になるというのに溟海は暗くて寒く……。お兄様が渡してくださった温かい飲み物の温もりが指から身体全体へと染みわたっていきますが、同じぐらいに温かいモノをお兄様は私の心に届けてくださいました。

ウィルさんやアンディさんは自分たちの装備のチェックして何時でも戦えるように準備しておられますし、ギルさんやお兄様も何かあればすぐさま対応できるようにしておられます。私も足を引っ張らないようにするだけでなく、少しずつでも皆さんのお役に立てるように頑張らねば……。

「ファフナー。方向は大丈夫?」

操舵室の中央前方にある操舵輪の上にモフッと座っているファフナーに向かって尋ねれば、すぐさま返答がありました。

「あぁ、問題ない。リアが船全体に結界を付与したおかげで、
 弱いモンスターは近付いてすら来れないからな。
 おかげで方向が狂わなくて助かる」

魔王の居場所は、ファフナーが瘴気の濃度をかなり広範囲で察知できるので、その情報を元に見つける予定になっています。ただ瘴気の大氾濫寸前の溟海は、瘴気の濃度が不規則に変化していて、例え広範囲を察知できるファフナーといえど間違う可能性がありました。

なので2日経っても見つけられなかった場合、私が周辺を浄化しながら進むことになっています。浄化される事を嫌がる魔王が、向うからやってくる可能性にかけるのです。ただ当然ながら私の負担が跳ね上がる為、お兄様たちは「あくまでも最終手段」だと仰っていました。

ですが今頃、私達と同様にお父様も外交という戦場でモディストス王国と戦っておられるはずです。そのお父様の戦いを少しでも有利に進める為に、そして何よりお兄様たちが怪我をしないですむように、私は全力を尽くすのみ……そう心に決めたのでした。
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