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1章
53.ブラック企業ができるまで(前編) ※別視点
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※靴磨きおじさんの回想話です
――――
――
「ウェステイルさんのお店なら、2号店出しても成功するんじゃないですか?」
始まりは、商人仲間からのそんな一言からだった。
営業中の私の店に訪れた彼は、カウンター越しにそんなことを口にした。
「うーん……私は自分の店が持てただけでもう十分だと思ってますからねぇ」
自分の店を持つ。それは商いを生業にする者なら殆どの人が抱く夢。
5年前、娘――ファルが生まれた年に開店した、念願の自分の店。
地方の田舎にあり、私1人で切り盛りしているにも関わらずウェステイル商会などという気取った名前を付けてしまったことには僅かばかり後悔しているが、経営も安定していて順調。
昨年、妻には病気で先立たれてしまったが私にはまだ娘と店があり、非常に恵まれた環境だ。これ以上を望むという気にはなかなかなれない。
「それは勿体ないですね。商品陳列のセンスに高品質な品揃え。絶対儲かると思うんです」
彼は私と違い店を構えず、商品を仕入れては他の地域で売り歩く、いわゆる行商人。故に各地の情勢に明るく、お金に関する嗅覚は私の知る商人の中でも優秀な人だ。彼からそう評されるということは、それだけ私の店を買ってくれているということだろう。
「それにお金はいくらあっても困りませんよ。娘さんを育てるにも何かと入用でしょう?」
この付近には競合店がないので私と娘が生活していくだけであれば十分な稼ぎは出せている。
しかし商売に絶対はない。
いきなり競合店が建つかもしれないし、商品を仕入れた直後にもっと安価で高品質な商品が出てくるようなことが続くかもしれない。そういった状況に陥ってしまった時、何よりも必要なのは潰れない・潰されないための資金力。
例え贅沢をする気がなくても備えのお金は必要だ。
「まぁ確かにそうですねぇ……」
そう呟いた瞬間、彼の目が輝くのを見て「しまった」と思った。
「でしょう? やはり我々商人は常に攻めて稼がないといけませんよね。お金でお金を稼ぐ! これこそが商人の原点にして全て! そこでですね。あ、これは私の話ですが、私が次に扱おうとしている商品はですね、隣国で栽培されている――」
きっと彼はこの話がしたくて私の店に立ち寄ったに違いない。
まるで夢見る少年のように嬉々として語る彼を見ながら内心思う。
……この話は長くなりそうだと。
◇
「ふぅ……ようやく帰れるな……」
店の戸締まりを確認し、一息つく。
彼と話をするのは嫌いではないが、その分店の仕事が滞るのが難点だ。
「……商人は攻めて稼いでこそ、か」
帰路の途中、彼の言葉を思い出す。
私も昔は彼と同じ行商人だった。
各地を旅し、売れると確信はあっても保証はない商品を仕入れては、あの手この手で商品の魅力を伝えて売る生活。生活用品などの安定した商品を中心に取り扱っている今とは違い、確かにあの頃はリスクを背負って常に攻めていたように思う。
やがて行商の途中で出会った妻と結ばれ、この地に根を張り娘を授かり、自分の店を持ち――ここがゴールなのだと感じていた。
だが、少年のように目を輝かせながら商いについて語る彼が今日は何故か眩しく、そして羨ましくも感じた。私も彼のようにもう一度――。
「…………いや、今の私には守らなければならないものがある」
ふと湧き出しそうになってしまった商人としての欲。
それを気にしないよう心の奥に留め、帰路を急いだ――。
◇
「ただい――」
「おっかえりー!」
帰宅するなり熱烈な歓迎を受けた。
娘のファルが、勢いよく抱きついてきたのだ。
「はは、元気いっぱいだな。ステラさんに迷惑掛けなかったか?」
「だいじょーぶっ! ごはんものこさずたべた!」
妻が亡くなってから隣に住むステラさんに日中、娘の面倒を見て貰っている。今こうして娘が元気に育ち、私も店の方に集中できているのも間違いなく彼女のお陰だ。
「おとーさんのごはんもあるよー。たべてたべてっ」
そうして急かすように指差したテーブルの上には、既に私の分の料理が並んでいた。ステラさんは私の食事まで用意してくれることが多い。
…………本当に、この生活は彼女のお陰で成り立っているな。
「ねえおいしい? おいしい?」
食事中、娘はわくわくとした様子で私から目を逸らさない。
いつもならこんな風に感想は求めてこず大人しく一人で遊んでいるのに珍しいと思ったが、理由はすぐに判明した。
今日のスープの具材が、やたらと不揃いなのである。
ステラさんには頻繁に夕食を作って頂いているが、料理上手の彼女がこんなミスをするとは考えにくい。加えて娘のこの感想を言わせようとする態度……。間違いなくこの不揃いな具材達はファルが切ったものなのだろう。そしてステラさんも私が気付くように敢えてそのままにしたのだと思う。
正直なところ大きく切りすぎて若干火が通りきっていない具もあるので、美味しくないというところまではいかないが、違和感は拭えない。けれどもここは父親として、娘の頑張りには応えなければならない。
「いつもより美味しい気がするよ」
「ほんとっ!? やっぱりわたしはてんさいだったかー」
1人でウンウンと満足そうに頷く。
料理に限った話ではないが、何か物事を始めたときにはその結果・成果に対して褒めることが肝心。継続していく為の原動力としても、いつか初心を振り返ったときの良き思い出としても、褒められた記憶というのは糧になる。
まぁそういった理屈抜きにして、娘が料理の手伝いを始めるほどに成長したというのは父親として単純に嬉しいと思ってしまう。
「よしよし。じゃありょうりのウデマエはおとーさんを超えたとしてー」
……そこまで褒めたつもりはないが……まぁいいか。
私の料理は昔、妻に「食材さん達が可愛そう」と泣かれてしまったぐらいだからな。私よりは上手いというのもあながち間違いではなさそうだ。
「あとはおみせやさんのことおぼえればかんぺきだなー」
「ん、店? ファルは商売に興味があるのか?」
「しょーにんのむすめですからっ。おっきくなったらおとーさんこえるっ!」
娘が私と同じ商人に……そうか……。
はは、いかん口元がにやけてしまう。
「ファルはお父さんがお店を増やすって言ったらどう思う?」
「おみせやさんふやすの!? すごい! おっきぃのがいい!」
「はは、そうか。大きいのがいいか」
自分の店を卑下するわけではないが、小さいよりは大きいが良い。
沢山店がある方が凄い。とても単純な話だ。
「でもな、お店を増やすってなるとお父さん忙しくなって、ファルと居る時間も減っちゃうんだ」
私の人生は、私1人のものではない。
今でさえ「店があるから」と娘と過ごす時間をあまり持てていない。ここに2号店オープンに向けた作業などが入ると、ますます一緒に過ごす時間は減ってしまう。
5歳という多感な時期。
やはり父親と一緒に過ごせない時間が多いというのは――。
「いいよー。お父さんで遊ばないでおみせやさんのべんきょーがんばるから」
あ、いいんだ……。
しかも文脈的に遊び道具みたいな扱いを受けたような気がする。
「けど勉強は大変だぞ?」
店の勉強となると商品や交渉の知識だけでなく、経営についても学ばなければならない。まだ遊びたい盛りの年頃では投げ出したくなるぐらい難しいと思う。
「ふふーん。わたしは2代目ですからっ。りっぱなしょーにんになれるよーにがんばるよっ」
「はは、そうか2代目か」
まさか店を継いでくれる気だとは思わなかったのでつい笑みがこぼれてしまう。
だったら私は娘に多くのものを残せるように、店を――ウェステイル商会を大きくしないとな。
◇
「結局1年も掛かってしまったなぁ……」
開店を近日に控えた2号店を眺めながら、呟く。
2号店を出すと決めたあの日からオープンに向けて動き始めていたが、市場調査からの立地の選定、資金調達に物件や仕入れ先探しと、やることは目白押し。
1年経った今、ようやく開店の目処がある程度ついたのだった。
「建物よし、商品も仕入先を見つけたし、後は宣伝と……従業員か」
2号店は私の住む町から駅馬車でも1時間以上かかる街に出店する。頑張れば通えないことはないが本店のこともあるし、娘のこともある。2号店の方はこの街に住んでいる人に任せたいのだが……。
「応募は未だ無しか……」
先日、店の前に貼り出した従業員募集の紙。
応募する人には名前と住所を書いて貰い、後日私の方から応募者に会いに行くという方式を取っているのだが、応募者記入欄は空欄。つまりは誰も申し出てくれていない。
やはりこの街の平均給与よりも低いのが問題か……しかし上げるほどの余裕はない。でも上げなければ人が集まりそうにない。人が集まらなければ開店も難しい。やはりここは多少の痛みを覚悟で給与を上げて再度募集をかけるべきか。
そう考えていた時。
「……ウェステイルさん」
背後から、私の名を呼ぶ声がした。
振り返ると見知らぬ男が立っていた。
髪はボサボサで髭は伸びっぱなし、着ている服も裾の辺りが破けており、どう見ても衛生的には見えない、まるで路上生活者の様な風貌。当然ながら私の記憶の中にはない存在だった。
「どちら様でしょうか?」
聞き返した瞬間、彼は寂しそうな表情になり。
「はは……やはりこんな格好じゃわかりませんよね……では、これに見覚えはありませんか?」
そう言って彼が取り出したのは、ボロボロの小袋だった。
「いえ、そういった物を見せられても見覚えは――」
……いや……待てよ。
この袋、誰かが貨幣入れとして使っていたのを見覚えがある。
確かあれは商人仲間の……。
「もしかして、貴方……なのですか?」
「ええ。1年ぶりぐらいでしょうか。お久しぶりです、ウェステイルさん」
そう言って力なく笑う男は去年、私に2号店の開店を勧めた行商人の彼だった。
しかし今私の目の前にいる彼はあの時とは似ても似つかないほどの外見と雰囲気で、覇気も何もかも感じられず、まるで別人のようだ。
「一体何があったんですか?」
人を相手にする我々商売人にとって、清潔感や外見の印象というのは非常に重要。それなのに今の彼は人柄を知っている私ですら嫌悪感を覚えるほどに清潔とは言い難い。
「実は商売に失敗しまして……」
「………………そうですか」
その一言と彼の風貌で察することは出来た。
我々商人は商品を仕入れ、仕入れ値から上乗せして売るという仕事。商品を仕入れても売れなければただの赤字。特に彼のように行商でしかも珍しい品をメインに扱っていると売れ残りのリスクも大きい。特に資金を借り入れて仕入れをするのであれば尚更。
その結果どうなってしまったのかは、今の彼を見れば一目瞭然だった。
「今は何を?」
「……見ての通りですよ」
手をひらひらさせて自嘲したように呟く。
目を輝かせながら商売の話をしていた彼の面影は感じられない。恐らくはこの風貌ということもあって働き口が見つからなかったのだろう。けれど、私は彼の人柄も能力も知っている。
うん……これも何かの縁だ。
「よかったらですが、この2号店で働いてみませんか?」
そう言って彼を誘った。
私は人を欲していて、彼は働き口を探している。
わかりやすいぐらいに両者の利害は一致している。
「…………良いのですか?」
「ええ。給与がこれだけしか出せないのが心苦しいですが……」
彼のキャリアから考えればもっと払わなければ割に合わない低賃金。
けれど彼はそんなこと気にした様子もなく。
「ありがとうございます……! ありがとうございます……!」
震える声で、何度も頭を下げるのだった。
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「ウェステイルさんのお店なら、2号店出しても成功するんじゃないですか?」
始まりは、商人仲間からのそんな一言からだった。
営業中の私の店に訪れた彼は、カウンター越しにそんなことを口にした。
「うーん……私は自分の店が持てただけでもう十分だと思ってますからねぇ」
自分の店を持つ。それは商いを生業にする者なら殆どの人が抱く夢。
5年前、娘――ファルが生まれた年に開店した、念願の自分の店。
地方の田舎にあり、私1人で切り盛りしているにも関わらずウェステイル商会などという気取った名前を付けてしまったことには僅かばかり後悔しているが、経営も安定していて順調。
昨年、妻には病気で先立たれてしまったが私にはまだ娘と店があり、非常に恵まれた環境だ。これ以上を望むという気にはなかなかなれない。
「それは勿体ないですね。商品陳列のセンスに高品質な品揃え。絶対儲かると思うんです」
彼は私と違い店を構えず、商品を仕入れては他の地域で売り歩く、いわゆる行商人。故に各地の情勢に明るく、お金に関する嗅覚は私の知る商人の中でも優秀な人だ。彼からそう評されるということは、それだけ私の店を買ってくれているということだろう。
「それにお金はいくらあっても困りませんよ。娘さんを育てるにも何かと入用でしょう?」
この付近には競合店がないので私と娘が生活していくだけであれば十分な稼ぎは出せている。
しかし商売に絶対はない。
いきなり競合店が建つかもしれないし、商品を仕入れた直後にもっと安価で高品質な商品が出てくるようなことが続くかもしれない。そういった状況に陥ってしまった時、何よりも必要なのは潰れない・潰されないための資金力。
例え贅沢をする気がなくても備えのお金は必要だ。
「まぁ確かにそうですねぇ……」
そう呟いた瞬間、彼の目が輝くのを見て「しまった」と思った。
「でしょう? やはり我々商人は常に攻めて稼がないといけませんよね。お金でお金を稼ぐ! これこそが商人の原点にして全て! そこでですね。あ、これは私の話ですが、私が次に扱おうとしている商品はですね、隣国で栽培されている――」
きっと彼はこの話がしたくて私の店に立ち寄ったに違いない。
まるで夢見る少年のように嬉々として語る彼を見ながら内心思う。
……この話は長くなりそうだと。
◇
「ふぅ……ようやく帰れるな……」
店の戸締まりを確認し、一息つく。
彼と話をするのは嫌いではないが、その分店の仕事が滞るのが難点だ。
「……商人は攻めて稼いでこそ、か」
帰路の途中、彼の言葉を思い出す。
私も昔は彼と同じ行商人だった。
各地を旅し、売れると確信はあっても保証はない商品を仕入れては、あの手この手で商品の魅力を伝えて売る生活。生活用品などの安定した商品を中心に取り扱っている今とは違い、確かにあの頃はリスクを背負って常に攻めていたように思う。
やがて行商の途中で出会った妻と結ばれ、この地に根を張り娘を授かり、自分の店を持ち――ここがゴールなのだと感じていた。
だが、少年のように目を輝かせながら商いについて語る彼が今日は何故か眩しく、そして羨ましくも感じた。私も彼のようにもう一度――。
「…………いや、今の私には守らなければならないものがある」
ふと湧き出しそうになってしまった商人としての欲。
それを気にしないよう心の奥に留め、帰路を急いだ――。
◇
「ただい――」
「おっかえりー!」
帰宅するなり熱烈な歓迎を受けた。
娘のファルが、勢いよく抱きついてきたのだ。
「はは、元気いっぱいだな。ステラさんに迷惑掛けなかったか?」
「だいじょーぶっ! ごはんものこさずたべた!」
妻が亡くなってから隣に住むステラさんに日中、娘の面倒を見て貰っている。今こうして娘が元気に育ち、私も店の方に集中できているのも間違いなく彼女のお陰だ。
「おとーさんのごはんもあるよー。たべてたべてっ」
そうして急かすように指差したテーブルの上には、既に私の分の料理が並んでいた。ステラさんは私の食事まで用意してくれることが多い。
…………本当に、この生活は彼女のお陰で成り立っているな。
「ねえおいしい? おいしい?」
食事中、娘はわくわくとした様子で私から目を逸らさない。
いつもならこんな風に感想は求めてこず大人しく一人で遊んでいるのに珍しいと思ったが、理由はすぐに判明した。
今日のスープの具材が、やたらと不揃いなのである。
ステラさんには頻繁に夕食を作って頂いているが、料理上手の彼女がこんなミスをするとは考えにくい。加えて娘のこの感想を言わせようとする態度……。間違いなくこの不揃いな具材達はファルが切ったものなのだろう。そしてステラさんも私が気付くように敢えてそのままにしたのだと思う。
正直なところ大きく切りすぎて若干火が通りきっていない具もあるので、美味しくないというところまではいかないが、違和感は拭えない。けれどもここは父親として、娘の頑張りには応えなければならない。
「いつもより美味しい気がするよ」
「ほんとっ!? やっぱりわたしはてんさいだったかー」
1人でウンウンと満足そうに頷く。
料理に限った話ではないが、何か物事を始めたときにはその結果・成果に対して褒めることが肝心。継続していく為の原動力としても、いつか初心を振り返ったときの良き思い出としても、褒められた記憶というのは糧になる。
まぁそういった理屈抜きにして、娘が料理の手伝いを始めるほどに成長したというのは父親として単純に嬉しいと思ってしまう。
「よしよし。じゃありょうりのウデマエはおとーさんを超えたとしてー」
……そこまで褒めたつもりはないが……まぁいいか。
私の料理は昔、妻に「食材さん達が可愛そう」と泣かれてしまったぐらいだからな。私よりは上手いというのもあながち間違いではなさそうだ。
「あとはおみせやさんのことおぼえればかんぺきだなー」
「ん、店? ファルは商売に興味があるのか?」
「しょーにんのむすめですからっ。おっきくなったらおとーさんこえるっ!」
娘が私と同じ商人に……そうか……。
はは、いかん口元がにやけてしまう。
「ファルはお父さんがお店を増やすって言ったらどう思う?」
「おみせやさんふやすの!? すごい! おっきぃのがいい!」
「はは、そうか。大きいのがいいか」
自分の店を卑下するわけではないが、小さいよりは大きいが良い。
沢山店がある方が凄い。とても単純な話だ。
「でもな、お店を増やすってなるとお父さん忙しくなって、ファルと居る時間も減っちゃうんだ」
私の人生は、私1人のものではない。
今でさえ「店があるから」と娘と過ごす時間をあまり持てていない。ここに2号店オープンに向けた作業などが入ると、ますます一緒に過ごす時間は減ってしまう。
5歳という多感な時期。
やはり父親と一緒に過ごせない時間が多いというのは――。
「いいよー。お父さんで遊ばないでおみせやさんのべんきょーがんばるから」
あ、いいんだ……。
しかも文脈的に遊び道具みたいな扱いを受けたような気がする。
「けど勉強は大変だぞ?」
店の勉強となると商品や交渉の知識だけでなく、経営についても学ばなければならない。まだ遊びたい盛りの年頃では投げ出したくなるぐらい難しいと思う。
「ふふーん。わたしは2代目ですからっ。りっぱなしょーにんになれるよーにがんばるよっ」
「はは、そうか2代目か」
まさか店を継いでくれる気だとは思わなかったのでつい笑みがこぼれてしまう。
だったら私は娘に多くのものを残せるように、店を――ウェステイル商会を大きくしないとな。
◇
「結局1年も掛かってしまったなぁ……」
開店を近日に控えた2号店を眺めながら、呟く。
2号店を出すと決めたあの日からオープンに向けて動き始めていたが、市場調査からの立地の選定、資金調達に物件や仕入れ先探しと、やることは目白押し。
1年経った今、ようやく開店の目処がある程度ついたのだった。
「建物よし、商品も仕入先を見つけたし、後は宣伝と……従業員か」
2号店は私の住む町から駅馬車でも1時間以上かかる街に出店する。頑張れば通えないことはないが本店のこともあるし、娘のこともある。2号店の方はこの街に住んでいる人に任せたいのだが……。
「応募は未だ無しか……」
先日、店の前に貼り出した従業員募集の紙。
応募する人には名前と住所を書いて貰い、後日私の方から応募者に会いに行くという方式を取っているのだが、応募者記入欄は空欄。つまりは誰も申し出てくれていない。
やはりこの街の平均給与よりも低いのが問題か……しかし上げるほどの余裕はない。でも上げなければ人が集まりそうにない。人が集まらなければ開店も難しい。やはりここは多少の痛みを覚悟で給与を上げて再度募集をかけるべきか。
そう考えていた時。
「……ウェステイルさん」
背後から、私の名を呼ぶ声がした。
振り返ると見知らぬ男が立っていた。
髪はボサボサで髭は伸びっぱなし、着ている服も裾の辺りが破けており、どう見ても衛生的には見えない、まるで路上生活者の様な風貌。当然ながら私の記憶の中にはない存在だった。
「どちら様でしょうか?」
聞き返した瞬間、彼は寂しそうな表情になり。
「はは……やはりこんな格好じゃわかりませんよね……では、これに見覚えはありませんか?」
そう言って彼が取り出したのは、ボロボロの小袋だった。
「いえ、そういった物を見せられても見覚えは――」
……いや……待てよ。
この袋、誰かが貨幣入れとして使っていたのを見覚えがある。
確かあれは商人仲間の……。
「もしかして、貴方……なのですか?」
「ええ。1年ぶりぐらいでしょうか。お久しぶりです、ウェステイルさん」
そう言って力なく笑う男は去年、私に2号店の開店を勧めた行商人の彼だった。
しかし今私の目の前にいる彼はあの時とは似ても似つかないほどの外見と雰囲気で、覇気も何もかも感じられず、まるで別人のようだ。
「一体何があったんですか?」
人を相手にする我々商売人にとって、清潔感や外見の印象というのは非常に重要。それなのに今の彼は人柄を知っている私ですら嫌悪感を覚えるほどに清潔とは言い難い。
「実は商売に失敗しまして……」
「………………そうですか」
その一言と彼の風貌で察することは出来た。
我々商人は商品を仕入れ、仕入れ値から上乗せして売るという仕事。商品を仕入れても売れなければただの赤字。特に彼のように行商でしかも珍しい品をメインに扱っていると売れ残りのリスクも大きい。特に資金を借り入れて仕入れをするのであれば尚更。
その結果どうなってしまったのかは、今の彼を見れば一目瞭然だった。
「今は何を?」
「……見ての通りですよ」
手をひらひらさせて自嘲したように呟く。
目を輝かせながら商売の話をしていた彼の面影は感じられない。恐らくはこの風貌ということもあって働き口が見つからなかったのだろう。けれど、私は彼の人柄も能力も知っている。
うん……これも何かの縁だ。
「よかったらですが、この2号店で働いてみませんか?」
そう言って彼を誘った。
私は人を欲していて、彼は働き口を探している。
わかりやすいぐらいに両者の利害は一致している。
「…………良いのですか?」
「ええ。給与がこれだけしか出せないのが心苦しいですが……」
彼のキャリアから考えればもっと払わなければ割に合わない低賃金。
けれど彼はそんなこと気にした様子もなく。
「ありがとうございます……! ありがとうございます……!」
震える声で、何度も頭を下げるのだった。
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