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第8章

(19)就活惨敗女子

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【手塚美空の場合】


 今日は雨宮くんのミュージカル本番の日だった。

 とても楽しみで、私は普段よりも随分と早くに目が覚めた。ウキウキとした気分で服を選び、自分が持っている服の中で一番上品なワンピースを選んだ。高校時代の恩師の真田先生と一緒にミュージカルを観劇する約束をしているからだ。

 昨日、頑張ってねと送ったメッセージに、雨宮くんは自信に満ちた返事をくれた。

 ──楽しみにしててよ。

 その文字を眺めながら、私はもう一度心の中でエールを送る。

 楽しみにしてるね。
 頑張ってね。

 高校生の頃は雨宮くんに対して特に思う事は無かったけれど、再会してからの彼には胸がドキドキと高鳴ってしまう。

 何が違うのかなと思った時、目が、違うような気がした。もちろん造形の事ではなく、瞳の中にキラキラとした強い意志の光が見えたのだ。

 この感情は……。

「憧れかな? それとも」

 恋を、しているのだろうか。
 そう思うと途端に顔が熱くなった。

「変に意識しちゃいそうだから、今、考えるのはやめよう」

 顔を合わせた際にぎこちなくなってしまうのが嫌で、私は頭を切り替えようとスマートフォンでSNSをチェックする。

「え?」

 そのトップ画面で、ある動画がもの凄い勢いでバズっているのを発見した。

「えっと…………、これって」

 その動画は、雨宮くんが黒猫の前で歌をうたっているものだった。彼の方は後ろ姿のみでほとんど映っていないし、顔も見えていない。けれど私には、それが彼だとすぐに分かった。


「雨宮くんと、ラッキーキャットさんだ!」


 投稿動画のサムネイルには、
【ラッキーキャット様を追っていたら、とんでもなく『歌うま』な人が歌ってる所に遭遇した。神過ぎ!】
 と、記載されている。


 アカウント主はラッキーキャット好きな女性のようで、ラッキーキャットを見かけたら動画を撮って投稿しているようだった。
 アカウントのフォロワーは全てラッキーキャット好きな人らしく、かなりの数字だ。コメント欄にも、たくさんの記入があった。

【ラッキーキャットがうっとりした顔してる。神の歌声だな】
【ラッキー様が聞き惚れてるの可愛い! この男性は一般の人? プロ?】
【ミュージカルっぽい曲調。舞台俳優かな?】
【この演目は!! バンパイアとハンターの物語で、二人のブロマンスな関係性が腐女子の私にはたまらない展開だったはず!】
【本当に良い声だな。直近でこの演目をやってる舞台を探せば、どこの劇団の人か分かるか?】

 フォロワーの間で、雨宮くんの歌声が話題になっている。

「すごい」

 そして私も、初めて聴く彼の歌声に一瞬で引き込まれていた。急いでイヤホンを用意して、音量を上げじっくりと聴き入る。

 話す時の声は、男性の中では高い方だと思っていた。歌声は、その澄んだ高音と、深く厚みのある低音も魅力的だ。

「こんなに、音域が広いんだ」

 短い動画を、何度も何度も繰り返し見る。

「素敵……」

 動画に映るラッキーキャットと同じで、うっとりとしてしまう。

 これは、雨宮くんにとってチャンスなのではないだろうか。その歌声の主は『劇団七年生』に所属の雨宮圭吾だと伝えたい。

 けれど勝手に正体を明かす訳にはいかないし、本番当日の朝に連絡をするのも演者の集中を邪魔するようで気が引ける。

「どうしよう。……そうだ、真田先生に相談してみよう」

 私は真田先生にその動画を送り、意見を聞く事にした。そして先生と相談した結果、やはり雨宮くん本人の判断に任せた方が良いという事になり、私はその動画のURLを雨宮くんに送った。

 ──教えてくれて有り難う!

 雨宮くんからは、すぐに短い返信がきた。
 彼は、どうするのだろう。



 *



 その会場は、小さなライブハウスにパイプ椅子を並べただけの簡易舞台が作られていた。彼が所属する劇団七年生は、そんな少ない座席にも空席ができてしまう程の弱小劇団らしい。

 しかし今日は席が埋まり、パイプ椅子の後ろのスペースを立見席として開放している。立ち見のお客さんも多く入っていた。

 先程少しだけ顔を合わせる事ができた雨宮くんから事情を聞くと、今年劇団を卒業した先輩の中にラッキーキャット信者がいて、あの動画投稿主と相互フォローの関係だったらしく、『劇団七年生の公演が今日ある』という情報のみ、急いでコメント欄に記入したとの事だった。

 恐らくそのコメントを見た近場の人が、当日券を買い舞台を見に来てくれたのだろう。

 劇団にもSNSアカウントがあり、今までたくさんの動画を載せてはいたけれど、フォロワーが少なく全く広まらなかったらしい。
 それが、ラッキーキャットのお陰でようやく人の目に触れる機会を得た。

 ラッキーキャット信者の先輩、曰く。
『やっと、やっと、雨宮が世間に見つかった!』
 との事らしい。

 私も嬉しくなって、自分の席からもう一度じっくりと、人が埋まった座席と立見席を見渡した。
 もうすぐ、幕が上がる──。
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