十王閻魔帳

平 和泉

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第5話

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「ここまで来れば大丈夫だろ」

ようやく足を止めたため、周囲を見回せば……

「ほんっっっっとうにお前は戦えない奴がどうして夜に歩き回ろうとするんだ!」

いきなり陸奥に怒鳴られた。

「特に最近の夜は物騒なんだ。俺がいたからよかったものの、お前ひとりならすぐに奴らの餌になっていたぞ!」
「あなたがいたから夜の外に出ようと思ったんだ。そもそも私ひとりだったら出ていない」

そう言えば、陸奥はそれ以上の言葉を飲み込んだようだった。
握っていた拳をゆるゆると開き、大きなため息をつく。

「そうか」
「それで……邸に戻るとしても結構走ったから、だいぶかかるだろう?」

彼をじっと見つめながらそう問いかける。
走っていた時から思っていたのだが、陸奥のことを知っているような気がしていた。
だが顔を見ても記憶にはない。

「どうした? 俺の顔に何かついているのか?」
「いや………」

首筋にひやりとしたものが触れたのはその時だった。
怖気を感じ、反射的に振り返る。

「気付いたか」
「な、んだ……この気配…」

これまで感じたことのない、得体のしれないものの気配。
生唾を飲み込む。

「あれはお前の近くにずっといたぞ。…………お前が生まれる前からな」
「生まれる前から…?」

どういうことだと問いただそうとした直後、その気配の主が闇の中から滲み出すように現れた。
それは鼠の姿をしていたが、牛車に匹敵するほどの大きさだった。

「ようやく姿を現したか」

陸奥が太刀を抜き払う。
鞘走る音が静まり返った夜の空に散ってゆく……

「………静かなる夜を乱す魑魅魍魎・鉄鼠よ。俺が貴様に死という眠りを与えてやる」

そして構えると、一足飛びに鉄鼠の間合いに入る。
横なぎに薙ぎ払えば、巨体が地面にどう、と沈み込んだ。

「都を騒がせた罪は閻魔が裁く。が、会わせてやれるほど俺はお人よしではない。貴様はここで散れ」

太刀を鞘に納めれば、鉄鼠の姿が塵となって霧散した。

「お前の魂の香りに魅かれて集まってくる魑魅魍魎はあとどれだけいるんだろうな」
「…………」

その言葉にぞっとした。

「襲われる原因が私なら邸からでなければいいのか?」

咄嗟にそう問いかければ、

「もう遅い」

そう切り返されてしまう。

「お前が今夜、外に出たことで【標的が都にいる】ことが確実にばれた。これからは邸に引きこもっていても夜になると襲撃してくるだろうな」
「じゃあどうすればーーー」
「それはお前自身が考えることだ。俺にできるのは手助けだけ」

ひとまず戻るぞ。
その言葉に、素直に体が従った。
足がゆっくりと前に出る。

「……私は武器を持ったことはない」
「知っている。俺が知っている男も武術はからきしだった」

先を歩く陸奥の言葉に、うつむいていた視線を上げる。
彼は自分の視線に気づいているのだろうが、振り向かないまま言葉を紡いでゆく。

「武器を持たされても、自分は殺したくないと言っていたな。殺さないと自分が殺されるっていうのに」
「…………それは…」

誰なのだろう。
純粋に興味がわいてきた。

「だれーーー」

脳裏によぎったのは古い記憶。
ところどころが擦り切れてしまっているのか、ぼやけているところもある。
だが。




それは確かに【自分】の記憶だった。
向こう岸が見えないほど広大な川が見える。
そのほとりに佇んでいると、傍らに誰かが立った。

「根を詰めるな」

こつん、と後頭部を軽く叩かれる。
声は遠く、まるで何かを隔てているかのように聞こえ、本当の声がどんなものだったのか判断できない。

「お前は一人で頑張りすぎる。もっと周囲を頼れ」
「…………」
「倒れたのは今回だけではないだろう」

どうやら過去に何度か倒れたことがあるような口ぶりだ。
だが、この景色もなにもかもが自分の記憶にあるものではない。
ではこれは【誰】の記憶なのだろう。
ふと手元へと視線を落とせば、そこには何者かの傷つき消えかかった魂魄があった。

「人の魂は傷つきやすい。誰かが救い上げなければ…この者のように消えてしまう」

見る間にそれは形を崩し、消えてゆく。
つきん、と痛みが胸に走る。

「ひとつひとつの魂魄を救ってやれるほどお前は暇ではないだろう?」
「…………」
「そしてそれをすればどうなるかも……わかっているはずだ」

徐々に声が遠くなってゆく。
反対に別の声が自分を呼んでいるのに気付いた。

「おい!」

ああ、戻ってきたのかとぼんやりしていた頭をゆるゆると振りかぶる。

「急に立ち止まったりしてどうした」
「…………覚えのない記憶の夢を見ていた」

そうとしか言えなかった。
自分も何を見ているのかわからなかったからだ。
ただしひとつ言えることがある。
それは自分が【自分も知らない別の記憶を持っている】ということだ。

いつの記憶かはわからない。
それでも、それが自分の記憶だと納得している自分がいる。

「そうか」

別に驚いていないのか、陸奥は表情を変えずにいた。
そして再び歩き出す。
夜の闇は昏い。
恐怖を感じる反面、心地よいと感じている自分がいた。
それはなぜなのだろう。
血のように赤黒い空を知っているからだろうか。

「私は…………誰、だ?」

思わずぽつりと呟いた言葉は、闇夜に静かに広がっていった。
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