十王閻魔帳

平 和泉

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第3話

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翌日からも夜間に調べ物をしているときに限って、それは自室の前に現れた。
だが何も悪さをすることもなく、ただじっと自分を見つめているだけなので、次第に明壽は慣れていった。

「…………だからといってもなあ…」

じっと見られているのもなかなかに気力を削がれるものだ。
そしていい加減、この状態も飽きてきた。
今夜、現れたら声をかけてみようか。
そんなことを考えた。

「たぶんおそらくきっと襲ってきたりはしないだろうし」

そうだ、そうしよう。

「どうかされましたか? 藤原大丞たいじょう殿」

どうやら呟きを聞かれてしまったようだ。
振り返れば、大量の書籍を抱えた青年と目が合った。
彼はこの部署で働いている藤原少輔しょうである。
位としては五位上である彼の方がわずかに上なのだが、気さくな態度から入省直後よりよくしてもらっている。
ちなみに彼は本家筋の次男なのだそうだ。
さてそれはさておき。

「もしかして昨日の騒ぎのことですか?」
「昨日……ああ、確か夜更けに猪が、今度は宮中に入り込んで人を襲ったという話ですか」

そういえば、と思い出す。
猪が門の警備をすり抜けて宮中に侵入し、たまたま宿直であった小野何某が襲われて足に怪我を負ったらしい。
当の猪は行方をくらませたままいまだ発見されていないという。

「そのように言われるということは、猪の件ではありませんね」
「まあ……そんなところです」

ははは、と言葉を濁しておく。

「少丞は遅番でしたか」
「はい」

どさりと自席の傍らに書物を置く音がする。

「まだ猪が見つからないそうですから十分に身辺に注意してください」
「そちらもお気をつけて。……ただし、お互いに武の心得はからきしですからね」

冗談のごとく少丞が言い、どちらともなく笑う。
そして明壽は省を後にしたのだった。





この日はたまたま頼孝が宿直であったため、従者一人だけを連れて邸へと戻ろうとしたのだが。

「これはこれは藤原大丞殿ではありませんか」

聞き覚えのない声に振り返れば、自分より官位の高い男がその後ろにぞろぞろと供を連れてこちらへと歩いてくるのが見えた。
官位の高低は色でわかる。
彼が纏っている束帯の色は深緋であるからして四位のどなたかだろう。
さて、誰だったか。
それはともかく、自分の方が低位のため正面に向き直って深々と頭を下げる。

「ああ、そのままで」

慌てた声を聞きながら、そういえば顔は一度だけだが見たことがあるな、とこの時になって思い出した。

「父君にはよく世話になっている。その礼といってはなんだが…君の昇進の手伝いをさせてもらいたいがよろしいかな」

顔を上げた先の男…平右大弁が持っていた笏を口元に当て、うっそりと笑みを浮かべながらそう問いかけてきた。




またこれか。



入省してからこのようなゴマすりが多い。
理由としては親世代よりも自分が取り入りやすいからだろう。

「その話は入省したての私にはわかりかねますので、父に伝えておきます」

何度同じ文言を同じように伝えただろうかと考えながら断りを入れ、さっさとその場を立ち去った。
後ろで何かを言っていたが、それも併せて父に報告しておくべきだろう。
ちらりと従者へと視線を向ければ、もう心得たものなのか彼は大きく頷いたのが見えた。

「お名前は既に記憶しております」
「助かる」

急ぎ足で門を出、帰途に就く。
仕事は大概が昼前には終わり、太陽が真南に来る頃には邸で食事をとっている頃なのだが、今日に限っては少々立て込んでいたこともあり、かなり出遅れた。
遅いのを心配した従者が邸に立ち戻って強米を握って差し入れてきたほどだ。
空を見上げれば、既に夕焼け空で、次第に周囲は薄暗くなってきた。

「若様。お気を付けください」

突然、従者が前へと出た。
すらりと太刀が鞘から抜かれ、その時になってようやく少し向こうに何者かが佇んでいるのに気付く。
あちらも既に抜刀しているのか、刀が太陽を反射してギラギラと不気味に光っている。

「何者だ!」

誰何の声を発するが、答えない。
答えない代わりに【それ】はゆらり、ゆらりと人間の普通の歩き方では考えられないような動きで上体を大きく揺らしながらこちらに歩いてくる。

「逢魔が時……」



お前は襲われたら対処できないだろうから夕方は十分に気をつけろ。



頼孝にそう言われたことを思い出す。
それは単に夜盗に気をつけろというだけではないのだといまさらながら気付いた。
だがもう遅い。
何か武器はないかと目の前の【それ】から一瞬目を離した次の瞬間だった。
【それ】が駆けた。
気付けば従者が倒され、懐深くに入られていた。

「ちっっ」

迫る白刃を必死に身をよじらせてよけようとするものの、間に合わなかった---。





夢を見た。
見渡す限りの荒野に広い川。
そのほとりに佇んで川向こうをじっと見つめている自分。

「そろそろお前の言う【その時期】だろう?」

懐かしい声の主がそう問いかけてくるのに、自分は頷くだけにとどまった。

「しばらくはあちらもこちらも忙しくなるな」

ほう、と大仰にため息をつくのは彼のいつもの癖だ。
苦笑を漏らし、身を翻す。





目を覚ました時、そこはあの世でもなく、ましてや襲撃された場所でもなかった。
自室の文机の前に座っていたのだ。
どういうことなのだろうかと先ほどまでのことを思い出そうとするが意識が飛んでいたのか思い出すことができなかった。
ともに襲撃された従者に聞くべきかと、自室を出て従者がいる棟へ向かった。
ようやく彼を見つけて話を聞いてみれば、どうやら自分が果敢にも立ち向かったと言うではないか。
既にその場は自分の武勇伝でもちきりだった。
その後、父に呼び出され事の次第を聞かされた。
遭遇したのは人ではなく、最近よく出没する【物の怪】と呼ばれるモノだったらしい。
らしい、というのも、【それ】が生きている人間ではなかったからだ。

「難しい話は取り扱っている陰陽頭殿に物忌が明けてから聞くといい」

明日からお前は物忌だから外に決して出るな。
最後にそう言われ、しぶしぶ自室に引き上げてきた。
元服してから書き記している日誌に今日の出来事を書き込んでいく。



記憶のない間に自分は何をしたのだろうか。



聞く限りでは従者も驚くほどの大立ち回りをしたらしい。
これまで武芸というものをしたことがない自分が、だ。

「…………」

僅かにこめかみが痛む。
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