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第4章

(10)死神

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 そして、とばり珈琲店--。


 私は閉店後に清掃業務に励んでいた。
 帳さんと話をしながら、テーブルに消毒液を吹きかけ丁寧に拭いていく。

「老婦人の小町さんと、就活女子の美空さんの前にやって来たのは、この名前が嫌いな初音さんと夢を諦めた真島さんだったのですね」
「はい。彼らが今後は更に深く関わっていき、皆さんの人生が幸せな未来へ動き出していきます」
「それは、ますます死神さんにはお気の毒な展開で、ワクワクしますね!」

 嬉しそうな笑顔のマスターを見て、やはりこの人はお気の毒な相手に対する反応が間違っていると私は思った。

 その後も、帳さんと雑談しながら掃除の手を進めていく。
 まだ拭いていないテーブルに比べ、磨き上げたテーブルは表面がキラキラとした光沢を放っており、目に見えて掃除の成果を実感する事ができた。

「帳さん、見てください! 私の拭いたテーブルが、こんなに美しくなりました」
「素晴らしいですね」

 褒められると、なんだか得意げな気分になる。

 死神の世界もそうだけれど、恐らく人間の日々の暮らしの中でも、努力した成果がすぐに得られる行為というのは意外と少ないように思う。

 ダイエット・勉強・スポーツ・仕事など、長く努力を続けても、成果が出ない事が沢山あるのに対し、掃除はやった瞬間からやった分だけの成果を得られた。

「私は、案外掃除が好きかもしれません」

 失敗続きだった私にとって、目に見える成果というものは、思いのほか嬉しく楽しいものだったのだ。

「では、テーブルの後は床をお願いします」
「床は何を使って掃除をすればいいのですか?」
「こぼれた食べ物カスや埃などが落ちているので、まずは軽く掃いて、それからモップで水拭きします」
「モップ!」

 私は声を弾ませた。

「モップが、どうかしましたか?」

 帳さんが不思議そうに首を傾げている。

「実はこちらの世界に来たばかりの頃に、モップに乗って空を飛ぶ魔女さんの物語を拝見したことがあり、モップに多大な尊敬を抱いていました」

「モップに?」
「はい」
「魔女にではなく?」

 そう問われて私は考える。

 確かに尊敬を抱くなら、モップではなく、魔女の方であるような気がする。

「と、帳さん! 私は今まで、尊敬の対象を間違えていたかもしれません!」

 そんな死神の返答に、帳さんがまた「フハッ」と吹き出した。

「尊敬の対象を……間違える事なんて……あるん、です、ね」

 涙がでるほど笑って上手く話せないのか、ところどころ言葉が詰まっている。そこまで笑わなくてもいいのにと、私はむくれながら言葉を返す。

「あるんだから、仕方ないじゃないですか」
「拗ねないで下さいよ」
「拗ねてません!」

 強く否定してから、プイッと視線を逸らす。

「フフッ。その態度を拗ねていると言うのですが……。まぁ、今回は僕が先に折れることにします。死神さん、たくさん笑って申し訳ありませんでした。お詫びに明日の朝食をごちそうしますよ」

「え! 本当ですか?」
「はい。なので機嫌を直して下さいね」
「はい! …………あ。べ、別に、拗ねていた訳ではありませんが。せっかくなので、帳さんの謝罪を受け入れようと思います」

 私がそう言うと、帳さんがニヤけながらうなずいた。

「その顔! 何度も言いますが、決して、私は拗ねたりなんかっ」
「承知してますよ」
「先程から承知してない顔で笑ってらっしゃいますが」
「ひどいですね。顔にケチをつけられたのは人生で初めてです」
「私がケチをつけたのは、顔ではなく表情にです!」
「傷つきましたー。あー、胸が張り裂けそうだ」
「嘘だ。太陽が西から登るより、嘘だ!」

 途中から私も可笑しくなり、笑いが込み上げてくる。
 そのまま帳さんとくだらない事で言い合いをしつつ、私は箒で床を掃き、そしてモップで丁寧に水拭きしていった。

 ふと珈琲店の壁掛け時計に目をやると、短針が一番高い位置を示していた。

「え? もう、こんなに時間が経っていたんですね」

 体感的には、まかないの夕食から今まで、一瞬の出来事だったように思える。私が不思議に思っていると、帳さんが問い掛けてきた。

「死神さん、知っていますか?」
「何をですか?」
「楽しいと、時間の流れを早く感じるんですよ」
「え?」

 楽しいと、時の流れが早い。
 友人のいない私にとって、感情で時間の体感が変わるなど、そんなこと想像もしていなかった。

 不意に、小さな不安が胸を突く。
 うつむいて恐る恐るたずねてみた。

「あの……。帳さんは……、帳さんも早いと、感じましたか?」

 友達の定義は知らない。友達の証も知らない。もっと言えば、友達と知り合いの境界線すら、私には分からない。

 だから不安だった。
 帳さんが、どんな風に感じていたのか。

「あっと言う間でしたよ」

 その言葉に、弾かれたように顔を上げる。

「とても、早く感じました」

 目を細めて微笑んだ帳さんに、私も心からの笑みを浮かべたのだった。
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