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第二章
あなたは、誰? 5
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食べる。
確かにこの悪魔は、少女にそう言った。
会話として聞いたその声は、やはりよく通る声だけれど獣の唸り声のような音が混じり、不思議と聞き取りづらい声だった。
怖い。やっぱりこの悪魔は、私を殺すつもりだったんだ。皆も……食べてしまったのかもしれない。
怖いのと同時に、心が、鎮まるのがわかる。
食べられてしまう……。
静かに悪魔を見ていると、悪魔も少女を見ていた。
頬に当てられる指先の感触。
そして、数秒……。
数分……。
「…………」
お互いの顔を見たまま、長い時間が流れた。
悪魔の顔は夜空のようで、顔色を窺うこともできない。
「……えっ……と……」
少女が何か言おうとすると、悪魔はすり抜けるように風になってふわっと消えた。
「……え?」
拍子抜けする出来事に、呆気に取られる。
食べられるのだと思った。少し前なら、皆と同じ所に行けるのなら、と思っただろう。けれど、もうそう思えない自分に気がついた。
今は、エルリックを起こす方法を知っている。エルリックをそのままにして、少女だけ何処かへ行ってしまうことはもうできなかった。
それにしても、食べてくれる、と言う悪魔は何だかおかしな感じだ。襲われるわけでもなく、抵抗しない少女から離れて行ってしまった。
お風呂に入らないせいで、美味しくなくなってしまっているのだろうか。ご飯も食べずガリガリだから、食べられなかったんだろうか。
実際、少女は食事を取っていなかった。鏡を見ることもなくなったが、さぞ酷い状態なのだろう。
「…………」
走る。
ここにいると、きっと食べられてしまう。
どこへ行けばいいのか、とにかく外へ出た。背後で、鐘の音が聞こえる。
街の外はどうかと、郊外へ向かって走る。橋を渡り、草原の中を走った。
この街は、湖と森で囲まれている。湖の向こう側も広大な森なので、街を出るには、森を抜けるしかない。
遠く、森を眺めることができる場所まで来たとき、唸り声を聞いた。
これは……狼の声。この森には、果たしてこんなに狼がいただろうか。
森に並ぶ紅い瞳を見て、魔女のことを思い出す。魔女は、言ってなかっただろうか。自分のワンちゃん達をここに置いていく、と。まさか。
狼の視線に囲まれ、少女は、それ以上外へ行くことはできなかった。
街をまわるように森を見て回ったけれど、他の場所も同じく、狼の気配がした。沢山の唸り声、沢山の紅い瞳。
どうしようもない気持ちで屋敷へ戻る。自分の部屋へ向かった。
静かに、バスルームへ向かう。
「…………」
何もできないことも覚悟したが、蛇口をひねるとお湯はあっけなく出た。
バスタブも床も、誰かが掃除したんじゃないかと思えるほど綺麗だった。
バスタブにお湯を半分ほど溜める。
そして、ゆっくりと湯船につかった。
ひざに顔を埋める。
お風呂場まで悪魔がやってきたらどうしよう、とも思ったけれど。
そのまましばらくお湯の中にいた。
うずくまったまま。何も考えずに、お湯の中にいた。
こんな状況でも、身体があったまると、心も少しだけあったまるみたいだった。
確かにこの悪魔は、少女にそう言った。
会話として聞いたその声は、やはりよく通る声だけれど獣の唸り声のような音が混じり、不思議と聞き取りづらい声だった。
怖い。やっぱりこの悪魔は、私を殺すつもりだったんだ。皆も……食べてしまったのかもしれない。
怖いのと同時に、心が、鎮まるのがわかる。
食べられてしまう……。
静かに悪魔を見ていると、悪魔も少女を見ていた。
頬に当てられる指先の感触。
そして、数秒……。
数分……。
「…………」
お互いの顔を見たまま、長い時間が流れた。
悪魔の顔は夜空のようで、顔色を窺うこともできない。
「……えっ……と……」
少女が何か言おうとすると、悪魔はすり抜けるように風になってふわっと消えた。
「……え?」
拍子抜けする出来事に、呆気に取られる。
食べられるのだと思った。少し前なら、皆と同じ所に行けるのなら、と思っただろう。けれど、もうそう思えない自分に気がついた。
今は、エルリックを起こす方法を知っている。エルリックをそのままにして、少女だけ何処かへ行ってしまうことはもうできなかった。
それにしても、食べてくれる、と言う悪魔は何だかおかしな感じだ。襲われるわけでもなく、抵抗しない少女から離れて行ってしまった。
お風呂に入らないせいで、美味しくなくなってしまっているのだろうか。ご飯も食べずガリガリだから、食べられなかったんだろうか。
実際、少女は食事を取っていなかった。鏡を見ることもなくなったが、さぞ酷い状態なのだろう。
「…………」
走る。
ここにいると、きっと食べられてしまう。
どこへ行けばいいのか、とにかく外へ出た。背後で、鐘の音が聞こえる。
街の外はどうかと、郊外へ向かって走る。橋を渡り、草原の中を走った。
この街は、湖と森で囲まれている。湖の向こう側も広大な森なので、街を出るには、森を抜けるしかない。
遠く、森を眺めることができる場所まで来たとき、唸り声を聞いた。
これは……狼の声。この森には、果たしてこんなに狼がいただろうか。
森に並ぶ紅い瞳を見て、魔女のことを思い出す。魔女は、言ってなかっただろうか。自分のワンちゃん達をここに置いていく、と。まさか。
狼の視線に囲まれ、少女は、それ以上外へ行くことはできなかった。
街をまわるように森を見て回ったけれど、他の場所も同じく、狼の気配がした。沢山の唸り声、沢山の紅い瞳。
どうしようもない気持ちで屋敷へ戻る。自分の部屋へ向かった。
静かに、バスルームへ向かう。
「…………」
何もできないことも覚悟したが、蛇口をひねるとお湯はあっけなく出た。
バスタブも床も、誰かが掃除したんじゃないかと思えるほど綺麗だった。
バスタブにお湯を半分ほど溜める。
そして、ゆっくりと湯船につかった。
ひざに顔を埋める。
お風呂場まで悪魔がやってきたらどうしよう、とも思ったけれど。
そのまましばらくお湯の中にいた。
うずくまったまま。何も考えずに、お湯の中にいた。
こんな状況でも、身体があったまると、心も少しだけあったまるみたいだった。
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