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第2話 マニアック

マニアック その4

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 それから俺は四方の壁を入念に叩いて周った。やわな拳で分厚い壁を破壊しようという無謀な行動ではなく、あのふたりがこの部屋から消えたのには、なにか仕掛けがあるのではないかと考えてのことである。しかし、たとえば忍者屋敷の如く壁が反転するだとか、秘密のスイッチがあるのだとかということは一切なく、俺の行動はただただ時間を浪費するばかりだった。

 それでも何もやらないよりましだ。半ばやけになって壁を叩きながら、ちらりと源尾を見れば、椅子に座ったまま石像のようにじっと動かずただ一点を見ている。表情は目を背けたくなるほど暗く、青ざめている。カチョウが消えてからずっとあんな調子である。あんな顔をさせている自分の不甲斐なさに悲しくなる。

 作業を止めて源尾の隣の席に座った俺は、頼れる男を演出するべくできるだけ低い声で「源尾」と呼びかけた。この時、源尾の手を握らなかったのは、臆病風に吹かれてのことではなく〝あえて〟である。

「大丈夫だ。俺がなんとかここから出してやる。だから、そんな顔するな」

「ありがとう」とか細い声で答えた源尾は、口元を小さく動かして僅かに笑みを浮かべる。その微笑みの裏には何か心に留めておくには辛い隠し事があるような気がして、そしてそんな源尾の力にどうしてもなってやりたくて、俺はつい「何かあったのか?」と訊ねてしまった。

「ううん、平気だよ」
「平気とか、大丈夫とか。そういう言葉でフタして押さえつけておくより、人に話した方が楽になることもあるぞ」

「……伊瀬冬くん」と僅かに潤む瞳でじっとこちらを見た源尾は、なにか決心したように頷くと、ポツポツ言葉を落としはじめた。

「……わたしね、佐藤さんっていう人にイジメられてて、それが辛くて転校したの。それで、あのカチョウさんって人が、佐藤さんにそっくりで、昔のことを思い出しちゃって」

 すべて言い終えるころには源尾の視線は床を向き、表情は暗く沈んでいた。失敗した。あんな顔をさせるつもりじゃなかったのに。「ごめん」という言葉が口を突いて出る。

「大丈夫だよ、伊瀬冬くんは悪くないもん」

 もう一度「ごめん」と呟いたその時、「まあまあ、そう気を落とさずに」というわざとらしい調子の声が聞こえてきた。前触れも無く部屋に現れたのは、先の芝居掛かった執事である。いつ、どこから入ってきやがったんだ、この女は。

「失敗したのなら、それをもとに学習すればいいのです。あなたにはそれができる」
「……わざわざそれを言いにきたのか?」
「いえいえ。夕食のご招待です。そちらからどうぞ。カチョウ様もお待ちです」

 そう言って執事は俺達の背後を指さす。見ると、先ほどまでは無かったはずの古びた木製の扉があるではないか。聞かないでもわかる。カチョウの仕業だ。

 この部屋から出られるのはありがたいがその反面、源尾とカチョウはなるべくなら対面させたくない。俺は「食いたくないね」と言って断固動かない姿勢を見せたが、予想外にも源尾は俺の服の袖を引っ張り、「平気だよ」とささやいた。

「いいんだよ、腹なんて減ってないし。そもそもこいつらの用意した飯を食うつもりになんてならんだろ」
「わかるよ。でも、この部屋から出るチャンスでしょ?」
「そりゃそうかもしれないけど……やめといた方がいいだろ。あいつの顔見たら、嫌なこと思い出すんだろ?」
「それくらい我慢できるよ。それに、伊瀬冬くんの足引っ張りたくないもん」

 額に寄せたしわからは源尾の頑固な意思が感じられる。こうなると、もう何を言っても無駄だろう。「わかった」と答えると、源尾は「ありがと」と言いながら俺の手を取りながら席を立った。照れを誤魔化すために顔を源尾から背けた時、執事の姿がいつの間にか消えていることに気が付いた。

 ドアノブに手を掛け、少しだけ扉を開いて中の様子を伺う。大教室めいた部屋に繋がっており、毒々しい紫のドレスに着替えたカチョウが真っ先に確認できた。その周りを取り囲むのは、地味なドレスを着た地味な顔の女たちだ。あいつにとっちゃ、人間だって自分をより映えさせるためのアクセサリーなんだろう。部屋の中央には天板が黒板で出来た大きなテーブルがあり、その上には料理皿や底の深い鍋などが並べられていた。夕食というのは嘘ではないらしい。

「源尾、俺の傍から離れるなよ」

 緊張した面持ちの源尾が「うん」と頷いたのを確認した俺は、大きく扉を開いて部屋の中に入った。部屋にいた奴らの視線が一斉にこちらを向く。どいつもこいつも物珍しそうな顔で俺達を見やがる。源尾を庇うべく一歩前に出て、睨みを利かせて奴らを威嚇していると、意地悪い笑みで目を細めたカチョウがこちらへ歩み寄ってきた。

「伊瀬冬さんに源尾さんじゃない。来てくれたのね。素直になってくれたみたいで嬉しいわ」
「腹が減っては戦ができないからな。まずは食う。それから逃げる」
「その元気、明日までもてばいいわね」

 薄く微笑んだカチョウは「どうぞ、食事と会話を楽しんで」と言うと、取り巻き達の方へと戻っていき、くだらないに違いない会話を再開した。

 食事会と言うだけあってテーブルの上に並べられた料理はなんとも豪華だ。カラフルな野菜が盛り合わせられたオードブル、レア焼きのステーキ、サザエのつぼ焼き、フライドチキンやオニオン、ポテト、刺身の盛り合わせ、大きなピザ、真っ赤な苺がたくさん積まれたケーキ……。いささか和洋折衷が過ぎるものの、ずいぶんと金が掛かっていることは間違いない。

 源尾に何を食べたいか訊ねると、「ケーキがいいな」とのことだったので、俺はケーキを取り分け皿に乗せて源尾へ渡した。椅子のない立食形式であったため、部屋の端で源尾と並んで味のぼやけたケーキをもそもそ食いながら、俺は改めて部屋を見回した。

 やはりというべきか、この部屋にも窓はない。おまけに、俺達が通ってきたはずの扉もいつの間にか消えている。まったく抜け目がない。意地でも俺達を外に出したくないらしいが……だとすればわざわざ食事に誘ったのはいったい何故だ?

 閉じ込めておきたいだけならさっきの部屋に入れておいたままでいい。殺したいならそうすればいい。でもあいつは、俺達を一応はもてなしている。もしかしたら、あいつには何か俺達に知られたらまずいことでもあるんじゃないか。

 考えを巡らせていると、ちまちまとケーキをフォークで突いていた源尾が、ふと「どうしたの?」と訊ねてきた。

「いや……あいつが隠し事をしてるんじゃないかって、そう思ったんだ」
「隠し事って、どんな?」
「正直わからん。でも、俺達に知られちゃまずいことなんだと思う」
「その通り。よくぞそこまでたどり着いた」

 俺達の会話に突如割り込んできたのはタキシードを着て宝塚男役風のメイクをした女だった。オールバックの髪型からは、整髪料の匂いがぷんと漂ってくる。右手に持った料理皿には、フライドチキンが山盛りになっている。人は見かけで判断するなとはいうが、いかにも怪しいのは否めない。

 とりあえず源尾を背後に隠した俺は、黙ってそいつとの距離を置いた。しかしそいつは諦めず、「待ちなさい」と言いながら俺達の前に素早く回り込む。俊敏な動きでいちいち大げさに回転しながら動くのがまた妙だ。

「素敵な青年にお嬢さん、僕は君達の敵じゃない。むしろ、味方といっていいと思うがね」
「そうかよ。じゃ、どっか行け」
「そう言わずに。なんなら、ステキな秘密を教えてあげたっていい」

 女はオールバックの髪型をずいと俺の眼前に寄せ、囁くように言った。

「カチョウ様は外の世界へと繋がる鍵をこの城のどこかに隠している。そしてその鍵は、外の世界の住人である君達しか見つけられないのさ」
「……デタラメじゃないだろうな?」
「でなければ、この世界の女王であるカチョウ様があそこまで君達を警戒しないよ。表面上は穏やかに接してるのも懐柔のためだ」

 なるほど。このタカラヅカ女の言う通りならば、俺の抱いた疑問への答えになる。奴はこの閉じた世界で女王様として君臨し続けたいのだ。そのため、唯一の〝弱点〟である俺達を取り込みたいのだろう。
納得する俺の横で、源尾が心配そうに問いかけた。

「あの、大丈夫なんですか? そんな秘密を喋ってしまって」
「ご心配なく、お嬢さん。タダで教えたつもりはない。ギブアンドテイクというヤツさ。僕も外の世界とやらを見てみたくてね。ここでの生活にも、もうウンザリなんだ」

 女はフライドチキンを左手でつまみ、さも不味そうに骨ごとむしゃりと噛み砕いた。

「申し遅れたね、僕はタカハシ。協力してこの世界を出ようじゃないか」
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