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65 まだ好きなの?

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 チュチュが料理当番だと言って、ドーナツを持って先に階段を上がって行ってしまった。
 ヴァルも馬の様子を見に行ってしまったので、エマは玄関ホールで一人になった。

 ヴァルはどれくらいかかるだろう。

 そんなことを思いながら、玄関ホールの長椅子に、窓の方を向いて、休憩がてら腰を下ろした。
 月色の睫毛が伏せられる。

 待っているわけじゃない。

 通り過ぎて、行ってしまうかもしれない。

 そんなことを考えながら、青い空を眺めた。

 すると、程なくして、誰かが近づいて来る気配があった。
 振り返るとヴァルだった。
 エマの隣に、腰を下ろした。

「…………」

 何かを話すわけでもないのに、そこに居て。

 エマがヴァルの方を見ても、目が合うわけでもなく、エマとは別の方を見ていた。

「…………」

 長い沈黙の後。

「お前さ、」

 口を開いたのは、ヴァルの方だった。

「前に言ってた好きな奴、まだ好きなの?」

「…………」

 ジーク。ジークの事だ。

 なんて言ったらいいんだろう。
 ただ、ヴァルに対して誤魔化すことはしたくなかった。

 目を閉じて、思い出す。
 乱雑にまとめられた長い黒髪。夕空の色の瞳。城にたたずむ孤独な姿。一人口ずさむ歌。

「……もう、好きとか嫌いとかじゃないの」

「…………」
 ヴァルは、目を逸らしたまま、黙って静かに聞いていた。

 なんて言うんだろう。この気持ちは。

「もう、私の体の一部なの」

 私の正直な気持ちは……どれだろう。

「…………」

「何もなくなっちゃった時に、私のことを救ってくれたの。あの人の存在が。あの人がいてくれたから、自分を取り戻せた。生きようって思えた。まだ生きようって。明後日どう思ってるかはわからないけど、明日はまだ生きられるって」

「…………」

「大事なの。……もしこれから誰かを好きになることがあったとしても、変わらず好き」

「…………」

「大好きなの。……大好きなの。それが絵でも、見るだけで笑顔になれる。心臓がきゅうってして、幸せになる。本当に……」

 ヴァルがたまらずエマの方へ顔を上げると、ぼろぼろと涙を流すエマの姿があった。
 ヴァルの顔が、苦しそうに歪む。

「大好きなの。そこに存在してくれたこと、よかったって思う。これから死ぬまで……、ううん、死んだって、もう、忘れることなんてできない」

 ヴァルが、床に視線を向け、項垂れる。

 少しの沈黙の後、口を開いたのはエマだった。

「ジーク……」

「…………ん」

「ジーク」

「…………なんだよ」

「ジーク、って……」

「だから、なんだって……」

 ヴァルが顔を上げると、エマと目が合った。

「…………え?」
「…………え?」

「私の好きな人の名前。ジークっていうの。ジークヴァルト・シュバルツ」

「…………え?」

 途端に、ヴァルの目が見開いた。

「……え?…………は?」

 ヴァルが、困惑を隠そうと顔に手を当てた。

「ちょっとでも近い場所に居たくて、この学園に。もう……いない人なのに……おかしいよね」

「は…………?あ………………?」

 ヴァルの顔がカアァっと赤くなって、エマから視線を逸らした。

「泣いちゃってごめん」
 エマは、顔を隠すように、髪を必死で撫でつける。

「行くね」

「…………ああ」
 ヴァルはなんとかそれだけ返事をして、エマの後ろ姿を見送った。

 頭を抱えて小さく呟く。
「どういうことだよ……」



◇◇◇◇◇



ちょっとしたターニングポイント。
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