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第1話
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春の風が心地よい日。
ここ二条にある藤原の邸では、元服の儀が盛大に執り行われていた。
藤原といっても直系ではなく、本家から分かれた分家の家柄である。
その本家から目を掛けられている若君が今回の主役だった。
二の君と呼ばれていた若君は、名を明壽と改め、宴席の中心に座していた。
我も我もと下心が見え見えの者たちを相手にして流石に疲れてきたのが分かったらしく、本家の当主自ら明壽に下がるよう声をかけてきた。
「今をときめく分家の若君にお近づきになりたくて声をかけてくる連中が多かっただろ」
ほうほうの体で御簾をくぐって自室へと入ってきた明壽に声をかけてきた者がいた。
乳兄弟の源頼孝である。
彼は既に元服を済ませ、現在は近衛として宮中に出仕している身だ。
確か今日も出仕していたはずだが。
「権中将様が気を利かせてくれたんだ。宴で疲れてるだろうから労ってやれって」
どうやら顔に書いているのを読まれたようだ。
「ほら、いいから少し休め」
何かを放り投げてきたのを慌てて両手で受け取れば、それは衾だった。
「そうさせてもらうよ」
ふあ、と欠伸を噛み殺しつつ床にゴロンと寝転がるとそのまま目を閉じればすぐに意識が霧散した。
自分には五つ離れた弟がひとりいる。
そして二つ年上の兄もいたらしい。
らしいというのは、記憶がないからだ。
五年ほど前に突如として押し入ってきた夜盗に殺されたと母から聞かされた。
兄と私は仲の良い兄弟だったそうだ。
当時も兄弟そろって眠っていたところを襲われ、兄は私を庇ったらしい。
それを目撃してしまい、その衝撃からか記憶を失ってしまったのだろうとのことだった。
乳兄弟の源頼孝はもともと兄の乳兄弟だった。
兄の急死により乳母は邸を去らなければならなかったのだが、私が記憶をなくしてしまったのを知り、頼孝を傍に…と願い出たらしい。
それからは頼孝とともに育ってきた。
「おい二の君、夕餉だぞ」
呼びかけられて目を覚ませば、既に日は傾いていた。
「やっぱり相当に疲れてたみたいだな」
はは、と頼孝が笑うが、まあその通りなので放っておく。
それよりも。
「明壽だ」
「名を改めたか。明壽………いい名だな」
素直に喜んでくれる。
「兄君もきっと喜んでるだろう」
「………だといいが」
自分には兄の記憶はない。
だからなのか、頼孝が兄の話を出すたびに言い知れぬ何かが心に吹くのを感じる。
その時だ。
とたとたと軽い足音が近づいてきた。
「あにうえさま」
入ってきたのは五つになる三の君。あどけなさの中にもしっかりとした芯の強さが垣間見える弟だ。
「どうした?」
「ほんじつはげんぷくのぎ、まことにおめでとうございまする」
ぺたんと床に座って、深々と頭を下げた。
大人顔負けの口上には驚いたが、おそらくは乳母や周辺の女房達が教え込んだのだろう。
「きょうはわたしもおふたりとゆうげをとりたいです」
「と言ってもな……」
ちらりと頼孝から視線を送られ、さてどうするかと思案した。
おそらく弟は自分で決めてここにきたのだろう。
「母上様はご存じか?」
ちなみに自分と弟は母が違う。
亡くなった兄と自分は同腹で正妻の子供だが、弟は父と次に迎えた妻との間にできた子供だ。
既に自分の母は亡くなっているため、いまはその次に迎えた妻が家のすべてを取り仕切っているわけなのだが。
「はい。おつたえしたら、わたしのよきように、とわらっておくりだしていただきました」
「そうか」
ならば問題はないだろう。
「では今日は久々に三人で膳を囲もうか」
そう告げると、すぐに頼孝が腰を上げた。
外で待っている女房に三人分の支度を頼んでくるのだろう。
それを見送り、三の君を傍らに呼び寄せた。
膝の上に座らせて、ゆらゆらと体を左右に大きく揺らせば、三の君も同じように揺れる。
「あにうえさまはあす、だいりにしゅっしされるのですか?」
「父上に聞いてみないことにはわからないな」
元服したことを届け出て、官位を戴いたうえでようやく出仕できる。
早くても明後日だろうかと考えていた時だ。
再びばたばたと、今度は大人の足音が聞こえてきた。
「喜べ、明壽」
いつもは物静かな父が、酒も入っているのだろうがこの時ばかりは喜色満面で手に封書を携えていた。
「いま、お前の官位が決まったと連絡を受けたぞ」
その言葉に、さすがに早いのではとの言葉が口をついて出そうになったが、ぐっと堪えた。
「正六位下。刑部省大丞だそうだ」
「刑部省……」
希望を出していたところだ。
そこへ頼孝が戻ってきた。
話を聞いていたらしく、よかったなと言われて嬉しくなった。
「父上。出仕はいつからになりますか?」
「そうだな。刑部省での準備ができ次第になるだろうからな」
父でもわからないのだろう。
まあ、それでもだ。
希望通りのところに出仕することができるのだ。
「あにうえ。おめでとうございます」
「さて、今夜はお前の元服祝いと出仕祝いだ。たらふく飲むぞ」
俄然、出仕が楽しみになった。
ここ二条にある藤原の邸では、元服の儀が盛大に執り行われていた。
藤原といっても直系ではなく、本家から分かれた分家の家柄である。
その本家から目を掛けられている若君が今回の主役だった。
二の君と呼ばれていた若君は、名を明壽と改め、宴席の中心に座していた。
我も我もと下心が見え見えの者たちを相手にして流石に疲れてきたのが分かったらしく、本家の当主自ら明壽に下がるよう声をかけてきた。
「今をときめく分家の若君にお近づきになりたくて声をかけてくる連中が多かっただろ」
ほうほうの体で御簾をくぐって自室へと入ってきた明壽に声をかけてきた者がいた。
乳兄弟の源頼孝である。
彼は既に元服を済ませ、現在は近衛として宮中に出仕している身だ。
確か今日も出仕していたはずだが。
「権中将様が気を利かせてくれたんだ。宴で疲れてるだろうから労ってやれって」
どうやら顔に書いているのを読まれたようだ。
「ほら、いいから少し休め」
何かを放り投げてきたのを慌てて両手で受け取れば、それは衾だった。
「そうさせてもらうよ」
ふあ、と欠伸を噛み殺しつつ床にゴロンと寝転がるとそのまま目を閉じればすぐに意識が霧散した。
自分には五つ離れた弟がひとりいる。
そして二つ年上の兄もいたらしい。
らしいというのは、記憶がないからだ。
五年ほど前に突如として押し入ってきた夜盗に殺されたと母から聞かされた。
兄と私は仲の良い兄弟だったそうだ。
当時も兄弟そろって眠っていたところを襲われ、兄は私を庇ったらしい。
それを目撃してしまい、その衝撃からか記憶を失ってしまったのだろうとのことだった。
乳兄弟の源頼孝はもともと兄の乳兄弟だった。
兄の急死により乳母は邸を去らなければならなかったのだが、私が記憶をなくしてしまったのを知り、頼孝を傍に…と願い出たらしい。
それからは頼孝とともに育ってきた。
「おい二の君、夕餉だぞ」
呼びかけられて目を覚ませば、既に日は傾いていた。
「やっぱり相当に疲れてたみたいだな」
はは、と頼孝が笑うが、まあその通りなので放っておく。
それよりも。
「明壽だ」
「名を改めたか。明壽………いい名だな」
素直に喜んでくれる。
「兄君もきっと喜んでるだろう」
「………だといいが」
自分には兄の記憶はない。
だからなのか、頼孝が兄の話を出すたびに言い知れぬ何かが心に吹くのを感じる。
その時だ。
とたとたと軽い足音が近づいてきた。
「あにうえさま」
入ってきたのは五つになる三の君。あどけなさの中にもしっかりとした芯の強さが垣間見える弟だ。
「どうした?」
「ほんじつはげんぷくのぎ、まことにおめでとうございまする」
ぺたんと床に座って、深々と頭を下げた。
大人顔負けの口上には驚いたが、おそらくは乳母や周辺の女房達が教え込んだのだろう。
「きょうはわたしもおふたりとゆうげをとりたいです」
「と言ってもな……」
ちらりと頼孝から視線を送られ、さてどうするかと思案した。
おそらく弟は自分で決めてここにきたのだろう。
「母上様はご存じか?」
ちなみに自分と弟は母が違う。
亡くなった兄と自分は同腹で正妻の子供だが、弟は父と次に迎えた妻との間にできた子供だ。
既に自分の母は亡くなっているため、いまはその次に迎えた妻が家のすべてを取り仕切っているわけなのだが。
「はい。おつたえしたら、わたしのよきように、とわらっておくりだしていただきました」
「そうか」
ならば問題はないだろう。
「では今日は久々に三人で膳を囲もうか」
そう告げると、すぐに頼孝が腰を上げた。
外で待っている女房に三人分の支度を頼んでくるのだろう。
それを見送り、三の君を傍らに呼び寄せた。
膝の上に座らせて、ゆらゆらと体を左右に大きく揺らせば、三の君も同じように揺れる。
「あにうえさまはあす、だいりにしゅっしされるのですか?」
「父上に聞いてみないことにはわからないな」
元服したことを届け出て、官位を戴いたうえでようやく出仕できる。
早くても明後日だろうかと考えていた時だ。
再びばたばたと、今度は大人の足音が聞こえてきた。
「喜べ、明壽」
いつもは物静かな父が、酒も入っているのだろうがこの時ばかりは喜色満面で手に封書を携えていた。
「いま、お前の官位が決まったと連絡を受けたぞ」
その言葉に、さすがに早いのではとの言葉が口をついて出そうになったが、ぐっと堪えた。
「正六位下。刑部省大丞だそうだ」
「刑部省……」
希望を出していたところだ。
そこへ頼孝が戻ってきた。
話を聞いていたらしく、よかったなと言われて嬉しくなった。
「父上。出仕はいつからになりますか?」
「そうだな。刑部省での準備ができ次第になるだろうからな」
父でもわからないのだろう。
まあ、それでもだ。
希望通りのところに出仕することができるのだ。
「あにうえ。おめでとうございます」
「さて、今夜はお前の元服祝いと出仕祝いだ。たらふく飲むぞ」
俄然、出仕が楽しみになった。
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