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それから僕は家族の前ではゆっくり会話ができるくらいに回復した。
家に帰り、みんなの優しさに触れたからか、今のところフェロモン治療は必要無く安定してきている。
僕の食事の量や様子を先生にネットで報告することになっているが、僕が大丈夫と言ってしまわないようにと毎回母が連絡してくれている。
報告のためか必要以上に僕の調子を尋ねる母に、くすぐったくも嬉しい気持ちになる。
僕が帰ることになって母は仕事を在宅でできる範囲にセーブしているらしく、一緒にパンを作ったりおやつを食べたりと日中は2人で過ごすことが多い。
兄は仕事が忙しく平日はなかなか顔を合わせることができないが、毎日のように僕に手土産を買ってきてくれる。休みの日には一緒に家で映画を見たり、庭を散歩したり僕に付き添ってくれている。
父も兄と同様忙しくはしているが、必ず定時で帰ってきては今日の僕の様子を尋ねるのが日課のようになっている。
帰ってきた当初は今までと違う家族の様子に少し戸惑うこともあったが、1週間もすればそれが普通になった。
結婚する前と変わったことは家族の様子だけではなかった。元々離れに住んでいたのだが、新しくみんなが生活している家の方に僕の部屋が作られていた。
ヒートの時でも困らないようにと防音設備としっかりと施錠ができる扉には食事だけが入れられる小窓とインターフォンがつき、室内にお風呂や冷蔵庫も完備されていた。
Ω同士の方が世話をするのに恥ずかしくないだろうと、同じくΩの使用人が雇用されていた。
発情期の間はその人か家族が僕の世話をしてくれることになっている。
万が一間違いが起こるといけないからと僕の個室の方にはその4人以外の出入りができないようにリフォームし、室内には押すと家族につながる緊急ボタンが設置されていた。
家に戻ってから初めての発情期はそのうちやってくることは分かっているが、整えられた環境に、何の不安も感じることがなかった。
順調な生活だったが、問題が一つだけあって、元夫が離婚届を提出してくれないことだった。
療養施設の人からも門前払いを食らいながらもまだ僕がいると思って一週間に一回は訪問があるとの連絡をもらっている。
離婚届が出ていなくても日常生活に支障はないが、やっぱり籍は実家に戻したい。
父と兄も同じように考えていたようで、話をつけに行くと言って向こうの実家に乗り込んで行った。
朝一に出かけて行ったのに昼を過ぎても帰って来ず、帰ると連絡があったのは夕方だった。
母と2人ソワソワしながら帰りを待ち、居ても立っても居られない僕は玄関ホールとリビングを行ったり来たりしていた。
ようやく帰ってきた2人の顔は何とも言い難い顔をしていた。
「今回は離婚届にサインしてもらうことはできなかったよ。」
「……」
「美鶴を返してもらいたいと今の状況等伝えに行って場合によってはそちらに非があるということを公表することになると伝えに行くつもりだったんだが、、向こうについて入った途端土下座する勢いで向こうの家族に謝罪をされたよ。」
「秘書の笹本って覚えてる?」
「うん。離婚届持ってきたの、そのひと。」
「そう、その人が美鶴に子どもがまだ出来ていないから、略奪できるだろうと甥と共謀して稜くんに項を噛ませようとしたみたいだよ。向こうの家も不審な動きは把握していたから追い出すための証拠を掴んでいる最中で、あんな強硬手段に出たから美鶴に伝える間もなくなってしまって申し訳なかったと言ってみえたよ。」
「今はもう笹本さんと甥は発情誘発剤の悪用や詐欺罪などで捕まえられているそうだ。美鶴が見たうなじの噛み跡は薄いフィルムの高性能な噛み跡の特殊メイクみたいなものだよ。稜くんは噛んでない。」
父と兄から伝えられた事実に困惑していると、兄から見覚えのある携帯が差し出された。
「稜くんが渡してくれって。折角施設にいるときに面会の機会をもらったのに焦りすぎてちゃんと伝えられなかったと悔やんでたよ。」
「嫌ならしなくていい。稜くんはとにかく自分の口から謝りたいと言っていたよ。」
「電話してみる。」
そういうと父は安堵と心配の入り混じった複雑な表情をした。
「一緒にいてくれる?」
母と父は僕の両隣に座り、兄は向かいのソファから僕のことを見守ってくれる様子だった。
緊張しながら久しぶりの携帯を触る。
電話帳なんて家族と彼の連絡先くらいしか入っていないからすぐに見つかった。
2回コール音がした後、
「美鶴!?」と慌てたような声が聞こえてきた。
「うん、ぼく。」
「!!美鶴、声が!」
「家族のおかげで出るようになった。」
「良かった、、本当に辛い思いをさせて申し訳なかった。」
稜くんの声は少し涙ぐんでいるように聞こえた。
「聞いたから、事情。」
「すまない。」
「もう、謝らなくて大丈夫、分かったから。でも、時間が欲しい。」
「わかった。離婚届は実は出すつもりがなかったから破棄してしまったんだ。このままでもいいか?ゆくゆくは戻ってきてもらえるように努力する。」
「うん。」
「ありがとう、あぁ良かった。どうしても離婚したいと言われたらどうしようかと…本当に嬉しいよ、美鶴。」
「……僕も、嫌われてた訳じゃないって、安心したよ。」
「喉疲れてきてない?大丈夫?今日はこの辺でまた連絡するよ。おやすみ、美鶴。」
「おやすみ。」
電話を切ると、まだ複雑そうな顔をしている兄と目が合う。
「なんだかなぁ、うちの弟になんて事って怒っても怒り足りないくらいなんだけど…そんな顔見ると何も言えないな。」
「え?」
僕、どんな顔してた?思わず両手で頬を触る。
「ふふ、変な顔してた訳ではないよ。嬉しそうな顔してたから。」
「先生も番に愛情注いでもらうのが1番と仰ってみえたからいいことなんだろうけど、複雑だな。もう、一度嫁に行ったはずなのにやり直してるみたいだ。」
父は少し寂しそうな顔をしながらも、声は明るかった。
「いいじゃないの、そこからやり直せて。私たちの思い込みのせいだけど結婚式だって泣くことすら許されなかったんだもの。」
「母さんめちゃくちゃ席外してたよね結婚式の時。」
「そりゃお腹を痛めて産んだ子の結婚式よ?感極まるでしょう。お化粧室で顔と心を整えてたのよ。」
兄に当たり前でしょうと言った母はこちらへと向き直ると、僕の手を握った。
「だからね、1から始めたらいいのよ。稜くんのこと嫌いになんてなれないでしょう?連絡して、デートとかして、家帰ってきたらいいのよ。それでまた結婚したいなって思ったらすればいいし、そうじゃなかったらまたお父さんが違う人探してきてくれるわよ。結婚に気が向かなかったらしなくたっていい。あなたが幸せなら何だっていいのよ。」
「……ありがとう。そうしてみるね。」
家に帰り、みんなの優しさに触れたからか、今のところフェロモン治療は必要無く安定してきている。
僕の食事の量や様子を先生にネットで報告することになっているが、僕が大丈夫と言ってしまわないようにと毎回母が連絡してくれている。
報告のためか必要以上に僕の調子を尋ねる母に、くすぐったくも嬉しい気持ちになる。
僕が帰ることになって母は仕事を在宅でできる範囲にセーブしているらしく、一緒にパンを作ったりおやつを食べたりと日中は2人で過ごすことが多い。
兄は仕事が忙しく平日はなかなか顔を合わせることができないが、毎日のように僕に手土産を買ってきてくれる。休みの日には一緒に家で映画を見たり、庭を散歩したり僕に付き添ってくれている。
父も兄と同様忙しくはしているが、必ず定時で帰ってきては今日の僕の様子を尋ねるのが日課のようになっている。
帰ってきた当初は今までと違う家族の様子に少し戸惑うこともあったが、1週間もすればそれが普通になった。
結婚する前と変わったことは家族の様子だけではなかった。元々離れに住んでいたのだが、新しくみんなが生活している家の方に僕の部屋が作られていた。
ヒートの時でも困らないようにと防音設備としっかりと施錠ができる扉には食事だけが入れられる小窓とインターフォンがつき、室内にお風呂や冷蔵庫も完備されていた。
Ω同士の方が世話をするのに恥ずかしくないだろうと、同じくΩの使用人が雇用されていた。
発情期の間はその人か家族が僕の世話をしてくれることになっている。
万が一間違いが起こるといけないからと僕の個室の方にはその4人以外の出入りができないようにリフォームし、室内には押すと家族につながる緊急ボタンが設置されていた。
家に戻ってから初めての発情期はそのうちやってくることは分かっているが、整えられた環境に、何の不安も感じることがなかった。
順調な生活だったが、問題が一つだけあって、元夫が離婚届を提出してくれないことだった。
療養施設の人からも門前払いを食らいながらもまだ僕がいると思って一週間に一回は訪問があるとの連絡をもらっている。
離婚届が出ていなくても日常生活に支障はないが、やっぱり籍は実家に戻したい。
父と兄も同じように考えていたようで、話をつけに行くと言って向こうの実家に乗り込んで行った。
朝一に出かけて行ったのに昼を過ぎても帰って来ず、帰ると連絡があったのは夕方だった。
母と2人ソワソワしながら帰りを待ち、居ても立っても居られない僕は玄関ホールとリビングを行ったり来たりしていた。
ようやく帰ってきた2人の顔は何とも言い難い顔をしていた。
「今回は離婚届にサインしてもらうことはできなかったよ。」
「……」
「美鶴を返してもらいたいと今の状況等伝えに行って場合によってはそちらに非があるということを公表することになると伝えに行くつもりだったんだが、、向こうについて入った途端土下座する勢いで向こうの家族に謝罪をされたよ。」
「秘書の笹本って覚えてる?」
「うん。離婚届持ってきたの、そのひと。」
「そう、その人が美鶴に子どもがまだ出来ていないから、略奪できるだろうと甥と共謀して稜くんに項を噛ませようとしたみたいだよ。向こうの家も不審な動きは把握していたから追い出すための証拠を掴んでいる最中で、あんな強硬手段に出たから美鶴に伝える間もなくなってしまって申し訳なかったと言ってみえたよ。」
「今はもう笹本さんと甥は発情誘発剤の悪用や詐欺罪などで捕まえられているそうだ。美鶴が見たうなじの噛み跡は薄いフィルムの高性能な噛み跡の特殊メイクみたいなものだよ。稜くんは噛んでない。」
父と兄から伝えられた事実に困惑していると、兄から見覚えのある携帯が差し出された。
「稜くんが渡してくれって。折角施設にいるときに面会の機会をもらったのに焦りすぎてちゃんと伝えられなかったと悔やんでたよ。」
「嫌ならしなくていい。稜くんはとにかく自分の口から謝りたいと言っていたよ。」
「電話してみる。」
そういうと父は安堵と心配の入り混じった複雑な表情をした。
「一緒にいてくれる?」
母と父は僕の両隣に座り、兄は向かいのソファから僕のことを見守ってくれる様子だった。
緊張しながら久しぶりの携帯を触る。
電話帳なんて家族と彼の連絡先くらいしか入っていないからすぐに見つかった。
2回コール音がした後、
「美鶴!?」と慌てたような声が聞こえてきた。
「うん、ぼく。」
「!!美鶴、声が!」
「家族のおかげで出るようになった。」
「良かった、、本当に辛い思いをさせて申し訳なかった。」
稜くんの声は少し涙ぐんでいるように聞こえた。
「聞いたから、事情。」
「すまない。」
「もう、謝らなくて大丈夫、分かったから。でも、時間が欲しい。」
「わかった。離婚届は実は出すつもりがなかったから破棄してしまったんだ。このままでもいいか?ゆくゆくは戻ってきてもらえるように努力する。」
「うん。」
「ありがとう、あぁ良かった。どうしても離婚したいと言われたらどうしようかと…本当に嬉しいよ、美鶴。」
「……僕も、嫌われてた訳じゃないって、安心したよ。」
「喉疲れてきてない?大丈夫?今日はこの辺でまた連絡するよ。おやすみ、美鶴。」
「おやすみ。」
電話を切ると、まだ複雑そうな顔をしている兄と目が合う。
「なんだかなぁ、うちの弟になんて事って怒っても怒り足りないくらいなんだけど…そんな顔見ると何も言えないな。」
「え?」
僕、どんな顔してた?思わず両手で頬を触る。
「ふふ、変な顔してた訳ではないよ。嬉しそうな顔してたから。」
「先生も番に愛情注いでもらうのが1番と仰ってみえたからいいことなんだろうけど、複雑だな。もう、一度嫁に行ったはずなのにやり直してるみたいだ。」
父は少し寂しそうな顔をしながらも、声は明るかった。
「いいじゃないの、そこからやり直せて。私たちの思い込みのせいだけど結婚式だって泣くことすら許されなかったんだもの。」
「母さんめちゃくちゃ席外してたよね結婚式の時。」
「そりゃお腹を痛めて産んだ子の結婚式よ?感極まるでしょう。お化粧室で顔と心を整えてたのよ。」
兄に当たり前でしょうと言った母はこちらへと向き直ると、僕の手を握った。
「だからね、1から始めたらいいのよ。稜くんのこと嫌いになんてなれないでしょう?連絡して、デートとかして、家帰ってきたらいいのよ。それでまた結婚したいなって思ったらすればいいし、そうじゃなかったらまたお父さんが違う人探してきてくれるわよ。結婚に気が向かなかったらしなくたっていい。あなたが幸せなら何だっていいのよ。」
「……ありがとう。そうしてみるね。」
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