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アダムとイヴの純愛(2)
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ガチャン、と受話器を乱暴に叩きつける音が響きました。何よ、もしも適当なピンクのカットソーをこっちが選んで、それが希望していた商品と違えばクレームしてくるくせに。
ムカムカします。でもすぐに話を止めてくれたので、この電話はまだマシな方です。こういう訳のわからない不愉快な電話は長引くと不都合です。間髪入れずに、次のお客様から電話がかかってきますから。
「はい、××コールセンターです。お電話ありがとうございます」
このお仕事は出来るだけ多くの電話を取らなければなりません。品番を聞きながら、目の前のコンピューターにそれを入力していきます。最初の頃は難しく感じたこの作業も、四年勤めた今ではだいぶ手慣れました。
「林田さん、お疲れ様です」
定時後の帰り際に、同僚の女子社員たちから社交辞令な挨拶。私は知っているんですよ? あなたたちが私のことを「暗い」だの「ブサイク」だの陰口叩いていたこと。前にトイレで偶然、耳にしました。おかげで私はあなたたちが去るまで、個室から出られませんでした。
「ええ、お疲れ様です」
しかし、無視する訳にもいきません。挨拶を返します。女子社員たちはそれを聞かぬうちに私に背を向けて、きゃいきゃい騒ぎながらオフィスを出ていきます。騒ぐ声が聞こえなくなってきたところで私はデスクの上のバッグを掴み、オフィスをあとにしました。
ビルから出ると、視界に広がるのは夕闇に染まった街中。駅まで歩き、そこから電車に乗って住んでいるアパートがある駅前まで一駅の距離です。乗り込んだ電車の中では下着が見えそうなほどスカートの短い、二人の女子高生がけたたましく喋っていました。私は「線路に落ちて、電車に轢かれればいいのに……」と、疲れた頭で思いました。
電車が到着したのでホームに降り立ち、駅前へと出てもまっすぐ帰らず、レンタルDVD屋さんへ寄ります。疲労を癒す為に。
探すのは年代の古い、ロマンチックな恋愛映画のDVD。棚に陳列されたDVDのうち「メリーゴーランドの恋」というタイトルのDVDに惹かれて、手に取ってみました。ジャケットにはタイトル通り、メリーゴーランドの睫毛の長いメルヘンチックな馬に腰かけて、微笑む少年と少女。
今夜はこれを見てから寝ましょう。DVDをレジに持っていって、それからようやく家路につきました。
アパート内の階段には、蛾の死骸が転がっていてとても不潔。一回、はらわたを露出したネズミさえ見かけたことがあります。引っ越したいのですが母に仕送りをしている為に、私のお給料は月の生活費でほとんど消えてしまいます。母は最近、ますます心の具合が悪くなってきたようで働くのも難しい状態でした。可哀相に。
時折パチッと音を立てて明滅する蛍光灯に集まっている蛾へ、飛んでこないでよ……と念じながら階段を上り、部屋のドアの鍵を開けて中に入りました。
パンプスを脱いで、きちんと揃えます。それから居間にバッグと、DVDが入った袋を置いて一息ついてからシャワーを浴びにいき、お気に入りのネグリジェを纏いました。
居間に戻ると袋からDVDを出し、プレーヤーにセットします。テレビを点けて、リモコンを手に背の低いテーブルの前へ正座しました。
美しい教会を囲んでいる森の中、かわいらしい子供が二人でピクニックしています。あのジャケットの少年と少女です。どうやら二人は幼なじみらしく、純潔な愛を育んでいるようでした。
少年は生えていた草花で花輪を作って、少女の頭に被せてあげます。二人は無邪気に笑い合うと、その場でチェック柄のビニールシートを広げて座りました。二人はお弁当のサンドイッチを食べながら、愛の哲学を語り合うのです。
少年が言いました。
『アダムとイヴは蛇に唆されたくらいで、禁忌である知恵の実を食べた。そんな誘惑に負けた男女の血を引く僕たち人類の恋愛は、そりゃあ堕落するさ』
少女が顔を手で覆って嘆きます。
『おお、なんてこと! 堕落する前に、あなたを殺してあたしも死にます』
少年が少女を宥めました。
『まあ待ちなよマリア。僕たちが決して知恵の実という名の、赤い姦淫の実を食べなければいいだけの話さ。僕たちは特別でいようよ。肉欲を貪る下賎の民を見下そう。汚いものの中で僕たちだけが光り輝いていれば、いつか神様がアダムとイヴの代わりに、僕たちを楽園へ連れていってくれるさ』
少女が感激しています。
『まあ、ステキ……! 耽美な話ね』
二人の話は一時間以上、続きました。
話を終えてサンドイッチも平らげてしまうと、ビニールシートをかたづけて、それから二人は教会へと入りました。祭壇の十字架に祈りを捧げ、そこで映画は終わります。
私は気づいたら泣いていました。感動。あの少年のような心を持った男性と恋愛がしたい……! と、夢心地なまま携帯電話を手に取って開き、ネットでメリーゴーランドの恋について検索します。
しかしレビューを読むと、私の夢心地な気分はすっかり萎れてしまいました。『意味不明』『B級、いやC級映画』『タイトルのメリーゴーランドどこ?w』という言葉が羅列しています。携帯電話を閉じました。
DVDをプレーヤーから出すとテレビを消します。夕食を食べて歯を磨き、ベッドに潜り込みました。もう、寝ましょう。
……やはり、夢は夢なんだわ。私のような思想はそんなに少数派なのでしょうか? 間違っているのは少数派の方だと断定されて、正しいのは大衆?
私にはあまりにも、この世は生きづらい。
違う。間違っているのは世の中の方よ。そんな弱気になってどうするの、私――と気を取り直したところで、眠気が訪れてきました。こうして、私の一日は終わるのです。
そして、また一日はすぐにはじまりました。目覚まし時計の轟音に起こされて、長袖のブラウスとロングスカートに着替え、タイツも忘れずに穿くとアパートを出て駅に向かいました。いつもと変わらない朝です。
改札を通ってホームの混雑に押されつつ、電車へと乗り込みました。車内のうるさい高校生たちに「死ねばいいのに……」と、心の中で悪態を吐いているうちに電車は到着します。駅を出て、行きかう人々の間を縫いながらオフィスがあるビルを目指しました。
オフィスのドアを開けてタイムカードを押せば、注文の受け付けとクレーム処理をこなしていく、いつもと変わらない仕事がはじまりました。
お昼になると女子社員たちの大体が飲食店のランチタイムを狙って出ていきます。私は閑散としたオフィスで一人、コンビニのお弁当を食べました。いつものことです。
お昼が終われば再び電話地獄。運悪く、定時間際になると厄介な電話に引っかかってしまいました。
『サイズが合わなかったから、返品したいのよう』
「お客様、申し訳ありません。一度ご試着されたものは返品出来ません」
お客様、しかもあなたがご注文なさった品物は下着でございます。そのお客様が長々とごねられたせいで、ようやく電話が切れた頃には窓から覗く空が真っ暗になっていました。同僚たちはほとんど残っていません。
本当、死ねばいいです。
アパートの部屋へ帰り、狭い浴槽にお湯を注ぎはじめてから、居間のベッドに寝転がりました。だらしないとは思いつつも、へとへとに疲れていたのです。ふと横を向けば、テーブルに置きっぱなしのDVDが視界に入りました。
明日、返却しにいきましょう。ついでにまた何かDVDを借りてきましょう。幸いにも明日は仕事が休みですから、時間はたっぷりあるのです。映画を見たあとは、お気に入りの少女漫画か小説でも読んで過ごしましょう。美味しい紅茶も淹れて。
ああ、やはり私は夢を見ていたい。今後理想通りの男性と出会える可能性なんて、この汚れた世の中では限りなく低いのでしょうけれど……。あと、出来たらお揃いのハンカチーフを持てるような女の子のお友達も欲しいのです。
どれも叶わなければ、一人で貞淑に余生を過ごすしかありません。寂しいですがそれも禁欲的でいいでしょう……と、色々夢想していたら、疲れからか眠くなってきました。
はっとして飛び起きると、耳に届いたのは水が流れる音。慌てて浴室へと向かいましたが、既に手遅れ……浴槽のお湯は溢れ出していました。ため息を吐きつつ、浸水したタイルを踏んで蛇口を閉めます。
それからゆっくりお風呂に入ると、今夜は夕食も取らずに寝ました。
目覚まし時計の轟音もなく自然に、気持ちよく目が覚めます。いつもより少し遅めに起きた朝。カーテンの隙間から差し込む光が心地いいです。一つ伸びをして、ベッドから下りると顔を洗いにいってから、クローゼットを開けました。
タイツを穿いて、裾に生成りのレースがついたロングワンピースと、胸元がマーガレットのコサージュで飾られたカーディガンを着ます。それからDVDを袋に入れてポシェットに収めると、ウキウキしながら出かけました。
昨日は気怠さから夕食を抜いてしまったので、お腹が空いています。駅の近くまで来ると、そのまま西口から東口へと回りました。横断歩道を渡り、飲み屋さんやらパチンコ屋さんやらが雑然と並んだ道を通り過ぎると、煉瓦風の外壁で作られたレトロなカフェーがあります。私のお気に入りのお店でした。ガラスドアを開ければ黒髪を後ろに束ねてエプロンをした、優しそうな雰囲気の中年の女給さんがにこやかに接待してくれます。
案内されるがまま、観葉植物の飾られた窓際の席に座って、バタートーストのセットを頼みました。付け合わせにはスクランブルエッグと、コーンサラダ。狐色のトーストを一欠片ちぎって食べながら、今日の過ごし方についてあれこれ思い描きました。
食後にセットのコーヒーもいただいて、すっかり満足すると支払いを済ませて外へ出ます。それから駅の西口に戻り、レンタルDVD屋さんへと軽い足取りで向かいました。
非常に哲学的であるが故に低能には理解が得られなかった作品、メリーゴーランドの恋。自動ドアを抜けてレジで返却したあと、素敵な映画を探す為にいつも見ている棚を目指します。
が、思わず歩みを止めてしまいました。棚の前には一人、DVDを取り出してはジャケットを見つめて、戻すとまた別のDVDを取り出してジャケットを見つめて……という動作を繰り返している男性がいたのです。
この棚は純愛映画のコーナーです。こんな真剣そうに漁っている男性は見たことがありません。何となく近寄りがたくて、男性が離れるまで待っていようと様子を見ました。
しかし、男性は一向に離れません。痺れを切らして棚へと寄りました。「純愛ロマネスク」「幼き日の恋歌」「愛の日照り」……様々なタイトルを眺めて、ピンとくるものを探します。
しかし、まったく集中出来ません。隣の男性が気になるのです。いけないとは思いながらも、男性をついちらちら見てしまいました。男性は私の視線に気づくことなく、DVDを漁り続けています。
ムカムカします。でもすぐに話を止めてくれたので、この電話はまだマシな方です。こういう訳のわからない不愉快な電話は長引くと不都合です。間髪入れずに、次のお客様から電話がかかってきますから。
「はい、××コールセンターです。お電話ありがとうございます」
このお仕事は出来るだけ多くの電話を取らなければなりません。品番を聞きながら、目の前のコンピューターにそれを入力していきます。最初の頃は難しく感じたこの作業も、四年勤めた今ではだいぶ手慣れました。
「林田さん、お疲れ様です」
定時後の帰り際に、同僚の女子社員たちから社交辞令な挨拶。私は知っているんですよ? あなたたちが私のことを「暗い」だの「ブサイク」だの陰口叩いていたこと。前にトイレで偶然、耳にしました。おかげで私はあなたたちが去るまで、個室から出られませんでした。
「ええ、お疲れ様です」
しかし、無視する訳にもいきません。挨拶を返します。女子社員たちはそれを聞かぬうちに私に背を向けて、きゃいきゃい騒ぎながらオフィスを出ていきます。騒ぐ声が聞こえなくなってきたところで私はデスクの上のバッグを掴み、オフィスをあとにしました。
ビルから出ると、視界に広がるのは夕闇に染まった街中。駅まで歩き、そこから電車に乗って住んでいるアパートがある駅前まで一駅の距離です。乗り込んだ電車の中では下着が見えそうなほどスカートの短い、二人の女子高生がけたたましく喋っていました。私は「線路に落ちて、電車に轢かれればいいのに……」と、疲れた頭で思いました。
電車が到着したのでホームに降り立ち、駅前へと出てもまっすぐ帰らず、レンタルDVD屋さんへ寄ります。疲労を癒す為に。
探すのは年代の古い、ロマンチックな恋愛映画のDVD。棚に陳列されたDVDのうち「メリーゴーランドの恋」というタイトルのDVDに惹かれて、手に取ってみました。ジャケットにはタイトル通り、メリーゴーランドの睫毛の長いメルヘンチックな馬に腰かけて、微笑む少年と少女。
今夜はこれを見てから寝ましょう。DVDをレジに持っていって、それからようやく家路につきました。
アパート内の階段には、蛾の死骸が転がっていてとても不潔。一回、はらわたを露出したネズミさえ見かけたことがあります。引っ越したいのですが母に仕送りをしている為に、私のお給料は月の生活費でほとんど消えてしまいます。母は最近、ますます心の具合が悪くなってきたようで働くのも難しい状態でした。可哀相に。
時折パチッと音を立てて明滅する蛍光灯に集まっている蛾へ、飛んでこないでよ……と念じながら階段を上り、部屋のドアの鍵を開けて中に入りました。
パンプスを脱いで、きちんと揃えます。それから居間にバッグと、DVDが入った袋を置いて一息ついてからシャワーを浴びにいき、お気に入りのネグリジェを纏いました。
居間に戻ると袋からDVDを出し、プレーヤーにセットします。テレビを点けて、リモコンを手に背の低いテーブルの前へ正座しました。
美しい教会を囲んでいる森の中、かわいらしい子供が二人でピクニックしています。あのジャケットの少年と少女です。どうやら二人は幼なじみらしく、純潔な愛を育んでいるようでした。
少年は生えていた草花で花輪を作って、少女の頭に被せてあげます。二人は無邪気に笑い合うと、その場でチェック柄のビニールシートを広げて座りました。二人はお弁当のサンドイッチを食べながら、愛の哲学を語り合うのです。
少年が言いました。
『アダムとイヴは蛇に唆されたくらいで、禁忌である知恵の実を食べた。そんな誘惑に負けた男女の血を引く僕たち人類の恋愛は、そりゃあ堕落するさ』
少女が顔を手で覆って嘆きます。
『おお、なんてこと! 堕落する前に、あなたを殺してあたしも死にます』
少年が少女を宥めました。
『まあ待ちなよマリア。僕たちが決して知恵の実という名の、赤い姦淫の実を食べなければいいだけの話さ。僕たちは特別でいようよ。肉欲を貪る下賎の民を見下そう。汚いものの中で僕たちだけが光り輝いていれば、いつか神様がアダムとイヴの代わりに、僕たちを楽園へ連れていってくれるさ』
少女が感激しています。
『まあ、ステキ……! 耽美な話ね』
二人の話は一時間以上、続きました。
話を終えてサンドイッチも平らげてしまうと、ビニールシートをかたづけて、それから二人は教会へと入りました。祭壇の十字架に祈りを捧げ、そこで映画は終わります。
私は気づいたら泣いていました。感動。あの少年のような心を持った男性と恋愛がしたい……! と、夢心地なまま携帯電話を手に取って開き、ネットでメリーゴーランドの恋について検索します。
しかしレビューを読むと、私の夢心地な気分はすっかり萎れてしまいました。『意味不明』『B級、いやC級映画』『タイトルのメリーゴーランドどこ?w』という言葉が羅列しています。携帯電話を閉じました。
DVDをプレーヤーから出すとテレビを消します。夕食を食べて歯を磨き、ベッドに潜り込みました。もう、寝ましょう。
……やはり、夢は夢なんだわ。私のような思想はそんなに少数派なのでしょうか? 間違っているのは少数派の方だと断定されて、正しいのは大衆?
私にはあまりにも、この世は生きづらい。
違う。間違っているのは世の中の方よ。そんな弱気になってどうするの、私――と気を取り直したところで、眠気が訪れてきました。こうして、私の一日は終わるのです。
そして、また一日はすぐにはじまりました。目覚まし時計の轟音に起こされて、長袖のブラウスとロングスカートに着替え、タイツも忘れずに穿くとアパートを出て駅に向かいました。いつもと変わらない朝です。
改札を通ってホームの混雑に押されつつ、電車へと乗り込みました。車内のうるさい高校生たちに「死ねばいいのに……」と、心の中で悪態を吐いているうちに電車は到着します。駅を出て、行きかう人々の間を縫いながらオフィスがあるビルを目指しました。
オフィスのドアを開けてタイムカードを押せば、注文の受け付けとクレーム処理をこなしていく、いつもと変わらない仕事がはじまりました。
お昼になると女子社員たちの大体が飲食店のランチタイムを狙って出ていきます。私は閑散としたオフィスで一人、コンビニのお弁当を食べました。いつものことです。
お昼が終われば再び電話地獄。運悪く、定時間際になると厄介な電話に引っかかってしまいました。
『サイズが合わなかったから、返品したいのよう』
「お客様、申し訳ありません。一度ご試着されたものは返品出来ません」
お客様、しかもあなたがご注文なさった品物は下着でございます。そのお客様が長々とごねられたせいで、ようやく電話が切れた頃には窓から覗く空が真っ暗になっていました。同僚たちはほとんど残っていません。
本当、死ねばいいです。
アパートの部屋へ帰り、狭い浴槽にお湯を注ぎはじめてから、居間のベッドに寝転がりました。だらしないとは思いつつも、へとへとに疲れていたのです。ふと横を向けば、テーブルに置きっぱなしのDVDが視界に入りました。
明日、返却しにいきましょう。ついでにまた何かDVDを借りてきましょう。幸いにも明日は仕事が休みですから、時間はたっぷりあるのです。映画を見たあとは、お気に入りの少女漫画か小説でも読んで過ごしましょう。美味しい紅茶も淹れて。
ああ、やはり私は夢を見ていたい。今後理想通りの男性と出会える可能性なんて、この汚れた世の中では限りなく低いのでしょうけれど……。あと、出来たらお揃いのハンカチーフを持てるような女の子のお友達も欲しいのです。
どれも叶わなければ、一人で貞淑に余生を過ごすしかありません。寂しいですがそれも禁欲的でいいでしょう……と、色々夢想していたら、疲れからか眠くなってきました。
はっとして飛び起きると、耳に届いたのは水が流れる音。慌てて浴室へと向かいましたが、既に手遅れ……浴槽のお湯は溢れ出していました。ため息を吐きつつ、浸水したタイルを踏んで蛇口を閉めます。
それからゆっくりお風呂に入ると、今夜は夕食も取らずに寝ました。
目覚まし時計の轟音もなく自然に、気持ちよく目が覚めます。いつもより少し遅めに起きた朝。カーテンの隙間から差し込む光が心地いいです。一つ伸びをして、ベッドから下りると顔を洗いにいってから、クローゼットを開けました。
タイツを穿いて、裾に生成りのレースがついたロングワンピースと、胸元がマーガレットのコサージュで飾られたカーディガンを着ます。それからDVDを袋に入れてポシェットに収めると、ウキウキしながら出かけました。
昨日は気怠さから夕食を抜いてしまったので、お腹が空いています。駅の近くまで来ると、そのまま西口から東口へと回りました。横断歩道を渡り、飲み屋さんやらパチンコ屋さんやらが雑然と並んだ道を通り過ぎると、煉瓦風の外壁で作られたレトロなカフェーがあります。私のお気に入りのお店でした。ガラスドアを開ければ黒髪を後ろに束ねてエプロンをした、優しそうな雰囲気の中年の女給さんがにこやかに接待してくれます。
案内されるがまま、観葉植物の飾られた窓際の席に座って、バタートーストのセットを頼みました。付け合わせにはスクランブルエッグと、コーンサラダ。狐色のトーストを一欠片ちぎって食べながら、今日の過ごし方についてあれこれ思い描きました。
食後にセットのコーヒーもいただいて、すっかり満足すると支払いを済ませて外へ出ます。それから駅の西口に戻り、レンタルDVD屋さんへと軽い足取りで向かいました。
非常に哲学的であるが故に低能には理解が得られなかった作品、メリーゴーランドの恋。自動ドアを抜けてレジで返却したあと、素敵な映画を探す為にいつも見ている棚を目指します。
が、思わず歩みを止めてしまいました。棚の前には一人、DVDを取り出してはジャケットを見つめて、戻すとまた別のDVDを取り出してジャケットを見つめて……という動作を繰り返している男性がいたのです。
この棚は純愛映画のコーナーです。こんな真剣そうに漁っている男性は見たことがありません。何となく近寄りがたくて、男性が離れるまで待っていようと様子を見ました。
しかし、男性は一向に離れません。痺れを切らして棚へと寄りました。「純愛ロマネスク」「幼き日の恋歌」「愛の日照り」……様々なタイトルを眺めて、ピンとくるものを探します。
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