上 下
19 / 44

【第19話:力が抜ける魔法】

しおりを挟む
 マズい。平民が馬鹿にされてマリンが怒るのは、俺のことを思ってくれてのことだ。
 こんなことでマリンに迷惑をかけちゃいけない。

「なんですって? 私は……」
「は? なんだ?」

 ヤバい!
 もしかしたらマリンはキレて、身分を明かそうとしてるのかも!?

「まあまあ、マーちゃん落ち着いて!」

 俺はマリンの両肩に手を置いてなだめた。

「え? ま、マーちゃん?」

 きょとんとするマリンの耳元で、「マリンの身元がバレないようにさ」と囁く。

「なるほどね。わかったわフー君」

 おかしそうにフッと笑って、マリンは少し落ち着いたようだ。
 それにしても、高嶺の花からフー君なんて呼ばれたら、背中がむず痒いな。

 それはさておき、さあどうすべきか。
 このまま俺たちがこの店を出れば、穏便には済ませられる。そうしようか……

「そういうことだ。黙っておけばいいんだよ、このクソビッチ」

 痩せた貴族の男が、吐き捨てるように言った瞬間。
 俺は無意識に立ち上がって男の目の前に立っていた。

「今の発言、取り消してください。そして彼女に謝ってください。俺のことはともかく、彼女を侮辱するのは許せない」

 ことを荒立てないよう、落ち着いた口調で訴えた。
 俺の突然の行動に、マリンは目を丸くしてる。

「は? お前が自分の女をちゃんと教育しとかないからこうなるんだ」

 マリンは俺の女ではない。
 だけど今は、問題はそこじゃない。

「もう一度言います。俺のことはともかく、彼女を侮辱するのは許せない。今の発言、取り消してください。そして彼女に謝ってください」
「生意気なんだよお前」

 貴族の男も椅子から立ち上がった。ガタンと鳴った椅子の音が、男のいら立ちを表しているようだ。
 そしてヤツは乱暴に、片手で俺の襟首を掴んできた。
 やばい。こんなところでケンカになったら、お店にもマリンにも迷惑をかける。

 俺は男の手首を握り返して、咄嗟に魔法を詠唱した。

力が抜ける魔法エルシャーフン

 俺の弱っちい魔法では大した効果は望めないけど、それでも少しは男の力を緩めるくらいには役立つはずだ。

「ふにゃうふ……」

 なんだかとても気の抜けた声を発して、男は腰砕けになり、崩れるように椅子に座った。

 あれ? もしかして結構効いてる?
 なんで?

 ──あ、わかった。
 この人、魔法の影響を受けやすい体質なんだ。しかも貧弱な身体を見るに、体力不足で抵抗力が弱いんだろう。

「た、助けて……くれ。力が……入らん」
「ちゃんと謝ってくれたら解除しますよ?」
「なん……だと? 俺が貴様ごとき平民に……」
「じゃあいいです。このままほっといて帰ります。あなたはそのうち、弛緩した下半身からおしっこを垂れ流すでしょうけど。うわ、カッコわるぅ」

 そんなことになったらお店に迷惑がかかるから、ほっといて帰るなんてしないけどね。

「ぐがっ……ま、待て。謝る。謝ればいいんだろ?」
「そういう気持ちの入ってないこと言われてもね。それに謝るのは俺にじゃなくて、彼女に」
「わ、わかった。ちゃんと……反省して謝る。お嬢ちゃん。……酷いことを、言って悪かった。申し訳ない」

 殊勝な顔つきだし、一応反省してるようだ。

「いいかなマーちゃん?」
「ええ。いいわよフー君」

 何度呼ばれても慣れないな、フー君。照れるぞ。

効力を解く魔法ニチ・ルクサム

 手を男の頭上にかざして、解除魔法を発動。
 上手くいくか不安だけど……まあ、一応自信満々なフリをしておこう。

「う……う、動いた」

 うん、上手くいったようだ。セーフっ!
 今日は運がいい日なのかもな。
 痩せ男は俺をじっと見つめて、なにやら言いたげだ。

「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。俺はもう帰る」

 男は席を立って、去っていった。
 どうやらまだ文句を言いたかたったけど、諦めたって感じ。

「フウマ……ありがとう。あなたって、ホントすごい人ね」
「別にそんなことないよ。たまたま上手くいっただけだし」
「フウマって凄いだけじゃなくて、謙虚なところも凄いわ」
「いや、だから。それは買い被りすぎだって」

 マリンがすごくキラキラした目で絶賛してくれるものだから、背中がむず痒くて仕方がない。

「あなたが機転を効かせてくれなかったら、大ごとになっていたわ」
「いやいや、こちらこそありがとうだよマリン。キミが腹を立ててくれたのは、俺を思ってのことだろ?」
「え、ええまあ。でもああいう貴族の権威をカサにかける人は大嫌いなの。ましてや貴族と平民で貴賤を付けるなんて大嫌い。単なる役割の違いのはずよ。少なくともこのクバル領においては」

 マリンはメガネと帽子で変装をしているけど、それでも相当立腹してるとわかるくらい、悔しげな口調で捲し立てた。

 やっぱマリンって人格者でとてもいい人だ。

「ありがとうマリン。この地の三大貴族の一つが、マリンのような人でよかったよ」
「……え? いえ、私はそんな偉そうに思ってるわけじゃないわ」
「うん、わかってる。ただシンプルに、マリンはすっごくいい人。そういうことだ」
「フウマがそう言ってくれるなら……嬉しいわ」

 なぜか視線を落として、ちょっと消え入りそうな声になるマリン。
 その時、ちょうど注文した料理が運ばれてきた。
 立ち上がる湯気と香ばしい香りが食欲を直撃する。

「さあ、食べましょうフー君!」
「まだその呼び方続けるの?」

 もう痩せ男は帰ってしまったから必要はないのに。

「ええ、そうね。なんだか気に入ってしまったの」
「そう。まあいいけど」
「フー君もこれからもマーちゃんと呼んでね」
「いや、ダメだよ」
「なぜ?」
「恥ずかしすぎる」
「すぐ慣れるわ」
「あ、うん……そうかもしれないけど」

 俺みたいな平民が三大貴族のご令嬢をマーちゃん呼びなんて、失礼過ぎてホントはやるべきじゃないんだろうけど……
 マリンがあまりに楽しそうなので、これ以上否定しにくいな。

「ほら、早く食べましょう。せっかくの料理が冷めてしまうわ」
「あ、ああ。そうだね」

 それから二人で食事をした。
 バカ旨かった。

 料理の腕がいいのもそうだし、何より向かいに座るマリンがいつもより、キラキラした笑顔をずっと振りまいていたから。

 メガネをしててもわかるくらい、楽しそうな顔をしていたから。
 だからなお一層、美味しく感じたってのもある。

 そして食事も終えた頃。
 マリンは『お礼』という義理は果たしたのだし、これで解散かと思いきや──

「ねえ、フー君。ちょっと色々街歩きしない?」

 そんなふうに誘われたのだった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【完結】前世の因縁は断ち切ります~二度目の人生は幸せに~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:77,319pt お気に入り:4,606

【完結】お世話になりました

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,001pt お気に入り:3,376

三百年地縛霊だった伯爵夫人、今世でも虐げられてブチ切れる

恋愛 / 完結 24h.ポイント:71pt お気に入り:115

処理中です...